21.三度目の惚れ薬
建国祭当日、サイラスはレベッカと会うことを約束した。
(さて、あと少しだね)
舞踏会の直前、わずかな時間を縫ってサイラスは執務室で休息をとっていた。
レベッカと約束しているからといって、彼が暇なわけではない。日中は、王都でのパレードに出席して、夜は舞踏会まである。幸いにして、日中の公務は問題なく終えることができた。サイラスが記憶喪失になってしばらく経つが、女性のことを除けば記憶がきちんと残っているおかげで諸々の公務には問題ないので助かっている。あとはこれから舞踏会で一通りの挨拶を済ませれば、レベッカとの時間を持てるだろう。一日中礼装で動き回っているから疲れることこのうえないが、彼女との約束のことを考えられば胸が弾む。
(まずは意図的に恋人を探さなかったことを謝って、それから……気持ちを伝えたら、レベッカはどんな顔をするかな)
近頃、ぼやけた過去の記憶が浮かぶことが多い。その記憶は朧気であるものの、サイラスは失われた記憶の恋人がレベッカだろうと思っていた。
顔を赤くしていたレベッカのことを思い浮かべると、自然とサイラスの口元は緩む。気持ちを素直に伝えるためのアイテムも入手したので、余計に心が浮き立つ。だが、浮かれてばかりもいられない。
(今夜は何もないといいけれど)
懸念といえば、舞踏会の間に事件が起きないかだ。
建国祭ということで、貴族令嬢たちにくだした登城禁止令は一時解除している。令嬢が襲われる事件が続いていればそれも難しかっただろうが、あれから何も起きていないことと、警備を厚くすることで例年通りに舞踏会を開催することとなったのだ。
(そろそろ会場に移動か)
執務室から出ようと思ったその時、サイラスの元へ部下が報告に来た。
「急ぎの件でございます」
差し出されたのはエマーソン侯爵家の報告書だった。内容に目を走らせて、サイラスは顔色を変える。
「禁止された精神を操る薬を製造している疑いか……確かにすぐにでも動いたほうがいい案件だね」
「は」
とはいえ、今夜は建国祭である。
「エマーソン侯爵家の取り締まりについて、陛下に伝えておこう。伝令を」
「かしこまりました」
部下はそのまま報告をすべく、サイラスの前を辞する。
実際に動くのは明日以降の可能性が高いから、今夜の舞踏会については平常通り開催する運びになるだろう。幸い、今日は例年に比べて警備を強化しているから一晩ならなんとかなろう。
(今夜は危ないから、レベッカとの話は後日にしたほうがいいだろうけれど……)
ちらりと時計を見たサイラスは、小さく息を吐く。
(今からだと行き違いになってそのほうが危ないかな。レベッカを護衛する騎士は今日も増やしているし)
そんな報告があってから舞踏会が始まった。記憶喪失になった舞踏会のときから久々の場である。主要な貴族たちとの挨拶を済ませたサイラスは、ちらりとテラスのほうを見る。レベッカとの約束の時間には早いが、誰にも話しかけてられていないこの隙に移動したほうがいいかもしれない。そう思ったときである。
「サイラス様」
声をかけてきたのは、黒髪をおろしたドレス姿のグレンダだった。レベッカを囲んで虐めていた件以降、彼女の姿はずっと見かけていなかったが、今回の舞踏会には来たらしい。
(こんなときに……いや、何かを仕掛けてくるのか? 処分する口実になるか。なら先に……)
「わたくしとお話をしてくださいませんか」
首を傾げたグレンダの黒い髪が、ふわりと揺れる。その動きに一瞬サイラスは眉間に皺を寄せた。
『サイラス様?』
頭の中に一瞬、黒っぽい髪の女性が首を傾げてこちらを窺ってくる映像が浮かんだ。だが、顔はぼやけている。
(いや、違う)
今よぎった映像が、グレンダであるはずがないだろうとサイラスは心の中で否定する。今朝は思い出し薬を飲んだから、断片的に記憶が浮かんでくることも多い。それが今ちょうど起きただけだろう。
「君と話すことはないと思うけれど」
顔を引き締めたサイラスは冷たく言い放ったが、もちろんグレンダは諦めない。
「これが最後になっても構いません。どうか二人で話をする時間をくださいませ」
懇願する彼女は、いつもなら侍女や取り巻きの令嬢を何人もはべらせているところだが、今日に限っては一人だった。
「護衛を外すわけにはいかない。けれど、最後だというのなら聞こうか」
「……わかりましたわ。ではせめて、テラスでお話を」
「いいよ。……ユリシーズ」
頷いたサイラスはユリシーズに合図する。サイラスの後ろで控えていたユリシーズは、ちらりと舞踏会会場の騎士に目をやって、グレンダの死角でハンドサインを送る。
(テラスには騎士をもともと配置しているけれど……エマーソン侯爵令嬢がテラスに他の者を潜ませていないとは限らない)
だからサイラスはユリシーズに命じて、テラス側に急ぎ、人を増員するように合図を送ったのだ。
グレンダの先導で進むわけにはいかないので、サイラスは前を歩いてテラスに出る。柵の巡らされた中央には、庭園に出られる階段がある。その手前にサイラスは立った。
「それで、なんの話だい?」
単刀直入に尋ねたサイラスに対し、グレンダはにっこりと微笑んだ。
「サイラス様、お慕いしております」
「申し訳ないけれど」
「お返事は、どうか、これを飲んでからにしていただけませんか?」
ぱっと目の前に出されたのは、赤い瓶だった。見覚えのあるデザインなのは、それが建国祭に合わせて売られる魔女印の惚れ薬だからだろう。
(あれは……レベッカの部屋から盗まれたもの? それとも中身を入れかえたものかな)
これがさっき報告があったばかりの精神を操る薬に入れ替えられたものならば、飲むわけにはいかない。
「……飲む義理があると思うのかい?」
「これは戯れです。ご存じではありませんか? 告白のために建国祭で売られる惚れ薬を渡すのを」
飲んでくれると信じてやまない様子でグレンダは言う。
「想いを確かめあう儀式として、国民の間で流行っているらしいね?」
「はい……形だけでいいのです。どうか、飲んでからお返事をいただけませんか」
必死に言い募るわりに、グレンダの黒い瞳には熱がない。
思えば彼女はずっとそうだった。サイラスの恋人だと最初に訴えたときにも、サイラスを恋い慕うような熱はなかった。だというのに、レベッカを責めるときの顔つきは酷く醜悪だった。あれはサイラスを好いているのではなく、『王太子の婚約者』という身分を得るために必死なだけなのだろう。
(やっぱりこれを飲むのは危険かな。でも、納得しそうにもない)
「……答えてくださらないのは、毒をお疑いなのですか?」
グレンダに問われて、サイラスはふっと息を吐いた。
「うーん……」
迷っているそぶりで声をあげ、サイラスは一旦グレンダから惚れ薬の瓶を受け取る。
「サイラス様……!」
飲んでくれるのかと喜色を浮かべたグレンダに対し、サイラスはその瓶をユリシーズに渡す。
「毒かどうかを問わず、僕は王太子という身分だからね。毒見があらためたもの以外を口にするわけにはいかない」
そうは言ったが、もちろん常に毒見を立てているわけではない。だが、グレンダにそれを説明する必要はないだろう。
「でしたら、わたくしが飲んで見せますわ!」
「いや、その必要はないよ。……これを飲めばいいんだろう?」
サイラスは懐から一つの瓶を取り出す。それはグレンダが用意したのと同じ、魔女印の惚れ薬だ。もちろん、建国祭用に売られている、魔力のこもっていないおまじないの商品である。
(これはレベッカと話すときのために使うつもりだったんだけど……)
内心の苦い思いを張りつけた真顔で隠し、サイラスは顔をあげてグレンダに視線を戻す。その瞬間に、風が吹いて、グレンダの髪がふわりと揺れた。薄暗い視界で、揺れる黒い髪。その映像にまたしても、サイラスの脳裏で朧げな記憶が重なりそうになる。
(髪色が似ているからって、ばかばかしい)
毒づいたサイラスは、「ね」とグレンダに言えば、彼女はたじろいだ様子だった。
「……どうして、サイラス様がそれを……」
「最近初めて知ってね。面白いから一つ買ってみたんだ。同じものだから君の用意したものでなくとも問題ないだろう? これなら君が毒見をする必要はない。確か惚れ薬のおまじないは目の前の相手に効くんだったろう?」
ついでに彼女と関節キスをする必要もない。
「そう……ですわね」
いささか歯切れが悪いのは、やはり彼女が用意した薬でなくてはいけなかったのだろう。自分で飲むと言ったのもポーズだったのかもしれない。
「うん、じゃあ飲むね?」
「お待ちください! この髪飾りに、見覚えはありませんか?」
ぱっとグレンダが差し出したのは、レベッカが先日つけていた髪飾りだった。
(これも盗まれていたのか……レベッカは言っていなかったけれど)
「それはレベッカの髪飾りだね? どうして君が?」
「いいえ、違います。わたくしの髪飾りをあの魔女が盗んだんですわ」
自信ありげにグレンダは言う。盗人猛々しいとはこのことだ。もともと意図して真顔を張りつけていたが、サイラスの顔は蔑むものになった。
「……へえ?」
心が冷えるのを感じながら発した声は、やけに冷たい。だがグレンダの勢いは止まらなかった。
「そうなんだ? じゃあ、もう飲むよ」
サイラスは宣言と同時に、瓶のふたをあけて一気に薬を煽る。酷く甘ったるい液体が喉の奥を過ぎていく。それを見たグレンダは慌てて言い募る。
「わたくしに求婚してくださったときに、殿下がくださったんですわ。そうでしょう? 真実の恋人です。あの魔女に何を言われたのか知りませんが、この髪飾りを贈ってくださり、わたくしのことを愛してくださったでしょう……?」
視界がくらっと揺れたように感じた。これは自分で用意した効力の弱い惚れ薬だ。惚れ薬という名前はついているものの、効果は違う。
『惚れ薬は、元からある感情を強めるだけなんですよ』
頭に浮かんだレベッカの声と、グレンダのセリフが重なって頭が痛い。それに加えて、ぐわんぐわんと音が響く頭の中に今まで思い出せなかった朧げな記憶の映像が一斉に浮かんでは消えていく。だが、その映像はまだ荒くて細部がわからない。
「……僕が、君を……愛して……?」
そんな馬鹿な、と言いそうになった言葉が止まって、足元がふらつき、瓶を取り落とす。
「サイラス様!」
「殿下!」
同時に声をあげたグレンダとユリシーズだったが、支える手が間に合ったのはグレンダのほうだった。
(どうして、眩暈なんか……)
ゆるゆると顔をあげたサイラスの視界に、グレンダの黒髪が映る。それは先ほどから何度も見ている幻影のような朧げな記憶の映像に重なりかけた。




