12 緑色 (嫉妬)
今日は7月9日。雨乞いの儀式前日。
午後になり父とフィーネとキャルムの3人を乗せた馬車がアクランド領地の屋敷へ到着した。
ノーラが3人に会うのは約3ヶ月ぶり。馬車から降りてきた父は今日までアクランドへ帰ってこなかったことをノーラへ謝り、領地を1人で切り盛りしていたことを褒めてくれた。
でも、父がノーラへ笑顔を向けたのはその一瞬だけ。すぐにノーラからフィーネへ意識を戻したことを、口で話す以上に目線で語っていた。
父は屋敷へ到着してすぐに、フィーネとキャルムに周辺を案内してくると、二人を引き連れて出て行ってしまった。
本来は父の仕事である儀式の準備をするつもりは一切ないようだ。
父からノーラへの手紙が1通もなかったこと、アクランド伯爵の父が感謝祭に参加しないこと、それをノーラへ相談しないで決めたことは、父にとって取るに足らない瑣末なことなのだろう。謝罪どころか言及すらなかった。
ノーラは惨めな気持ちでその後を過ごした……。
日が暮れて屋敷に戻ってきた3人と共に夕食を取った後、ノーラはキャルムに話がしたいと声をかけた。
まだ残っている儀式の準備で忙しい中、無理して作ったキャルムと対話するための時間。ノーラが応接室へ入るとキャルムはすでに入室していて、なぜかその隣にはフィーネが座っていた。
「……つまり、”聖獣に好かれる魔力”を持つアクランド伯爵家の人間は狙われてしまう。今、アクランド伯爵とノーラが何事もなく過ごせているのは、二人が雨乞いをしなければアクランド領に大きな損害が出ることが周知されているからで、その抑止力は庶子のフィーネへは適用されない。フィーネの身体に流れる魔力を欲し、拉致・誘拐を企む輩は少なくない」
キャルムはノーラが席に着くなり、聖獣の力がどれだけすばらしく得難いものかとペラペラと話し出し、その力を借りることができるアクランド伯爵家の魔力についてもとんでもなく値打ちがある特別な力なのだと語ってくれた。
ノーラとキャルムは向き合って座り、キャルムの隣にフィーネが座っている。この場へ呼んでいないフィーネがまるで当然のようにキャルムの隣にいることへの不快感で、キャルムの話は中々頭に入ってこない。
「現にフィーネは学園で令息たちから声をかけられている。伯爵位より高位の令息へフィーネでは対処できないだろ?そのために僕はフィーネと一緒にいるんだ」
久しぶりに会ったノーラへのご機嫌伺いを省いてまで前置きなく話し出したのは、キャルムとフィーネが親しくしていることへの言い訳だったようだ。
確かに、アクランド伯爵家の魔力を欲する人はいるだろう。
でも、アクランド伯爵家の人間はこの魔力を有しながらこれまで300年も生き抜いてきたのだ。ちゃんと考えて対策だってしてきた。
”聖獣が現れたらその元へ参じ、なるべく沢山の人の前で魔力を差し出し、魔力へのお礼のささやかさを周囲へ知らしめる”というのは、アクランド伯爵家の家訓のひとつ。
長い歴史の中、我が王国で聖獣が現れたことは何度かあり、そのたびに我が祖先は聖獣の元へ駆けつけて魔力を差し出してきた。そのおかげで、アクランド伯爵家の魔力を聖獣へ直接渡した際の対価が実はとてもささやかなことは、周知の事実となっている。
例えば、成人男性の平均より遥かに魔力量が多いノーラが、枯渇するギリギリまでの魔力を虹蛇へ直接渡したとして、その対価はせいぜいノーラの周囲へ数時間ほど雨を降らせるくらいだろう。アクランド伯爵家へ来るまで魔力を放出したことがなかったフィーネの魔力量なら、数分しか雨を降らすことができないと思われる。
命を顧みず魔力を解放し、己が有する全ての魔力を直接譲渡するならば、常人の域を超える対価をもらえるかもしれない。アクランド全域へ5日間雨を降らせ続ける雨乞いができるだろう。
けれど人間の命を使う魔法は王国法で禁止されている。限界までの魔力解放を他人が強制する魔法を創造することは違法だし、もしもそんな魔法がすでにあったとしても禁術となっているはずで、その術式を知ることは難しい。
魔力を直接渡すのではなく、数日にかけて何か魔力をへ貯めて渡す方が現実的だろう。
アクランド領にある巨大水晶と同程度の鉱石があれば大量の魔力を貯めることができるが、その鉱石を手に入れるためにはとてつもない金額がかかってしまう。
そして、そもそも、聖獣は滅多に人前に現れないし、召喚契約を結んでいなければ呼び出すことはできない。
アクランド伯爵家の人間を連れ去り聖獣の力を使おうと思っても、どう考えても費用対効果に見合わない。実行に移す者などそうそう現れないだろう。
「詭弁ですね。フィーネ様を連れ去る労力に対して得られる力が少なすぎる。ありえない。そんな言い訳、旦那様とフィーネ様しか騙せません」
確かにノーラの反応は鈍かったが、それはいつものこと。にもかかわらず、ノーラの後ろに控えていたルカが、ノーラより先にキャルムを咎めてしまった。
使用人のルカが雇い主の客人に楯突くなどあり得ない。これまでにないルカの暴挙にノーラは驚き、キャルムへ言うべき言葉を失ってしまった。
キャルムも予想していなかったところから反論を受けたせいかしばし狼狽えている。
「えっと、君は自分がただの従者だとちゃんと自覚していないのか?越権行為も甚だし……」
「あなたのその理論が正しいと仮定しましょう。そうすると、危険なのはフィーネ様だけじゃないですよね。ノーラ様だって十分に危ない状況ということになる。それなのに、あなたはノーラ様へ警告することなく放置していた。あなたがしていたことは、婚約者であるノーラ様が不在のタウンハウスで食事をしたり、フィーネ様の学園への送り迎えをし、ただただフィーネ様と過ごすことだけ。……フィーネ様へ二心を抱き弄んでいたことを誤魔化すにしても、さすがに言い訳が苦しいです」
ルカの言う通り。
庶子とはいえフィーネというスペアがいれば、嫡子のノーラがいなくなってもアクランドの雨乞いは続けられる。キャルムの仮説が真実なら、フィーネよりも魔力量が多いノーラの方を狙う輩が出てきてもおかしくない。
フィーネとの近い距離を正当化する言い訳の中ですら、ノーラはキャルムになおざりにされているようだ。
突然話に割り込んできたルカを睨みつけていたキャルムは、ルカの言葉を受けてノーラの方へ顔を向けて悲しそうに顔を曇らせた。今悲しいのはノーラのはずだし、先に悲しさを表されると冷静になってしまうから不思議だ。
ノーラは父ともフィーネともフィーネの将来についてちゃんと向き合って話し合ったことがないことに思い至る。そんな状態でキャルムだけを責めることはできない。
「そんな。……アクランド伯爵がノーラへ説明すると言ってたんだけど、ノーラは聞いていなかったってことだよね。そうか。その言葉を安易に信じた僕のミスだ。ごめん。……ノーラを蔑ろにしたつもりはなかったんだ。……本当に、ごめん」
「……キャルム様、今や私の気持ちの問題だけじゃないんです。お姉様とキャルム様、お二人の学園生活について沢山の方から忠告の手紙が届いてしまっています。もうすでに家の醜聞と言える状況で、アクランド伯爵家として対処しないといけません。……キャルム様だけが悪いとは思っていません。お姉様の将来について曖昧なまま学園へ送り出したことも原因のひとつでしょう。今や、まともな令息がお姉様と縁を結んでアクランド伯爵家の分家を起こしてくれるとは思えない」
「分家!?そんな、正気か?」
分家という言葉に驚くキャルムを見て、アクランド伯爵家の魔力についてキャルムとノーラの間で大きく認識が異なることに気づく。
常に冷静で賢明なキャルムとの解釈のズレ。身分を超えてまで口を挟んできたルカ。呼んでもないのにここにいてただ話を聞いているだけのフィーネ。そこはかとない違和感が薄気味悪い。
……私は何か見落としている?それとも、ただキャルム様が恋に溺れて愚かになっているだけ?
ノーラは左手で右腕につけた蛇型の腕輪を撫で心を落ち着かせる。
「まだ明日の準備が残っていて、今日はもう時間がありません。私が呼び出したのに申し訳ないのですが、これ以上は改めて、父を含めて話し合いましょう。……お姉様とキャルム様。二人の間に慕情が無いという今の話が本当なら、夏季休業明けの学園では周囲に適切な距離を保っているように見せる努力をしてください」
ノーラはここではじめてフィーネと目を合わせたが、フィーネはまるで怯える子ウサギのように怯えを隠さずノーラを見上げていた。
話し合いは何も解決せずに終わり、ノーラは自室へ戻ろうと応接室を出て廊下を歩く。
「ノーラ!」
ノーラの腕をキャルムが掴んだ。キャルムの手は熱く、汗で湿っていて、気持ちが悪い。
「ごめん。僕とフィーネは本当にやましい関係なんかじゃないんだ。ノーラからフィーネとのことについて聞かれた手紙も、どう伝えたら誤解されないかって悩んで、上手く返事が書けなかった。ノーラへ説明してくれるってアクランド伯爵の言葉に甘えてし……」
「林檎の香り……」
キャルムから漂ってくる林檎の香りに、ノーラは思わずキャルムの言葉を遮ってしまった。これはフィーネが好んで使っている香水の香りだと、未だフィーネと打ち解けていないノーラでも知っている。
悲しくて、やるせなくて、胸が痛い。
「えっ?フィーの香水が移ったのかな」
香水の香りが移っていても気づけないほど、キャルムにとってその香りはあって当たり前のようだ。キャルムは普段は”フィー”と愛称で呼んでいることを漏らしてしまったことに、続く言葉が見つからないのか黙ってしまった。
そんなキャルムが掴んでる手をノーラはやんわりと振り払う。振り払われた手を見つめて呆然としているキャルムを残し、ノーラは自室へ戻るために廊下を歩き出した。
ーーーーー
一夜明けた今日は雨乞いの儀式当日。
儀式はアクランドの中心部、心臓部分にある小高い丘と言ってもよいほどに低い標高300メートルほどの山、その山頂に置いてある巨大水晶の前で行われる。
普段は貴賎の別なく全ての人へ解放しているが、雨乞い儀式の今日は、アクランド伯爵家が認めた関係者以外は入山禁止だ。
護衛の騎士たちや従者や侍女などの使用人は少し離れたところで待機し、今、山頂にいるのは父、ノーラ、フィーネ、そしてキャルムの4人だけ。
4人が着ているのはアクランドグリーンに近い緑色の伝統衣装。昔は白色だったが祖父の時代にアクランドグリーンと同じ緑色で作り直したと聞いている。
低い山とはいえ、ぐるっと360度アクランドの雄大な景色を見渡せるし、山下を見下ろせば、沢山の領民たちが集まり山頂のこちらを見つめているのが確認できる。
巨大水晶の近くに設けたスペースには花・果物・野菜・タペストリー・絵皿などのお供え物で溢れていて、中でも、色とりどりの毛糸で編み込まれた、大人ほどの大きさの蛇のぬいぐるみが目を引く。お供え物の真ん中を陣取るその虹蛇のぬいぐるみは、平民学校の生徒たちが作ったもの。その目に使われている手の平サイズの水晶はノーラの個人資産から購入した水晶で、僅かでも虹蛇が喜ぶようにとノーラの魔力を込めておいた。
父は巨大水晶の前に立ち、右手を空にかかげ、魔法を発動した。
父の右手には、ノーラが右手に付けている腕輪と同じ、1匹の蛇が自分の尾を食べている形をした銀製の腕輪。蛇の目に付いている水晶の色だけが異なり、ノーラの腕輪は透明で、父の腕輪は青色だ。
父の腕輪の水晶が青く光り、その光は大きな円の魔法陣となり空へ空へと舞い上がって行く。雲ひとつない晴れた空に浮かぶ青く光る魔法陣。しばらくしてその中心から大きな、王都にあるアクランド伯爵家のタウンハウスと同じくらい大きな、虹蛇が飛び出してきた。
虹蛇はまるで泳いでいるように優雅に山の上空を飛んでいる。前回の雨乞いの際に大きかったお腹は今日は平らだ。
虹色に反射する白い鱗、黄金に輝く瞳、目の上にある二本の角、皆、虹蛇の美しさに圧倒されている。誰も声を発することはなく、聞こえてくるのは虹蛇が飛ぶことで起こる風の音だけ。
小さくしぼんでいく魔法陣。消える直前、小さい、とは言っても人間の大人一人ほどの大きさはある、虹蛇が飛び出してきた。
無事、卵が孵り赤ちゃんが産まれたようだ。
戯れながら回旋している大小二柱の虹蛇。その珍しい光景が見れたことに歓喜すると同時、虹蛇の赤ちゃんが見たいと言っていた平民学校の生徒たちのことを思い出して、ノーラは久しぶりに心からの笑顔が溢れた。
巨大水晶から虹蛇の親子に向かって光りが刺す。巨大水晶に込められたノーラの魔力を虹蛇が吸い上げているのだ。
ほどなくして、空に雲が現れ、霧のような雨が降り始めた。
土が濡れ、独特な雨の匂いが漂う。髪や服が濡れる。水滴が付いた葉っぱが揺れる。濡れた巨大水晶が益々輝く。領民たちが虹蛇へ感謝する歓声が聞こえてくる……。
この霧雨は5日間、アクランド領全域に降り続ける。
毎年2回ある雨乞いの儀式。産まれた時からもう何回と経験しているはずなのに、毎回、その神々しさに畏怖の念を抱き、心を揺さぶられてしまう。
巨大水晶に込められた魔力を吸い終わってしまったのだろう。消えていた魔法陣が雲の間に現れ大きくなっていく。
「あっ」
虹蛇のあかちゃんがお供え物へ尻尾を差し込み、ぬいぐるみを巻きつけて引き上げている姿に思わず声が漏れた。
ぬいぐるみを気に入ったのか、振ったり、投げたりと遊んでいる。虹蛇の赤ちゃんはそのままぬいぐるみを抱き魔法陣へ入っていってしまった。母親も後に続き、二柱の虹蛇は帰っていった。
虹蛇が消えたのを確認した父はもう一度右手を空にかざし、魔法陣は父の腕輪の水晶へ吸い込まれていく。
雨乞いの儀式は終わった。




