世俗の仕事
僕は急いで家に帰り、シャワーを浴びて車で会社に向かった。そして始業の9時にギリギリ間に合った。
大阪の端にあるこの会社は本社を東京に構え、産業用ロボットの納入とシステム構築およびメンテナンスを行っている。家族経営の会社であり、親である会長と長男である社長、次男である部長がいる。常務が一人、他に部長が5人いるが、それらは家族ではない。次男である牧野部長だけが僕と同じこの宗教の人であった。その人のご厚意で週3日だけ働かせてもらっている。元々この会社に就職するきっかけになったのは同僚の上野兄弟による紹介だった。彼と僕とは古くからの知り合いで僕が仕事を紹介したこともある。彼は僕より2つ年上で、機械に強く、立派なエンジニアであった。
この宗教では伝道活動に勤しむ人が重宝される。奉仕の僕や長老に推薦されるのも開拓者や開拓者でなくても伝道活動に熱心な人である。上野兄弟は伝道活動にはさほど熱心ではなかった。さらに能力があった。能力があると、話し方に気を付けなければならない。そうしないと高圧的とか上から目線で話していると思われてしまうからだ。この宗教は人からの評判を重視する。それで自分がどのように話すかではなく、相手がどう受け取るかが重視されてしまうのだ。彼はエンジニア独特の率直な話し方をする人だった。それで彼のいる集会では彼は少し変わった人と思われていた。
僕は彼の技術力を純粋に尊敬していた。産業用ロボットについても多くを彼から教わった。牧野部長も穏やかな人で宗教の集まりに行けるように集まりのある日は早く帰れるようにしてくれた。さらに、他の用事の時も休みが取れるようにしてくれた。週3日の勤務だったが、正社員扱いでパートやアルバイトより給料は良かった。
普通、開拓者はパートやアルバイト等の仕事に就き、正社員として働くことは珍しい。年間で840時間伝道活動を行うにはひと月70時間伝道活動を行う必要があり、週に直すと15~18時間行う必要がある。1日に頑張っても伝道活動は6時間が限度である。もちろん休息も必要だ。そうすると週3日の仕事がちょうどよいのである。子どもがいる開拓者は週4日働いたりするが、それだと休息が十分に取れない。伝道活動はやってみるとわかるのだが、かなりの重労働である。
そういうわけで開拓者は週3日や週4日働くのだが、そうすると職種が限られる。周りを見てみると配達や軽作業の仕事の割合が大きい。僕のように技術職で週3日というのはかなり恵まれているのである。それもこれも牧野部長のおかげである。だが牧野部長はこの宗教の成員でありながら会社では部長の顔を持つ。それで僕の伝道活動を支援してくれるのだが、実は開拓者を辞めて週5日働くことを願っている。
今日は本社から峰常務が来ていた。峰常務は昔ながらのエンジニアで、この会社を大きくした人だ。その人が、僕に声をかけてきた。
「宗教の事は聞いているが、もうすぐ30だろ。そんなので大丈夫か。ちゃんと地に足付けて仕事した方がいいんじゃないか。」
峰常務は僕のことを本当に考えて言ってくれたのだと思う。でも僕にとってこの宗教は生き方そのものだ。神に仕えること以上に大切なものなどこの世にはないと思っている。
「ありがとうございます。まだもう少しこの宗教で頑張りたいんです。」
僕は精いっぱい相手の心象を悪くしない言い方を心掛け、こう言った。
「そうか。気が変わったらいつでも言ってくれ。」
峰常務は少し寂しそうにその場を去っていった。
この宗教では、ヨハネの黙示録の16章にある”ハルマゲドンの戦い”がもうすぐ来ると教えている。まずこの宗教以外の宗教が政治組織によって滅ぼされる。次にこの宗教もある程度弾圧されるが、その時神が介入し、この宗教のみ救ってくれるというのである。そのあとには地上にこの宗教の人ですでに亡くなっている人、この宗教を知らずに亡くなった人が地上に復活し、千年かけて地上を楽園に変えていく。そのあと悪魔が再び解き放たれ、悪魔の誘惑に打ち勝った人たちだけが本当に救われ、地上の楽園で永遠に生きるのである。それで今はこの内容を世界中の人々に伝え、ハルマゲドンの戦いが始まる前にこの宗教に入るよう人々を説得することが神のご遺志である。そのようなわけでこの宗教の熱心な人たちは、すべてを犠牲にして伝道活動を優先した生活をするのである。僕も大学進学を犠牲にし、高収入な仕事も犠牲にした。そして開拓者として伝道活動に打ち込んでいる。半年ほど前に奉仕の僕に任命された。着実に”長老として信者少ない地域で集会を作る”という目標に近づきつつある。確かに社会からみれば峰常務が言うことは正しいのだろう。しかし、僕はこの宗教で教えられていることを心から信じているので峰常務の提案を受け入れることは到底できないのである。




