飛竜の背
なぜ俺が水竜の口の中へ飛び込まなければならないのか。詳しい話を聞いてもあまり納得できる理由ではなかったのだが、人生ってそんなもんだよね。
……っていやいやいや、そんな簡単に受け入れられる作戦じゃない。そもそも、そんなに簡単に実行できる作戦でもない。そして何より、やりたくない。いまだかつて、これほどまでに否定形で記述された作戦があっただろうか。
今までの人生で、人の話を聞いていなくてここまで後悔したことはない。この歳になって、ようやく人の話をよく聞くことの大切さを学びました。
シルヴィエに協力すると答えてしまった手前、もう水竜のお口へダイブすることは確定事項だ。普段の俺なら何となくフェードアウトすることを狙うだろうが、今回ばかりは兄としてのプライドがそれを阻む。ああ、兄とはかくも不自由な生き物なのか。
しかし、それが俺の選んだ道なのだから仕方あるまい。喜んでとはいかないけれども、死ぬ気でともいかないけれども、妹のために水竜の口の中へと旅立ちます。今からでも画家を呼んで来て、その雄姿を絵画に残してもらいたい。
冗談はさておき、作戦のことを真面目に考えなければならない。妹のため、国のためというのもあるが、自分が生き残るためというのが大きな理由である。
まず、なぜ俺がやるのかと言えば、この場にいる人間の中で最も身体が丈夫だからだ。当然ながら生まれつき丈夫というわけではなく、その丈夫さは魔纏込みのものである。フェイロンが見張り台に残ってくれていればよかったんだが、住民と一緒に避難してしまったからな。
俺の代わりにフェイロンに行ってもらおうにも、今から住民たちの避難場所からフェイロンを探して連れてくるのは、この闇の中では骨が折れる。それに、フェイロンは口内での攻撃に使用することになっている魔法陣に慣れていないこともある。やはり、適任は俺ということになりそうだ。
俺の気持ちが固まったことを察したわけでもないだろうが、シルヴィエが俺の顔を覗き込んで来る。なんだろう。やっぱりやらなくてもいいですよ、とか言ってくれないかな。
「飛竜での移動は初めてですか?」
「ああ、うん」
「では、私に掴まっていてください。揺れがすごいので」
「わかった」
「こちらです」
俺の希望的観測はただの妄想と終わった。やらなくていいなんて言ってもらえるわけがなかったのだ。
シルヴィエは俺を飛竜の元へと案内した。いつもシルヴィエが乗っている飛竜なはずだが、昼光の下では空色に見える鱗は、この月夜ではほとんど銀色に見えた。フレイの相棒が蘇ったかと空目したほどだ。
「綺麗な飛竜だな」
「ええ。フレイの相棒と姉妹竜なんですよ」
「そうだったのか」
聞いてもいないのに、シルヴィエはそんなことを教えてくれた。もしかすると、シルヴィエも俺と同じことを考えていたのかもしれない。
限界まで姿勢を低くした飛竜の背に何とか這い上がり、シルヴィエの後ろに座る。そんな俺を見て、シルヴィエは再度忠告をした。
「風魔法で空気の抵抗は抑えるのですが、羽ばたきの揺れだけ抑えられないので、先程も言ったように掴まっていてくださいね」
「お、おう」
俺が答えた直後、団長の声が聞こえた。
「出発じゃあ!」
封印具を落としてきたとは思えないほど溌溂な掛け声で、出発を宣言した。封印作業に加わるため、団長は他の団員の飛竜に跨っている。
一度、二度と羽ばたきを繰り返し、飛竜は高度を上げる。羽ばたかせるために翼を上に持ち上げるたび、飛竜の胴体が僅かに沈み込むのが怖い。まだ移動してもいないのに怖いって、この後が思いやられる。
「では、行きますよ」
前に座っているシルヴィエに俺の恐怖など伝わるわけもなく、無慈悲な宣告。怖い怖い怖い――
「いっ!」
発進とともに、身体が後方へ強烈に引っ張られる感覚。馬が急に走り出したときに感じるアレを何倍も強めたような感じだ。思わず声がでてしまった。
しかし、前にいるシルヴィエには声が届かなかったようで、特に何の反応もなかった。聞かれていたら恥ずかしいので、聞かれていないことを祈る。
飛竜は一度の羽ばたきで何メトルもの距離を進む。その羽ばたきが巨体に見合わぬ速度で断続的に行われるため、飛竜は異常な高速移動が可能となっている。
ここには、何かしら魔法的な力が働いているというのが一般的な見解だ。実際に飛竜に乗ってみれば、なおさらそう感じざるを得ない。魔法なしでこれほどの速度を出せる生物がいて堪るものか、というのが人間としての正直な感想だ。
発進直後はその速度に恐怖を覚えていたが、数分でそれに慣れることができた。ただ、上下の揺れにはなかなか慣れることができず、少し気分が悪い。そんでもって、お尻が痛い。
不満点はそんなもので、飛び立ってしまえば、思っていたよりは快適な移動が続いている。移動に気を取られずに済むようになると、自ずとこの後のことが気になってくる。
果たして、口の中で魔法をぶっ放すだけで、水竜に十分なダメージを与えることができるのだろうか。呪龍は口内を斬ることで、それなりにダメージがあったと思うけど、いかんせん大きさが違い過ぎるからな。
そんな風に思い悩んでいると、シルヴィエが後ろ手に俺の膝のあたりを叩いた。
「見えてきましたよ」
顔をシルヴィエの背からずらしてみると、そこには標的の姿。夜闇を歪めるかのような巨大水竜である。
感想お待ちしております!
誤字訂正等もあれば、お知らせください。
ブクマ・評価ありがとうございます!とても嬉しいです!!