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13 カラス (死)


雨乞いの儀式翌日に父とフィーネとキャルムは王都へと帰っていった。

その後、キャルムとフィーネは学園の夏季休業を王都で過ごし、父もフィーネのいる王都にいる。ノーラがいるアクランド領には来ない。そして、相変わらず父とフィーネからノーラへの手紙はない。


キャルムとは手を振り払ったきり、気まずい別れ方となってしまった。以前は週に1通は届いていたキャルムからの手紙は、雨乞いの後に届いたのは2ヶ月でたった2通だけ。それも、仕事の報告についての内容しか書かれていなかった。


年末12月20日には冬の雨乞いがあり、年始に社交シーズンが始まる。ノーラは例年通り冬の雨乞いが終わった年末に王都へ行き、そのまま来年の4月に貴族学園へ入学する予定。

フィーネの将来、キャルムとフィーネの醜聞への対処、ノーラとキャルムの婚約継続については、皆が集う社交シーズン中の王都で改めて話し合うことになっている。


今は雨乞いから2ヶ月が過ぎた今は9月の半ば。アクランドでは特産物ピスタチオの収穫時期に入り、王都では貴族学園の夏季休業が終わりもう学園の新学期が始まっている。


ノーラは巨大水晶へ魔力を込める午後一番の日課を済まし、一人、屋敷の自室で書類の確認をしている。ルカは緊急の書類へ父のサインをもらうため、昨日から王都へ出張していている。


喉の渇きを感じたノーラは、控え室にいる侍女にお茶を頼もうと顔を上げた。

9月のアクランドはまだ暑い。風が通るようにと開け放していた窓から部屋の中へいつの間にか入っていたのだろう。ノーラの座っている机の、その上に積み重ねた書類の、その上に重しの代わりに置いていた辞書の、その上に、いつの間にかカラスがとまっていた。


そのカラスと目が合う。


「きゃっ」


驚いたノーラの叫び声を聞き入室してきた護衛騎士によって、カラスは近くの窓から追い出された。部屋を出て行ったカラスは窓の直ぐ近くに生えたザクロの木に留まり、今だにこちらを見つめている。


黒い羽は艶やかで美しく、虹彩の鮮やかな青色も印象深い。カラスに対する嫌悪感はない。それなのにノーラの心は激しく波立ち落ち着かない。


『カラスが家に入ってくる時、身近な人の死が近い』


我が王国にはそんなジンクスがあるのだ。

古くから唱えられているジンクスだが明確な根拠などない。気にする必要はないと、ノーラは不吉な予感を無視し、悲鳴によって控え室から出てきていた侍女にお茶を頼んだ。


ゆっくりと香り高い紅茶を飲み、一呼吸置き心を落ち着かせる。ただのジンクスにこんなにも心乱されるのは仕事を詰め込みすぎているせいに違いないと、しばし休憩を取ることにした。

書類を置き紅茶を飲んでいるノーラの元へ、いつになく慌てた様子の侍女長が駆けつけてきた。入室前のノックはしたもののリズムは乱れていて、ノーラの返事を待たずに飛び込んできた侍女長は、呻くように声を荒げた。


「ノーラ様っ!旦那様を乗せた馬車が事故にあったと、魔法略号が!」


魔法略号とは、事前に登録されている単語を使った簡単な文章を遠方と通信できる緊急連絡用の魔道具。国内各地の重要な施設にあるが、アクランド伯爵家の屋敷にももちろんある。


ノーラの持っていたティーカップが手から滑り落ち、書類に茶色いシミが広がっていく。


……私は次期アクランド伯爵。守るべき民の前で狼狽えてはいけない。感情を隠すことは貴族の基本。落ち着いて今やるべきことを考えないと。……私のことを守ってくれる人はいないのだから。


「すぐに王都へ行くわ。転送ゲートまでは馬車じゃなくて騎乗の方がいいわね。乗馬できる服と馬を用意してちょうだい。……グレース、私が留守の間、屋敷とアクランドをあなたに任せます」


グレースとは侍女長のこと。ノーラは信頼している侍女長に領地を任せることにした。


「分を超えた行い、お許しください」


次の瞬間、ノーラは侍女長の柔らかな身体に包まれていた。ふわりと香水とは違う石鹸の香りがする。

侍女長は椅子に座るノーラの頭を抱きしめ、まるで赤子にするようにトントンとノーラの背中を優しく叩く。


「あなたの優しさ、真面目さ、愛情の深さを、アクランドの民は皆知っております。少なくとも、確実に、私はあなたの味方ですし、エイダ様も空から見守ってくれています。ノーラ様は独りじゃない。それを忘れないで。……道中、お気をつけて」


普段は私語なく仕事をこなし、謹直で堅実。堅物とまで言われているような侍女長が主人に抱きつくなどありえない。ノーラの寄る辺のない気持ちを察し、ルールに反してまで励ましてくれたのだ。

侍女長のぬくもりに、かつての、まだ母を慕っていた幼い頃の母との触れ合いを思い出す。ノーラは侍女長の胸に顔をよせ、溢れてくる涙を隠した。


突然の凶報で恐怖と重圧に押しつぶされそうになっていたノーラの心は、侍女長のおかげで少しだけ冷静さを取り戻した。


-----


騎乗で向かった隣の領地の転送ゲートを使い王都に着いたノーラは、真っ直ぐに父が運ばれた病院へ向かう。

馬車の中で簡素な普段着へ着替えながら、王都の転送ゲートでノーラを待っていた侍女から事故の詳細を聞いた。


父を乗せた馬車は下りの坂道を走っていた。交差点の停止位置で停車したところへ、規定以上の荷物を載せていた商家の馬車が後ろから突っ込んできたそうだ。父と家令と両馬車の御者、4人が大怪我を負い、王都で一番大きな王立病院へ運び込まれたのが、今から3時間前のこと。


馬車へは守りの魔法が施されているため、軽い衝撃ならば吸収される。守りの魔法が効かないほど大きな衝撃があったということ。商家の馬車はどれだけ重たい荷物を運んでいたのだろうかと思うと同時に、商家を憂いてしまう。貴族の当主と家令を怪我させたのだ。きっと賠償で潰れてしまうだろう。


4人は緊急で手当てを受けたが、商家馬車の御者と家令は亡くなってしまった。アクランド伯爵家馬車の御者と父の命も風前の灯火だと、最悪を覚悟してほしいと、言われている状況。今は夕方で、帰宅のための馬車が多い時間帯。早く病院へと気持ちは焦っているのに、馬車は中々進まない。


家令の家族に連絡はしてるのかとルカへ確認しようとしたノーラは、王都の転送ゲートへルカが来ていなかった不自然さに気づく。ルカがこの場にいないことに、ノーラは言いようのない胸騒ぎを覚えた。


-----


病院へ着くと、手術が終わるのを待つようにと貴族用の病室へ案内された。


通された病室には、ぽろぽろと雨粒のような涙を流しながら長椅子に座っているフィーネと、その隣に座りフィーネの震える背中を撫でているキャルムと、従者や侍女といった使用人達。その中にルカもいた。


皆は入室してきたノーラを見る。


フィーネはすぐに顔を背け、キャルムはフィーネの背中を撫でていた手を離す。使用人達はノーラへ一礼し、そして、ルカはいつもの定位置、ノーラのすぐ後ろへと立った。

ルカの顔を見れただけで、ノーラの不安な気持ちは和らぐ。


「パパ!」


ノーラがフィーネ達が座っているのとは別の長椅子へ座ったと同時、父と、父が寝ている可動式ベッドを押している病院関係者が入室してきたため、ノーラはまた立ち上がる。フィーネが父の枕元へ駆け寄り声をかけたが、父の目は閉じたままだ。


「外傷の治療は完了しました。……見た目には治っているように見えますが、伯爵はもう魔力を生み出すことができません。重症だったため、血肉の再生に患者本人の魔力が大量に必要でした。アクランド伯爵は魔力量が多い方ですが、それでも命をつなぐには足りなかった。力及ばず申し訳ございません。……残っている魔力が尽きた時、伯爵の命も尽きます。もってあと数時間だと思います」


医者の説明に耳を傾けながら、ノーラは父を見る。露出している顔や肩、腕などに傷跡はないが、その肌はゾッとするほどに青白い。

父を見下ろすことなど初めてかもしれない。父はこんなに小さかっただろうか。


病室にフィーネがすすり泣く声だけが響く……。


そのまま父を見つめ、どれくらいの時がすぎただろうか。動かない頭では一瞬にも永遠にも感じ時間が分からなかったが、少なくとも”数時間”は経っていない。


父のまつ毛がピクリと震えた。


「お父様?」


泣いていたフィーネより先、父が意識を取り戻したことにノーラは気づいた。ノーラはすぐに枕元へ駆け寄り父の手を取ったが、父の青い瞳はノーラの方を見ることなく、声も上げず、天井を見つめたまま動かない。


「パパ!」


フィーネがノーラの横へ並び父に呼びかけると、父は弱々しくも確かにノーラの手を払い、フィーネの方へとその手を伸ばした。


「フィーの手はあたたかいね……」


……こんな時まで。いや、違う。こんな時だからこそお父様は私を選ばない。……手を払われるって、とても、とても辛いわ。私はキャルム様にこんなひどいことをしたのね。


これが父との最期になる。

何か言わなきゃと思うが、ノーラの頭に浮かんでくるのは『私を愛して欲しかった』『どうして私を見てくれなかった』『私のことをどう思っている』といった、自分のことばかり。


父にはもう時間がない。ノーラへの思いを吐露させるよりも、父が愛するフィーネとなるべく長く触れ合わせてあげよう。ノーラは父へ問い詰めたい気持ちをぐっと堪え、父を見守る。


『アクランドやフィーネのことは私に任せて、安心して』と言いかけるも、この場では『お前はもう死ぬのだ』と伝えることになってしまうと思い至り、最期の最期、父が息を引き取る直前まで黙っていることにした。


そんなノーラの気遣いをフィーネの言葉が無に帰す。


「パパ、死んじゃやだよ。パパが死んじゃったら私はどうなるの?」


フィーネの言葉に動揺した父が咳き込み、血を吐いた。慌てた医者が父の血を拭ったあとにフィーネへ「なるべく興奮させないで」と注意するも、フィーネは大粒の涙を流したまま父を見つめて返事をしない。


「フィー、右腕を出して」


父は右腕につけていた腕輪、1匹の蛇が自分の尾を食べている姿をした銀の腕輪を外し、フィーネの右腕に付けようとしている。

ノーラの右腕にも同じ蛇の腕輪がつけられているが、蛇の目に使われている水晶の色が違う。当主の腕輪は青の、次期当主の腕輪は透明の水晶が付いている。


父がフィーネへ付けようとしている腕輪は、青い水晶が付いた、アクランド伯爵当主の証となる腕輪。


「お父様、それは当主が付ける腕輪です!」


「次のアクランド伯爵はフィーネとする。これは、アクランド伯爵である私の決定だ」


父の無責任で身勝手な横暴を止めるため、ノーラは阻止しようと立ち上がった。が、突然、後ろに立っていたルカに肩を掴まれてしまった。ルカはそのまま後退し、父とフィーネからノーラを引き離す。


「ノーラ様。アクランド伯爵ご本人の決定です。逆らうなどいけません」


……ルカは、ルカは私の味方ではないの?!


フィーネが後を継ぐなど、ありえない。ノーラの長年の努力や尽力が無駄になることを憂いて言っているのではない。フィーネには知識も、経験も、人脈も、魔力量も、何もない。そんな人の肩に、アクランドの民の生活を乗せてはいけない。


離してほしいとルカへ伝えるも、捨てられた犬を見ているような哀れみの眼差しを向けられてしまった。


……これは誰だ。本当に私の知っているルカなの?


ノーラはルカのことを何もわかっていなかったのかもしれない。ただ、今はそんなことを考えている場合ではない。はやくどうにかしないと。

ノーラの内心は嵐のように吹き荒れている。


気づけば、父の手によってフィーネの右腕にアクランド伯爵当主の腕輪が付けられていた。あとは継承魔法だけ。虹蛇の召喚契約を継承魔法でフィーネへ譲渡したら、フィーネがアクランド伯爵になってしまう。


「お父様!魔法を発動したら、お父様の命が尽きてしまいます!お姉様!お姉様もお父様を止めてください!」


魔法を使えば、父の残りの時間は短くなるではないか。父を止められるのはフィーネだけだ。フィーネが「伯爵になどなりたくない」と言えば、きっと考えなしの父は止められる。

それなのにフィーネはオドオドと体を震わせているだけで、結果的に父の行動を受けて入れている。


助けてほしいとキャルムを見るが、困惑の表情でベッドから距離を取っていた。狼狽える使用人達と同じ位置でこちらを見ている、だけ。

キャルムは婚約者。まだ他人。他家のお家騒動には傍観者の立場を取るしかない。頭では理解できるが、気持ちとしては助けて欲しかった……。


焦るノーラを残し、事態は進んでいく。


「これで、フィーはキャルムくんと結ばれることができるよ。……ノーラは優しいからね、伯爵になったフィーを助けてくれる。大丈夫」


そう言って、父は継承魔法を発動した。フィーネの右手に付けられた腕輪の蛇の瞳の青い水晶が光る。継承魔法が発動した光を見つめながら、ノーラは抵抗をやめた。


たとえこの場でフィーネがアクランド伯爵となったとしても、父の死後にフィーネからノーラへ爵位を譲って貰えば問題はないと気づいたのだ。

幼い頃からアクランド伯爵となるためにと生きてきたノーラのこれまでの人生を無に帰し、アクランド伯爵になるはずだったノーラのこれからの人生を奪うことも厭わないほど、父は、ノーラのことをなおざりにしている。この父の暴走は、父からノーラへの思いが明らかになり、父の死が少し早まっただけ、それだけのこと。


父を止めることを諦めたノーラが見つめていた青い光は、青い煙となり、水晶の外へと漏れ、フィーネの右腕に付けられた腕輪の水晶は透明になった。


ノーラが2歳で見た祖父から父への継承魔法の時は、青い光はしばらくして収まり、青い水晶となったのを覚えている。だが、今フィーネの手に付けられた腕輪の水晶の色は何度見ても透明だ。青ではない。

そして、120年前に血が繋がっていなかった不義の子へ継承魔法を使った時のことをアクランド伯爵家の家史では「青い光は青い煙となり、腕輪の水晶は透明となった」と書かれていたことを思い出す。


父からフィーネへの継承魔法は失敗した。虹蛇との召喚契約は消滅してしまったのだ……。





父親へのざまぁ(というよりも自業自得)まで書こうと思っていたのですが、思ったよりも文字数が多くなり次話になってしまいました。

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おっとこれは父にとって一番残酷なザマァの予感しかしない
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