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 東京の空は、遠い。



 上京してからというもの、常にそう感じる。

 昼も、夜も。

 はて、どうしてだろうか。



 空を仰げば、摩天楼スカイスクレイパーが視界を遮るからか。

 田舎道を車で走ったとき、ふと窓の外を見上げて、雨粒が今にも落ちてきそうな、あの雲の近さを、東京では少しも感じない。

 手を伸ばせば、届きそうな空だとか。

 口をあんぐりと開けていると、そこに星屑が降ってきそうな満天の宙とか。

 そんなものは、どこにもなくて。

 地上の星とはよくぞ言ったものだと、人並みに感心した。









 二〇二〇年 冬



「だから、あんたにあの男は合わないと思ったんだって。非モテの女には、非モテの男でないと」



 星を夜空に散らしたような美しい色のカクテルを眺めていると、友人の声に、はっと現実へと引き戻された。彼女は同じ大学のゼミ出身で、共に千キロの距離をはるばる上京してきた仲間の一人だった。近頃のお付き合いについてありがたい講評を頂戴しているところで、半年前に共通の友人の結婚式で知り合った男と先日別れたことを報告したのだ。

「誤解しないでね? あんたは紛れもなく非モテだけど、非モテの人間が周りからモテないという意味ではなく、モテる非モテの男を探しなさいという意味。よい? Got it?」

「むつかしいこと言うなあ」

 彼女の持論には、この世界にはモテと非モテの二タイプがいるのだという。わかりやすく言えば、モテは、スタバでコーヒーを買うのにも全く躊躇しない人間なのだそうだ。その理屈はよくわからないというのが本音だ。

「彼の趣味、もう一回、言ってみ?」

「ボルダリング、スキューバダイビング、フットサル」

「あんたの趣味は?」

「読書、ピアノ、美術館巡り」

外向き(アウトドア)内向き(インドア)の代表格みたいな二人が、よく半年ももったと思うわよ」

「一応、がんばったんだけどねえ。フラれちゃったよ」

「なんでモテるモテ男を好きになるかなあ。イケメンは日本の宝だけれども」

 うんうんと互いに頷き合う。しょうがない。カッコよかったんだから。背も高かったし、三つ揃えのスーツもポケットチーフも似合っていた。こちらの一目惚れに近かった。女心というものは、けっこう簡単に揺れるし、男が思うよりもずっと単純にできているのだ。

「いい? モテは非モテの気持ちを根本的なところで理解できないんだから。あ、でも、モテない非モテは最悪だから。モテる非モテを探しなさいね」

「偏見だなあ」

 今思い返してみても、半年の幕引きは驚くほどにあっけなく。



 他に好きな子ができたんだ。別れよう。

 あ、はい。



 それ以外の、何が言えたというのか。

「――あたし、男だったら、よかったなあ」

 こてん、と額をカウンターにくっつけて、俯く。

 人並みにお付き合いして、人並みに結婚して、人並みに子育てをして。

 その人並みが、こんなにも難しいなんて。

 そんな順風満帆な人生を、二十代半ば頃にはもう容易に送れると思っていた、中高生の頃の自分が。

 今となっては霞がかかったように、懐かしい。

 いや、とても、眩しい。

「もしあたしが男だったら、けっこういい男だったかしら」

「ええこちらからプロポーズしたるわよ。そらもう跪いてパカッよ。だって、霞ヶ関にお勤めでしょ? 複数の武道の有段者で運動神経抜群だし、ピアノも上手で、読書家で、よく気が利くし、裏表もないときた」

「おうおうそんなに褒められても何も出ねえぜ」

 指折りながら褒めてくれた友人の背を、鼻をくいっと江戸っ子のように拭って照れ隠しにバンッとひっぱたく。力加減を誤ったのか、帰国子女の友人が「Ouch!」と短く声を漏らした。

「そしてこちらが仕入れた今カノの情報となります」

「あら。さすが敏腕スパイ」

「スパイじゃないから。ほれ、見てみ。この写真」

「んー?」

 携帯の画面を友人が覗けば、そこには、いかにも、な、モテ星人が写っていた。

「歯科衛生士さん。趣味はお菓子作りだそうです。何よりおっぱいが大きい! 羨ましい! 推定Fカップでございます」

「ふぁーお」

 太い眉に赤い紅を差した流行りの韓国メイク。梳いた前髪(ググればシースルーバングというのだそうだ)。カラコン。何の偶然か、ニコちゃんマークの描かれたスタバのカップを片手に持ち、それを頬にくっつけて可愛く自撮りしている。

 そう。誰が見ても、彼女は可愛いのだ。

 守ってあげたくなるような。庇護欲をそそられる女性ひとだった。

「THEインスタ女子」

「もうアカウント見つけてもうたよ」

「さすがスパイ」

「スパイじゃないから。あとあたしが勤めてんのは霞ヶ関やなくて永田町ね」

「霞ヶ関も永田町もそげん変わらんめえもん」

 方言のスイッチは、どちらからともなく入る。二人とも普段は標準語で話している。方言、可愛いよね、なんて、そんな軽口を叩く男はもう信じないことに決めていた。

 恥ずかしながら夢みる乙女のように、未だ〈運命の人〉を探し続けている。

 お前はいったいいくつだと言いたい。四捨五入すれば三十だ。母親が結婚した年齢は疾うに超えてしまった。

 それでもなお、()()()()を超えるような出逢いを、探しているのだ。

「ほんで? 出会い系サイトに登録したんだって?」

「マッチングアプリね」

「何が違うのよ」

「響きが違うよね」

 彼氏と別れた翌日。このまま自分、死ぬまで独りかなあと思うと無性に寂しくなり、とあるマッチングアプリに登録してみた。何とまあすんなり登録できることに驚いたものだ。

「前も言ったけど、私は反対だなあ。そりゃ、周りのフリー勢はみんなやってるし、それで結婚したカップルも数組知ってるけどさ。てか公務員が出会い系アプリとか禁止されてないん?」

「マッチングアプリね。そんな法律はございません。そしてあなたにはもう素敵な彼氏さんがいらっしゃるからいいんです」

「あ、はい」

 ちゃっかりパートナーのいる友人は、いわゆる非モテではあるが、モテる非モテの女であった。どこが非モテなのかというと、彼女は俗世から一歩線を引いたような変わった性格をしていた。今ドキ、LINEもインストールしていなければ、TwitterもFacebookもInstagramもTikTokもしたことがないという絶滅危惧種だった。マッチングアプリなど彼女の中では言語道断なのだ。大学でも彼女は孤高の存在であった。群れる兎ではなく、高嶺の花だった。そして歯に衣着せぬ物言いでサークル内の女子からは嫌われ、草食系男子は気圧され、立ち向かった勇者は言の葉の剣で次々と薙ぎ倒されていった。彼女のハートを射止めた彼には「あっぱれ」をあげたい。

「でもね、結局登録してから半日でアプリ消しちゃったんだ」

「あらら。どうして」

 年収、職業、容姿、趣味、特技、身長。人を条件付きの色眼鏡で見てはどんどんスワイプして記憶の外に葬り去っていく。時々、何やら無視できないコメントがあるから鬱陶しかった。課金して付けられたコメントは一読必須らしい。知らんがな。

 半日経って、いいねとやらが五百を超えたところで、退会した。その数が多いか少ないかなんて知らないけれど、客観的に、誰が見ても可愛いと叫ぶ容姿ではないにせよ、少なくともその五百人から見て疎まれる顔つきをしていないということは、わかった。年の割に童顔だから、御しやすい、言うことを聞いてくれそうとでも思われたのかもしれない。

 ネットの海に顔を晒しているのも、男を「区別」する判断基準が自分の中で明確にあったと知ったことにも、何だかよくわからないなりに我慢できなくなった。これだから非モテといわれるのだろう。

 カクテルを数杯頼んで飲み干したあと、二人で店を出る。まだ十八時。東国は日が沈むのが早くて何だか哀しくなる。わあっとこのまま欲望に任せて夜の街に駆け出すのはやめた。従前ではカラオケに直行していただろう。おとなしく帰路に就くことにする。今日のところは解散だ。

 そういえば日比谷も有楽町も銀座も徒歩圏内だなんて上京するまでは知りようもなかった。駅に向かう途中で、ほどよく酔って陽気になっていたからか、幾分大きな声で会話する。行き交う人々も土曜の夜(サタデーナイト)をそれぞれ楽しんでいるように見えた。最近はあんなに観光客の多かった銀座でも外国人を滅多に見かけなくなった。これが、新常態ニューノーマルか、と独りごちた。

「てか、信じられる? あいつ徳川の十五代将軍の名前も知らなかったんだよ?」

「なんでまたそんな話になったの」

「バラエティ番組を一緒に見てたんだけどさ」

「まあ、別に徳川家の将軍が答えられなくても、人生は謳歌できますし」

「そりゃそうだ」

 ふむ、と神妙な顔つきで頷く。自分の常識は他人の非常識とも聞く。それを押しつける気は更々なかったのだが、彼が違う世界の雲上人にでも見えて、勝手に格差と疎外感を感じてしまった。

「でもさ、シェイクスピアの四大悲劇くらい知ってくれてもよくない? 『え、ロミオとジュリエットとか?』って言われたときはもう溜め息つきたくなったわ」

「あー。そこまで相手に求めるのは、()というものだわぁ」

「ソネットの一八番っていいわよね、とまでは言ってないのよ。ね? Shall I compare thee to a summer’s day?」

「Thou art more lovely and more temperate……じゃなくて」

「ありがとうノッてくれて」

 別に詩人と青年貴族(Fair Youth)のプラトニックな恋模様だとか。黒い貴婦人(Dark Lady)の存在とか。語り手と作者は別なんだとか。そんなことまで話したいわけじゃ、ないのだ。

 はあ、と溜め息をついて、友人がふと立ち止まった。

「あんたがフラれた原因、わかったわ」

 追い越した彼女を振り返って、小首を傾げる。「フラれた原因」なんて思い当たり過ぎて、自分では絞れなかったほどだ。

「そういうちょいちょい上から目線の、衒学的ペダンチックなところに、嫌気が差したんじゃないの」

「え、だって、わざとだもん」

 うにゅ、とあざとく唇を窄ませ、軽く握った両手で口を隠し、上目遣いをする。「性格わるっ」と友人がそれを見て眉を顰めた。

「あーあ。男って、なんで自分の知ってる知識は色々訊いてないのに教えてきては優位に立とうとするのに、いざ自分が女よりも()()で劣ってることがわかると、途端にしゅんと小さくなるんだろうね?」

「そこは、『すぐぉーい』って言ってほしいからに決まってんじゃん。手のひらで男転がすには、『さしすせそ』、案外重要よお? モテは、そんな()()()教養を知らなくても、世の中存分に楽しんでるからいいのよ。そして、あんたもけっこうなブーメランよ」

「あたしは、そんなひけらかすように滔々と語ってないもの」

 「え、知らないの?」とも絶対に言っていないし、それこそ、「そうなんだあ」としか、言えなかった。言わな、かった。

「だから、言ったじゃん。あんたは根っからの非モテなんだって」

 友人がもう一度盛大に溜め息をついて、肩を竦める。

「んでもって、いいとこ見せたがりぃな男はね、女が自分より忙しい、のは、気に食わないのよ」

 ――週の半分は終電だった。始発帰りもあるし、日本にいないときもあれば、土日出勤も免れないときがあった。

「LINEの未読スルー? 既読スルーも随分していたんじゃない」

「シールドルームとか、私携帯が、使えない環境にいたんだもの」

 自分より忙しくない女としか付き合ったことなかったんじゃない。

 なけなしのプライドが、許さなかったんじゃない。

 コンクリートの地面に吐き出すように、醜い感情を吐露する。自分は棚に上げて、相手を貶めることばかり言って。自分を擁護するような、片側の物語ばかり語って。友人の優しさにつけこむように。

「……どこで、間違ったかなあ」



 ――大好きだった。



 誠実な人だと思った。くしゃっと笑った顔が、幼く見えて。

 少しでも、好かれるようにがんばった。

 彼の好きなものを自分も心から好きになれるように努力した。今日は何を話そうか、デートの前は電車の中で考えていた。好きばかりが積もっていって。



 あたしは、何を、見落としたんだろう。



 よしよし、と子どもを宥めるように、路上で友人が肩を抱いてくれる。 

「あんたに、言ってなかったことがあったんだけどね」

「……うん」

「普通、初デートで『東博の仏像展を観に行きたい!』とは、言わんわ」

 打ち明けられたのは、もう、記憶の彼方に過ぎ去っていた思い出の一ピースで。

 友人は、仕方ないやつだ、と愛しそうに、眉を下げて笑った。

 ぱちくり、と瞬きをしたのち、思わずフフッと、肩を震わせる。

「……やっぱ初手からミスってたかあ」

 帝釈天カッコよかったんだけどなあ。

 ちょうど展覧会の会期が終わりそうだったからと提案してみたけど。ドン引かれたのかもしれない。

 まあ、そんなのは、大した理由じゃないのだろうけど。

「あんたは世の中の流れとか、政治とか経済とか、社会情勢とか、そんなのよりも、()()()()()が好きなんでしょ。それを、その気持ちを、そのままわかってくれる人を、探しなよ」



 本当の自分を偽って、笑顔で隠して。好きじゃない自分を、演じなくても、いいような、さ。



「あんたは普段から()()()ことに慣れすぎて、それが当たり前だと思ってるかもしれないけど。私は、いつかあんたが、あんたのままで心から笑える人に出逢えるって、信じてるから」



 ま。そんなあんたがスパイってのがまた笑えるけどね。



 さっきのお返しのように、バンッと友人から背中を強く叩かれる。「あいたよう」と声が漏れ、前屈みになった。

 膝に両手を置き、背中を丸めながら、くつくつと笑いが思わず喉から漏れる。

 友人が、その挙動を訝しがるように、瞬きを数度繰り返した。



「――だって、()()()()であるって、いうじゃない?」



 今の話、どこまで信じた?



 悪びれる様子もなく、友人の顔を下から覗き込めば、きれいな顔が、ぐにゃりと歪んだ。

「あんたなんてフラれて当然よ。さすがスパイ。まんまと騙されたわ」

「ただの()()()ですって」

「VOIDしたパスポート何個も持ってる()()()って、怖いわあ」

「そういう情報を誰から得てるのかわからんほうが、怖いわあ」

 おほほ、と互いに目を細めて笑い合う。相手を信頼しているのか、信用していないのか、真意なんてわからない顔つきでしばし視線を交えたあと、隣に並んで二人は歩き出した。

「——All perform their tragic play,[1]」

「There struts Hamlet, there is Lear,」

「That’s Ophelia, that Cordelia」

「Yet they, should the last scene be there,

 The great stage curtain about to drop,

 If worthy their prominent part in the play,

 Do not break up their lines to weep.」

「They know that Hamlet and Lear are gay

 Gaiety transfiguring all that dread.」

「All men have aimed at, found and lost」

「Black out; Heaven blazing into the head」

「Tragedy wrought to its uttermost.」

「——Though Hamlet rambles and Lear rages,

 And all the drop-scenes drop at once

 Upon a hundred thousand stages,

 It cannot grow by an inch or an ounce」

「あんたってほんと、嫌味な女」

「Youも大概そうだと思うよ」

「ほんと鏡見てるみたいで笑える」

 肩を組んで歩き出す。喧騒が二人の背を追いかけた。

「弱きものよ! 汝の名は!」

「男なり!」

 がっはっはっと大口を開けた妙齢の女どもの笑い声が夜の街に響いた。











[1] 高松雄一編(二〇〇九年)『対訳イェイツ詩集』、岩波文庫、「ラピス・ラズリ」

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