鼻、口、喉
少し長いです。
水竜の頭部の形状は蛇に似ており、駆け下りると言ってもそれほど高低差はない。しかし、これまで上に向かっていたときとは違い、下に向かうとスピードがつきすぎる。すると、ツルツルの鱗と相まって足を滑らせそうになる。
身体をやや後傾させ、ダサい恰好で走る。本当に足を滑らせそうだが、ビビッて足を止めるわけにもいかない。どうにかこうにか、水竜の鼻づらに辿り着いた。
人間は鼻にハエやらが止まれば気になる。しかし、水竜は鼻に人一人がいても気にしないらしい。らしいというのは、俺が鼻先に立っているのに直進を続けていることから推測したに過ぎないが、たぶん間違っていないはずだ。
そうなると、水竜にとって俺は、俺にとってハエ未満の存在ということになる。これはなかなか酷い話じゃないか。ここまで軽んじられては、いくらプライドのない俺でも心がざわつく。
そんな風に強引に理屈を積み重ね、水竜への敵意を増幅させていく。恐怖心を消すには、怒りで上塗りするのが手っ取り早いだろうというのが俺の考えだ。
「それにしても、どうやって口の中に入ったものか。こいつ、口開けてないんだよな。」
我ながら大胆にも鼻先に寝そべり、下を覗き込んで見てみても、口を開けているような様子はなかった。ずっと口を開けている生物の方が少ないと思うし、そんな竜は間抜けで嫌だけど。
さて、口を開けていないのにどうやって口の中に侵入すればいいのか。あまりよく考えていなかったんだが、口と鼻が繋がっているという事実に基づけば、自ずと答えは導き出される。そう、鼻から入ればいい。
しかし、問題が一つある。鼻は口だけでなく、胃にも気管にも繋がっていることだ。道を間違えてしまえば、一生出て来れなくなる可能性もある。さすがにそんなリスクは負いたくない。
というわけで、鼻から俺自身が入るのは却下だが、今回は別のものを入れてみようと思う。それは火球だ。
シルヴィエが俺に渡してきたのは、通常の火球の魔法陣と新作と言っていたその強化版。後者はメインの攻撃用、前者はサブの攻撃用としてのものだ。少ない魔力で魔法を発動できるという点では、前者にも利点がある。
さらに今の状況下では、そこまで規模が大きい魔法ではないため、鼻にぶち込むのにちょうどいいという利点もある。よもやこのために火球の魔法陣を渡してきたわけではないだろうが、もしそうだったら恐ろしい子だ。
ここでさらに問題となることが一点あるのだが、そこは力技で解決しようと思う。崖を下るかのように――崖なんて下りたことないけど――鱗と鱗の隙間に手足を引っ掛け、俺は水竜の顔を下りて行くことにした。
魔纏を発動していると身体は恐ろしく軽く、するすると水竜の顔を下りて行くことができる。だが、お目当ての鼻の穴が見つからない。竜に鼻の穴があるのか若干不安になりつつも、その辺を蜘蛛のようにウロウロすること数十秒。
「見つけた」
竜の鼻の穴は、顔の側面にあった。どうりで頭頂から真っ直ぐ下りても見つからないわけだ。
見つけた鼻孔はやや縦長で、しゃがめば進めてしまいそうなほどデカい。中は暗く、今が夜だということもあり、見えるのはせいぜい一メトル先程度。さすがにこんなところを進みたくはないし、進める自信もない。
そういうわけで、ここに火球を放つ。その高熱に耐えきれなくなった水竜は、熱を排出するためにお口をアーンしてくれるはずだ。というか、鼻に火球を撃ち込まれて、そのまま絶命してほしいとうのが正直なところではある。
結果がどうあれ、まずはやってみないことには始まらない。俺は一思いに火球を放った。洞窟に火を灯すがごとく、暗がりが照らされる。火球は直進していき、爆散。
途端、水竜の首が鞭のようにうねり、頭も空中で奇怪な模様を描いた。俺は焦げた鼻孔の縁に手をかけ、振り落とされないように耐え凌ぐ。首があまりにも長いため動き自体は緩慢であるものの、凄まじい遠心力によって吹き飛ばされそうになる。
ようやくそれが止まったときには、周辺の地形は原形を留めないほどに荒れてしまっていた。俺は相変わらず、絶壁のごとき水竜の顔にしがみついている。
だが、さっきまでと少し違うところがあった。俺の周りが白い靄で満ちているのだ。それが湯気だと気づくのには、数秒を要した。
白い靄の正体がわかると、その発生源もすぐにわかった。口である。水竜の口が半開きになり、そこから湯気が立ち昇り、俺はそれに包まれているのだ。思うに、水竜は体内に蓄えている水で消火したんだろう。その際に生じた水蒸気や湯気を口から逃しているのだ。
「よし、いける!」
俺はいつの間にか拳を握っていた。シルヴィエたちの飛竜は見当たらないが、俺が口に魔法を叩き込んでやれば、雷魔法による追い打ちと封印をこなしてくれることだろう。
鼻の穴まで下りてきたのと同じ要領で、素早く口まで下りる。湯気でぼやける視界の中、水竜の鋭い牙が見えてきた。俺の身長と同じくらいの長さがあり、それが上下に整然と並んでいる。
「撃ったらすぐ帰る。撃ったらすぐだ」
自分にそう言い聞かせ、牙の隙間をすり抜けて舌の上に立つ。ヌメヌメとしたその上を歩く。僅かながら差し込む月光を頼りに、奥まで進んで行く。一〇歩程度で、喉に突き当たった。足元には深い穴が開いている。おそらく人間で言う食道だろう。
そのとき、急に視界が暗転した。月が消えたわけではない。そんな天変地異ではなく、もっと単純な理由である。水竜が口を閉じたのだ。
「おいおい、嘘だろ?」
水竜の口の粘膜に吸収されるかのように、俺の声は反響することなく消えた。俺の中で今まで忘れていた恐怖心が息を吹き返す。
呼吸が浅くなり、心臓が痛いほどに収縮と弛緩を繰り返す。いっそのこと、右の手袋に仕込んだ魔法陣で魔法をこのままぶっ放してやろうかと投げやりな考えも浮かんでくるが、最も効果的な使い方をしなければ魔力がもったいない。
そこで自制が効いたことが幸いし、正常な思考が戻ってきた。光がないならば、作り出せばよいのだ。
魔法陣の暴発を防ぐため、火球の魔法陣が仕込んである左の手袋を外し、手のひらにこぶし大の火の玉を生成する。初歩中の初歩であるが、生成には二〇秒ほどかかった。情けない。
「まあ、何とか見えるな」
手を伸ばした周辺しか見えないとはいえ、ないよりマシだ。物が見えるだけで心が落ち着く。
「さて、そろそろ終わりにしよう」
無駄に口が増えているのは、興奮からか恐怖からか。自分でも判別がつかないほどに感情がぐちゃぐちゃだ。
左腕を上下左右に動かし、どこに魔法を叩き込むかを考える。呼吸器に損傷を与えるのが最善だと考えた俺は、喉を狙うことにした。できることなら気管を直接狙えればいいんだろうが、どこにあるのかよくわからない。
新作の魔法陣を仕込んだ手袋をしている右手を下に向け、足元の穴にかざす。
「食らいやがれ」
魔法陣に魔力を注ぐ。視界が白く染まった。
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