08 ウロボロス (堂々巡り)
「それと、キャルム様のことでノーラ様のお耳に入れておきたい件が……」
このルカの話の切り出しに、ノーラはまるで電気が流れたかのように身体を硬くした。
ノーラはキャルムについてルカに秘密にしていることがある。
ルカが初めてダリモア産の緑色の糸についてノーラに話した時と、全く同じこの台詞。ルカはノーラが隠していたキャルムの不始末にたどり着いてしまったのだろうか……。
ノーラは社交シーズンで王都にいる際、お茶会などで同年代の令嬢達と交流してきた。社交シーズン以外、皆がそれぞれの領地にいる時期に手紙を交わす間柄の友人も複数いるが、その中にはノーラの1歳上、キャルムと同学年の令嬢もいる。
ノーラはフィーネを引き取った際、その1歳上の友人をはじめ、2歳上で貴族学園の2年生になる友人、普段は手紙を出す関係ではないとしてもキャルムやフィーネと同級生や先輩になる知り合いに、入学祝いや進級祝いの言葉と共に“姉のフィーネをよろしく”としたためた手紙を出していた。
次期アクランド伯爵のノーラは異母姉フィーネを認めていて、姉妹二人の間に蟠りは無い。そう周知されればフィーネの伯爵令嬢としての地位はとりあえず確立する。
ノーラの友人がフィーネの取り扱いに戸惑うことはないし、フィーネが友人を作りやすくもなるだろうと、良かれと思い、ノーラなりに気を回したのだ。
それが、アクランドにいるノーラの元へ貴族学園でのフィーネについて書かれた手紙が、友人だけでなく普段文通をする間柄でない人からも次々と届く結果をもたらした……。
フィーネは学園に入学してすぐに、第二王子とその側近の令息達と親しくなったようだ。
貴族子女の中へ彗星の如く現れた、つい最近まで平民として市井で暮らしていた元庶子フィーネ。
まだ同性の友人がいない段階で、地位・容姿・人気が最上位の令息たちと親しくするなど、悪手中の悪手。貴族学園だからかは関係ない。平民の学校だったとしても、そんな事をしたら周囲に疎まれ爪弾きにされると、周囲からのんびりしてると言われがちなノーラですら分かる。
入学から1ヶ月もしないうちに、フィーネは第二王子の婚約者である公爵令嬢を筆頭に少なくない令嬢を敵に回し、フィーネを敵視していない令嬢たちからは距離を置かれてしまっているらしい。
令嬢たちの間で孤立してしまったフィーネは、ノーラの婚約者であるキャルムと行動を共にしているそうだ。それによりキャルムの学友である第二王子とその側近達とも関わりが多くなり、ますます周囲の顰蹙を買う悪循環なのだろう。
ノーラの元へ届く手紙の締めくくりは、全部同じ。フィーネはまるでキャルムの婚約者かのような距離感で一緒にいるが、そのことをノーラは容認しているのかと問いかけてくる内容ばかりだ。全員が本心からではないだろうが、皆、表向きにはノーラを心配してくれていることだけが救いだ。
聡明を通り越して狡猾な印象まであるキャルムと、1歳下のノーラに対して今だに怯え続けているほどに人見知りで怖がりなフィーネ。
そんな二人の人物像とは重ならない愚行に、正直、信じられない思いしかないのだが、繋がりがない複数の友人から同じ内容の手紙が届くことから、真実の可能性が非常に高い。
ノーラはかつて、フィーネがアクランド伯爵家へきたばかりの頃、衣装室で聞いてしまったミリーとシエナの世間話を思い出す。
そう言えばミリーたちは『フィーネ様は意外に男好き』と言っていたではないか……。
このままではアクランド伯爵家の評判に関わる。
キャルムからの手紙には、キャルムに任せている羊毛産業の仕事に関する問い合わせや報告の内容ばかりで、学園の話は『第二王子と親交している』と、それだけしか書かれていなかった。フィーネが登場したことなどない。
5月の後半、ノーラは『学園でのキャルムとフィーネの様子について、友人達から手紙が届いている。どうなっているのか』とキャルムへ手紙を出した。
キャルムから届いたのは、何ともズレた内容の返事。
『出自のことで周囲から浮いてしまっているフィーネと行動を共にしているが、それはアクランド伯爵から直々に頼まれているからだよ。自分ではどうしようもないことで苦労をしているフィーネが可哀想だと、ノーラは分かってくれていると信じている』
ノーラは思わずため息を漏らしてしまった。
“ノーラは分かってくれていると信じている”とあるが、フィーネが周囲から浮いているのは元平民という出自だけが原因ではないと、ノーラの元へ届く手紙で知っている。フィーネのどこが可哀想で何をどう苦労しているのかノーラには全く分からないし、そもそもキャルムが何を目的にそんな愚かな行動をしているのかすら見当もつかない。
最初は具体的にどういうことかと問い質す、ノーラが不安に思う感情がそのまま表れた手紙をキャルムへ書いていたのだが、そのまま郵送する勇気がどうしても出なかった。結局は曖昧で大雑把に問いかける内容の手紙に書き直してしまったノーラの落ち度なのだろうか。
ダリモア産の新しい緑色の糸の件以降、ノーラとキャルムの間に流れる気まずい空気を見て見ぬ振りして放置していたツケが回ってきたのだろうか。思慮深く切れ者だと思っていた、ノーラの中のキャルムの印象がぼやけていく。
……もしかして、キャルム様はお姉様のことを好きになってしまったのかしら。
正直、ノーラはキャルムへ恋心は抱いていない。それでも、10歳で婚約してから将来家族になる人として交流してきた親交の積み重ねがある。
家族へ向けるような親愛の感情はもちろんあるし、ルカへと傾く心を必死に封印してキャルムを裏切るようなことはないようにと努力してきたつもりだった。
でも、キャルムだってノーラと同じように誰かに恋をするかもしれない。その相手がフィーネだとしたら、怜悧狡猾なはずのキャルムの愚行にも、恋に狂ったからだと説明ができてしまう。
頭では冷静にそう考えているし、キャルムへは恋愛感情はない、はず。
それなのに、なぜか針が刺さったようにチクチクと胸が痛み、目には涙がこみ上げてくる。
……キャルム様“も”お姉様を選ぶんだ。
心の底から浮かんできた言葉に、ノーラは自身の本音を自覚した。
誰もが憧れる令息へ軽率に近づいたことで令嬢達から嫌われてしまったフィーネ。
フィーネから距離を取るどころか、まるでフィーネと恋仲だと疑われるような状況に悪化させているキャルム。
領地に帰って来ないだけでなく、キャルムとフィーネの仲を後押しするようなことをしている父。
アクランドへ帰還した当初ノーラは父とフィーネへ手紙を書いたが、この3ヶ月弱、二人から返事が届いたことはない。友人達から学園での様子について手紙が届いた後にも、学園での様子を伺いつつ何か相談することは無いか問いかける手紙をフィーネへ追加で出してみたが、その返事は来ない……。
領地にある各役所や要所の視察、近隣の領地との親交、雨乞いの儀式と感謝祭の準備、本来は父と母が二人で行うべき仕事をノーラは一人で行っている。王都にいる3人の暴走を止めたくても、忙しいノーラに王都へ出向く時間はない。こうして思い悩んでいる今も、ノーラの机の上には書類が積み重なっている。
将来自分が婿入りするアクランド伯爵家が醜聞に塗れるようなことをキャルムがするはずがないと思い込むことで、ノーラはこの事態をルカに秘密にして放置した。
困難なことから目をそらしなかったことにする。そんな父の悪いところは反面教師にしたかった。
ダリモア産の緑色の糸の件以降、ルカはキャルムに対する不快感を隠さない。この件をルカが知ったら、また、キャルムとの婚約を考え直すようにと言われるに違いない。だからこそ秘密にしていた。
そんなルカからの『キャルム様のことで、ノーラ様のお耳に入れておきたい件』に、心当たりがありすぎる。
「昨晩タウンハウスでは旦那様とフィーネ様と、なぜか、キャルム様の3人で夕食を取っておりました。ミリーへ確認したところ、キャルム様はほぼ毎日フィーネ様と共にアクランド伯爵家のタウンハウスへ帰宅し、そのまま夕食を取ることが珍しいことではないようです」
「……そう」
これまで社交シーズンでノーラが王都にいる間、キャルムと夕食を共にしたことなどあっただろうか。ほとんどが定期で行われているお茶会、それも義務のようにきっちりと決まった時間だけ。
……きっとキャルム様は私と一緒にいてもつまらないから、だから食事をしなかったのだろうな。だって私は子供の頃からお父様と一緒に食事してもらえなかったくらいだもの。
よく考えれば、過去のキャルムがノーラと食事まで一緒にしなかったのは、ノーラが分単位で予定をこなすほど忙しくしていたことが理由だと思い当たるはず。
でも、本宅のノーラと母とは食事を取らず、ずっと別宅のフィーネとフィーネの母と食事を取っていた父の過去を重ねてしまい、勝手に傷ついてしまう。
「あまり驚かないのですね」
優しく微笑みながら問いかけてくるルカ。ノーラは悲しみはしているものの動揺はない。そのことをルカにはすぐに悟られてしまう。
「あのお方は利に聡く計算高く本当に要領がいい。そして、私には自尊心が高い自信家に見えます。有能なノーラ様より、何もわからないフィーネ様の方がアクランド伯爵家を自分の思い通りに統べることができる、とでも思っているのでしょう。それにはフィーネ様を籠絡さえすれば良い。……フィーネ様を寵愛している旦那様ならきっとフィーネ様が望む通りにと動きます」
フィーネが望むならば、父はフィーネを次期当主に指定しキャルムを婚約者にするだろうと、ルカはそう言う。でもその場合、ノーラは、ノーラの立場はどうなるというのか……。
「キャルム様はそんな大それたこと考えていないと思うわ。ただ同級生として仲良くしているだけじゃないかしら……」
「そう言って軽視しているうちに取り返しのつかないことになるやもしれません。キャルム様はとてもしたたかなお方だと、婚約者としてふさわしくないと、アクランドグリーンの件が証明したではないですか。私はなるべくはやく婚約解消をするべきだと思います。せめて、フィーネ様と距離を取るようにと婚約者として抗議いたしましょう」
ノーラはルカの顔を見つめながら、左手で自身の右手首にある腕輪を撫でた。
1匹の蛇が自分の尾を食べている姿が銀で作られ蛇の目に透明な水晶が埋められているこの腕輪。アクランド伯爵家の嫡子が付ける物として代々引き継がれ、祖父が亡くなり父がアクランド伯爵になった2歳の時にノーラは父から授かり、それ以降ずっとノーラの右腕に付けられている。
アクランド伯爵家の嫡子の証だが、父が継承魔法を使う前に亡くなった場合に、虹蛇の召喚契約がノーラへ自動で譲渡される腕輪型の魔道具でもある。
アクランド伯爵家だけでなく、他の貴族家、特に高位貴族家では継承魔法で代々引き継いでいる魔法がある家は少なくない。そのため、継承魔法で譲渡する前に不慮の事故等で亡くなり代々継承している魔法が消滅するのを防ぐため開発された魔道具。その家によって魔道具の姿形は異なるが、アクランド伯爵家では蛇型の腕輪となっているのだ。
この腕輪はノーラの存在証明。ノーラは次期アクランド伯爵としてかけがえのない人。それは、ノーラの思い込みなのではなく、他の誰からもそう証明してくれているのがこの腕輪だ。
キャルムはノーラからこの腕輪を取り上げようとしている、かもしれないと、ルカはそう囁く。
10日後の雨乞いの儀式、ノーラは3ヶ月ぶりにキャルムと相まみえる……。




