魔法陣の弊害
本隊が合流してくるまで、まだ二十分くらいはあるだろう。それだけ時間があれば、ボンドさんの位置を確認して帰ってくることくらいはできるはずだ。というか、できないと作戦に支障が出る。
動くのは早め早めに限る。特に俺のような仕事のできない人間は、早く動いた方が追加的に発生する問題にも対処しやすくなるからな。
「そろそろ行くか」
「じゃあ、俺がこいつを担いで行くから、エルはついてこい」
「え、ちょ、うわっ。何をする!」
スッとアルバートの股の下に入り込んだと思うと、あっという間にフェイロンは自分よりも背丈のあるアルバートを肩に担いでいた。俗に言う肩車ってやつだ。
何度か身体を揺すってフェイロンの肩車から脱出しようと試みたアルバートだったが、そんなことができるはずもなかった。
すぐに抵抗を止め、アルバートは少し顔を赤らめて言った。
「は、恥ずかしいんですけど」
「夜闇の中、誰にも見られることなどない。気にするな」
「そうだぞ、アルバート。ここにいる誰も、お前のことは見ていない」
フェイロンは特に気にしていない風に答えた。実際、気にしていないのだろう。
俺はと言えば、魔纏によって強化された視覚によって、アルバートの姿の面白さが強調されてしまい、笑いを堪えてフォローするのが大変だった。
「副長官、声が震えているのは気のせいでしょうか」
「ああ、気のせいだ」
今度は上手く笑いを隠せたと思う。アルバートは諦めたように喋らなくなってしまったので、それを確かめる術はないけど。
一方、沈黙を出発準備完了の合図として受け取ったらしいフェイロンは、アジトのある方角へ身体を向けて言った。あまりに勢いよく向けるものだから、フェイロンの上でアルバートがめちゃめちゃ振り回されていたのがかわいそうだった。
「行くぞ。――走るからちゃんと掴まってろよ。あと、これ噛んどけ」
フェイロンはそう言うと、どういう意図があるのかはわからないが、手ぬぐいのようなものをアルバートに手渡した。怪訝な表情をしながらも、アルバートがそれを口にくわえたのを見るや否や、フェイロンは走り出した。
出遅れた俺でもすぐに追いつけるスピードだったので、アルバートを気遣って全力を出して走ることはしていないのだろう。
フェイロンの横を走っていると、ぐもももも、と風切り音に交じって変な音が聞こえてきた。すぐにその正体はわかった。アルバートの叫び声だ。
フェイロンは、アルバートが叫ぶことを見越して、手ぬぐいを渡していたらしい。舌を噛まないようにとかそういう気遣いかと思っていた。
十秒かそこら走ると、フェイロンが急減速および停止したので、俺も足を止めた。200メートル以上走っても、軽く息が上がる程度だった。魔纏すげえ。
「ここからは隠密重視だ。本隊が合流して魔法陣を展開するまでに存在を気取られてはいかんからな」
「わかった」
副長官の俺ではなく、外部のフェイロンが作戦を仕切っているのはいかがなものかと思いながらも、俺がやるよりよくやってくれそうなのでお任せ状態となっている。
フェイロンの肩から降ろされたアルバートは、四つん這いになって息も絶え絶えと言った感じだ。走ってないんだから体力的には余裕があるはずだから、こんな無様な姿を晒している原因は、高速で移動したことによる恐怖にあるのだと推測できる。
すなわち、上手いこと動機付けしてあげれば、アルバートはすぐに息を吹き返すこと請け合い。そして、俺にはそれができる。アルバートを動かす魔法の言葉を知っているからな。
「アルバート、大丈夫か?」
返事はない。この問いかけではダメらしい。
「ラヴをいいように使った組織が許せないんだろ?」
「その通りです」
ゼエ、ハアと荒い息ながらも、アルバートはハッキリと返事をした。俺はこの線で攻めれば行けるという確信を得た。
「ラヴは守るべき存在なんだろ?」
「もちろんです」
アルバートはいまだ四つん這いの態勢だが、顔を上げた。目には決意の炎がチラついている。これはあと一押しだ。
「なら、そんなところで這いつくばってていいのか?」
「よくありません」
荒い呼吸はだんだんと静まり、声にも覚悟が滲んでいる。よし、トドメといこう。
「ラヴを救えるのは、お前だけだ。アルバート」
「副長官、大切なことを思い出させていただいて、ありがとうございます!」
アルバートは立ち上がり、俺に向かって敬礼した。上手くアルバートの中の「あっち側」の心をくすぐることに成功したらしい。これで一件落着だ。
「静かにしろ、バカが」
アルバートはフェイロンからお叱りの言葉を浴びても、清々しい表情で前を向いていた。もうこいつに足枷はない。羽ばたけ、「あっち側」の世界へ。
そんな茶番劇が展開されてから五分。フェイロンとアルバートのコンビによって、ボンドさんの居場所が特定された。ボンドさんの周りに見張りは少なく、三人が三角形を作ってその中心にボンドさんを置くという形だった。フェイロン曰く、周りの三人はただの雑魚だから、その点は好都合だ。
その間、俺は二人の周りをウロウロして敵が近くにいないかを見張る係をしていた。しかし、『黒の刃』は砦攻めに結構な人材を割いてしまったようで、近寄ってくる敵は一人も見当たらなかった。要するに、仕事らしい仕事はしていない。
俺たち三人は潜伏地に戻り、得た情報を隊員たちに共有した。
まずはアジトの建物について。建物は亡国の砦をそのまま乗っ取ったもので、小高くなった丘に建てられている。砦と言っても、ただの箱みたいな形をしていて、ソーン砦とは似ても似つかない。古い建物で、門や城壁もないため、近寄ることは容易である。
だが、入口が限られていて、窓も人が通れるほどの大きさではないため、敵に見られずに中に入るのは難しいかもしれない。救出の際には、敵に発見されると思っておいて方がいいだろう。とはいえ、フェイロンなら目にも留まらぬスピードで動けるから、幹部やボスに見られなければ、バレずに救出できる可能性はある。
こうした軽い説明が終わると、本隊到着を待たずに魔法陣の展開を開始した。正直なところ、本体には魔法陣の発動をしてもらうだけだから、詳細な説明もいらないだろうという考えに基づく措置だ。
そうした一連の指示を出す中で、俺はふと、新兵器として魔法陣を受け取ったときのことを思い出した。俺はあのとき、軍人が武器や道具の一部としてしか見られなくなるのではないか、という懸念を抱いたのだ。それがまさか、自分が最初にそうした思考に陥ることになるなんて思いもしなかった。
俺は今、隊員たちを魔法陣の発動要員としか見ていない。もっと言えば、作戦のための道具としてしか見ていない。俺はそうやって使い潰されるのが嫌だったから、国境警備隊という窓際部署に来たはずだったのに。いつの間にか、人にその役目を押し付ける側になっていた。
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