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 空調の効いた教室は今、むせかえるほどの熱気と喧噪に満ちあふれていた。

「おーい!材料たらんぞ。買い出しまだかよ。」

「こっちだって人員が不足してんだよ。」

「こっちに5パック追加!まだまだくるわよ!」

 かくいう私は、何故かホットプレートと向き合ってお好み焼きを焼いていた。

 発端は2週間前にさかのぼる。

 この学校には古くから生徒が主体となって運営される学園祭というものがあり、一クラス一個何か出し物をするのが決まりらしい。

 それが合唱や演劇や模擬店など内容は問わないらしいが、私たちのクラスでは定番の模擬店をすることとなった。そして、何を売るかという会議となったのだが、

 よりにもよって、私は『前の学校で何をしていたのか?』という質問を受けた。

 当然そんなもの分かるはずがない。

 だから私は100年前の知識から「焼きそばとかお好み焼きとかが定番じゃないかな?」といったのがことの始まりだった。

 どうやら、この街にはかつては定番の家庭料理であったはずのお好み焼きとか焼きそばというものがすでに存在していないらしい。

 そういうものはすでに人びとの記憶からなくなってしまったのだろうかと思うなにやら切ない思いがこみ上げてくるような気がしてならない。

 ともあれ、みんなが一度見てみたいというので、私が次の日、唯奈の協力の下、実際にそれを作って持っていったところ、珍しいことや作るのがさほど難しくないこともあって、私たちのクラスはこれを売ることとなった。

 私としては味のことを言うものが誰もいなかったのが気がかりだったが、こういうものに関しては味は二の次になってしまうものらしかった。

 そうして今に至るわけだ。

「すごい・・・人気・・・だね。」

 唯奈が額の汗を拭いながら私にお好み焼きを入れるパックを手渡した。

「大当たりだな。」

 私は、今焼き上がったそれを手早くパックに入れ空いたホットプレートにペースト状の種を流し込んだ。種はすでに底が見え始めているが注文はやむことはない。

「こっち、3パックや。」

 どこからか優の声がした。

「ちょっとまってな。」

 またどこからか聡志の声がしたような気がしたが、私はお好み焼きをひっくり返すのに忙しくて目をやっている暇はなかった。

 お好み焼きからは香ばしい匂いが漂ってくる。この匂いだけでも腹がいっぱいになってきそうだ。

「有希。こっちもお願い。」

 クラスメイトの女子がトレイを私の前にどさりと置いた。見積もり4パックはあるな。

「もう少し待ってな。」

 私は、ホットプレートの上に乗ったお好み焼きをぽんぽんと軽く叩いて調子を見た。もう少し、まだ中が半煮えのような気がする。

 私は、それを二つに分けると中をのぞき込んだ。案の定中身は若干ペースト状だった。もう少しって所か。

 私は、時間を節約するため、その上にトンカツソースと青のりを振りかけさらにマヨネーズを塗って鰹節をまいた。

 熱気で鰹節が踊るようにゆらゆらと動くが、そんなことにいちいち気にかけていられない。

「よし、お好み焼きいっちょう上がり!」

 私は、手早く半分に切ったそれをトレイの中に放り込んだ。

「おし!」

 みんな手つきが慣れてきたようにそれをゴムで縛るとビニル袋に入れて、

「お待たせしました。お好み焼き3人分です。」

 客に手渡すと代金を受け取った。受け取った硬貨や紙幣はこの文化祭のみで使えるもので、正規のものではない。

 今の時代、買い物はほとんどカードで済ましてしまうので、事実上硬貨や紙幣はその姿を消してしまっている。

 しかし、伝統的な学園祭ではそういった古い文化をよみがえらせると言うことで、特別に発行しているというらしい。

 そうして、その金は後で換金されデータ化される。何とも、テクノロジーの無駄遣いをしているような気がするが・・・。贅沢なものだ。

「おい、宮野。手ぇ止まってるぞ。」

 聡志がビニル袋を片手に通り間際にそういった。

「おっとっと。こうしてはいられないんだったな。」

 私は、再びホットプレートに油を垂らすとへらでまんべんなくのばして、最後のお好み焼きの種を注ぎ込んだ。

「材料追加だ!」

 示し合わせたかのようなタイミングで、店員専用の出入り口が開き、クラスメイトの数人が大きな袋を抱えて戻ってきた。

 さっき材料の買い出しに行っていたやつらだ、ありがたい。ちょうど材料を使い切ったところだった。

「領収書もらってきただろうな?」

「ああ。」

 その袋の中身が分けられ、早速レシピ通りにお好み焼きの種が作られる。

 もう少しで交代の時間だが、ここまで忙しかったらそんなことも言ってられないな。

「宮野。そろそろ交代じゃねえの?」

 私の思ったことが通じたのか、聡志が私にそういってきた。ふと見ると、確か午後から仕事が回されているものがドアのあたりできょろきょろとしていた。

「ああ。そうだな。聡志は?」

「俺もそろそろだ。邪魔にならないうちに出ようぜ。」

 彼はすでにエプロンを脱いでいる。そうだな。材料もなくなって一段落したことだし、交代のものも来ているようだからこのあたりであがっておくか。

「わかった。すぐに行く。」

 私は、エプロンを脱ぐとまかないようにとっておかれたお好み焼きを二つ取るとさっさと教室を出た。

「うわ。まだ結構いるな。」

 私の後についてでた聡志が廊下の様子を見て歓声を上げる。そろそろ昼下がりだというのに、廊下にはまだ両手に余るほどの人が並んで私たちのクラスのお好み焼きを待っている。

 日頃から硬貨や紙幣を扱い慣れてないものだから。支払いに手間取っているのだろう。この混雑はまだまだ続きそうだ。

「屋上でも行こうぜ。」

 聡志は、私の背中を押した。

「ああそうだな。優と唯奈はまだもう少しらしいから先に行っておくか。」

 私も人混みをかき分けながら前に進む。エレベーターは使用停止になっているらしいので私たちは仕方なく階段で屋上まで出た。

「ああ・・・。空気が美味いぜ。」

 今日も風が出ているのか、屋上の送風機は止まっている。

「まったく。空調の効いた部屋で汗をかくとは思わなかったな。」

 私も思いっきり深呼吸をして新鮮な空気を肺いっぱいに取り込んだ。

「それにしても、すごい人気だったな。あれ。」

 あれというのは、私たちの模擬店のことだろう。

「まったくな。意外だったよ。十分元手、とれているんじゃないか?」

 何せ、私の記憶ではお好み焼きなどなんの変哲もない食べ物にすぎないから、ここまで人気が出るとかえってとまどってしまう。

「だろうな。・・・どっかすわろうぜ。」

 来るときに手渡したお好み焼きを持って私たちは屋上でも一番見晴らしのいい場所に腰を下ろした。

「そういえば。こうして二人だけっていうのは初めてじゃないか?」

 私は、包みを開けた。さすがに中身は冷めていて特有の香ばしい匂いは漂ってこないが、それでも食欲をそそるできばえだった。

「そ、そうだったか?」

 何にとまどっているのか。聡志は照れくさそうに言う。

「???」

 私はそんな彼を見上げる(身長差のせいで座っても私は聡志より背が低いのだ。)。そういえば(こういってはなんだが)私は女性だったのだ。

 彼も、女性と二人きりというのは気恥ずかしいものなのだろうか?まさか、聡志に限ってそれはないだろう。

「さて・・食うか・・な。」

 なにやらたどたどしい手つきで包みを開けるそれを見て、中身をこぼさないかと心配になってくる。

 私は、途中でかったドリンクを開いてのどを潤した。

 私たちはしばらく無言で食事をとった。模擬店にしてはよいできだったと思う。

「さて。腹も満たされたな。」

 一足に先に食べ終わって、ずっと私の方を見ている聡志を横目に、私はそう言うと立ち上がって落下防止のフェンスに寄りかかり、眼前に広がる風景に目をやった。

 雲一つない青い空。そして、立ち並ぶ高層ビルの向こうには巨大な壁がそびえている。そのさらに向こうにわずかに見える赤茶けた大地。町を一歩出るとそこには荒廃が広がっている。

 まるで夢のような情景があった。私が予想していた未来というのはどういうものだったのだろうか。少なくともこういう未来は想像していなかったはずだ。

「なあ。宮野・・・。」

 突然、私の背後から震えたような声がした。その声が聡志のものであることは想像に難くない。肩に感じる彼の大きな手。それは、何かにおびえているのか、細かくふるえていた。

「どうかしたか?」

 私は、振り向こうとするが、その手がそれを拒んだ。

「聡志?」

 彼は今どんな顔をしているのだろうか。

「なあ・・・。たぶん、これから俺は変なことを言うと思うけど。最後まで聞いてくれよな。」

 聡志の声は決意に震えていた。何か重要なことを言いたげなその声に私はうなずかざるを得なかった。いつもの彼ではない。どこかヘラヘラして不真面目そうな雰囲気を漂わせている彼とは違った彼がそこにいた。

「・・・・なんか。言おうと思うと言葉が思い浮かばないよな・・・。まあ、なんというか・・・つまりだな・・・・えっと。どうしても言っておきたいことがあるんだ。」

 私は、フェンスに身体を預けるように前のめになる。

「まあ。落ち着いて。深呼吸でもしてみるか?」

 いつか唯奈に言った言葉をそのまま聡志に言った。

「いや。息を吐いたらそのまま出ていっちまいそうだ。・・・宮野・・・。おれは。」

 彼はそういうが息を吸い込んで吐く声が聞こえた。やはり、気持ちを落ち着かせるにはそれが一番なのだろう。

「宮野・・・俺は・・・お前が・・・。」

「私が・・・なんだ?」

 まるで言葉遊びをしているみたいだった。

 ・・・・・。少しの間沈黙が漂う。一陣の風が私たちの間を通り抜けた。私の耳にはもう学園祭の喧噪は入ってこない。周りの空気が変わった。

「俺は・・・・お前が好きだ!」

 ・・・・・。この雰囲気と彼の口調から、彼が何を言わんとしていたのかは予想に難くなかった。

「どうして私を?こんな私を好きになれたんだ?」

 私は落ち着いていた。何故か動揺していなかった。

「それは・・・わからねえけど。いつのまにかって言うのかな?・・・お前を誰にも渡したくないって言うか・・・。」

「そうか。ありがとう。そういってくれて私はとても嬉しいよ。」

 私は、心が温かくなっていく感じがした。彼は、いつもは不真面目そうな素振りをしているが、こういうことに関しては本気なのだろう。彼の言葉に偽りはない。

 しかし・・・。

「・・・ごめん。」

 私がそういうと今まで私の肩にあった聡志の手の力が抜けた。

 私は、それをやんわりとふりほどくとゆっくりと振り向き彼の瞳をまっすぐと見つめた。彼は、驚いたような絶望したような表情をしていた。

「・・・・だめか?」

 私は首を振った。

「聡志がだめなんじゃない。私がだめなんだ・・・。実を言うと、私がここに来たのは転校してきたからじゃない。唯奈は知っていることだが。私はコールドスリープで100年近く眠らされていたんだ。」

「????」

 彼は、とまどっていた。それはそうだろう。こんなこといきなり聞かされてはこうなることは目に見えていた。だが、私は続けた。

「東の・・・ずっと東・・かつてジャパンと呼ばれていたらしいところで五年前発見されたんだ。目覚めたのがほんの数ヶ月前・・・。私は記憶喪失でさ。コールドスリープされる以前の記憶を全部なくしてしまっていて。それで・・・。」

「ちょっと待て!」

 聡志はあわてたように私の言葉を遮った。

「そんなこと・・・。もしそれが本当だったら・・・。」

「本当だ。」

「ああ。そうだな、お前が言うんだったら本当なんだろうな。だけど、そんなこと軽々しく言ってしまっていいのか?俺なんかに?」

 俺なんか・・だって?冗談じゃない。

「どうしても言っておきたいことってあんたは言ったよな?」

 私は、聡志を見上げて軽く睨んだ。

「あ、ああ・・。」

 彼はそれに少し気後れするかのようにうなずく。

「これは私の答えだ。今の私は自分のことすら分かっていない。だから、今の私ではあんたの気持ちに答えることはできない。だから、私のことを少しでも分かってもらいたかった。」

「それって・・・。」

「それに・・・。」

 私は少し頬がほてるような感じがした。こんな感じは初めてだった。これをなんて言おう。

「あんなこと言われてこれ以上聡志に嘘をついているのも・・・なんだか悪いと思ったんだ。」

 ・・・・・。

 少しの間私たちはお互いの顔を見つめ合った。何かを探り合っているのでもなく、何かを言おうとしているのでもない。ただ、私たちはお互いを見つめ合った。

 そこには息苦しさも居心地の悪さもない。ただ、お互いにこうしていたいと思うそんな感じがしただけだ。

「有希・・・。」

 私はいきなり肩をつかまれ、あごを持ち上げられた。覆い被さってくる聡志の顔。そう思っているうちに私の唇に何か暖かくて柔らかなものが押しつけられた。

「んっ!」

 どれだけそうしていたのか。私は、ふりほどくようにそれから逃れた。

 ・・・キスされてしまった。

「あっ。すまん・・・。」

 聡志はそういうが、

「謝るぐらいならしなさんなって!」

 照れ隠しだったのか、一瞬それを受け入れてしまった自分への苛立ちをごまかすためか、私は声を荒げていた。

「や。その、すまない。本当にすまない。」

 まったく、この男は何を考えているのだ。さっきふられたばかりだというのにその次の瞬間にはいきなり唇を奪うなんて。しかも無理矢理(ちょっと違うかもしれない)。

 だんだん私は腹立たしくなってきた。

「すまんって言ってるだろうが。いい加減、機嫌なおせよ。」

「喧嘩・・・してるの?」

 私がふてくされていると、私たちの後ろから知った声が聞こえた。

「なんや?喧嘩かいな。おお、やれやれ。見といたるわ。」

 明らかに場違いなせりふを吐いているのは間違いなく優だ。その横には少し不安そうな光を瞳に浮かべた唯奈が立っていた。

「なんだ。きてたのかよ。」

 ”いいところだったのに”という言葉が聞こえたような気がしたが私の空耳だったのだろう。なにがいいところなのやら。

 私は苦笑を浮かべた。

「喧嘩・・・してたの?」

 優は私たちの方に歩いてきていたが唯奈は相変わらず心配そうな面持ちで私たちを見ていた。

「喧嘩なんてしてないよ。心配するな。」

 私は、二人をおいて唯奈の方に歩み寄っていった。

 優はそんな私たちを交互にみると、何かを思いついたかのように指をぱちんと鳴らした。

「なあ、聡志。ひょっとして・・・・・・なことでもあったんか?」

 優が何かを聡志に耳打ちしたようだったが私たちにはよく聞こえなかった。見ると、それを聞いた聡志の顔がみるみるうちに真っ赤になっていった。

 何となくだが、その会話の内容が頭に浮かんだ。

「優!てめえ!見てやがったのか!?」

 聡志が校舎中に響くほどの絶叫をあげるが優は涼しい顔をして、

「なるほど。図星やったっちゅうことか。よー分かったわ。にしても、お前、ほんまにわかりやすいな。」

 聡志のこめかみからブチッという音が聞こえたような気がした。

「て・め・えぇぇ。ゆるさねえ!!」

 きれたな・・・。

「おっと。ほな、お先に失礼しまっさ。」

 ”ほんじゃなー”という言葉を残して優は逃げていく、聡志は何ともわかりやすいののしり言葉を吐きながら彼を追いかけた。

 ・・・仲がいいんだよな。あれは・・・。

 だが、優にばれてしまったようだ。変な噂が立たないといいのだが・・・。

「何かあったの?」

 始終不思議そうな顔をして眺めていた唯奈はいまだ状況をつかめないような顔をして二人が走り去っていった方をぼんやりと眺めていた。

「さあ。優にでも聞いてみたらどうかな?」

 少なくとも私の口からこのことが表に出ることはないだろう。これも夏の思い出の一ページとして記憶に封印しておこう。

 優と聡志がじゃれ合う(?)声が屋上にも届いてきていた。

「平和だねえ・・・。」

 私は晴れ渡る空を見上げてそうつぶやいた。学園祭も後半戦に突入しているようで講堂や体育館からは生徒の歓声と共に騒音に近いような楽器の音が鳴り響いていた。

「あ。そうだ。私も部活の演奏会があるの・・・。」

 唯奈が思い出したように言った。

「ああ。そういえば。後、30分ぐらいか?体育館でだったよな?」

 支給されたプログラム表には吹奏楽部の演奏があったのを覚えている。あれは確か午後からだったような。

「うん。・・・見に来て・・くれる・・・よね?」

「当たり前だろう。唯奈は確かフルートをやるんだったよな。」

「うん。今日は古い曲をやるから。・・・・その・・・。」

 唯奈の言いたいことは分かる。古い曲なら私の覚えているものもあるのではないか。そういいたいのだ。彼女の気遣いは心にしみてくるようで心地がよかった。

「がんばれよな。」

 私はあえてその先を聞き出そうとせず、彼女の肩を軽く叩いた。

「うん。それじゃ、私は準備があるから。」

 開演30分前だとそろそろ急がないといけないだろう。

「ああ。また後で。」

 唯奈も屋上の扉を開けて校舎の中へ入っていった。

「そういえば。唯奈の演奏を聴くのは、初めてになるな。アリアもこればいいのに・・・。」

 私はこの場にいないアリアのことに思いを巡らせた。

 家族としての絆を築けなかったアリア。そのことを今になって後悔していると告白するときの悲しい笑顔。

 まだ間に合う。今からでも遅くはない。

 家族の絆というのはそう思うほど柔なものではないはずだ。忘れてしまわない限り、その思いは通じると思う。私は、もう無理だから。かつてあった家族のことも友人のこともすべて忘れてしまっている。

 私にはかつての絆はもうないのだから・・・。

「・・・・ふう・・・。」

 少し体温が上がりすぎてしまったようだ。

 私も校舎にはいることにした。

「あ。有希。お疲れ。」

 特に行くところがないので、教室に戻ってくるとクラスメイトの女子の数名が模擬店の後かたづけをしている最中だった。

「ああ。お疲れさん。」

 私は、そういうと特に頼まれていないがその後かたづけを手伝うことにした。

「有希のアイディア。大成功だったね。」

「ほんと。ほかのクラスからも羨ましがられたよ。」

「ああそうだな。私も正直ここまで大盛況だとは思わなかった。」

 私は照れくさくなってきた。こう、正面からほめられるというのはどうもくすぐったいものだ。

「だけど、よくあんなの思いついたよね。お母さんに聞いてみたらこのお好み焼きって言うのは100年以上前にジャパンってところで作られてた料理なんだって。」

 ドキッ!

 私は心臓が跳ね上がる思いがした。

「100年以上前って言うとあの災害が起こる前のことだよね。ジャパンってどんなところだったんだろうね。」

「緑が豊かで四季折々の自然の風景が楽しめる、伝統のある島国・・・。」

 言ってしまって私は後悔した。こんなこと言うつもりはなかった。しかし、何故言ってしまったのだろうか。

「シキ?シキって何?」

「すっごーい。そんなことまで知ってるんだ!」

「あ、いや・・。」

 彼女たちの目から発せられるのは純粋な好奇心だ。その純粋さが今の私には怖い。

 私は仕方なくかいつまんで説明した。これはあくまで転校してくる前の街での情報だという前提をでっち上げて。

 四季というのは春夏秋冬の巡り。春は草木が芽を萌やし、夏には青葉が高々と生い茂り、秋は真っ赤に染まった紅葉が夕日に映え地面に落ちる、冬は身も氷るような寒さと一面の銀世界が味わえる。

 今の世界に生きる者たちが憧れ手に入れることはかなわない世界。彼女たちの目も好奇心から憧れ、羨望の眼差しに変わっていくのが見て取れた。

「すごいなあ。私たちには想像もできない世界だよ。」

「雪って奇麗だろうなあ。」

 私は複雑な思いがした。

「あ。もうこんな時間か。」

 ふと、時計を見上げるとそろそろ吹奏楽部の演奏が始まる時間ではないか。

「悪い。吹奏楽部の演奏が始まってしまう。」

 私はそう言い残すと教室を出ようとした。

「またお話を聞かせてね。」

 そんな私の背中にそんな言葉が投げかけられる。

 ・・・まいったな。

 こうなったら後は適当にごまかすしかないな。

 そんなこんなで私は体育館に着いた。

 体育館はすべて立ち見席になっておりステージもセッティングされてあった。照明などはすべて備え付けのものがつかわれてあり、その設備も一流に近いものと言える。

「唯奈は・・。」

 私は壇上に整然と並んでいる吹奏楽部の面々を眺め、唯奈の顔を探した。

 いた。ほかのフルート演奏者の端に座っている。

「唯奈・・がんばれ。」

 他の人に聞こえないよう、こっそりとエールを送る。

「なんや。宮野も来とったんか。」

 横を見ると優と聡志が立っていた。

「ああ。二人も?」

「まあな。」

 さすがに友達がいのあるやつらだ。

「それに。うちの学校の吹奏楽部って結構有名だしよ。」

 聡志がまるで自分のことのように嬉しそうな顔で言う。

「そうなんだ。」

 それは、楽しみだ。

 そうしている間に指揮者が式台に昇り、観客に向かって深々とお辞儀をした、会場からは気持ちの込められた拍手がわき起こる。

 指揮者というのは顧問とかがやるものだと思っていたが、式台に昇っているのは制服を着た女子生徒だった。

「あの人が部長か?」

 私はそっと優に耳打ちした。

「そうや。」

 優もこの場の雰囲気を壊さない程度にささやく。

 演奏の始まる直前というのは何か一種独特の緊張感というものが会場全体を包み込むものだ。いつもヘラヘラしている聡志でさえ、この場の雰囲気に飲まれているのか、緊張した面持ちで立っていた。

 指揮者が口上と今回演奏する曲目をのべ終わると、演奏者の方を向き指揮棒を高らかと持ち上げた。一糸乱れぬ動きで演奏者は自らの楽器を掲げ、演奏の体制にはいる。

 まるで、指揮者と演奏者が楽器と指揮棒で会話をしているようなそんな感じがした。その会話によってその二者がお互いの呼吸と気持ちを合わせていく。演奏というのは不思議なものだ。

 そして、指揮者の手が振り下ろされた。

 それに呼応するかのように、透き通った音が体育館に響き渡る。

 指揮者のリズムと演奏者の指、息、身体、すべてによって音は命を吹き込まれる。それが折り重なり、またお互いを高めながら時にはどこかを際だたせ、全体をすばらしい高見に持ち上げてゆく。それは、まさに生命とも言える演奏だった。

 いや、彼らは一つの世界、宇宙を作り上げているのだ。

 私はこれがなんの曲なのかなど、もうどうでもよくなっていた。ただここに存在し、そして作り上げられていく一つの宇宙に身をゆだねていた。

 演奏はいつの間にか終わっていた。3曲通しての演奏だったが時間がたつのを忘れるぐらい聞き込んでいた。

 そして、三曲目の最後の演奏が終わったとき、会場からは割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 まさにこれこそ感無量だった。

 私も手がちぎれそうになってしまうほどの拍手を送った。それでも送り足りないぐらいすばらしいものだった。

 アンコールに応え、最後に短い曲を一曲演奏し終わると、会場の賞賛と拍手の喧噪に包まれながらも、吹奏楽部の演奏は幕を閉じた。

 吹奏楽部の控え室から出てきた唯奈と合流した私たちは一息つこうと言ってカフェテリアに行くこととなった。

 演奏後はのどが渇くのだという。

「すごい演奏だったな。聞き惚れてしまったよ。」

 私はいまだ興奮の冷めやまない口ぶりで唯奈に話しかけた。

「うん・・・みんな上手だから。」

「2曲目だったか?あのフルートのソロの所、正直、音楽でこれほど感動するなんて思わなかったよなあ。」

 フルートを吹いているのは唯奈達三人だった。その三人がまったくテンポを崩さずに一体となって演奏していた場面があったのだ。

「そんな・・・。ほめすぎだよ。」

 いや、私の言葉が足りていたらもっと褒めちぎりたいところだ。私の言葉足らずなことが今は口惜しい。

 カフェテリアも今日は生徒が主体となって運営しているらしく、いつもとはまた違ったメニューが並んでいた。私と優はコーヒーを注文し、唯奈は紅茶を、聡志はカスミンティーという私の聞いたことのない飲み物を注文した。

 私はコーヒーにシュガーとミルクをたっぷりと入れていたが、優はそのままブラックで飲んでいた。彼の舌は彼の雰囲気通りに大人のようだ。

 私もコーヒーを一口のんだ。・・・・今度はシュガーを少なめにした方がいいな。

「ところで。聡志、そのカスミンティーってのはいったいどんなもんなんだ?」

 私は、さっきから聡志が飲んでいたものが気になってしょうがなかった。彼が飲むカスミンティーというのは紅茶より深い赤色をしていて匂いは少し酸っぱそうだった。

「ん?これか?結構メジャーなんだが・・・ああ。そうか。お前はそうだったよな。」

 私は、うなずいた。彼も私の事情を知っているのだ。

 優が横で不思議そうな表情を浮かべているが、気にせず聡志は口を開く。

「カスミールっていう木の実を発酵させたやつを水出しするやつ。味は酸っぱいけど俺はこれが気に入ってんだ。」

「ふーん。」

 今度試しに飲んでみよう。

「あの・・・私、ケーキとか頼みたいんだけど・・・いい?」

 唯奈は伺いを立てるが反対する理由などどこにあろうか?

「ああ。いいぞ。」

「ああ、いいぜ。」

「ああ、ええで。」

 私と優と聡志の声が見事にハモッた。

 私たちは、きょとんとしてお互いに見つめ合ったが、それがあまりに滑稽だったので思わず笑ってしまった。後から考えると、結構恥ずかしかったかもしれない。

 唯奈はイチゴショートを頼みうれしそうにほおばっている。イチゴのショートケーキはシンプルで美味いため私も好きだ。私も頼もうかと思ったが特別食べたいとも思わなかったので、今回はやめておいた。

「あ。そうだ・・・。有希ちゃん・・・。」

 イチゴショートをほおばっている唯奈が突然口火を切った。

「ん?」

「明日。学校・・休みだから・・。」

「ああ。そうだな。」

 明日は学園祭の振り替え休日となっているので学校はない。

「だから。お母さんが一度病院に来てって・・・。」

「アリアが?診断でもするのかな?」

 夏休みは定期的に言っていたのだが、新学期が始まってからはほとんど行かなくなった。それが明日来てくれとなると、何か私のことについて分かったのかな?

「・・・私も・・・行ってもいい?」

 彼女は意外なこと言った。いつもなら彼女から率先して病院に行くことはなかったのに、今回はどういう風の吹き回しか、彼女も行きたいという。

「ああ。別にかまわないと思うけど・・・。」

 私がそう答えると、彼女はにっこりと笑ってケーキの最後の一かけを口に運んだ。

 私はその時から何か起こりそうな予感がしていた。それが私にとって良いことなのか悪いことなのか、それは分からないが。私のこれからの人生において何か重大な、とてつもない何かが起こりそうな予感がしていた。

 学園祭は閉会式のフィナーレを残すばかりとなった。


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