22.重なった恋人の影
(まさか……)
惚れ薬は元からある感情を一時的に増幅する効果しかない。だというのに、今感じたものはなんなのか。自分の心に沸いた感情の正体がわからず、じっとグレンダの顔を見つめると、彼女はにやぁっと口元を歪めた。
「……思い出の中にありますでしょう? 黒髪の女性と、デートをしたことも、愛を囁いたことも……」
「まさか、君が……僕の恋人……?」
試しに呟いた言葉に、視線の合ったグレンダの黒い瞳は、サイラスを見ていない。どこまでも真っ暗だ。なのに顔には喜色が浮いている。途端に背中にぞわりと寒気が走った。
(ばかばかしい……!)
試しに口にしたのもおぞましいと思える。先ほど沸いたのは、記憶の中の恋人とグレンダが一瞬でも重なりそうだったことへの強い嫌悪だった。
(惚れ薬が気持ちを強めるのなら、嫌ってる感情も増幅するというわけか)
サイラスがグレンダのことを恋人だと思っているだなんてありえない。その想いを強くして、サイラスは拳をぐっと握りこむ。
「ええ、そうですわ」
微笑んだグレンダに、ふっとサイラスは息を吐いた。グレンダが手に持っていた髪飾りをそっと手に取る。そのあとで身体に触れられていた腕をさっとほどき、サイラスはしっかりと立った。もう頭はすっきりとしている。
「そんなわけないだろう」
髪飾りを握りこんでから発した声は、自分でも驚くほどに冷たい声だった。驚いた様子のグレンダを一瞥して、彼女の手に持っている髪飾りを見る。それはレベッカと先日出かけたとき以前から、知っているものだった。ゆっくりと瞼を閉じれば、脳裏に記憶がよみがえる。
頭の中に浮かんだ光景は、サイラスがその髪飾りを女性に渡すところだ。ぼんやりとした黒っぽい髪の女性の影。それがくっきりとしてくる。はにかんだ顔で、赤い瞳を細めて微笑むその女性は――。
(そうだ)
「僕がその髪飾りを渡したのは、レベッカだ。僕が恋人だと呼ぶのは、レベッカ以外にありえないよ」
すっと目を開いて、サイラスははっきりと宣言する。
もはや彼の記憶は全て戻っていた。もやがかかっていたような朧げな記憶の映像も、全てくっきりしている。そして、さっき報告があったばかりの薬の件にまつわる、書面には残すことができなかった件についても。
「まさか」
「これは先日、レベッカの部屋から盗まれたものだよ。エマーソン侯爵令嬢」
喜色から一転、顔色を変えたグレンダからユリシーズに目を移し、サイラスは手をあげる。
「ユリシーズ」
名を呼ばれただけで、ユリシーズはさっと手を挙げて合図する。するといつの間にか周りに回りこんできていた数人の騎士たちが庭園の影から現れた。突然の様相にグレンダは息を呑む。
「窃盗の容疑者だ。丁重にお連れしろ」
「は」
「な、なによ! わたくしは侯爵令嬢よ! こんなことをしてただで済むと……」
抵抗するグレンダは、それでも騎士に両側を囲まれて叫ぶ。だが不意に、口を閉ざし醜悪な笑みを浮かべた。
「あの魔女ですわ! 捕まえる相手を間違えてます。法を侵しているのはあいつなんです!」
(法を……?)
やけに自信たっぷりな彼女の様子に、サイラスは眉を動かす。だが、それも一瞬のことですぐに冷たくグレンダを一瞥した。
「事情は改めて」
「……悪いのは、魔女だってすぐわかりますわ」
ゆるがないサイラスの様子に怯んだ様子を見せたもののそれ以上の抵抗を諦めたらしい。小さく舌打ちをした後は、大人しく騎士に連行されて庭園のほうへと歩いていった。その後ろ姿を見送り、サイラスは小さく息を吐く。
「……まさか、レベッカに会う前に、こんなことになるなんてね」
「懸念事項ではありましたから、レベッカ殿が来られる前に事件に発展せずよかった、というべきでしょうが……」
「そうだね」
とはいえ、なんだかすっきりしない。やけに自信ありげなグレンダの様子が気にかかる。ユリシーズが握っている薬に目をやって、サイラスは息を吐いた。
「ひとまず、その薬はあとでレベッカとワイズ伯に成分を調べてもらうことにしよう。エマーソン侯爵家を糾弾する材料の一つになるだろうからね」
「はい。それからこの後はどういたしましょう」
この後すぐにレベッカが来るはずだ。舞踏会の会場では今の一幕に気づいた様子はない。だから舞踏会を進行しても問題はないのだろう。だが。
「今起きたことを、レベッカに黙って告白……というわけにもいかないからね。レベッカが来たら事情を説明して、一旦話は後日ということにしようか」
「いいんですか?」
「うーん、よくはないけどね。僕も記憶が戻ったから、早くレベッカに謝りたいし」
「殿下、記憶が……?」
目を見開いたユリシーズに、サイラスは頷いた。
「さっき、レベッカの惚れ薬を飲んだらね。思い出し薬ではないけれど、『気持ちが強くなる』って作用のせいかな? 全てを思い出したよ」
「そうだったんですね。お身体に問題はありませんか? 先ほどふらついておられたでしょう」
「急に記憶をとりもどした反動だろうから、もう大丈夫だよ」
それを聞いたユリシーズが、悩むような顔になる。
「どうしたの?」
「レベッカ殿が聞いたら、自分のことはいいから休息を、と言い出しかねないなと思いまして……」
「ふふっそうだね」
その様子がありありと思い浮かんで、サイラスはつい笑いを漏らす。記憶を取り戻す前から彼女のことは好きだった。けれど、思い出してしまえばその気持ちがより強くなる。
(早く顔が見たいな……)
ないがしろにしていたと思われても仕方のない状態だった。それを早く謝りたい。そして、彼女を抱きしめたかった。
「……顔が緩んでいますよ」
「いいだろう、やっと思い出せたんだから、今くらい」
珍しくつっこみを入れてくるユリシーズに苦笑して、サイラスは言い返す。
「レベッカはまだかな?」
ちらりと舞踏会会場のほうを覗けば、ちょうどテラスに向かって歩いてくる騎士が目に入った。
「ホッジ卿」
彼はレベッカにつけた護衛騎士だ。いつも穏やかな表情の彼が、今は焦った様子である。
「殿下」
「どうしたんだい、そんなに慌てて」
「レベッカ様がいらっしゃいません」
短く告げられた言葉に、サイラスが息を呑む。
サイラスの護衛は、普段ユリシーズ一人に見せかけて、離れた場所から何人もの護衛騎士が彼を守っている。それと同様に、レベッカが気をつかわないように、すぐそばを守る護衛騎士はホッジ卿一人だが、彼女の周辺にはさりげなく複数人の護衛騎士を配置していた。だが、その騎士たち全てがレベッカを見失った、ということなのだ。
「殿下にお会いになられるため、テラスに向かわれたあとから、レベッカ様を見失ってしまいました。申し訳ありません……」
「なんだって?」
サイラスは少し前からグレンダと話していたはずだが、レベッカの姿は見ていない。もし、グレンダと話しているところを見られたのであれば、彼女が話を中断させないために気をつかって柱の影などに隠れるということは考えられる。だが、そうだとしたら会話が終わったあとにすぐ姿を現すだろう。
「テラスには?」
「部下たちより、いらっしゃらなかったと報告を受けています」
会場の前面全てがテラスになっているため、王城の舞踏会会場のテラスはかなり広い。端のほうであれば会場から漏れる光程度では見通せないだろう。端のほうに行っていて、サイラスと行き違いになったとも考えられるが、そうだとしたら騎士たちがレベッカを見失う理由がわからない。
「ホッジ様!」
そこへ新たな騎士が二名やってくる。サイラスの姿をみとめた彼らが敬礼の姿勢をとると、サイラスは手を振ってホッジへの報告を促す。
「失礼いたします。庭園側に配置した騎士が三名、姿をくらましたようです」
緊迫した様子で報告をした騎士は、さらに続ける。
「レベッカ様は、内通者の騎士に攫われたものと思われます。殿下、これを……」
騎士が差し出したのは、レベッカのドレスに縫いつけられていた紫の宝石だった。それにすぐ気づいたサイラスの顔が青ざめる。
「……レベッカが、攫われた?」
ぽつりとつぶやいたサイラスは、テラスを見回す。そこには彼女の姿などありはしない。レベッカが攫われたことは、すぐに判明したものの、すでに彼女の身は王城から煙のように消え去っていた。




