第一章 帰郷、旅立ち(8)
小川沿いに赤、青、黄の花々が互いに競い合うように咲いていた。
陽光に照らされ、無数の輝きを放つ水面。
静かなせせらぎを耳に留めながら、一行は小道を歩んでいた。
山を降りて、まだ二日目。他に人の姿は見えない。
近隣の村までは、このペースではまだ丸一日はかかるだろう。
先頭を歩むマナが少しでも急ぎ足になると、最後尾の師母が
「速いよ。もっとゆっくりでいいからね」
と、すぐに注意する。
そのたびに、自分のせっかちな性分を指摘されているようで、何となくバツが悪かった。
季節は、まさに春爛漫といったところだ。
小鳥がしきりにさえずり、小道を歩むマナたちを草原のウサギがぼんやりと眺めている。
鴨の親子が水面をゆったりと進んでいるさまを横目にしていると、確かに急ぎ足で進むのはもったいないような気持ちになってくる。
「……いやあ、それにしてもマナは大きくなったよねえ」
唐突な師母の言葉に、マナはちらりと後ろを振り返った。
師母はいつものように泰然自若といった様子だ。
指先で鈴を弄りながら、のんきに空を仰いで歩いている。
足元が危ないですよ、と声をかけたくなるが、さすがに躓くような気配は無い。
ココはと見れば、山から降りた直後は少し不安そうな面持ちであったものの、この平穏そのものといった風景に安堵した様子も窺えた。
「まあ、確かに背は伸びましたが」
「胸も大きくなったよね!」
ココがすかさず口を挟んでくる。
師母が口を大きく開けて豪快に笑い、マナは
「ちょっと、ココ。そんな大きな声で……」
と赤面した。
帝都でもこの調子で元気に振舞ってくれれば良いのだが、やはり少しは慎みというものも覚えてほしい。
「誰も聞いてないんだからいいじゃないの。それにね、立派になったのは胸だけじゃないよ。あのおてんば娘が、今じゃ才色兼備のお嬢様の象徴、聖白竜女学園の卒業生だものねえ」
「えっ、おてんばって、師姉様が!?」
ココが、驚きと好奇の入り混じった視線を師母に向ける。
それから、歩くたびにひょこひょこと揺れるマナのポニーテールに目を移してきた。
「も、もう、その話はいいじゃないですか!」
マナは眉をしかめた。
自然にまた、歩調が速くなってしまっていた。
(そう、あの頃の貴女は……。うん、間違いなくおてんばだったね。それに、今と同じように本当に誇り高い子だった……)
愛弟子二人の背に深い愛情の篭もった目を向けながら、シェリーはマナの父と初めて出会った頃のことを思い出していた。
その頃のシェリーは、一介の侠客として帝都や周辺の街を渡り歩いていた。
どこの組織にも属さず、ただ己の持つ武勇を恃みに世間を生きる身分だった。
優れた刀術の腕前や天与の美貌だけではなく、信義を重んじ、利や富貴に惑わされることのない彼女の名は侠客たちの間で知れ渡っていた。
揉め事があれば果敢に飛び込み鮮やかに解決、頼まれ事も二つ返事で引き受ける。
街の豪商から、荷駄の護衛などを依頼されることも少なくなかった。
マナの父と出会ったきっかけも、とある商隊の警護の折であった。
彼は、他の侠客・傭兵たちから『ナイト』という通り名で呼ばれていた。
「傭兵なのに騎士っていうのは、どういう意味なの?」
隊商の護衛中、立ち寄った村の小さな穴蔵のような酒場で、ふと尋ねたことがある。
彼はシェリーのその素朴な問いを、豪快に笑い飛ばした。
「そりゃあれだよ、俺の親父が騎士だったからさ。ま、その親父がしくじっちまって、俺は流れ流れて斬った張ったのやくざな稼業になっちまったわけだがな」
没落した騎士の一族の話など、あまり楽しいものではないはずだが、当の本人がゲラゲラと笑っているのだから仕方ない。
「いやあ、姐さん。それだけじゃねえよ」
二人の会話を耳にした古参の傭兵が、安酒をぐびぐびと呷りながら口を挟んできた。
「この野郎はね、傭兵仲間じゃあ一本筋の通った本物の男だよ。どんなに金を積まれようが、てめえの命が危なかろうが、絶対に仲間は裏切らねえ。それに、お偉いさんが相手だろうが大軍が敵に回ろうが一歩も退かない肝っ玉だ。弱い者にはとことん優しい心意気といい、近頃の軟弱な騎士連中に比べりゃあよお、よっぽど『ナイト』と呼ばれるのが相応しい男だぜ」
歯切れ良くまくしたてられると、彼は手をひらひらと振って苦笑した。
「おいおい、とっつあん。そんなに褒めたって、何にも出やしないぜ?」
「へへ、そう照れるなって。そうだな、そういう意味じゃあ、お前ら二人は似た者同士かもしれねえな」
「あら、ナイト殿と並び称されるとは光栄の至りね」
シェリーがおどけて肩をすくめると、周囲からどっと笑いが起きた。
(続く)