羞恥の元の来訪3
そして、「ジェシー、もう良いわ」と言いながら、父ルーベ・ソードルへと歩を進める。
振り向く女騎士ジェシー・レーマーに「鞘に収めなさい」と言いながらどかし、情けなく座り込んでいる父ルーベ・ソードルの前に立つと、見下ろす。
そして、少しあきれ気味に言う。
「それにしても、お父様。
何故、そんな馬鹿みたいな鎧を身につけているんですか?」
予想だにしなかった問いかけだったようで、父ルーベ・ソードルは目を白黒とさせている。
エリージェ・ソードルは未だに持ち上げたままの槍、その槍先に掌を置く。
「お嬢様!?」
焦った声を上げる女騎士ジェシー・レーマーを無視して、掌を前に押し組む。
本来、女の掌を串刺しにするはずの槍は――柄の中程でグニャリと曲がり、破壊音と共に折れた。
それを眺めながら、エリージェ・ソードルはなんとはなしに言う。
「あら?
折れてしまいましたね。
わたくし、目障りだから前に押し出そうとしただけでしたが、お父様と床の間に引っかかってしまったみたいですわね。
それにしても、こんなに簡単に折れるとは……。
ずいぶんな安物をお持ちで」
「はぁ?
いや、はぁ?」
父ルーベ・ソードルは呆然としながら呟く。
目の前に起きたことが理解できなかったのだろう、だが、流石はというべきか、教育係ジン・モリタは驚愕しながらも言う。
「まさか、表層硬化による硬化!?
しかし、お嬢様はまだ……」
教育係ジン・モリタの驚きは当然だ。
表層硬化は公爵家の秘伝の魔術、それを、魔術を習ってもいない十歳そこそこの令嬢が使ったのだ。
驚くなという方が無理がある。
だが、この女はそんな事など気にせず、父ルーベ・ソードルを見下ろしながら、閉じた扇子で掌を叩く。
「曲がりなりにも公爵家当主を名乗るのであれば、表層硬化ぐらいは出来ますよね。
だったら、そんなふざけた鎧など不要でしょう」
そして、この女、閉じた扇子を目の前で振る。
それに対して、父ルーベ・ソードルは「まま待て!」と右手を突き出した。
そして、言う。
「ぶぶ武器が無くなった。
致し方が無い。
今回は引き分けだ!」
そして、くるりと振り返ると這いずりながら逃げようとする。
そんな体に黒いものがまとわりついた。
”黒い霧”である。
全身鎧の父ルーベ・ソードルを軽々と持ち上げ、女の前に戻す。
「ひゃ!?
……は?」
父ルーベ・ソードルは何が起こったか分からないという感じに言葉を漏らす。
周りからも驚きのどよめきが上がる。
当然だ。
”前回”も含めて、この女以外の誰一人として体得できなかった、恐るべき”魔法”である。
そんなものを突然見せつけられて、困惑するなという方が無理がある。
だが、この女は気にしない。
父ルーベ・ソードルの顔に被さった鬱陶しい兜に、”黒い霧”をまとわりつかせた。
「ヒヒィ!?」
突然、黒い靄に顔を被われ、恐慌状態になる父親のことも当然気にしない。
さっさと、兜を剥ぎ取った。
驚愕を貼り付けた父ルーベ・ソードルの顔が出てくる。
それを一瞥すると、視線を脱がせたばかりの兜に向ける。
”黒い霧”で女の視線の高さまで持ち上げて、その脳天部分を閉じた扇子で軽く叩いた。
一見すると頑強そうに見えるそれだったが、薄っぺらな鉄板で作られているのか、なんだか間の抜けた音が鳴った。
「槍もそうですが、見た目ばっかりでずいぶん安っぽい兜ですね。
この程度であれば、レネのような武勇伝にはなり得ませんわ」
エリージェ・ソードルは閉じた扇子を持ち上げると、無造作に振り下ろした。
甲高い音と共に、兜が両断された。
「は、はぁ?」
それを父ルーベ・ソードルは目玉が飛び出さんばかりに凝視する。
そんな父親の前に真っ二つになった兜を投げると、エリージェ・ソードルは言う。
「さてお父様、わたくし、あなたの頬をこの扇子で殴ります」
「え?
はぁ?」
安物とはいえ兜を両断した扇子、それで殴ると宣言されたのだ。
父ルーベ・ソードルは理解できないと言うようにポカンとした顔で見上げてきた。
だがこの女、淡々と話を続ける。
「あなたが自身を公爵家当主に相応しいと主張するのであれば、当然出来る表層硬化――それさえあれば、問題ないでしょう?
出来ないのであれば――多分、死にますが、まあ、そこまで強固に自分が当主だと言い張るのですから、大丈夫ですよね」
「ふふふざけるな!
そんな、え、そんなので殴られたら死ぬぞ!
貴様、父殺しをするつもりかぁぁぁ!」
だが、この女の視線はどこまでもさめざめとしていた。
「あら、お父様。
わたくし、”不幸な事故”で父親を失う――そのような覚悟ぐらい持ち合わせておりますのよ」
「ふざ、ふざけるな!
クソ、離せ、クソ!」
父ルーベ・ソードルは必死に逃れようとするも、その程度では”黒い霧”からは逃れられない。
とはいえ、顔を無為に動かすので煩わしくはあった。
なので、魔力を凝縮することで、締め付けを強くした。
「イダダダ!
痛い!
止めろ!」
情けなくも涙をボロボロ零しながら、父ルーベ・ソードルは叫ぶ。
「止めろぉぉぉ!
この化け物がぁぁぁ!」
実の父親に化け物呼ばわりをされる。
それに対する娘の反応は――苦笑だった。
「この程度で化け物とは……。
そんな事だから、シエルフォース侯爵に無視をされるんですよ、お父様」
この女の呆れは”もっとも”のことだった。
なるほど、この女は公爵家の秘術、表層硬化を使った。
”今回”、誰一人発現させていないだろう”黒い霧”も、まあ、使って見せた。
だが、結局の所、その程度のことなのだ。
”前回”、全盛期のこの女から見たら、現在のこの女の魔力量などごく僅かでしかない。
あの、オールマ王国屈指の選良である王国近衛隊や魔術師を蹴散らし、剣の天才オーメスト・リーヴスリーを曲がりなりにも打ち倒した――あの頃に比べたら、現在のこの女、話にならないぐらいに、弱い。
あえて数値化するので有れば、その保有魔力は全盛期の百分の一にも満たない。
”前回”の十四歳の頃、”たった”百名ほどの暴徒を鎮圧するのに、手こずった頃の魔力量程度に過ぎないのだ。
なので、父親の大げさな評価に、自分の情けない現状と照らし合わせて、苦く受け取るしかないのである。
「まあ、わたくしが化け物かどうかなど、どうでも良いのです。
問題は、お父様が公爵家に相応しいか否かです」
とエリージェ・ソードルは父親の頬に、閉じた扇子をぺたりと当てる。
ギャアギャア騒がしかった、父ルーベ・ソードルだったが、とたん、大人しくなり、恐る恐るといった感じに見上げてくる。
「お、おい……。
エリー、本気じゃないだろう?」
「申し訳ございません、お父様。
わたくし、冗談の素養はございませんの」
そして、スーっと扇子を振り上げる。
「五つ数えるぐらいまで、待って差し上げます。
詠唱なりなんなりして、発動させなければ、そのお粗末な頭の中身をぶちまけることになりますよ?
出来ますよね?
表層硬化。
曲がりなりにも公爵を名乗っていたのなら」
父ルーベ・ソードルは「まま待て、いきなり言われても!」などと言っているが、エリージェ・ソードルは「五、四……」とゆっくりと数え出す。
女の本気を感じたのか、父ルーベ・ソードルはぶつぶつと、詠唱らしいことを呟いたりし始める。
そして、瞳を潤ませながら上目遣い気味に言った。
「忘れちゃった」
その頬に扇子が炸裂した。
エリージェ・ソードルは白目を剥いて倒れる父親を、醒めた目で見下ろした。
流石のこの女も、絨毯が汚れる等の懸念から、本気では殴らなかった。
なので、頬骨が無事かはともかく、父ルーベ・ソードルは生きているようだった。
エリージェ・ソードルは視線を父ルーベ・ソードルの護衛に向けると命じる。
「これを、イーラ邸に送り返しなさい。
……一応、生きているので目覚めたらやっかいね。
睡眠効果の薬草を準備して、目が覚めたら眠らせなさい。
あと、それが終わったら、護衛の任を解くから速やかに戻ってきて、公爵領で待機しなさい。
そうね、あなた達が望むなら、次期公爵の護衛を任せようかしら?」
元々公爵の護衛だった彼らは、非常に優秀な護衛騎士である。
なので、エリージェ・ソードルとしては遊ばせるのは勿体ないと思ってのことだった。
だが、彼らとしたら、主流から外された元公爵の護衛をしていたことで、冷や飯を覚悟していた。
なので、次期公爵の護衛という、いわば返り咲きの機会が与えられるとのことで、驚きに目を見開いた。
だが、それも一瞬のことで跳ね上がったやる気を胸に秘めつつ、了解の旨を返答するのだった。
そんな彼らに、エリージェ・ソードルは頷いてみせると、教育係ジン・モリタに視線を向けた。
そして、ポカンとしている彼を見上げながら、言う。
「ジン、あんな調子では、お父様に心を入れ替えて貰うことは無理よ。
わたくし、公爵家のためにも、領民のためにも、もう、父には二度と、領内に足を踏み入れないように手はずを整えなければならないわ。
ジン、改めてになるけど、あなたにはマヌエルの事をお願いしたいわ。
ねえ、わたくしのお願い、聞いてくれるかしら?」
教育係ジン・モリタは何事かを口にしようとした様子だったが、エリージェ・ソードルの不安げな視線を見てそれを飲み込んだようだった。
教育係ジン・モリタは女の前に片膝をつき、頭を下げた。
「……畏まりました、お嬢様。
ルーベ様のことは、もう、致し方がないと思います。
これからは、マヌエルの為に全力を尽くします」
エリージェ・ソードルは少し安心したように頬を緩ませると「ありがとう、ジン」と頷いた。
そして、呆然とした顔でやり取りを見ていた、弟マヌエル・ソードルに視線を向ける。
「マヌエル、あなたにも多大なる重荷を背負わせることになり、申し訳なく思っているわ。
だけどもう、将来のソードル公爵家を背負うことが出来るのはあなただけ。
あなたが成人し、学院を卒業するまでに、わたくしは出来うることを全て行い、少ない負担で引き継げるように努力するわ。
だから、あなたはこの強大な公爵領を治める事が出来るよう、覚悟だけはしておきなさい」
「お姉様……」と呟いた弟マヌエル・ソードルだったが、眼光を強くしながら言う。
「分かりました、お姉様!
僕は、お姉様にご安心していただけるような領主に必ずなって見せます!」
そんな力強い宣言に、エリージェ・ソードルは嬉しそうに頬を緩ませた。
そして、扇子を女騎士ジェシー・レーマーに渡すと、弟マヌエル・ソードルの手を取り、両手で包んだ。
そして、言う。
「ええ、ええ。
あなたならなれるわ。
わたくしなんかより、ずっと素晴らしい領主に」
そこまで言うと、一つだけ釘を差した。
「でも、無理はしすぎないでね」




