第2話:超一流ホテルの厨房で、俺は15年包丁を握っていた。
師匠――先代の総料理長――に誘われ、このホテルの料理人になって15年になる。
師匠との修行は、厳しかった。厳しかったが、確実に自分の腕が上がっていることも実感できた。腕が上がることを実感するたびに、師匠への尊敬の念は強くなった。
師匠が引退した後、師匠から受け継いだ腕で、俺は、このホテルの総料理長になっていた。
今の俺は、厨房で料理人を怒鳴りつけることも厭わない。手を抜いた料理をお客様に提供することは、このホテルの格式に関わることだからだ。
師匠に約束したのだ。「このホテルの格式を守り続ける」と。
その意識の足りない料理人は、容赦無く怒鳴りつけていた。気を抜いた仕事でこなせるほど、このホテルの厨房は優しくはない。俺はそう思っていた。
ある日。一人の料理人が遅くまで厨房に残っていた。
そいつは、正直、不器用な料理人だった。どうして料理人を目指したのかわからないほどに。ただ、厨房の中では、誰よりも真面目で真剣だった。新米がやるような作業も自ら進んで黙々とこなす。そんな奴だった。
「……どこが、わからないんだい?」俺は、そいつに声をかけた。
「総料理長!」そいつが驚いた声を上げる。
「……いえ……総料理長のお手を煩わせることじゃないです……」消え入るような声でそいつは答えた。
「いいから、言ってみな」俺は問いかける。
ふと見ると、まな板の上に、一尾の魚が乗っていた。
「三枚おろしか……まぁ、基礎中の基礎だな」
「……すいません。基礎ができてなくて……」
「基礎からやり直し?結構なことじゃないか」俺は告げた。
「『目で見て盗め』だけじゃ人は育たない。きちんと『基礎から教える』のもまた修行だ。って、俺の師匠はよく言ってたもんさ」
そう言って、俺は、そいつに「魚の三枚おろし」の基礎を、改めて教えたのだった。
翌日から、来る日も来る日も、そいつとの修行は続いた。俺も、そいつに教えることで、自分が「手癖」としていた部分を見直すことができた。
そうやって育ったのが、今の副料理長だった。
しかし、当時の経営陣の判断はこうだった。
「一人一人に修行なんてしてる暇はない」
「育成なんて時間の無駄だ」
「とにかく数を回せ」
それらの声に対して、俺はこう跳ね返していた。
「修行を、料理の基礎を疎かにして、このホテルの料理の『格式』が守れるわけねぇだろ!」
俺の言葉に、副料理長も頷いていた。
二人で、このホテルの格式を守っていく。そう思っていた。そう思っていたのだった。
次回予告:
ホテルの新社長。それは、俺の弟だった。
「効率の鬼」である弟が、ホテル経営の刷新を試みる。その対象は、ホテルの厨房も例外ではなかった。




