19 虹蛇 (変化と変容)
10月下旬。
テオドールがアクランド領地に来てノーラの魔力が込められた水晶の探知をしてから1週間が経った。来週末には王城でのアクランド伯爵襲爵の儀式が控えている。
そんなノーラは、今、海岸沿いの道を走る馬車の中。全身を黒い服で覆われたテオドールと護衛のマックスも同乗している。
テオドールの探知の結果、虹蛇の赤ちゃんが持って帰った水晶は我が国のシトリンという子爵領にあると分かった。2つあった水晶の1つはもう魔力を吸い取った後だったが、運良く1つは魔力が込もったままで、狭い範囲の位置まで探知出来ている。
3人を乗せた馬車はそのシトリン子爵領へ向かっている。
虹蛇捜索の旅にテオドールが同行する必要はなかった。不測の事態に陥った際などは知識も力もあるテオドールがいる方が良いだろう。でも、ノーラとテオドールは未婚の男女。特にもノーラにはキャルムという婚約者がいる。
護衛や使用人も同行しているとはいえ、一緒に旅をするべきではない。
だというのに、テオドールは今回の旅にどうしても付いて行きたいと言い出し、自分が探知して場所を特定できたことを理由に国王へわがままを通し、護衛のマックスを連れてノーラへ同行することが決まってしまった。
レオポルドもテオドールと同じように行きたいと言ったようだが、許可が降りなかったとのこと。前回テオドールを連れてアクランド伯爵家のタウンハウスへ来たことへの信用回復がまだなため、こっそり抜け出すことは諦めたと悔しがる手紙がノーラの元へ届いた。
シトリン子爵領は我が王国の最北東で海に面していて、王国の南西に位置するアクランドとは王都を挟んで反対側。テオドールが探知した位置を地図で調べると、そこは大きな森の奥にある海岸に生じた急ながけ、海食崖だった。
王国の南西にあるアクランドから最北東シトリン子爵領まではほぼ王国を横断することになる。
それでも、隣の領地ケラハーの転送ゲートで一旦王都へ行き、王都にある違う転送ゲートでシトリン子爵領の隣の領地へ行く。そこから馬車で半日。
ノーラは王都の転送ゲートで今日の朝早くにテオドールと待ち合わせしていたために昨日から王都へ移動していたが、本来は1日で行くことができる場所。
転送ゲートがなければアクランドから王都まで馬車で片道1週間かかる。もしも転送ゲートなしでアクランドからシトリン子爵領へ馬車だけで行くことになっていたら、どれくらいの時間がかかっていたのか。120年前の虹蛇を探す旅はどれほど大変だったのだろうか……。改めて、転送ゲートを発明したテオドールのすごさをノーラは知る。
3人を乗せた馬車は、もうすぐシトリン子爵領に入るところ。道中の天気はずっと雨。テオドールの呪いのせいで雨雲がついてきているようだ。
「いや、俺もフィーネ嬢からけっこう声かけられたんだ。けど、また母上の罠だ!って思って聞き流してたんだよ。無視してた俺すごくない?……まぁ、本当にすごいのは母上か。俺の母上、騎士は女で身を滅ぼす奴が多いから慣れとけって、俺ら兄弟が小さい頃から変な女を寄越しててさ、俺らが本気になると女の子たちは母上にお金を貰って演技してただけって種明かしして去ってく。地味に傷つく!」
馬車の中でフィーネの話題になり、マックスがフィーネについての印象を語っている。マックスは貴族学園へ通う第二王子ウィリアムの護衛をしていたためにフィーネとの関わりがあったようだ。
マックスは幼い頃からお喋りが好きだった。会話のテンポが遅いノーラはマックスと話していると自然と聞き役になってしまうし、テオドールはマックスの話に興味がないのか返事をせずにずっと窓の外を眺めている。馬車の中はマックスの独壇場だ。
「すごい色気ある“いかにも”って感じの子が来て、それを回避した後にほっとしてたら“この子は絶対違うだろ”って感じの地味で素朴な子が来たことがあったけど、実は両方とも母上からの刺客だったんだ。俺、まんまと地味な子の方にハマってさ。フィーネ嬢は、その、母上が寄越した地味な子に雰囲気がそっくりだったんだよなー」
マックスはうんうん言っているが、ケラハー辺境伯夫人の苦労が偲ばれる。そのおかげで、マックスはフィーネの毒牙から逃れたのだからよかったのだろうか。続くマックスの話の下衆さに、幼いレオポルドがいない時でよかったと心から思った。
「あと、ウィル殿下のフィーネ嬢のあしらい方が雑すぎて、もしかしたら托卵かなって予想してた。ウィル殿下って割とわかりやすいからさ。俺だけじゃなくて、殿下の側近たちも空気読んで徐々に離れてた気がする。……でも、逆にライリーの弟だけはだんだんとフィーネ嬢にベッタリになってったけど。って、ライリーの弟はノーラの婚約者か!ごめん!」
ノーラは苦笑いしか返せない。
キャルムとフィーネが貴族学園や夏季休業の間に親しくしていた事実は、たくさんの人から手紙で知らされていた。その手紙を根拠にダリモア辺境伯へ穏便な婚約解消を交渉してみたのだが、当時のフィーネはアクランド伯爵令嬢だったためにアクランド伯爵家にも責任があることと、現在ノーラがテオドールと異性として度を超えた交流をしていると反論されて、婚約解消の話は流されてしまった。もっと決定的な証拠がないと、キャルムとは婚約解消することはできない。
そんなキャルムとは父の葬儀以来会っていない。
ノーラがキャルムの手を払ってしまってから減っていた手紙は、フィーネの失踪から前のように週に1通ほど手紙が届くように戻った。
でも、ノーラはそんなキャルムに合わせたペースで返事をすることを辞めてしまった。まるで立場が逆転したかのように、今度はノーラからの手紙の頻度が減っている。
婚約を解消したいと思っている相手へ、何をどう綴ったらよいかわからないのだ。
「それにしても、アクランドは草原ばっかでびっくりしたけど、それ以上の田舎があったんだね。考えてみたら牧草地って人の手が入ってるのか。この辺はそのまんまの自然って感じ」
マックスの話が少し滞ったと思ったら、さりげなくテオドールが失礼な発言をした。
テオドールが人生で初めて転送ゲートを使って降り立った地はケラハーだ。
基本的に転送ゲートがある領は栄えていて、ケラハーももちろん地方都市として栄えてる。とはいえ、王都に比べたら格段にのどかだ。きっとテオドールは王都とケラハーを比べ、そのケラハーとアクランドを比べ、アクランドを相当な田舎だと受け止めていたのだろう。
それなのに、ここシトリン子爵領はアクランドよりずっと自然豊かな片田舎でテオドールは純粋に驚いているようだ。
この辺りは山がすぐそばまで迫った港町が多い。馬車で通りがかる集落は山の斜面に階段状に建物が作られていて、坂道や階段が多く、建物の裏はすぐに森となっている。海に面した山の斜面に住むにはこうするしかない。
今から行くのはシトリン子爵領の中で最も栄ている、シトリン子爵の屋敷がある城下町。地図で見る限りシトリン子爵領地の中では一番広い平地になっていて、大きな港もある。その城下町の宿で今夜は一泊し、明日の朝からは船に乗ってノーラの魔力を探知できた海食崖まで海から向かう予定だ。
「田舎どうこうより、まだ10月末なのにすっごい寒いですよ。実家の真冬並みです。この雨、雪になるんじゃないの?南育ちの俺らには厳しい寒さだよ、なっノーラ」
確かに寒いは寒い。でも、ノーラは事前にこの地域の平均気温を調べ、冬用の服を着ているので大丈夫だ。見たところテオドールも分厚い布の黒いマントを羽織っている。
冬用の防寒マントを持って行けと上司に言われていたのに忘れたのだと、馬車に乗ってすぐの時に言っていたマックスには辛い寒さだろう。
ノーラは「確かに寒いですね」と言おうとしたが、マックスは鈍いノーラの返事を待たずにまた喋り出してしまった。
「それにしても、虹蛇は気温が全然違うくらいの、こんな遠い所からアクランドに来てくれてたのか。そう思うと感動するなー。俺、子供の頃からアクランドの雨乞いすごい好きだったんだよ。虹蛇、超カッコいいじゃん!一回戦ってみたい!」
確かに、考えてみると虹蛇は王国の最北東から王国の南西まで雨を降らすために来てくれていたのだ。この寒さにその遥かな距離を実感し、マックスの言葉に思わず共感してしまう。
マックスはテオドールに虹蛇のどこがカッコいいのか聞かれ、今は一生懸命に虹蛇のかっこいい所を答えている。
「俺は仕事の出張だから王国からお金が出てるけど、ノーラは自腹だろ?転送ゲート乗り継ぎと馬車代と宿代と、しかも使用人とかの分までって考えると結構な出費だよな。まぁ領民全員の水を購入するって考えたら微々たるもんだけどさ。マジでノーラの父ってって呆れるよ。人の父親に対して言うことじゃないな、ごめん!」
マックス以外の護衛や侍女などの使用人たちはノーラたちが乗る馬車とは別の馬車で追走している。その者たちの分もとなると、マックスの言う通り旅費はすごく高額だ。けれども、マックスが呆れた父の事故の賠償金よりは少ない額で収まっている。
「旅費はその父の賠償金で賄える額です。でも、もしもテオドール殿下の魔力探知がなく、闇雲に探すことになっていれば足りなかったでしょう。改めてテオドール殿下には感謝しかございません。ありがとうございます」
「いや、別にノーラのためにしたことじゃないから、感謝しなくてもいいよ。……でも、平民の商家からしたら潰れそうな額だよね」
父の事故を起こした馬車の持ち主の商家は、事故を確認してすぐにお店を売却し、アクランド伯爵家と家令の家に充分な賠償金を払った。
あの事故の原因は、調査結果を読む限り、亡くなった御者が荷物を届けるのに何度も往復するのを煩わしく思って独断で行なった過積載だったようだ。
ノーラは個人的に気になって、商家のその後をコナーに調べてもらった。
商家は事故の原因となった御者の残された家族に対して、訴えるどころか主人が亡くなって困るだろうとまとまったお金を与えていて、そのために王都の自宅まで売却していたそうだ。
コナーから調査結果を聞いたノーラは、たまらず、アクランドで起業するのならお店と家を格安で提供するし、その支払いはいつになってもかまわないと声をかけてもらった。
王都から辺鄙な田舎のアクランドに行くのは商家にとって何の得もないのかもしれない。でも、全ての困っている人に満遍なく施しをすることはできないし、立場上、特定の人にだけ過剰な援助もできない。ノーラがその商家へできる手助けはこれくらいしかなかったのだ。
事故から約1ヶ月経った今、商家一家はアクランドで生活を始め、お店を開く準備をしている。
そう、ノーラが語り終わるのをテオドールとマックスは合いの手も入れずに聞いてくれた。
「商家にとっては良かったんじゃない?昔からノーラは優しいよなー」
マックスのその言葉に、ノーラは父の言葉を思い出し思わずビクリと身を固くしてしまった。それに気づいたのだろうテオドールから声をかけられる。
「ノーラは“優しい”って言われたくないの?」
「昔から父に言われてたんです。“ノーラは優しいから”って。だから、本当は優しくなんかないのに、優しくしなきゃって思ってただけで……本当の私は全然優しくないんですよ」
ヴェールのせいでテオドールの顔は見えない。もしもテオドールの呆れた顔を見てしまったら、きっと立ち直れないほどの傷を負っていた気がするから、ヴェールがあって良かったと思う。
「本当は優しくなくったって別に良いんじゃない?……良かれと思ってやったことが相手のためにならなかったとか何度もあるし、逆に、優しくしたつもりもない行動が誰かのためになってたりすることもある。僕が虹蛇が持ってる水晶を探知したのは、本当に、ノーラのためじゃなかったんだ。でも。さっきノーラは僕に感謝してくれただろ?そもそも、その水晶に魔力を込めたのは、ノーラ曰く、父親に顧みられたかったための偽りの優しさからだったんでしょ?……つまり、ものごとの結果は誰にも予測できないってこと。優しくしてもいいし、優しくするのをやめたっていい。ノーラの好きにしたらいいんだ」
父、ルカ、キャルム。大切だと思っていた人たちにおざなりに扱われ、ノーラよりフィーネを選ぶことでなおざりにされ、カラっからに乾ききっていたノーラの心。そこへぽたり、ぽとりとテオドールの言葉が沁みていく。
きっと、その言葉の内容通り、テオドールは会話の流れで何気なく思ったことを言っただけだろう。テオドールにノーラを慰めるつもりがなかったとしても、テオドールの言葉はノーラを癒してくれたのだ。
ノーラは“優しさ”の呪縛から解放されたのを感じた。
ヴェールのせいでテオドールの顔は見えない。もしもテオドールがどんな表情をしていたとしても、きっとノーラは見ほれてしまった気がするから、ヴェールがあって良かったと思う。
ノーラが一人感動し、しみじみとしているその横で、マックスは気にせず違う話を始めてしまった。テオドールとマックスにとっては世間話にもならないような会話で、まさかノーラの心が救われているなどと思いもしなかったのだろう。でも、マックスが気づかなかったことで変に静かな時間が過ぎることがなくなって良かったと思う。
マックスはいい感じだと思っていた王城の女官に「思ってたのと違う」と言われてフラれたのだと悲しそうに話している。
確かに、強い騎士といえば寡黙で冷静な印象がある。マックスは黙ってじっとしていれば顔が整っていると分かるし、仕事内容や護衛対象によってはちゃんと口を噤むこともできる。
そんな仕事中のマックスしか見たことがなければ、よく喋り、落ち着きがなくじっとしていられない本性を知って、がっかりしてしまう女性はいるだろう。でも、そんなマックスを受け入れてくれる女性も必ずいるはずだからと、ノーラは心配していない。
だって、この長い馬車の旅はマックスのおかげで和やかで楽しい。マックスはその場を明るくしてくれる才能があるのだ。
ミリーと気が合いそうだなと思うも、安直な考えだし、二人が揃って一緒にいたら眩しすぎるような気もする。二人が自然に出会って仲良くなってくれたら良いなとノーラは思う。
「着いたようだね。長かったな。マックスも口が疲れただろ」
「全然です!それより早く外に出て動きたいです!寒くて体がかたい!」
いつの間にかシトリン子爵領で一番栄えている城下町に到着したようだ。
馬車の窓からは山の裾野の中心にシトリン子爵の屋敷だろう大きな建物と、その屋敷を囲むように広がった城下町と、無数の小さな船と数隻の大きな船が停船している港が確認できる。
転送ゲートで王都を発ってから半日。雨のせいで辺りは薄暗いが、まだ夕方だ。
城下町を区切る門を通ってすぐの広場で、馬車は止まった。早馬で先に来て、皆の宿を手配しているはずの使用人と合流する。ここから町の中心へは徒歩の方が良いだろう。
まずマックスが馬車を降り、ノーラの傘を広げた。マックスのエスコートでノーラが降り傘を受けとる。そして、マックスは大きな黒いテオドールの傘を広げ、一番高貴なテオドールが一番最後に馬車を出てくる。
テオドールが馬車を降りるために、一歩、足を出した。
馬車は転送ゲートのある領で調達した現地の馬車だ。それでも、簡易的なために力は弱いが、呪いから守る魔法陣を施した。そして、マックスが手に持っている黒い傘は呪いから守る魔法陣が黒い糸で刺繍されたテオドール専用のもの。
その、馬車から傘へと入る間。そのほんの少しの隙間。テオドールから大きな魔法が放たれたのを感じた。
「やっぱりか。マックス、警戒しないでいい。これは呪いの波動だよ。…………来る」
テオドールが呟いてすぐ、雨雲がうごめき、雨が強くなり、雷が鳴り出す。外を歩いていた人たちは周囲の建物へと吸い込まれるように入っていき、あたりに人はいなくなった。突然の夕立、集中豪雨のようなものだと思っているのだろう。
なぜか雨に当たるのも厭わず傘を下げて天を仰ぎ見ているテオドールに、ノーラ達一行はその場を動けない。雨で濡れたヴェールが鬱陶しかったのか、テオドールはヴェールを外し素顔を晒してしまった。
「虹蛇……」
雨雲が割れ太陽の光が差し込み、ノーラたちの周囲だけ雨が止む。その雲と雲の間の晴れ間、その空の中心に、こちらを睨む虹蛇がいた。
いつもアクランド領で召喚している虹蛇よりもずっと小さい。でも、夏の雨乞いでぬいぐるみを持って帰った虹蛇の赤ちゃんよりは少しばかり大きい。この4ヶ月で赤ちゃんが成長したのだろうかと思うも、肉付きが著しく悪く鱗はくすんでいて虹色の反射が鈍い。違う個体だと思いたい。
はじめて虹蛇を見た人たちは、この姿でも圧倒的な存在だと畏怖するだろう。
それでも、生まれた時から雨乞いのたびに虹蛇を見てきたノーラには分かる。この虹蛇はおかしい。成体にしては小さく、細く、貧相で、とても弱っている……。見ているだけで悲しく切なくなってしまう。
ノーラはテオドールやレオポルドと虹蛇に会うための方法を相談していた。考えたのは虹蛇の住処の近くでノーラが魔力を放出し、アクランド伯爵家の魔力につられて虹蛇が出てくるのを待とうという、おびき出し作戦。魔力量が多いノーラならばこれが一番効率が良いと、王族二人に言ってもらえた方法だ。
でも、今、ノーラは魔力の放出などしていない。この虹蛇はなぜ出てきたのかというと、テオドールが関係しているのだ。きっとその呪いが。
「逆鱗がない。……やはりか」
テオドールがそう呟くと、虹蛇からシューシューと威嚇音が聞こえてきた。口を開け牙を剥き、見開いた金瞳でテオドールを見つめている。虹蛇の金瞳を見つめ返すテオドールも金瞳だ。
マックスが帯剣している剣に手をかけたのに気づき、思わずノーラはテオドールと虹蛇の間に飛び出て、両手を広げ魔力を放出した。
その途端、虹蛇がテオドールではなくノーラの方に興味を向けた。と同時、雲の隙間から小さな虹蛇が飛び込んできた。4ヶ月前とほぼ変わらない大きさ。あの虹蛇の赤ちゃんだ。
そして、雲の隙間から見えるのは、雲の向こう側を大きな虹蛇、おそらくこれまで召喚契約していた虹蛇が飛んでいる姿。
「ごめんね。自分の逆鱗の気配がして飛んできたんだよね。ここに君の逆鱗はないんだ。……僕を呪った人が、君の逆鱗を使ったみたい。20年前にも虹蛇の子供が生まれてたってノーラから聞いた時、怪しいと思ったんだよ。僕の呪いは19年前にかけられたからさ。……ここに来て良かった」
テオドールのその言葉で、最初に現れた虹蛇から怒りが消えていくのが分かる。
聖獣は人間の言葉を理解できる。向こうから話しかけてくることは稀だが意思の疎通はでき、そのおかげで人間は聖獣と召喚契約を結べるのだと習った。その教えは正しかったようだ。
虹蛇たち3柱はゆっくりと空から降りてきて、地面に体を付けた。子供達2柱はノーラの周りにきて明らかに魔力を吸い込んでいる。敵意は感じない。
虹蛇を含む一部の聖獣にとって、アクランド伯爵家直系の人間の魔力は嗜好品のようなものらしい。人間にとってのお酒やタバコやおやつと同じ。そこから栄養や力を得ることはないのだが、ただ味が好きという理由で好まれていると教わった。とはいえ、弱々しい虹蛇の子供の様子に、ノーラの魔力で少しでも元気になってくれればいいなと思う。
その痩せ細っている虹蛇の顎のあたりを見ると、大きな傷跡があった。そして、本来そこにあるべき逆鱗が、ない。
「逆鱗がない君、ノーラの魔力は美味しいだろ。君がノーラと召喚契約を結んでくれないかな。そうしたら、逆鱗を取り戻せると誓おう」
テオドールはノーラに相談もなく逆鱗がない虹蛇に語りかけている。
この虹蛇の逆鱗がテオドールの言う通り呪いに使われているというのなら、その逆鱗を取り戻すということは、呪いをかけた人と対峙するということ。
馬車の中でテオドールが『虹蛇が持ってる水晶を探知したのは、本当に、ノーラのためじゃなかった』と言った意味を理解する。テオドールは自身の呪いが関係していると、水晶の探知をした時に予想していたのだろう。
テオドールへ呪いをかけたのは、どう考えても、この王国の中枢にいる人。アクランド伯爵となるノーラが対峙して良い相手ではない。
でも、これまでずっとアクランドへ雨をもたらしてくれていた虹蛇が、いつも心が震えるほどの神々しさだった虹蛇が、弱って、困っている。
そして、テオドールはダリモア辺境伯に乗っ取られそうになってたのを助けてくれた。アクランド伯爵家で生贄の事実が伝承されなかった意味を推測し教えてくれた。魔力探知と転送ゲートでこうして虹蛇のいる場所まで導いてくれた。優しさの呪縛から解き放ってくれた。
そのテオドールが決めたことなら……大丈夫。
雲の合間から日が沈み淡い赤黄色に染まった光が差し込んできた。周囲の雨の雫でキラキラと輝いて見える。テオドールと初めて出会った時の夕方のお天気雨を思わせる。
「私と、召喚契約を結んでください!」
ノーラは逆鱗がない虹蛇の前に立ち、己の右腕を差し出した。
右腕に付けられた二重の腕輪。アクランド伯爵当主の腕輪と次期アクランド伯爵の腕輪の二本。ノーラが召喚契約を結ぶ魔法を発動すると、当主の腕輪の蛇の目透明な水晶が光り出し、ノーラと虹蛇を青い光が包み込む。
しばらくして光が腕輪の水晶へと吸い込まれ、当主の腕輪の蛇の目が青くなった。
無事、虹蛇との召喚契約は完了した。
でも、この虹蛇では満足にアクランドへ雨を降らすことはできない。本能で分かる。12月の冬の雨乞いまでに逆鱗を取り戻し、元気になってもらわないといけない。
そして、19年間も素肌を隠し行動を制限されていたテオドールに、好きな服を着て、のびのびと青空の下を歩いてもらいたい。
来週末に控えたアクランド伯爵襲爵の儀式の日。王族はもちろんこの国の貴族家当主などこの王国を担う全ての人が王城へ集結する日。
テオドールに言われなくても分かる。儀式の日が勝負の時なのだ。
爬虫類は子育てしないんですが、ここは知能の高い聖獣だから特別ってことで許してください。
虹蛇の赤ちゃんはショートケーキのイチゴを真っ先に食べるタイプ、逆鱗がない方の虹蛇は取っておくタイプでした。巣にいる病弱なお兄ちゃん(お姉ちゃんかも)にも美味しい魔力を分けてあげたいからとぬいぐるみを持って帰った可愛い赤ちゃんです。




