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04 キャルム (穏やか)



「さっき廊下で青い瞳の令嬢に声をかけられたよ。使用人ではないようだけどノーラの友だち?」


そう問いかけて来たのは銀髪に紫色の瞳の少年。ノーラの1歳上で16歳の婚約者キャルム・ダリモア辺境伯子息。

キャルムは切れ長ですっきりとした目元にすっと通った鼻筋、武を司る家系に相応しく長身の恵まれた体型と、女性に好まれるだろう整った容姿をしている。今日は髪色に似合うグレーのコートとズボンに黒いシャツを合わせ、タイやカフスにはノーラの瞳を思わせる青い宝石を使っている。


対するノーラが着ているのは薄紫色の生地に銀の糸でラベンダー柄の刺繍が入っているドレス。

ノーラはキャルムからの問いにどう答えようか考えながら、とりあえず手に持つ紅茶を一口飲んだ。


アクランド伯爵家タウンハウスで1番広い応接室の、大きな暖炉の魔道具の炎がゆらゆらと揺れキャルムの銀髪とノーラの金髪をオレンジ色に照らしている。


「彼女は母の違う姉なんです。平民として市井で育っていたのですが、母親が亡くなったことでつい10日前に引き取りました。……もしかして、姉が何か失礼をしてしまいましたか?」


先ほど衣装室で盗み聞きしたミリー達の話の通りなら、フィーネは『笑わなければいい』などとキャルムへ言ったはず。本当はそれについてキャルムはどう感じたのかと直接聞きたいが、ミリー達使用人の話しを盗み聞きしていたとは言えないので曖昧にしか聞くことができない。


「んー。いや、大丈夫。失礼なんてなかった、よ。……それより”姉”なことにびっくりだね。正直、ノーラより年下に見えたから」


キャルムは最初に何か言い淀んだが、にっこりと笑って誤魔化されてしまった。

その笑顔が、衣装室でミリーが真似をしていた表情にそっくりで、キャルムのいつもの笑顔が口角が上がっているだけで目は笑ってないことに、今更、気づいてしまった。


「姉は私の一つ上なので、この春から貴族学園に入学します。キャルム様と同学年になりますが、……何かあったら助けてもらえると嬉しいです」


「……わかった。彼女もアクランド伯爵家の一員だし、何よりもノーラに頼まれたら嫌とは言えないしね」


キャルムとフィーネは二人共にノーラより1歳年上の同い年。二人は3ヶ月後に王都にある貴族学園へ入学し、同時期にノーラは領地アクランドへ帰る。


貴族になってからたったの3ヶ月で学園に通うことになったフィーネ。そのそばにノーラはいない。

貴族子女が集う学園でアクランド伯爵家に不利益を与えるような粗相をフィーネがしないか、不安がないと言えば嘘になる。そういう意味で助けて欲しいという意味を込めたお願いだが、キャルムは意図に気づいてくれているだろう。


「ノーラ、いつもより顔色が悪い。ただでさえ忙しいのに、お姉さんを引き取ったことで仕事が増えたのが原因かな。僕に何か手伝えることはない?」


……また、この笑顔。出会った頃のキャルム様はもっと屈託なく笑う人だった。いつからこんな笑い方になったんだろう。ミリーの真似を見るまで気づいていなかった。気づけなかった。


キャルムの笑顔の変貌に気づいたノーラは、それがいつからか思いを馳せる。それは半年前、ノーラとキャルムの間に微妙な空気が流れるようになった時からかもしれないと、そう考えてしまう。


2年前、父の仕事を手伝うようになったばかりのノーラは、13歳には難しすぎる仕事に対していっぱいいっぱいになっていた。思うように処理できないのに、投げ出すことはできず、寝る間も惜しみどうにかして対処するギリギリな日々。

そんな寝不足が続いていた中でのキャルムとの婚約者としての交流の日、疲労を隠しきれなかったノーラの様子を心配したキャルムは今日と同じように『手伝えることはないか』と言ってくれた。


過労により余裕が無くなっていたノーラは、キャルムの言葉に安易に甘えてしまった。

将来キャルムはアクランド伯爵家へ婿入りする。ノーラがしている父の仕事の補佐は、行く行くはキャルムの仕事になるのだから良いだろうと、誰にも相談せず独断でキャルムにアクランド伯爵家の仕事の一部を任せることにしたのだ。


領地アクランドの特産品の一つに羊毛がある。


雨が少ないアクランドの乾燥した気候で育つことで油を多く含んでいる羊の毛は、高級品として確立している。産出量は多くないものの売り上げ額での市場占有率は高く、国外輸出額も高い。

その羊毛産業の一部、領地にある羊牧場・染色工場・製糸工場から提出される経営補助・防災対策・税徴収などの書類の確認をキャルムに任せた。


社交シーズンでノーラと父が王都にいる時期だけ、アクランド領地で働いている官僚達の報告書におかしなところがないかキャルムに確認してもらう。それだけで良いからと任せたその結果、キャルムは十分すぎるくらいに仕事をこなしてくれた。社交シーズンが終わりノーラとキャルムが王都からそれぞれの領地へ帰った後も、郵送で書類のやりとりをすることで引き続きキャルムに任せることになるほど、キャルムの仕事は完璧だった。

わざわざ領地アクランドまで来て、父がアクランドで牧場や工場の監査をする時に監査に同行してくれるほどまで、キャルムは責任を持ってアクランド伯爵家の仕事をしてくれている。


今から半年前、キャルムに仕事を任せるようになってから1年と少し経ちキャルムに仕事を任せて良かったと安堵し感謝していたノーラは、ルカからとある疑惑を投げかけられた……。


アクランドにはアクランドグリーンと名付けられた緑色の高級羊毛がある。


王城の王座の間に敷かれた絨毯にも使われている、深く蒼々とした森を思わせる澄んだ緑色。その濁りのない少し青みがかった緑色は、羊毛へは、アクランドでしか染めることができない。

前アクランド伯爵であるノーラの祖父がその人生をかけてブランディングに尽力し、我が国だけでなく国外を含めアクランド領の独自の羊毛として周知されたアクランドグリーン。


最近市場に出回り始めたものだとルカから手渡されたのは、そのアクランドグリーンに近い緑色の糸。包装に表記されている産地はキャルムの実家、ダリモア辺境伯領だった。


ダリモア産の緑色の糸は少し濁っていて、見るからにパサついていて糸の品質が低いため、高品質で色に濁りがないアクランドグリーンの糸とは区別を付けることができる。でも、倍ほど違う値段に見合った差かと問われると返事に困るだろう。

ダリモア産の新しい緑色の糸は、アクランドグリーンの下位交換・廉価版となり、中ランク以下の商品用途の需要を奪われてしまうことは想像に難くない。


アクランドグリーンに限らず緑色は、藍色と黄色、2色の染料を混ぜて作るために安定して同じ色を量産することが難しい色。特にも、毛を刈り取る季節や羊の年齢によって状態が変わってしまうため安定しない羊毛を緑色に染めるとなるととても難しい。


藍色と黄色の染料を混ぜて作った緑色の染料で糸を染めるのが常識なのだが、アクランドでは先に藍色で染め、藍色に染まった糸を黄色で染める。工程が増え手間は掛かるが、これにより比較的安定して緑色に染めることができている。染料の素材や染める温度など他にも秘訣はあるが、これが1番大きなアクランドグリーンの秘密だろう。


その秘密を手に入れたキャルムがダリモア辺境伯領の染色工場へ漏らしたに違いない、とルカは言った……。


すぐに調べてもらうと、アクランドの染色工場の監査へキャルムも参加した際、キャルムに同行していた彼の従者が緑色の染色方法を知り、『ダリモアでも同じようにして良いか』と父へ聞き、父から許可を得ていた。流石に父もまずいことをしたと後で気づいたのだろう。父は同行していた自分の部下達へ口止めをしていた。

調査員が王都での夜会でキャルムの父ダリモア辺境伯爵に近づき、アクランドグリーンに近いダリモア産の緑色の糸について話題に上げると、機嫌よく『あれは三男が良い仕事をしてくれた』と言ったそうだ……。


アクランド伯爵である父が染色工場の監査の際に染色方法の流出を阻止できず、剰え使用許可までしていた。


父の許可があったため、ダリモア辺境伯家へ新しい緑色の糸の生産をやめろと言うことは出来ない。キャルムを始めダリモア辺境伯側は何の罪も犯していないからだ。

ルカにはキャルムとの婚約を見直すべきだと言われたが、ここでキャルムとの婚約を解消したら違約金を払うのはこちら。緑色の染色方法に加え、婚約解消の違約金も払うとなると損失が大きすぎる。

アクランドグリーンの廉価版の糸を新発売したダリモア辺境伯の子息と婚約解消したら、アクランド伯爵家が社交界で笑い者になることも想像に硬い。


母の実家や母側の親族に頼れば、父の脇の甘さでは乗っ取られてしまう可能性が高い。それに、頼りない父しか親族がいないノーラがキャルムと婚約を解消したならば、婿養子となる新たな婚約者を探し出し契約し、社交界の評判を回復させることまで全てノーラ自身でしないといけなくなる。


このまま、母が選び婚約を結んでくれたキャルムと婚約を継続する方がましだろう。


ノーラは母が亡くなってから、ルカを筆頭にした使用人たちに支えられて父の仕事の補佐をしている。ノーラと1歳しか違わないキャルムだって、従者など使用人の手助けの上でノーラが任せた仕事を処理していたはず。

そのダリモア辺境伯に雇われているキャルムの従者が、ダリモア辺境伯家の利益を一番に考え行動したとして仕方ないこと。将来アクランド伯爵家へ婿入りするキャルムがアクランド伯爵家の利益を一番に考えてくれていれば、キャルムと婚約を続行していても何も問題ない。


そもそも父が舐められていなければこんなことは起きなかった。

キャルムの従者が染色工場内の部外秘の場所へに立ち入ることを止めず、染色方法の使用要望へ安易に返事をし、失敗に気付いた後も取り返す手立てもせず隠蔽した。これら全て父の過失。


つまり、現アクランド伯爵である父の不甲斐なさが伯爵家の外へ知れ渡ることを軽く考え、アクランド伯爵家の内情がダリモア辺境伯家に知られることへの対策をせず、ルカや侍女長などの大人に相談せず独断でキャルムへ仕事を任せてしまったノーラの過失でもある。


キャルムならば、アクランド伯爵家の不利益にならないように上手く立ち回ってくれるはずと信頼し、仕事を任せた。それがノーラの独りよがりな思い込みだった、というだけ……。


せめて『アクランド伯爵が成人前の娘に政務を手伝ってもらっているほどに無能なことは、誰にも、ダリモア家の人にも、バラさないで欲しい』と、ちゃんと言葉にしてキャルムへ伝えないといけなかった。

キャルムなら言わずともわかるだろうと黙っていたのはノーラだ。それなのに裏切られたと問い詰めたとして、キャルムも戸惑うだろう。


ノーラは”大事なことは言葉にして伝えないといけない”という教訓を得るため、それだけのために、祖父が生涯をかけて取り組み確立させたアクランドグリーンのブランド価値と、婚約してからの6年間でキャルムとの間に築いた信頼と穏やかな時間を失くしてしまった……。


ルカに告げ口され、ダリモア産の新しい緑色の糸について知った半年前から、キャルムとノーラの間に流れる空気は変わってしまった。

ノーラがダリモア産の糸について調査をしたことはダリモア辺境伯家側に察知されたはずなのに、キャルムとノーラの間でそのことが話題に上がったことはない。


今も、顔色が悪い、何か手伝うことがないかとキャルムに問われたというのに、どういう意図で言って来たのかと返事もせず長い時間考え込んでしまった。長年の付き合いでキャルムはノーラの遅いテンポに慣れてくれているからか、急かすことなく待ってくれている。


「顔色、悪いですか?自分では気づけなかったです。心配していただいてありがとうございます。羊毛関係の書類だけで充分助かってるんですよ。それに、キャルム様はもうすぐ学園に入学されますし、頼り過ぎないようにしないとと思ってて……」


キャルムへ仕事を渡したすぐ後、珍しくルカから怒られたことを思い出す。これからは、必ず、ルカと話し合ってから決断してほしいと独断について非難されたのだが、ダリモア産の新しい緑色の糸のことを考えるとルカの言い分は正しかったと今は思う。


「僕の一年後にノーラだって学園に入学するじゃないか。学園で学習する範囲はもう終わらせてる。仕事が増えても僕は全然大丈夫だよ。少しでも何かできることがあったらいつでも言ってくれ」


キャルムはお茶会のたびにもっと仕事を任せてくれと要求してくる。半年前まではノーラを心配してくれているのだと嬉しい気持ちになっていたが、今ではノーラを心配する気持ちが本心からなのか疑ってしまうようになってしまった。どうしても、アクランドグリーンのようなことがまた起きてはたまらないと思ってしまう。


キャルムは半年前から新しい馬に乗っているそうだ。


攻撃魔法にも怯まず足が速いらしい立派な芦毛の馬は、明らかにダリモア辺境伯からキャルムへの褒美だろう。その芦毛の馬の情報は調査報告書の最後のページに書いてあっただけ。キャルムとの会話で話題に上がったことはない。


「あぁ、そうだ。紡績工場の話なんだが……」


一見和やかな二人きりのお茶会は、仕事の話がほとんどで、他は当たり障りのない会話だけになってしまった。お互いに本音を言い合っていないような、水面下で腹の探り合いをしているような、そんな白々しさにキャルムは気づいていないのだろうか……。


キャルムに仕事を任せる前、まだ母が存命な頃は、キャルムは読んだ冒険譚の内容について自身の感想や考察を熱く語ってくれていた。それに対するノーラの意見については「ノーラのゆっくりとした話し方だと、のほほんとした穏やかな物語に聞こえてくるからおもしろいね」と言ってくれたのに。


……大事なことは言葉にしないと。


「キャルム様、最近は、どんな本を読みましたか?」


「『教育投資の経済』だね。教育への投資は未来への……」


キャルムは教育の大切さと、それによりもたらされる経済効果について話しをしはじめた。領主教育や父の仕事の補佐のためにノーラも知識がある分野の本ではあるため自分の意見を答える。でも、婚約者との、キャルムとの語らいの時間にまで考えたいことではないと、内心落胆してしまう。


本当なら『もう、冒険譚は読まないんですか?』とか、もっと言えば『腹を割って話しをしたい』と言うべきなのだろう。でも、築き上げた関係が変わってしまいそうな予感から緊張して言うことができない。

”大事なことは言葉にしないといけない”と理解はしている。でも、そのためには途方もない勇気や度胸が必要になる場合もあるのだとノーラは知った。


「そういえば、ノーラのお姉さんの名前は?」


「フィーネと言います」


「”ゼロ”という意味の”ノーラ”に、”終わり”という意味の”フィーネ”か。それなのにノーラの方が妹なのは面白いね。伯爵はどういう考えで名付けたんだろう……」


そんな言葉で、キャルムとのお茶会は終わった。今日もまた、キャルムとちゃんと話が出来なかったと、寝る前にベッドの中で悔やむ結果になってしまった。


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