21.そこにあなたは居ないけれど
世界樹、エルフの生命線である巨大な樹の幹、そこには禍々しい紫色の輝きを放つ魔法陣が刻まれている。
クルルクさんがそこへ駆け寄り、魔法陣に手を触れる。遅れてフィリーやシエルリーゼも駆け寄り、族長さんと共にクルルクさんを取り囲む。
「魔力の吸収を阻害されてますね。というより、この魔法は……」
「解除できるか?」
「……もう少し調べさせてくださいな」
そう告げるクルルクさんの口調は、いつもと違い真剣味を帯びていた。
樹に刻まれた魔法陣は、真円の中にいくつもの幾何学模様が描かれていた。クルルクさんはその模様一つ一つを右手でなぞる。そして、それを何度か繰り返した後、手を止めて独り言のように話し始める。
「この魔法は……。時限式の爆破術式ですね。周囲の魔力を集めて臨界に達したところで炸裂する爆発魔法です。周囲の魔力を根こそぎ奪うので、発動したら副次作用として周囲の魔法を消滅させることもできるでしょう、族長さんの"運命"が消えたのも、それが原因でしょうねぇ……」
その言葉にフィリーは息を呑む。
まったく同じ魔法を俺達は知っている。それは、フィリーの昔話に出てきた物とまったく同じ魔法であった。
「それ、リアの身体に埋め込まれたやつと一緒にゃ……?」
ごくりと喉を鳴らし、シエルリーゼが問いかける。その問いに、おやと言った風にクルルクさんはシエルリーゼに視線を向ける。
「シエルリーゼさん、ご存知なのですか? ――そうですか。言えたのですね、それはよかった」
クルルクさんはフィリーたちの方へ向き直り、フィリーとシエルリーゼの顔を見比べていつもの笑顔を向けてくる。
そんなクルルクさんに向けて、シエルリーゼが右足を踏み込んだ。
「じゃああいつがリアを――」
「いやぁ、単に帝国で流行ってる術式なんじゃないですかね。"あの時"と規模も精度もまるで別物、圧倒的にこちらが上です。多分リアさんに印を刻んだのは末端の魔道士じゃないですかね。だから間違っても万全じゃない今、帝国に殴り込むなんてしちゃだめですからねぇ?」
そう言ってクルルクさんはコホンと咳払いを一つした後再度振り返り、魔法陣に手を当てながら再びそれを調べ始める。機先を制されたシエルリーゼは舌打ちした後、出した右足を引っ込める。
「消すことは出来るか?」
「ええ、まあ……。けれど、術式の割には異様に凝った陣を構築しているので、罠がありそうな気配がしますねぇ……。もう少し調べて大丈夫ですか?」
「ああ、任せる」
魔法陣を見つめながら、族長さんとの会話を手短に済ませる。
暫くの間、クルルクさんは魔法陣の様々な場所に手のひらを当てて、何かを感じ取るような動作を繰り返す。そして五分ほどの時間が経った後、俺達の方へと振り返ると、首を横に振った。
「何かある……、と思うのですけどねぇ……」
笑顔にも関わらず、その声色からは焦燥が感じられる。その口ぶりから察するに、何も見つけることが出来なかったのだろう。
「何かあることは確かなのか?」
「ワタシの勘はあると言っているのですがねぇ……。何せさっきも言ったように、爆破の魔法陣を構築するのに、あんなに時間も手間もかかりませんし、必要な紋様の数も半分くらいで済むはずなんですよねぇ……」
「ふむ……そうか……」
再度、クルルクさんはこちらへ振り返る。その間も、僅かずつではあるが、樹に刻まれた魔法陣の輝きは大きくなっていくように思えた。刻一刻と制限時間は迫ってきていると、まるでそう囁くようであった。
「とりあえず消してみたらどうにゃ?」
「うーん、そうは言いますけどねぇ……、最悪樹が折れる可能性もあるので……」
シエルリーゼの声に、クルルクさんは再度俺達の方へと向き直る。そして、焦燥を感じる笑顔をシエルリーゼやフィリー、そして族長さんへと向けた後、本当に何気なくだろうが、俺の方へと目を移した。
「…………。半分、ですか……」
俺を見ながらそんな言葉を呟いた後、クルルクさんは俺から視線を外すと再び魔法陣へと向き直る。そして、魔法陣に目を向けたまま、ゆっくりと後ずさっていく。
そして、十メートルほど下がったところで立ち止まると、ピクリと肩を揺らした。
「どうした、何かわかったか?」
族長さんが駆け寄る。それにフィリーとシエルリーゼも追従する。
「あの短時間で二重魔法陣を仕掛けていきますか……」
普段は飄々としているクルルクさんの声が震えていた。貼り付けている笑顔は引きつっていて、魔法に詳しくない俺でさえ、黒い騎士の偉業を悟る。
「二重魔法陣?」
魔法を知らない俺が、反射的に声を上げる。その声に反応してクルルクさんは俺の方へと視線を移す。
「あなたに刻まれている魔法陣と同じです。本来、魔法陣は魔法を発動すると欠損し、効力を失います」
あの黒い騎士と戦い、傷ついたシエルリーゼをここまで運んだ時、クルルクさんに教えてもらった事を思い出す。その時今説明された物と同じ魔法陣が俺に刻まれていると教えてくれた。
俺に刻まれた魔法陣は欠損するたびに形を変えて、別の魔法を発動させるようになっている、と。
「あの魔方陣が崩れたらどんな魔法が?」
「――。陣の構成からして"爆破"の魔法陣が崩れた場合、"斬撃"の魔法が発動します。"斬撃"は"爆破"の魔法陣が集めた膨大な魔力を使うので、傷ついた樹が耐えられるとはとてもとても」
恐らく平静を装おうとしているのだろう、だが引きつる笑顔からは動揺を隠しきれていないことが目に見えて分かってしまう。その様子が逆に俺達の不安を掻き立て、紫に揺らめく魔法陣の光がさらに焦燥を煽る。
「消せんのか?」
族長さんが短く尋ねる。その問いに対してクルルクさんは眉根を寄せる。
「出来なくはなのですけどねぇ……。ただ、"斬撃"を消すと"爆破"が、"爆破"を消すと"斬撃"が即座に発動するように見えます。せめて木を傷つけられていなければ、これほど巨大な樹ならば持ちこたえたかもしれませんがねぇ……」
クルルクさんの視線の先には、騎士によって深々と刻まれた巨大な傷跡がある。そこを起点に魔法で攻撃されたら樹が折れてしまう。そうクルルクさんは言っているのだろう。
クルルクさんの笑みには疲労の色が見える。こうやって話している間も何かしらの対策を考え続けているのは明白であった。
「樹の傷を治すことが出来れば……、ですか」
「フィリー?」
フィリーが呟く。その声色に俺は違和感を持った。
その声には絶望や不安ではなく、何故か決意のようなものをはらんでいる、そう思えたのである。
「フィリー、どうしたにゃ?」
その声色に疑問を持ったのは俺だけではないようで、シエルリーゼもフィリーに問いかけてくる。
当の本人はというと、俺の身体を右手で触れながら族長さんとクルルクさんの方へと身体を向ける。
その様子に、族長さんが、そしてクルルクさんもフィリーへ注目する。
「どうした? フィリンシア」
「……」
族長さんがそう問い、クルルクさんはただ無言で口を結び、フィリーの方を見つめている。
「私の魔法では、役に立てませんか?」
数秒の間を開けて、フィリーはその言葉を口を開いた。
その声色は決意だけではない、不安の色も確かにあった。だが、フィリーは一歩前に進み、そう口にしたのであった。
「……。よいのですか?」
尋ね返してきたのはクルルクさんであった。おそらく、そういう事をある程度予期していたのだろう。
フィリーに問いかけるクルルクさんの目は一切笑っていない。ただ真っ直ぐにフィリーを射抜いている。
「……」
その問いにフィリーは何も言わない。だが、僅かに前に身体が傾いたのを感じた。
「……」
誰も何も言葉を発しない。族長さんは腕を組み、クルルクさんは顎に手を当ててフィリーの顔を見据えている。シエルリーゼはただ呆然と、フィリーの顔を見つめていた。
「……。言っている意味は理解しているな?」
「他に手段があるならば、そちらを先に試していただきたいとは思っています」
『エルフの命運を背負うという自覚はあるのか』
そんな族長の問いに対し、フィリーは明確に自らの意思を返す。
その言葉に対し、再度沈黙がその場を包む。俺もまた、何も言うことが出来なかった。
「一応どうするのか、聴かせてもらっても?」
「はい。"爆破"の魔法陣による魔力吸収がなくなり次第、私も魔法を使うことが出来ます。そして"斬撃"の魔法が発動するまでに、私の魔法で樹の傷を修復します」
クルルクさんが沈黙を破り、フィリーに問いかけてくる。
それに対してフィリーが方針を示すが、それに対して今度は族長さんが険しい顔付きで尋ねてくる。
「修復、といったか。貴様の魔法は確か……」
「はい。正確には時間を巻き戻し、樹が傷つけられる直前の状態に戻します」
その言葉に、その場にいる全員が息を呑む。
確かにフィリーは魔法で時間を操ることが出来る。それは俺も見ていたし、この目で何度も見てきた、実体験したこともある。
だが、フィリーの言っていることはつまり――。
「その作戦、エルフの存亡が掛かっているのだぞ?」
「はい」
そう、今この場で起きていることは、個人の生死に関わるだけのものではない。エルフという一種族の命運が掛かっているのである。
エルフは眼前魔法陣が刻まれた大樹、"世界樹"から生まれる。それが折れてしまうと、もうエルフは生まれないのである。それは将来的なエルフの滅亡を決定づけることとなる。
「けどにゃ、その魔法は"イメージ"が大事って、昔てめーに聞いたにゃ。『この状態まで時間を戻す』っていう明確なイメージにゃ。フィリー、てめーはここ三年、ここに来てねぇにゃ。樹が傷つけられる前の状態なんて覚えてのるにゃ?」
口を開いたのはシエルリーゼである。過去、フィリーと親友だったという彼女は、フィリーの魔法についてある程度知っているのだろう。
そんな彼女が、フィリーの魔法の欠点を示す。その方法に懸念を示したのはやはり族長さんであった。
顎に手を当て、視線をフィリーに向けて口を開く。
「シエルリーゼの言うことにも一理ある。そもそも時間を戻すことが出来るなら、他の方法を試した後に万が一樹が折れてしまった時にフィリンシアの魔法を試みる事は出来るはずでは――」
「それは、出来ません」
族長さんの言葉に被せるように、フィリーはその提案を即座に否定する。あまりにもあっさりと否定された族長さんは、目を細めて眉間にシワを寄せる。
「……何故だ?」
「なぜなら、私の覚えている樹の情景は、"今見えているこの場面"だけだからです。折られた樹を元に戻すのに必要な、世界樹全体のイメージは私にはありません」
その言葉にシエルリーゼと族長さんは首を傾げ、クルルクさんは樹の方を振り向き、「ああ、なるほど……」と呟く。
「どういうことだ?」
理由を察したクルルクさんへ族長さんは視線を向ける。だがクルルクさんもまた、会話を拒むかのように魔法陣が輝く世界樹へと視線を向け続ける。
その様子に、族長さんは諦めたかのように視線をフィリーへと戻す。
だがフィリーの顔を見た直後、族長さんは眉間を震わせると、一歩後ろへと下がったのであった。
「忘れませんよ。だってここ、最後にリアと話した場所ですから」
いったいフィリーがどんな表情でその言葉を口にしたのか、フィリーの腰に括り付けられている俺には分からない。だが、様々な感情がこもった声色で、フィリーは族長さんにそう告げたのであった。




