第一章 帰郷、旅立ち(7)
マナが帰郷してから、一週間が過ぎた。
戻った直後は、都会慣れしたマナにはきついことも多少あったが、すぐに順応した。
何しろ父と死別した五歳の時から、ほぼずっとこの山で修行を積んでいる。
学園で過ごした三年間よりも遥かに長い時間だ。
勘を取り戻すのに、それほどの苦労は無かった。
まだ薄暗い早朝には目を覚まし、薪割りや水汲みを行う。
山の端から陽が徐々に姿を現し、空がうっすらとオレンジ色に染まる頃には朝の稽古だ。
刀は握らずに体術の修練を行う。
他の流派と同様、刀が手許に無い時のため、素手で戦う際の体術も取り入れられている。
それに加え、手裏剣などを使った投擲術や、鉄扇を使って人体の急所である点穴を突く技などもあるが、それらはまだ教わっていない。
師母曰く、
「免許皆伝の一歩手前まで来たら、ちゃんと教えてあげるけどね」
ということだそうだ。
朝の稽古の後は朝食をとる。鶏小屋で採れたばかりの新鮮な卵と野菜中心のメニューだ。
食後に食器を片付けていると、師母が居間に座って腕を組み、何やら考え事をしていた。
即断即決、何事においてもあまり悩むことのない師母にしては、珍しいことだった。
「……ねえ、マナ。色々考えたんだけどさ」
「何でしょう」
意を決したような表情で語りかけてきた師母に、マナは訝しげな表情で返事をした。
「……私も一緒に帝都に行こうと思うんだけど」
「は、はあ」
三年前にマナが入学する際も、付き添いとして師母が同行した。
あの時のマナは、多少大人びていたとはいえ、まだ十五歳の子どもだった。
だが、今はもう一人で帝都からここまで帰ってくることもできるし、わざわざ師母に出向いてもらわなくても……。
と、そこまで考えたところで、マナははたと気づいた。
師母がさり気なくマナに目で訴えかけている。
(そうか、ココのことか!この子はまだ……)
「そうですね、師母様。ぜひお願いします」
意図を察したマナが明るい表情で答えると、師母がすかさずココに目を向けた。
「うん、そうしようね。で、ココはどうする?またお留守番してる?」
「……え、えええっと……」
ココは目を伏せ、頬を少し朱に染めて心底困ったような表情を浮かべた。
やっぱりココはまだ克服できていないのか、とマナの胸が少し痛んだ。
だが、いずれは解決しなければならない問題だ。
これはその良い機会になるというのが、師母の考えだろう。
「この前はずっと一人でお留守番だったからねえ……」
師母が天井を仰いだ。
その時のココはまだ十二歳で、今よりもずっと幼かったが、たった一人でこの山小屋で過ごしたのだ。
食料に関してはあらかじめ師母が野菜を塩漬けにした保存食を用意し、心得を丁寧に説いていたが、寂しさは筆舌に尽くしがたいものがあっただろう。
だが、それでもココはこの場所に留まることを自ら選択したのだ。
一人ぼっちで過ごす寂しさよりも、もっと怖いものが帝都にはあったから……。
「わ、わたしも一緒に行く!」
長い沈黙は、ココの上ずった声で破られた。
彼女なりに、一生懸命考えた末の結論だろう、
その額には汗がうっすらと滲んでいた。
師母は立ち上がり、彼女をぎゅっと強く抱き寄せた。
「うん、大丈夫。私たちがいるから、怖くなんかないよ」
「師母様ぁ……」
ココが甘えた声を出した。
その身体がわずかに震えていることに、マナは気づいた。
彼女は――ココは何よりも、人間を恐れていたのだ。
マナが考えていた予定よりも早く出立しよう、というのは師母からの提案だった。
それもやはり、ココを気遣ってのことだろう。
長旅になるということと、山小屋を不在にするということで準備には数日かかった。
道中の食料として野菜を塩で漬け込み、鶏をさばいて燻製を作る。
刀を丹念に研ぎ、普段はあまり履かない底の厚い革靴を丁寧に磨き上げる。
衣類はほころびを全て縫い……といった作業を、三人で手分けしててきぱきと片付けた。
マナは準備の最中、それとなくココの様子を窺ってみた。
表面上はいつものように陽気に振舞っているが、やはりどことなく影がある。
ふとした拍子に浮かべる憂鬱な表情を見るたびに、胸にささくれ立つような痛みが走った。
「貴女まで暗い顔をしないの、マナ」
「すいません……でも……」
「ココは、貴女が思っているよりもずっと強い子よ。私はそう信じてる。だから、貴女も信じなさい。あの子のことを本当に大切に想っているのなら、このままで良いわけがない、ってことも理解できているでしょ?」
師母の話はもっともだった。
ココにとって、この山小屋、人のいない山野は楽園なのかもしれない。
あるいは、生涯をここで過ごすということも一つの選択肢といえるだろう。
だが、外の世界を拒絶して生きるにはあまりにも彼女は若すぎる。
幼い頃から共に過ごし、血の繋がりこそないものの、実の妹のように思っている彼女に、全ての可能性を閉ざす道を選ばせたくはなかった。
「貴女はね、余計なことは考えずに自分のことだけ、目の前のことだけに取り組みなさい。それとも、私じゃココを任せるには頼りないかな?」
「とんでもない!そんなことありません!」
血相を変えたマナの様子を見て、師母は快活にコロコロと笑った。
やはり、まだまだこの人には敵いそうにもない。
(続く)




