束の間の安堵
あの怒涛の総攻撃が終了して三日目。今日は、《悪魔の塩》による被害を受けた住民たちを対象にして、《沈黙の鈴》を使った治療を行う日だ。
一連の事件の中で、《沈黙の鈴》が本物であることは確定しているが、《悪魔の塩》に対して望んだ効果が得られるとも限らなかったため、住民たちに同意してもらうのに二日程度の時間が必要だった。
今、治療対象となる九十三人は砦前に整列して、そのときを待っている。九十三人のうち十一人は隊員たちであり、言い方は悪いが、まずは彼らが実験体として治療を受けることになっている。
「さあ、国境警備隊員の諸君は、こっちに来てくれ!」
正直なところ、《沈黙の鈴》の能力の全容を把握しているわけではない。長らくソルティシアに隠匿されてきたため、その情報も出回っていないためだ。
例えば、《沈黙の鈴》を一回鳴らすと、一つのアーティファクトに対して効果を発揮するのか、それとも複数のアーティファクトに効果を発揮するのかという対象数の問題。音が届く範囲なら効果が出るのか、それともすぐ近くでないと効果が出ないのかという距離の問題。わからないことが多い。
最初にボスと対峙したとき、ボスはフェイロンと長官の間で《沈黙の鈴》を発動させていた。これは自分に対する《人斬り》の精神干渉を和らげる目的があったと思われる。
もし、鈴の音が聞こえる範囲にあるアーティファクト全てに効果があるとするならば、長官は《灼ける鎧》を着ていたから、鎧から与えられる苦痛や精神干渉が一時的になくなったはずだ。
このことを長官に聞いてみたんだが、酔っていて覚えていないの一点張りで、結局何もわからなかった。ちなみに、長官は《灼ける鎧》を脱いだにもかかわらず、今でも朝から酒を飲んでいる。やはり長官は、漢気溢れるいい上司なんかではなかった。
ぞろぞろと隊員たちが集まって来たところで、俺は革製のカバンの鍵を外し、鈴を取り出した。手に持ってみると、思ったよりも大きいし、その割りには軽い。
それにしても、取り出したときとかに何も音がしなかったのが不思議だ。普通の鈴なら、少し揺らしただけでも何かしら音が鳴ると思うのだが。
気になって鈴の中を覗いてみると、何もない。鈴と言うと、中が空洞の球状の物体の中に小さな玉が入っていて、それが音を鳴らすはずである。しかし、この《沈黙の鈴》の中には、そのような玉は見受けられない。
《沈黙の鈴》という不思議な名前は、このことが由来になっているのかもしれないと、触って初めて気がついた。
「早く始めたらどうですか?」
俺が鈴の観察ばかりしているので、アネモネが痺れを切らしたようだ。声の方に振り返ると、アネモネは俺を責めるように睨みつけながら、顎で「やれ」と指示してくる。死力を尽くして『黒の刃』に挑んだ副長官に敬意はないのだろうか。
俺は十一人の方に向き直おり、《沈黙の鈴》を構えた。
「よし、やるぞ」
隊員たちはみな、「よろしくお願いします」と礼儀正しく応えてくれた。しかし、その声からも顔からも不安や緊張が窺える。フェイロンは成功すると言っていたが、不安なものは不安だよな。発動者にダメージがないとも限らないし。
とまあ、そんなことを言っていても仕方がない。後に控える住民たちもいるわけだし、アネモネの言う通り、早くやってしまった方がいいだろう。
俺は意を決して鈴を振った。が、何の音もならない。いや、スカっと空気を切る音くらいはしたか。
「あれ?」
「フェイロンさん曰く、少量の魔力を流しながら使うそうです」
後ろからアネモネからの指摘を受ける。そういうことは最初に言っておいては欲しい。
「こほん。じゃ、気を取り直して」
ちょっと恥ずかしかったが、隊員たちは大して気にしていないように見えた。演技じゃないことを祈る。
俺は魔力を流しながら、《沈黙の鈴》を振った。リーンとあのとき聞いたのと同じ音がした。通常の鈴ならリンリンとかカランカランとかそういう音がするが、これは一つの音が単調に響き渡るだけだった。
数秒後――
「すごい! 身体が軽い!」
「本当だ!」
「頭痛がなくなった!」
隊員たちは、口々に喜びの声を上げた。隊員たちの体感では、症状の改善があるらしい。ひとまずは大きな問題も生じていないみたいだし、成功なんじゃないだろうか。命を懸けてこの鈴を取りに行った甲斐があるというものだ。
なんて思ったけど、これを持ってたボスを倒したのは長官だし、実際に回収したのはフェイロンだよな。そう考えると、俺って何の仕事もしてない気がしてきた。そうか、だからアネモネも敬意を持ってくれないのか。納得納得。
そうして俺が一人で悲しい真理に到達したとき、隊員たちだけでなく、少し離れたところにいる住民たちまでもが、興奮した様子で声を上げ始めた。
「どうやら、今ので住民たちにも効果があったようです!」
「あれまあ」
住民のそばにいた隊員の一人が、走ってきて教えてくれた。驚きのあまり、人生で言ったこともない台詞で驚いてしまった。一番近くにいる住民でも十メトルは離れているというのに、何人もの住民に効果が出ているようである。もしかすると、全員に効果が出ているかもしれない。
その後、九十三人中八十八人に自覚できる症状の改善があった。この五人はそもそもさっきの時点で症状が出ていなかったから、おそらく症状の緩和が自覚できないだけだろうという結論に至った。そのため、彼らについては経過を観察し、症状が出たときには《沈黙の鈴》を使用することになった。
「これでようやく一段落だなあ」
副長官室に戻った俺は、席についてしみじみ呟いた。
「これでようやく、俺の窓際生活が――」
「副長官、失礼します!」
バン、と部屋の扉が開け放たれ、飛び込んできたのはアルバート。
「おい、ノックぐらいしろよ」
俺がケチをつけても、気にする素振りはない。いくら何でも、俺って舐められすぎじゃないかしら。
今後のためにも、一発説教をしてやろう、と意気込んだのも束の間。アルバートの知らせによって、俺のそんな気は一瞬にして霧散した。
「推定五十万の魔物の大群が、結界を突破しています!」
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二話と同じような引きですね




