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着尾

 まだ標的との距離はかなりあるというのに、今からそれに戦いを挑むことを思うと、吐き気や震え、動悸、眩暈、鳥肌など、ありとあらゆる拒否反応に襲われる。目の前のシルヴィエが平然としているから何とか平静を装っていられるが、一人だったら間違いなく逃げ出していただろう。

 

 前を向いたまま、シルヴィエはつらつらと作戦について話す。冷静で確固たる口調は、俺への信頼から生まれることを知っている。俺が作戦に失敗するわけがないと、シルヴィエは本気でそう思っているのだ。

 

 それは俺へのプレッシャーになると同時に、俺を動かす推進力となる。基本的に、楽をするためか、自分の身を守るためにしか動けない俺だが、これだけは例外中の例外なのだ。

 

 「――おそらくですが、飛竜で近づきすぎると攻撃されると思います。水竜は私が攻撃したことを覚えているでしょうから。限界のところまで接近したら地面に降ろしますので、後はお兄様お一人で水竜の体を駆けあがり、頭部を目指してください」

 

 「ああ」

 

 長々しい説明に見合わぬ短い返事。自分でも驚くほど重みのある声が出た。別にカッコつけようと思ったわけではない。ただただ緊張しているだけだ。

 

 俺の返事を聞くと、シルヴィエは顔をこちらに向けた。そのまま器用に懐から布切れを取り出すと、僅かな逡巡の後に飛竜に対して横向きに座り直した。シルヴィエの足が宙ぶらりんになって、ぷらぷらと揺れる。俺にはそんな怖い座り方はできない。

 

 「最後に、これをお渡しします」

 

 「魔法陣か」

 

 「ええ、新作です」

 

 「そんな劇場の演目みたいな言い方されても」

 

 「ふふっ、そこまでバラエティに富んではいませんよ」

 

 ちょっと笑いどころがズレている気もするが、笑ってくれればそれでよしとしよう。おかげで、緊張が少し解れた気がする。

 

 ほどなくして、俺とシルヴィエが乗る飛竜は着陸した。下降を始める前、団長が親指を立てる仕草をしてきたんだが、誰のせいで俺がここにいるか忘れてしまったらしい。作戦が終わった後には、是非ともその責任を追及させていただきたい。そもそも、国のものである封印具を紛失して平然としている方がおかしいんだよ。

 

 ひとしきり脳内で団長を批判し終え、俺は飛竜から飛び降りた。乗るときのようなぎこちなさはない。すでに魔纏を発動させ、己が肉体を十全に扱えるからだ。

 

 「行ってくるよ」

 

 「はい。ご武運を祈っております」

 

 「そっちもな」

 

 あまり長々と話していては魔力が無駄になるし、ここを離れる決心が揺らいでしまう。淡泊なやり取りだけで、すぐにその場を離れた。


 後ろから爆風が吹きつける。しばらく切っていない髪の毛が、後ろから前へと流れてきて視界を塞ぐ。シルヴィエを乗せた飛竜が飛び去ったのだろう。魔纏を使っていなければ、この前のように呼吸ができなくなっていたに違いない。


 飛竜が遠いて弱まった風を背中に浴びながら、一人で荒れた平原を突き進む。魔纏を使っていれば、一〇キロメトル程度の距離ならほんの数分だ。なるべく無心で走り続けるが、それでも全く何も考えないというのは無理だった。

 

 この国において、貴族家の長男以外の男子はほとんどが戦死する。ここ数十年、彼らは南方前線で死んでいた。しかし、その南方前線もほとんど攻略されてしまった。そのため、彼らは今、空前の平和を享受しているのだ。

 

 にもかかわらず、戦死を避けるために国境警備隊に異動してきた俺が死を間近にしているというのは、どういう因果か。大人しく王宮警備をあと一年くらい続けていれば、そのうちに南方前線が攻略されて、こんなところで命を危険に晒さなくても済んだかもしれないのに。


 そんな理不尽な世界への恨み節を撒き散らしているうちに、水竜の尻尾の先端まで辿り着いた。と言っても、尻尾の先端は俺の頭上一〇メトルほどに位置している。垂直跳びで届くかは怪しい。


 「ま、物は試しか」


 誰に聞かせるわけでもない断りを入れてから、俺は膝を曲げた。こんなときでも届かなかったときの予防線を張る自分に、薄い笑いが込み上げてくる。


 大腿部が緊張し、力が溜まるのを感じる。それを一気に解放。俺の身体は風を切って、尻尾の上まで上昇した。あとは自由落下に任せ、水竜の尻尾へと見事に着地。地面に着いたのではなく、尻尾に着いたわけだから、着尾とでも言うべきか。


 それにしても、魔纏を発動させているとはいえ、こんな高さまでジャンプできたことは驚きだ。隠された自分の力を知るような感じがして、こんな状況でも少年心が掻き立てられて胸がときめいた。


 紺に近い青色の鱗は、一枚一枚が子供一人分くらいの大きさがある。鱗が靴に引っ掛かるような感覚はなく、意外とツルツルとしている。もっとガッサガサかと思っていた。


 そんなツルツルの体表を転ばぬよう慎重に、それでいて速度を限界まで高めて走る。ほんの一分ほどで水竜の頭部に到達した。


 俺が体の上を動き回ろうが、水竜は気にすることなく直進を続けている。俺程度では脅威にならないと判断しているのか、そもそも存在に気づいていないのか。できれば、後者であってほしい。


 水竜の頭は地上からかなりの高さにあり、とても見晴らしがいい。シルヴィエや団長、フレイ、ゴルドンの姿は、夜闇に溶け込んでいて見えない。魔力的な気配で何となくの位置はわかるんだが、それでも見えないというのは、かなりの距離があるということなのだろう。


 今回の作戦は、俺が口内で魔法陣を使うところからスタートする。タイミングは完全に俺任せだ。一人でその決断をせねばならない。

 

 これだけ大きい体なら、口の中もきっと相当な広々空間が広がっていることが想像される。間違っても噛み砕かれることはない、と自分に言い聞かせる。

 

 俺がこうして日和っている間にも、水竜は直進を止めない。蛇のような動きで、辺りに破壊そのものを撒き散らしている。


 その凄惨な光景を特等席で見ている俺。これまでの俺なら、このまま安全圏から傍観を続けて、誰かが問題を解決してくれるのを待っていただろう。今だってそうしたい。

 

 俺が守りたい妹は、俺よりもはるかに強大な力を持っていて、論理的には俺が守る必要なんてない。それなら、俺がここで傍観者になったところで、誰が俺を責められようか。誰も責められまい。


 責められるとすれば、俺自身。兄としてのプライドを捨てた自分を責めるだろう。

 

 そうだ。命を危険に晒す理由など、その程度でいいのだ。戦死するくらいなら、ここで兄としてのプライドを守るために死んだ方がいい。

 

 俺は水竜の頭を駆け下りた。


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