第一章 帰郷、旅立ち(12)
(あれは……)
水路を下る一隻の小舟が目に入った。
数名の男たちが乗り組んでいる。
彼らは船の真ん中に乗せた麻袋を取り囲むようにし、しきりに周囲に目を配っていた。
川沿いの道を、低い姿勢で音もなく駆けるシェリーと、男の一人の目が合った。
剣呑な気配。
その瞳に後ろめたい人間特有のよどんだ光を認め、シェリーは土手を駆け下りる。
男がシェリーを指差し、仲間に注意を促した。
彼らが一斉に腰から剣を抜く。
麻袋の中には誰かが押し込められているらしく、激しく暴れたため、小舟が左右に揺れていた。
速度を緩めることなく、大小の石が並ぶ河原をシェリーは駆け抜けた。
事の次第を確かめる、などというまどろっこしいやり方はしない。
人を麻袋に押し込めるような相手だ。
話し合いで何とかしようなどというのは、間抜けすぎる発想であろう。
駆けながら懐に手を入れ、手裏剣を握る。
次の瞬間には男たちの一人に投げつけていた。
それが男の肩口に吸い込まれるように刺さる。
男が悲鳴を上げた頃にはすでに、腰の刀を抜いたシェリーが小舟目掛けて跳躍していた。
飛び移り、着地すると同時に左右の敵の腰を浅く斬る。
男たちが板の上を転がった。
その鮮やかな手並みに、残った男たちがたじろぐ。
手裏剣の刺さった男と、斬った二人を含めて、全部で六人。
いずれも鋭い目つきで、カタギにはとても見えない。
だが、どうやら不安定な足場での戦いには慣れていない様子だった。
シェリーは慎重に歩を進め、なおも暴れ続けている麻袋に「もう大丈夫よ」と声をかけた。
そして、ゆっくりと近づき、縛られた袋の口を開ける。
その中身を確認したシェリーの目がいっそう強い光を帯びた。
中に閉じ込められていたのは、蜂蜜色の肌と黒髪の幼い少女だったのだ。
「貴様ら、誘拐師かっ!」
傭兵仲間からも忌み嫌われる、外道中の外道。
幼子や女性を誘拐し、奴隷商人に売り飛ばす連中だ。
奴隷の所持・売買はもう何代も前の皇帝によって禁止されていたが、裏社会の一部では公然と取引が行われている。
特に辺境に住む少数民族の子女などは、物珍しさもあって高額で扱われるのだそうだ。
男たちは舌打ちし、一斉に斬りかかってきた。
シェリーは、沸き立つ怒りを瞬時に収めた。
戦いにおいては、何より平静さを保つことが第一だ。
興奮して刀を振り回しては、素人ならともかく手練れの戦士にかかってはひとたまりもない。
男たちは、ある者は腕を斬り飛ばされ、ある者は首筋を深々と斬られて倒れ伏した。
あっという間に全員を屠ったシェリーは、麻袋の少女に目を移した。
よく見ると、少女の額には小さな角が生えていた。
鬼族の一員だ。
とにもかくにも、この場にずっといるわけにもいかない。
シェリーは小舟を岸に寄せ、彼女を抱きかかえて一旦家に戻ることにした。
連中の死体は、いずれ通報を受けた保安隊が片付けるだろう。
この時はまだ、この少女――ココを引き取り、育てるつもりなど毛頭なかった。
家に戻ると、すでにマナは起床し、近場の井戸で水を汲んできていた。
「師母様、おはようございます!」と元気に挨拶をしてきたマナだったが、ココの姿を認め、不思議そうな表情を浮かべる。
シェリーに抱きかかえられたココは、小刻みに震えていた。
無理もない。
どこの集落から、どのような経緯で浚われてきたのかは分からないが、見知らぬ男たちによって狭い麻袋の中に閉じ込められていたのだ。
「大丈夫よ」と、シェリーは何度も柔らかな声音で話しかけ、マナに衣服を用意させた。
ココが着ている服は薄汚れていた上に、ところどころ破れていたからだ。
その日は、ココが始終怯えていたため、保安隊に相談することなく過ごした。
徹夜のシェリーはひどく疲れていたが、一晩二晩の不眠はこの稼業では慣れている。
翌日、ココが落ち着いた頃合いを見計らって、彼女はいくつか質問した。
さらわれる前の彼女がどこに住んでいたのか、といった内容だ。
当初は警戒して口を利かなかったココだが、シェリーは彼女が心を開くまで辛抱強く待つことにした。
やがてココは、シェリーを信用したのか、自分のことをぽつりぽつりと話し始めた。
鬼族の小さな集落で平和な生活を過ごしていたこと。家族は両親と兄の四人だったということ。そして……。
「そう、貴女以外は殺されてしまったのね……」
鬼族は、大陸各地の辺境で種族ごとに細々と生活を営んでいる。
ココの記憶によれば、家族以外に数戸だけの本当に小さな集落だったようだ。
そこを、誘拐師たちに襲われた。
抵抗した両親はココの目の前で殺され、兄も彼女を助けようとして、男の一人に崖から突き落とされたらしい。酷い話だ。
話を聞いて最初に驚いたのが、ココがまだ三歳だという事実だった。
顔立ちといい体格といい、七歳のマナより一つ二つ下程度だと思っていたからだ。
鬼族は種族の特性として、赤子からある程度の年齢までは、人間よりも早く成長する、ということを思い出した。
ともあれ、男たちはシェリーが全て斃した。
死体が発見されて騒ぎになっているという話を近所の住民から聞いたシェリーは、ココを伴って事情説明のために区の保安隊詰所まで赴いた。
こういう時、頼りになるのはやはりコネだ。
かれこれ一年以上用心棒を務めている豪商に事前に話を通しておいたこともあってか、保安隊の取調べは和やかな空気で行われた。
むしろ「悪党を片付けてくれたことを感謝したい」とまで言われるほどだった。
「……で、この子はどうなりますか?」
シェリーが尋ねると、担当の女性保安隊員は難しい表情で、孤児のための施設に入り、里親が現れれば養子として引き取られるし、そうでなければ、そこで成人まで過ごすことになる、と答えた。
ココは取調べの間、ずっと震えながらシェリーの腕にすがりついていた。
言いようの無い不安に苛まれ、涙ぐむ彼女を見ている内に、とても放ってはおけないという気持ちが芽生えてきた。
「ねえ、貴女。お姉さんと一緒に暮らさない?」
満面の笑みを浮かべたシェリーに、一瞬きょとんとした表情を見せたココは、やがてその言葉の意味を理解すると、ゆっくりと大きく頷いた。
(続く)




