あたしは正体不明じゃありません
今回でいちおうの完結となります。
魔皇が居城を構えると言われる大陸最大の大樹海にして最悪のダンジョンでもある『闇の森』。
名のある冒険者や人間やめた魔術師、魔皇を倒さんと意気込む勇者や開拓者など、多種多様な人種が定期的に訪れては惨敗するその森の手前に、いちおうは文明世界を感じさせる小さな町があった。
いつからあるのか、誰がつくったのかは定かではないが、『闇の森』に挑む者達が最後に立ち寄るオアシスであり、あるいは登竜門ともいえるその村は、何のヒネリもなく『黄昏の街』と呼ばれていた。
人間世界からはみ出したアウトローや、人間世界に興味がある非人間種族がしばしば訪れ、酔狂にも住み着いた、その村の表通りの――といっても、西の開拓村から闇の森へと真っ直ぐ続く道はこれ一本しかないが――外れに程近い場所に一軒の雑貨屋があった。
『異世界雑貨・食品店ドーラ』と看板が掲げられたこの店は、この世界で唯一、異世界の物品を取り扱うという、常識外れのこの町においても異彩を放つその店主同様に名物店である。
◆◇◆◇
この日、『異世界雑貨・食品店ドーラ』の店主にして、看板娘、掃除、給仕、会計、皿洗いまでなんでもこなす――要するに個人経営者である――(推定)15歳の少女ドーラ・アヴァロンは頭を抱えていた。
普段であれば勝手に酒盛りを始める常連客で煩い店内がほぼ開店休業状態で、やたらマイペースの客とやたらしつこい訪問者の対応で、ろくな稼ぎになっていなかったからである。
「……ということで、この薬を使った患者が劇的に回復したのだよ、君! 不死の病と言われていた不如帰病の末期患者がだよ。こんなことは長い医術者生活でも、いや、古今東西どんな文献を紐解いてもあり得ないことだ! 名うての治癒術者でも匙を投げたものを、あっさりと完治させたのだからね!」
そうカウンターから身を乗り出して熱っぽく語るのは、高級生地のスーツにインバネスコートを纏い、山高帽を被った身分卑しからぬ中年紳士であった。
最初にグラウィオール帝国エーブリエタース公国の宮廷医師で、医術者のアレクサンドルと名乗った男だが、店に飛び込んできて見覚えのある錠剤をカウンターに叩き付けて以来、注文もしないで同じ台詞を一方的に捲くし立てている。
いいかげん辟易しているのだが、相手に熱意はあっても悪意がないのは十分にわかっているので叩き出すわけにもいかず、また、「仕事の邪魔になるのでいい加減にしてくれませんか」と注意しようにも、現在、店内には他に客は一名(と、その付き人がふたりいるが、こちらは注文しないで立っているだけなので除外する)だけで、その彼女も離れたカウンターに座って、足をぶらぶらさせながら《カップ入り即席麺》ができるのを、いまや遅しと待っているのだから言い訳には使えない。
(……と言うか、ある意味感服するわ。他の連中はあの三人の存在感に圧倒されて、進んで外へ出ていったっていうのに)
他の客はいまごろ店の軒先で、《ドラム缶》に火を焚いて、暖を取りながら適当に《スルメ》や《餅》を焼いて食べていることだろう。とりあえず《紙コップ》と一升瓶の酒を二本ばかり持っていったので、しばらくは持つだろう、とドーラは頭の中で算盤を弾いた。
ちなみに他の客を追いやって貸しきり状態にした三人組だが、正確には女主人らしい十三~十四歳ほどのやたら豪華で派手なドレスを着た、長い黒髪の『姫』と呼ばれるとんでもない――あの侯爵が地味に思える――美貌の少女と、まけず劣らず美男美女の執事らしい長身で金髪の美青年と、柔らかな雰囲気の銀髪のメイドという取り合わせである。
こちらは年に数回程度に訪れる常連とも言えない常連であるが、明らかにやんごとない身分だと思える美姫と、そこに存在するだけで圧迫死しそうなプレッシャーをかけまくる美青年、そして雰囲気こそ柔らかいが、ドーラの仕草や接客態度を横目に見ては、「あらら」「うーん」と小さく駄目だしをする、抜き打ち検査に来た上司のような美少女という、やたら心臓に悪いトリオである。
これを前に、同じ空気を吸えるような剛の者はおらず、いつの間にか店内が無人となるのは毎度のことであった。
そうした空気をまったく読まずに、マイペースを貫けるのだからある意味見上げた根性……というか、学者馬鹿なのだろう。
どちらかといえば器用貧乏なタイプのドーラとしては、こういう専門馬鹿は嫌いではない。友人には欲しくはないけれど。
とは言え、さすがに押し問答が二十分以上続けば堪忍袋の緒も切れる(もともとたいして太い緒でもないので)。適当に食料品の整理をしながら話を聞き流していたドーラだが、戸棚に入れておいたパンがカチカチに固くなって青カビが浮いていたのを見つけ、眉を顰めながら流しに叩きつけるように置いた。
「だから、その薬はあくまで気休めで渡しただけで、あたしは薬師でも錬金術師でもないので、中身だの配合だの言われてもわからないんですよ!」
「わからなくてもこの異世界の文字は読めるんだろう!? だったらそれを読んで、成分を教えて欲しいとこうして頭を下げておる! もちろん、十分な謝礼も払おう!」
そう言って、脇に置いていた鞄から重そうな皮袋に取り出して、対抗するようにカウンターに置いた。
衝撃で閉じていた紐が緩んで、金貨が何枚かこぼれる。
「うっ……」
反射的に手を伸ばしかけたドーラは、どことなく蔑んだような銀髪メイドの視線を感じて、慌ててその手を引っ込めた。
金髪の執事の方は我関せずで、主の様子を見守っているだけ。
その主の方は、器用になれた手つきで割り箸を割って、幸せそうな顔で出来上がった《カップ入り即席麺》の紙蓋を取って――恭しく執事がそれを受け取って、さりげなくハンカチで包んでしまう――「いただきまーす♪」と、食べ始めた。
「(ずるずる)……うんうん、これだよ、この味だね」
麺をすすりながら、満足そうに何度も頷く少女。
「そんなに美味しいのですか? 城下のラーメン店の方が手が込んでいて良さそうに思えますけど……」
視線を主に戻した銀髪メイドが、不思議そうに訊ねた。
少女は食べながら答える。
「これはこれで、たまに無性に食べたくなるんだよ」
「そんなにお好きなのですか?」
「好きでもないけど、たまに食べて『ああ、やっぱり期待したほど美味しくないなぁ』と、安心する感じかな」
「はあ……?」
難解な方程式を前にしたように瞬きをする銀髪メイド。
さて、少女が《カップ入り即席麺》の蓋をとって食べ始めてから漂ってくる食欲を誘う香りに、興奮していたアレクサンドル氏も、若干頭が冷えたようで……同時に、西の開拓村からここまで休みなしで来た空腹も思い出して、興味深げにその視線を少女が食べている容器へ向けた。
「あれはパスタかね? 見たことのない料理だが」
「異世界の保存食で《即席麺》ってものです。あたしとしても、ここで押し問答をするよりも、何か買ってくれたお客さん相手なら、対応も変わるんですけどねー」
あからさまな押し売りに、一瞬渋い顔をしたアレクサンドル氏だが、
「……同じものは幾らだね?」
好奇心と食欲には勝てなかったようで、生唾を飲み込みながら訊ねた。
「銀貨1枚」
「――ふむ」
だいたい宿場町で宿をとると一泊銀貨三~五枚が相場である。一回の食事代としては少々割高だが、珍しい異世界の料理となれば格安とも言えるだろう。まあ、話の種程度に食べる分にはいいだろう。
「では、ひとつ貰おうか」
「毎度ありがとうございま~す!」
アレクサンドル氏が懐から取り出した銀貨をカウンターに乗せると、即座に営業スマイルに変わったドーラが摘み取る。流れるような一連の動作であった。
はああああっ……と、その様子にため息を漏らす銀髪メイド。
これは、あとでメイド長からお小言かな。と内心戦々恐々としながらも、商売人として営業トークを続けるドーラ。
「それでは種類は何になさいますか?」
「種類……? そんなにいくつもあるのかね?」
「ええ、個々に違いますけど、代表的なところでは醤油、味噌、塩、カレーってところですね」
「ふむ……塩以外はピンとこないね。どれがおススメかな?」
「う~~ん、個人的にはベーシックな醤油ですけど、味噌も同じく独特の風味があるので、慣れていない方は、塩かカレーでしょうね。ちなみに、あちらのお客様が食べているのは塩の一種で、『シーフード味』というものです」
ずずずずずっと、スープをすすっている美少女に、ちらり視線を走らせる。
「“シーフード”ね。名前からして海産物のようだが」
「ええ、具材に海産物を使用してますけど……お嫌いですか?」
「嫌いと言うか、宗教上の戒律でね。食べられないものがあるんだよ」
「ああ、なるほど」
この町の住人にとっては「宗教で腹が膨れるか!」と言ったところで、ほとんど信仰している者などいないが、人間の世界では宗教が大きなウエイトを占めている……ということくらいは、ドーラも理解している。実感はないが。
「ちなみに食べられない海産物ってなんですか?」
「タコとイカだね」
「あー……じゃあマズイかも知れないですね」
生憎とどちらも使用されていた。
「うむ。こう見えても私は医学に携わる者として、聖女教団の敬虔な信徒でもあるからね。そのふたつは聖女様が『恐るべき悪魔の魚』と言って忌み嫌ったというので、口にすることはできんのだよ」
ぶほっ! と、なぜかスープを飲んでいた少女が吹き出して噎せた。
「大丈夫ですか姫!? ささ、このハンカチをお使いください」
慌ててどこからともなく取り出した、絹に鮮やかな薔薇の刺繍がしてあるいかにも高価そうなハンカチを取り出して、少女の口元へ差し出す金髪美青年。
「あ、ありがとう……てーか、言ってないことが流布してるし……」
少女は何やら呟きながらハンカチで口元を拭った。
そこへすかさずコップに入った冷水を差し出す銀髪メイド。
「それじゃあ、無難にカレー味にしますか?」
「う、うむ……」
ドーラの提案に頷きかけたアレクサンドル氏だったが、貰った水を飲んだ後、懲りない様子でスープを飲む少女の様子に、再度ごくりと唾を飲み込んだ。
未練がましいその態度に、ドーラが助け舟を出す。
「……海産物って言っても量はたいしたことないですし、そもそも異世界のタコとイカなので問題ないんじゃないですか?」
「そ、そうかな……うむ。い、いや、いかんいかん。タコとイカという名前がついている以上、口に入れるわけには――! くっ、この程度の誘惑に耐え切れんとは……聖女スノウよ、我を助けたまえ!」
「いや……まあ、別に好きなの食べればいいんじゃない?」
必死に誘惑に抗おうとするアレクサンドル氏が大仰に天に祈りを捧げ、少し離れたカウンターでスープの一滴まで飲み干した少女が、投げ遣りに助言するのだった。
◆◇◆◇
「それで、この薬なんだが」
結局、カレー味とシーフード味両方を堪能することになり、追加の銀貨を支払ったアレクサンドル氏は、料理ができるまでの間――お湯を入れて、小ぶりな砂時計を三度引っ繰り返せばできるとの言葉に半信半疑の様子で待機中である――雑談と言う名目で、当初の目的を果たすことになった。
ちなみにシーフード味を食べることになった葛藤の方は、
「こんな辺鄙な場所まで聖女の目があるわけがないからな。埒外であろう」
ということで納得したらしい。
宗教って案外いい加減なもんねぇと思うドーラと、「まあ、いいけどさ」とその屁理屈を耳にして微妙な表情になる少女がいた。
「とにかく薬効が桁外れなのだよ。だが、恥ずかしながらその成分がまったくわからん。なにかヒントでもないかと思って、藁にもすがる思いでここまで来たんだ」
頼む、教えてくれと頭を下げるアレクサンドル氏。
「――と言われても、本当にあたしには理解不能なんですよ。ここに書いてあるのは『抗生物質』という名前と単語だけですから、そもそもこの世界にない単語なので翻訳もできないし」
困惑した様子で、その錠剤が入った瓶を抓んで読み上げ、またそれをカウンターに戻すドーラ。
「コーセーブッシツ? それが薬の名前かね? うむむ、聞いた事もないな。せめて何を原料にしてできているのかわかれば……」
腕組みして眉根を寄せるアレクサンドル氏と、軽く肩を竦めてお手上げだというジェスチャーをするドーラ。
揃って呻るふたりの様子を、食後のデザートとして《缶入り蜜豆》を開けて食べながら、面白そうに眺めていた少女の視線が、ちらりと置きっ放しになっている青カビの浮いたパンへと走ったが、ふたりとも気が付かずにため息を漏らすだけだった。
「そもそもあたしの『召喚』って結構アバウトなので、これの時も“咳が止まらない病気に効果のある薬”って括りで呼び出しただけで、本当にその病気にピッタリ当てはまるかどうかは博打になるんですよ。そもそも異世界の薬が本当にこの世界の人間に効くかどうかわからないし、毒になる可能性もありますからね」
「ふむ、そんなものなのかね?」
「そうですよ。実際、今朝なんて欲をかいて『異世界で一番価値があって貴重なモノ』って意識して『召喚』たら、こんな紙切れが出てきたんですから!」
そう言ってドーラはカウンターの下から、紙の束を取り出してカウンターの上に乗せた。
「――ぶっ!」
また、軽く噎せる少女。
慣れた様子でハンカチを取り出す美青年執事と、背中をさする美少女メイド。
「……なにかね、これは?」
カウンターの上に山と詰まれた紙の束をひとつ手に取って、しげしげと眺めるアレクサンドル氏。
よくよく見れば、片手に乗る程度の長方形の紙片の両面に、信じられないほど精緻で微細な絵が描かれている。それが紙の帯で束ねられて煉瓦のように積みあがっているのだ。
「確かにたいした美術品だとは思うが、こんなに数があっては興醒めだね。どれも同じ模様だし」
手にしたそれを戻して、手に付いた臭いをかいでわずかに不快な顔をする。
ドーラもわが意を得たりという顔で頷く。
「でしょ。意味不明なんですよ」
と、そこへ玄関の扉を開けて常連のドゥーヴル爺が顔を出した。奥の三人組が来店した時に、そそくさと自分の分の酒と肴を持って、玄関先へ避難したはずなのだが。
「おお、お嬢。ちょっといいかな」
「どうしたの? 酒の肴が足りないの? それともお酒?」
「うむ、そろそろ酒が切れそうなので追加が欲しいかの。できれば《ウイスキー》が欲しいところじゃ。それと火が消えそうなので、何か焚き物があれば欲しいんじゃが……」
奥の三人組をはばかって、玄関先から注文を出す。
「はいはい。あんまり呑み過ぎないでよ。あと、この紙いらないから、燃やしても構わないわ」
戸棚から《ウイスキー》の瓶を取り出し、渡すついでにカウンターに積んである紙片を指差す。
「おお、こりゃ丁度良さそうじゃの」
ドワーフの怪力で一抱え程もある紙の山をすべて抱えて、意気揚々と焚火へ戻るドゥーヴル爺。
一連の遣り取りを見ていた少女が、
「あれを全部焼くとか、『どうだ明るくなったろう』どころじゃないねぇ」
苦笑いしてひとりごちた。
「姫様、あれがなにかご存知なのですか?」
ふと気になったドーラが訊ねると、姫と呼ばれた少女は無言で軽く肩を竦めた。
知らないのか、教えるつもりがないのか、どうでもいいと思っているのか……多分、最後だろうと思いながら、ドーラはアレクサンドル氏に向き直った。
「そういうわけで、申し訳ないですけどお役に立てそうにないですね。まあ、『抗生物質が欲しい』と次回から注文をいただければ『召喚』は可能ですけど」
「う~~む。医学に携わる者としては、正体もわからんシロモノは使いたくないのだが……」
アレクサンドル氏は渋い顔で目の前の錠剤の瓶を見詰める。
その視線が、ふとドーラ本人に向かった。
見た目は藍色の髪をしてメイド服を着た少女だが、よくよく見ると頭の上に猫のような副耳があり、それとは別に普通の人間と同じ耳も持っている。
大陸に住む獣人にはない特徴であった。
「失礼だが、ご店主はどこの出身なのかな?」
不躾な質問に困ったような顔で「さあ?」と首を傾げるドーラ。
「あたしにも記憶がないんですよね。昔、『闇の森』で血塗れで倒れていたのを、通りがかった魔皇「――こほん!」……とある高貴な身分の方に助けていただいて、生きる術を教えていただいただけで」
一瞬、銀髪メイドの咳払いで背中を伸ばして、言い換えたドーラが簡単に自分の出自を述べると、アレクサンドル氏は申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
「そうか、すまんな辛いことを聞いて。どうも学者というモノは気になったことがあると後先考えずに訊いてしまう」
「いいんですよ。いまはこうして店を構えて、特技を生かして生きているわけですから。――あ、そろそろ麺が出来上がったんじゃないでしょうか?」
「おお、そうかね」
嬉しそうに箸立てから木のフォークを取り出して、麺の蓋を開けるアレクサンドル氏。
その匂いを堪能して恍惚としている彼の後ろを、席を立った『姫』とお付きのふたりが通り過ぎて玄関へと歩き出した。
「ご馳走様、美味しかったよ」
「ありがとうございました~」
満面の笑みで答えるドーラに向かって軽く手を振って挨拶をする『姫』。金髪の執事はちらりとドーラの顔を見ただけで無言のままで、銀髪のメイドは「元気そうなので安心しました」そう言って、主に続いて出て行った。
「――ふう」
その後姿を見送って軽く安堵のため息を漏らしたところへ、外で待機していた連中が満を持して店内に戻ってきた。
「お嬢! 熱燗の追加を頼む!」
「俺はニクマンを蒸かしてくれ!」
「あの《おでん缶》というものはあるかね?」
口々に注文を並べるお客達を前にしながら、ドーラは腕まくりした。
「はいはい、ちゃんと先にお支払いだからね!」
ドーラの異世界雑貨店は本日も満員御礼であった。
今後は、機会があれば1話完結で「異世界雑貨」がメインになる話を更新したいと思います。