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彼女の部屋に入る朝

「おじゃましまーす……」


 社交辞令として挨拶を済ませてから海翔の家に上がる。当然無断ではなく、家の前で仕事に向かう海翔の母親である桜川(さくらがわ) 弥生(やよい)さんに鉢合わせて、その時に許可は貰っている。

 ……家だけでなく海翔の部屋に入る許可も。本人の許可は貰っていないけど、弥生さんいわく「陸くんなら大丈夫」らしい。


「……何が大丈夫なんだろうな」


 さて、どうして俺が海翔の家に上がり込むことになったのかと言えば、海翔を起こすためだ。

 というのも弥生さんが寝坊してしまい、海翔にも声をかけたが起きてこなかったようだ。そのまま弥生さんが仕事に行かなくてはいけない時間となったために、泣く泣く家を出たらちょうど俺が到着したところだったらしい。


「家の中はさすがに寒くない……な」


 10月も終わりが見えてきた今朝、急に冷えこんだ。

 昨日までは夏を思わせる暑さだったのに、ここまで冷えると体感ではもう真冬がやってきたように感じる。いや、冬本番はもっと寒いんだろうけどさ。

 そんな一晩で季節が半周したように錯覚してしまった朝。昨日まで着ていた夏用の物ではなく、詰め襟の制服を着て家を出た。


 海翔への気持ちを自覚した俺は、あれから……特に何もしていなかった。俺が行動を起こして関係性が変わってしまうのが怖かった。臆病だと笑ってくれてもいい。


 この間、それとなく海翔が男の頃に好きだった中原さんとの仲について聞いてみたら「いっぱい助けてもらっちゃったけど、今では一番仲良くなっちゃったねぇ」と感慨深そうだった。

 その後で「女の子の中ではだからね? 嫉妬しないでね?」と頬を少し赤くしながら、からかうような笑顔でフォローをしてきた。そんな海翔に少し戸惑いながら「してないから」と返した。多分、その時の俺の顔も赤かったと思う。


「はぁ~……」


 冷えた指先を吐息で暖める。

 あと少ししたらもう冬、あっという間に十二月になるだろう。そうしたらクリスマスという大きなイベントがある。それまでには告白をして、海翔と一緒に過ごしたい。

 ……拒否された時の事は考えたくもない。


 最近はご無沙汰だったとはいえ、何度も上がっていた頃の記憶を頼りに海翔の部屋へゆっくりと静かに向かう。


 海翔は一人っ子で父親は朝早い仕事をしているから、今この家は海翔ひとりのはず。だからこれから寝ているであろう海翔を起こしに行くのだからそんなに静かにしなくてもいいのだけど、朝の静かな空気を壊したくなかった。


 女の子になった海翔の部屋に入るのが初めてだからか、近づいていくほど心臓の鼓動が早く大きくなっていき、海翔の部屋の前にたどり着いた時には自分以外の人にも聞こえるのではないかと思うほどに弾んでいた。

 

 深く深呼吸をして少しだけ気持ちを落ち着かせた後、意を決してコンコン、とノックをして中にいるはずの海翔に声をかける。


「……ぃと?入るぞ?」


 名前を呼んだつもりだったが、最初が言葉になっていなかった。

 元男だとはいえ外見だけで言えば美少女、そして好きな人と部屋でふたりきりになるのだ、緊張して何が悪い。


「海翔?」


 反応がなかったので、もう一度ノックをして呼び掛ける……が、やはり反応なし。

 今度はコンコンコン、とノックの回数を増やし一呼吸おいて「本当に入るぞ?」とドアに問いかけてみる。

 ……やはり反応がない。部屋に入って近くで声をかけたり、最悪の場合、直接揺すったりする必要もありそうだ。


「入るからな」


 まだ収まらない、それどころかさらに大きくなる鼓動とは逆に、なるべく音を立てないようにして海翔の部屋に入る。


 これから部屋の主を起こそうとしているのに、なんで音を立てないようにしたのかは自分でもわからなかった。ドアノブを回した音やドアを閉めた時の音で起きてくれる可能性だってあったのに。

 起こしに来たのは間違いないのだが、自分でも気付いていないところで海翔の寝ているところを見たいと思っているのかもしれない。


 スイッチを操作し、部屋の明かりをつける。これで起きてくれたら楽だったんだけど、まだその気配はない。


 明るくなった部屋を見回す。家具の配置などは特に記憶と大きく変わってはいなかったが、ベッドの横に折り畳み式のテーブル、その上にはやや大きめの鏡と液体の入った容器や小物が複数置かれていた。それに、部屋の匂いも記憶と違う。こんな甘い匂いではなかったはずだ。

 ……そんな素振りは見なかったけど、ちゃんと化粧とかやってるんだな。なんだか複雑な気分になった。


 次に目に入ったのは部屋の片隅にかかった夏用のセーラー服だった。初めてそれを着てきた日のスカーフを持ち上げる仕草や赤らめた表情の事を思い出す。

 それからも海翔の夏用セーラー服に慣れるまでは一緒に歩く度にドキドキしたっけな。

 でも、それも今日で一旦見納めだろう。まぁ、移行期間だしもう何回は見られるかもしれないけど。


 正面に見えるベッドの上に乗っている毛布に包まれた塊に目を向ける。

 盛り上がっている形から、おそらくこっちを向いて横になって少し背を丸めているように見える。


「海翔、起きろ。いい加減準備しないと学校に間に合わなくなるぞ」


 やや大きめの声で言ったつもりであったが、ベッドの上の塊はもぞもぞと少し動くだけだった。


 「おーい」


 追加で呼び掛けても状況に変わりはない。許可なく女子の身体に触るのはいかがなものかと思うが、仕方ない、身体を揺するか。


「これからお前に触るけど、決してやましい気持ちはないからな、決して」


 多分聞こえていないだろうけど、予防線を張ってからどこに触るのがいいか一瞬だけ考え、肩がベストだと判断し海翔に向かって手を伸ばして、海翔の右肩に触れる。


「……海翔、起きろ」


 毛布越しだというのに想像よりもずっと華奢だった肩を揺らしながら声をかけると、海翔は「ぅ……うぅん……」と少し艶かしい声をあげた。

 なんだかいけない事をしている気分になるのでそんな声を出すのはやめてほしい、そんな抗議の意味を込めてさらに揺すってみるが、効果はないようだ。


 さて、どうするか。布団でもはいでみるか……?


 ため息をつき、次の行動に移ろうと海翔から手を離した瞬間、毛布の塊から勢いよく手が伸びてきて俺の手を掴み、ベッドの方に引き込もうとしてくる。

 それに驚いてバランスを崩し、思わず海翔のベットの方に倒れた俺の視界に入ってきたのは――手を出した時に頭も一緒に出たのだろう――まるで計画通り、とでも言わんばかりにイタズラな表情をした海翔の顔であった。

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