コレット
ここは神胤諸公国連合の最高学府であるレガリア大学に、最高学府の静けさをぶち破るような大足の足音が、石造りの回廊に響き渡っていた。
中庭の石造りベンチに、羊皮紙の山を抱えた少女コレットは、ちょこんと腰掛け、ペン先を震わせていた。
くりっとしたヘーゼルブラウンの瞳から、ボロボロと大きな涙がこぼれ落ち、頬を伝っていく。
(……うぅっ、なんなのよこの『ネルドリンゲン開拓史』……! 吹雪の中で鉱脈を守るために、おじさんたちが肩を組み合って歌を歌うなんて……っ! かっこよすぎるじゃないの……ぐすっ)
本を読んではそのドラマに感動し、誰かの頑張りを知っては目頭を熱くする。少々感情の蛇口がゆるすぎるのが、コレットという少女だった。
ぎゅっとハンカチで目元を拭い、鼻をすすってペンを握り直した瞬間、頭上から雷のような大声が降ってきた。
「おいコレット! なにを本読んでボロ泣きしてんだ! 泣いてる暇があったら、明日の討論演習のカンペを作れ!」
ドカドカと派手な音を立てて現れたのは、上質な学士衣の下に金刺繍が眩しい服を着たガッシリ体型の男――バルタザール・フォン・アイゼンヴァルドだった。首元ではゴツめのゴールドチェーンが輝き、彼の存在感をことさら主張している。
コレットはぴくっと眉を跳ね上げ、涙目で即座に言い返した。
「もぅっ!バルタザール様、 またですか!? 講義中に堂々とイビキをかいて寝るからですよ! ネルドリンゲンの当主様から『次の公開討論会でも無様な姿を晒したら、仕送りを止めて連れ戻す』って手紙が届いたからって、私に丸投げしないでください!」
「うぐっ……! 親父の奴、余計な手紙を寄こしやがって……! いいかコレット、俺様が連れ戻されたら、お前の一家を養ってる高額なお手当もパーだぞ!?」
「そ、それは困ります! 実家に毎月仕送りしなきゃいけないんですから!」
レガリア大学では、試験をパスして学位の足がかりを作らない限り、何年経とうがステイだ。入学してから3年経った17歳になっても一向に講義についていけず、来年も専門高等学部に上がれる気配のないバルタザールに、実家の父親が本気でブチ切れたのである。
「だいたい、バルタザール様はネルドリンゲンの鉱山で大儲けしたからって大雑把すぎるんです! 周りの貴族たちに『成金のバカ』って陰口叩かれてるの、悔しくないんですか!?」
「むしろ、 俺様の金の力を見せつけてやる!だから、大学に寄付金をしこたま払って、平民のお前を無試験で『従属学生』としてねじり込んだんだろうが!」
威張っているのか開き直っているのか分からない胸の張り方に、コレットは思わず深いため息をついた。
ふと、脳裏に故郷の風景が浮かぶ。
南北に走るエウロギア大陸の北部に位置する、ネルドリンゲン公国。寒流の影響で冬が長く、深い雪に閉ざされる厳しい土地だ。そんな土地に暮らす貧しい家族を助けるため、コレットはネルドリンゲンを飛び出し、こうしてバルタザールに振り回されながらも必死についてきているのだ。
(声が無駄に大きくて、ガサツで、信じられないくらいのバカだけど……。実家の借金をドーンと払って救ってくれたのは、この人だもの)
バルタザールに対する「成金」「血統の浅い成り上がり」という陰口を思い出し、コレットはぐっと拳を握りしめた。今度は、悔しさの熱い涙がじわっと込み上げてくる。
「……分かりましたよ! バルタザール様があのイジワルな貴族たちにバカにされないよう、完璧なカンペを書いて見せます! その代わり、バニラアイス奢ってくださいね! 一番高いやつ!」
「おう! 10個でも20個でも買ってやる! だから今すぐ仕上げろ!」
豪快に笑い飛ばしながら、金に物を言わせて高級アイスを買いに走っていく大きな背中を見送り、コレットはパッと表情を輝かせた。
◇
「腹が減った!」と豪快にぼやくバルタザールに引っ張られ、コレットはレガリア大学の地下街区へとやってきていた。その地下酒場一角にあるネルドリンゲン・ナツィオの集まりでは、今夜も大杯を交わす男たちの野太い歓声で満ちあふれている。
酔って気を良くした同郷の男たちが合唱しているのは、雪深いネルドリンゲンの厳しい冬を越えるための古い民謡だ。
酒場の中央、180センチを超える大柄なバルタザールのすぐ隣で、コレットは小さなハンカチを両手でギュッと握りしめ、目元をうるませていた。
「な~にを突然めそめそしてるんだ、コレット?」
バルタザールが肉を口に放り込みながら、訝しげな顔で覗き込んでくる。
「懐かしい歌です!どんなに厳しい冬でも、みんなで肩を寄せ合って乗り越えてきたのだと思ったら……なんだか胸がいっぱいになってしまって」
ランプの温かな光を浴びて、柔らかそうなハニーブロンドの髪がハーフアップの揺れに合わせて可憐になびく。
大きなヘーゼルブラウンの瞳にポロポロと透明な涙を浮かべるその姿は、粗野で男臭いネルドリンゲン・ナツィオの空間において、一輪の可憐な花のように愛くるしかった。
「お前なぁ、ただの地元の古い民謡だぞ!? なんで泣くんだよ!」
「うるせぇぞバルタザール! お前またコレットちゃんを泣かせたんじゃないだろうな!」
「そうだそうだ! 相変わらずコレットちゃんは小っちゃくて可愛いなぁ。ほら、温かいスープでも飲みな!」
髭を生やした先輩たちが一斉に目元を緩め、バルタザールを小突きながらコレットに料理の皿を押し寄せる。
「ち、違います、バルタザール様に泣かされてません! スープ、ありがとうございます……っ」
愛想よく笑いながら一口スープを口にし、コレットは隣で「俺様が泣かせるわけねぇだろ!」と大杯を煽るバルタザールを横目で見上げた。
(声が無駄に大きくて、大雑把だし、親の手紙に怯えているけれど……バルタザール様の横って、とても温かいのだわ)
同郷の賑やかな空気に胸を温めつつも、コレットの頭の片隅には、明日までに仕上げなければならない、討論演習のカンペが重くのしかかっていた。




