第一章 帰郷、旅立ち(11)
帝都に向けての旅を始めてから数日後、小川沿いに進んだ一行は小さな村に到着した。
数十戸の家族が、清らかな小川の水を活かした畑と酪農で生活を営んでいる。
シェリーはココの様子を窺った。
若干ではあるが、顔に緊張の色が見てとれる。
村の入り口に彼女とマナを待たせ、シェリーは一番大きな水車小屋のそばにある家を訪れた。
「大丈夫よ、ココ」
マナは背後から、包み込むように腕を回してココを抱いた。ココが小さくうなずく。
「村の長に話を通してきたよ。ちょうど一軒、今は使ってない小屋があるから泊まってもいいってさ」
地域によっては、余所者には閉鎖的な村もあるが、幸いそれほど交渉は長引かなかった。
シェリーが渡した数枚の銀貨の効果があったことは間違いないが。
その夜。
食事を終えると普段はすぐに眠くなってしまうココであったが、やはり緊張しているのだろう、なかなか寝付けない様子だった。
寝床が慣れない藁の上ということもあるのかもしれない。
マナが添い寝し、しばらくするとココが健やかな寝息を立て始めた。
シェリーも藁の上に寝転び、二人の様子を静かに見守っている。
(あんなに明るいココが、人間を恐れているなんて……ね。無理もない話なんだけど)
思えば、師弟三人が人里はなれた山小屋で長年過ごしたのも、ココの対人恐怖が理由だった。
それが不都合ということは無いが、しかし何時までもそのままで良いとは考えていなかった。
(この旅が、良いきっかけになってくれればいいのだけど……)
ココとシェリーが出会ったのは、マナが修行を始めてから二年ほど経ってからのことだ。
その頃のマナはもう七歳になり、昼間は学校に通って近所の子たちと机を並べていた。
大規模な叛乱などもなく、ここ百年以上は比較的平和な世が続いている帝国では、特に当代の皇帝陛下によって、教育に関する政策に力が入れられていた。
それまでは、帝国が運営する学校といえば貴族や騎士の子弟が通うものと決まっていたが、普通の市民の子どもたちにも門戸を開放した学校が設立されている。
シェリーは相変わらず、夜は近在で一番勢力のある豪商の邸宅を警備していた。
元は主に貴族女性のドレスや服飾品などを商っていたが、都民の生活が豊かになってきたことに合わせ、一般女性向けの洒落た服なども扱うようになり、急速に地盤を拡大した。
上質な生地を惜しみなく使っているという点と、斬新なデザインが若い女性層に受けているらしい。
(……まあ、私なんかはあんまり……ね)
女主人にはことあるごとに瀟洒なドレスを勧められるが、何しろこちとら傭兵稼業、いつ斬った張ったになるか分からない身の上だ。
それに、ドレスがあってもそれを着る機会が無い。
マナの将来を考えれば、ドレスを買ってあげても良いのだろうが、まだこれから身体が大きくなるのに気が早すぎるというものだろう。
豪邸の警備は神経を使う仕事だった。
だが、いつ抗争が始まるか分からない暗黒街の元締の警護などとはレベルが違う。
豪商自身が誰かに命を狙われているというわけではないので、それほど厳重な警戒は必要なかった。
せいぜい、金品目当てのコソ泥が侵入してこないか目を配る程度である。
空が徐々に白み、鶏の声が鳴く頃にシェリーの仕事は終わる。
商家の奉公人とメイドが目を覚まし、庭先の掃除を始めると、彼らに挨拶してマナの眠る自宅に帰宅する。
石畳で舗装された街路を、鈴を鳴らしながら小気味良く歩を進めていく。
商家が立ち並ぶ一角では、豪商の家と同様、店先の掃除を始める人々の姿があった。
市場に仕入れに向かう行商、早い朝食の支度を始める主婦。
まだ薄暗い早朝であったが、帝都の人々の一日はすでに始まっていた。
(まあ、やくざな私はこれからオヤスミなんだけどね)
彼らを横目で見ながら、シェリーは苦笑を浮かべる。
この稼業に負い目は一切感じていない。
自らが得手とすることで口に糊しているだけのことだ。
(……!)
シェリーは足を止め、全身の感覚を研ぎ澄ませた。
遠くで、少女の叫び声を聴いたように感じたのだ。
ちょうど、帝都の流通の大動脈とも言える大きな川にかかった橋のところだった。
声の聴こえた方角に、シェリーは走った。
あるいは錯覚かもしれなかったが、彼女は自分の感覚に絶対の自信を持っている。
それがあったからこそ、数々の修羅場を潜り抜けてこられたのだ。
単に武芸に秀でているというだけで生きていけるほど、傭兵の世界は甘くはない。
(続く)




