余暇の始まり
その頃、私は検査に嫌気が差して、追ってくる役人やら吸い付き女から逃げまくっていた。今思えば無駄な努力をしただけだ。
そこは水の惑星ともいえた。大きな大陸が一つ、そして大小様々な島々が点在していた。その島の一つに隠れて、しばし憂いを忘れるつもりだった。
まずは、宇宙空間から大きな大陸に、軌道エレベータで降り、そこから方々に向かう飛行機に乗り継ぐ。当時その大陸は原生林で覆われ、異星人による開発の痕跡は未だ見つかっていなかった。そもそも、自然環境が非常に豊かであることから人類による積極的な開発は、ここでは法的に禁止されており、低軌道衛星から地上の精査のみが行われ、実際の発掘などは行われずいたため、異星文明の痕跡を見つけることは困難を極めていると言って良かっただけだった。
そういう環境であるために、私は身を潜めるには好都合な場所と思っていた。
私は、大陸の端にある飛行場から港に行き、赤道から北に展開する諸島群に向かった。追手も同じようなルートを通る必要があるから、手間のかかるルートを進めば、その分こっちも余暇?を楽しめるというものだ。
5日間の船旅は、小さい帆船型のフェリーであり、順風を受ければ軽快に、そうでなくてもタッキングを繰り返して波の上を進んだ。ただ豪華客船といえるものではないので、ひたすた食って、寝て、排泄してときどき嘔吐をした。元気な時は、リクリエーション施設なんか無いから、他の旅人と会話を楽しむ程度だった。
目的の島で全員降りると、客はあちこちに散ってしまった。ひとりぼっちとなった私は、ぼんやりと海風に当たりながら、背中に背負ったバッグを下ろし、中からしわくちゃになっている紙を取り出した。ネットで見つけたカヤックガイドショップの案内を印刷したものだった。
当然、携帯端末で表示させても良いのだが、スターリンクの数が少ないので、こういう僻地にゆくと圏外になってしまうのだ。検索時にスナップショットを撮れば良いだけだろうと言われれば、それまでだが。生憎、検索時は、宿に備え付けのPCを使っていたので印刷で済ませてしまったのだ。
地図通りに海岸線沿いの道を歩いた所で、一軒のみすぼらしい店を見つけた。周りに家も店舗もなく、ぽつねんと建っている店の脇には、ハンドメイドとしか思われない、ウッド製の二人乗りシーカヤックが4艇、雑に並んで置いてあった。いずれもラダーが装備されていない。
店の外壁は板を打ち、それに塗装を施したものであるが、その塗装が剥げているので、強い潮風に当たると、壁が壊れてしまいそうに見える。
店のドアの取っ手は、流木を釘で打ち付けただけで、鍵らしいものは無かった。その取っ手を握り、中に入ると。若い男が、木を削っている最中だった。ブレードが細く長いので、グリーンランドタイプのパドルだろうと思われた。
男は、私を見ると手を止めて、「いらっしゃいませ」と言った。浅黒い顔のせいか、笑みを見せた時の歯がとても白く見える。「ツアーですか?」と手にしたパドルをカウンターの上に置いた。
「ええ」と私は頷いた。
「日帰りですか?それとも泊まりがけにします?」男は、店内にあるテーブルに近づくと、私に座るように勧めた。テーブルの上には、付近の離島の地図が乗せられていた。その地図には細いマジックでコースと名所が記載されてあった。
「泊まりで、できたらできる限り長逗留したい、本当ならカヤックをレンタルして自分であちこち巡りたいけど、流石に初めての場所ではね・・・」とは言ったものの、それほど経験を積んでいた訳でもないのに、ちょっとは乗っているんだぞというそぶりを見せた。
「そうなると、私では無理ですね。」と部屋の隅に捨て置かれたようなアンドロイドを見てから、私に視線を戻した。「明後日には、出かける用がありまして、暫く店を閉めますので、もし構わなければ、地理に詳しいアンドロイドを付けましょうか?既に、こいつには店のノウハウとか教えてありますから」
「カヤックが沈まないかい?」私は、不安になった。
「FRP製ですけど、3人艇がありますでの、それを使えば大丈夫です。それで何回がこいつで使った事がありますので」男は、アンドロイドを再び見た。
「料金は?」それなら大丈夫なのかなと彼を信じて訊いた。
「一日、2万クレジットになります。ただ前金で二日分の4万を頂きますが?あと、保険料として1000クレジットをいただきます。戻って来たときに、残りをアンドロイドに払ってもらえればいいです」
「いいよ、なら41000クレジットを払えばいいね」私は、カードを差し出した。それを驚きの目で男は見て、受け取った。
「おや、すごいものをお持ちで・・・」
「まあね」
「ちなみに、食べ物でアレルギーとかありますか?」男はカードを処理しながら訊いた。
「いや、何でも大丈夫。ピーマンは嫌いだけどね。」
「船に積む込む食事は、お任せで良いですね。フリーズドライになりますけど」
「ああ、できればシュノーケルのセットと釣り道具があると嬉しいな。海に食用可能な生物が居るよね?」私は、おかずを自然の中から頂くことで、長期の逗留を考えてみた。
「食用可能な生物は居ますけど、人間を食用にする生物もふんだんにいますので、注意してくださいね。はっきり言えば、シュノーケルはお勧めできないです。潜るなら、まだ、簡易ダイビングのセットが安心です。海底でじっとしていれば、襲う生物も少なくなりますから」男は、こちらの意図を察したようだった。「漁が目的なら、ヤスや銛もあった方が良いですね」
「簡易ダイビングセットというと?」
「超高圧になったペットボトル程度のエアタンクと減圧機のセットです。二つセットになっていまして、一つは窒素、もう一つが酸素になります。酸素の方は、吐き出した空気から酸素の回収を行う事で、長く潜る事ができます。酸素分圧は自動的に調整されるので安心してダイビングを楽しめますし、アンドロイドが持っている水素電池でポンプを回して、タンクに空気を詰めれば普通のダイビングで使うようなタンクとしても使えますから、何回も楽しめますよ」
「じゃあ、そっちにしょうかな」
「分かりました。カヤックに積んでおきますね」男は満面の笑みだ。後でオプションのレンタル料金がふんだんに取られる気がした。
「何時、海に出ることが可能かな?」
「今日中に準備はしておきますが、夜の出航はお勧めできないですから、明日の朝が良いと思います」
「じゃあ、それで、ちなみに泊まるとなれば、港に戻る必要があるかな?」
「多分、快適に泊まるならそれが良いですけど、素泊まりでよければボロ屋ですけど奥にビジター向けのベッドは置いてありますよ。」
「食事は?」
「この先に、湾岸食堂というレストランがあります」
「ありがとう、じゃあそこで食事をすることにするよ」
「夕方には、私は不在になりますから。自由に出入りしてください、もともと鍵もありませんから」
「じゃあ、ここでお世話になるか・・・」私は、港まで戻る必要がなくなったので、安心はしたが、ベッドと言われるものがどういうものか不安に思えた。
「寝室はこっちになりますね」と男は、察したかのように奥にある暖簾の方に向かってあるいた。それをかき分けて更に奥に入ると、ベッドというか軍で使うようなコットが4つ置いてあった。
シーツも薄い毛布もない・・・
「夜も寒くはないので、これで充分眠れます」男は自信たっぷりに言った。「ちょっとした、飲み物やお菓子、お酒は道路沿いに、小さいけどコンビニがありますからね」
粗末な部屋を確認して、店内に戻ると今日は特にやることがなさそうだった。店主は、パドル作りに気が注がれているようだし、店主に紹介された店を探しつつ、散策しようと思った。
「未だ陽もあるし、夕までその辺をふらついてきます」
「それが良いでしょう」店主は、パドルを削る作業に戻った。今日中に準備をすると言いながらかなりのんびりしているようだった。
私は、流石に荷をこの店に預けておくには、頼りないと思い、バックバックを背負ったまま、店を出ようとすると、背に声が掛かった
「貴重品以外ならあずかりましょうか?ロッカーがありますから」
「大したものではないですけど」
「大きなパックを担いで、散策もつかれますよ」
80リットルのパックだけに、それなりにでかい。しかし中身は、衣類とか軽量なものばかり詰まっていて、見た目ほど重くはない。
「そうかい」と言い、パックから貴重品と思われそうなものを取り出して、ウェストポーチに詰め込んだ。それを店主に渡すと、「充電そろそろ大丈夫か」
とアンドロイドに声をかけた。
「はい、マスター」とアンドロイドは答えた。
「この人の荷物をホールドしておいてくれ」とパックをアンドロイドに渡すと、両腕でしっかり抱えて、充電中に入ってしまった。
「顔認証で、覚えていますから、安心ですよ」と店主はにやっと笑った。
私は、店長に返す言葉が無かった。いずれにしろ、身軽になった状態でこの辺りを闊歩することができるのは、悪くはなかった。
波の音を聞きながら、浜辺を歩いた。白い砂に波が白く泡立ちながら被さり、そして引き波と同時に、シューッと炭酸の無数の小さい泡がはじけるような音がした。
遠くには、木々が中央に群生している小さな島々の姿が見えた。そうして、暫く浜辺をのんびりと歩き続け、やがて一本の河川にぶつかり進路が断たれ、海に太陽が水平線上にかかる前に、店に戻った。店主は不在だったので、そのまま道路に向かい、湾岸食堂を探した。
食堂は、開けたウッドデッキ上と店内にテーブルが置かれており、おのおの4人掛け以上の席は、埋まっていた。私はデッキにある二人席に座り、そこから河川を上から眺めて食事を取ることにした。
食事で出されたのは、両生類と思われる動物を塩がまにして蒸し焼きにしたもの-腹に中に香草がふんだんに詰め込まれていたー。それと甲殻類を茹でたものだ。穀類は頼まず、何かの果実を発酵して作ったアルコール飲料を、それの代わりにした。
あちこちで湧き上がる、歓談の声が時折風に乗って私の耳に入ってくる以外は、静かな食事だった。そこに人影が落ちた。目を上げると吸い付き女が居た。
「検診はどういたしました?」
「後で行くよ!」思わず、荒らげた言葉が口から出た。
「承知しました。」と吸い付き女は、踵を返した。あまりにあっさり承諾された事に、むしろ気味が悪く思えた。
「まずは、充分に遊んでからおいでください。」と背を見せたまま彼女は去って行った。
食べたものが、消化不良を起こしている気分のまま、店に戻ると店主の行ったとおりに、ドアはあっさり開き、弱い灯火が店内を照らしていた。アンドロイドは私のパックを抱えるようにして持ったままじっとしていた。
そのまま奥に進み、服を着たままベッドに横になったが、歯磨きを忘れていたことに気がついた。どんなに長生きをしたとしても、歯の劣化だけはどうにもならず、歯周病でも虫歯でもなく、ただ経年劣化により私の全ての歯は、インプラントに置き換えられていた。施術したどの医師も、歯磨きだけは忘れない様にと釘を刺したものだ。




