20.戦いの果て
漆黒の騎士は鎧を赤熱させながらただ肩を震わせている。絶望や悲しみなどではない。
あの男はただ、笑っていた。
脅威であった剣を捨て去ったものの、クルルクさんを焼き去った魔法があることには違いない。
相打ち覚悟で再度魔法をこちらへ撃ってくるつもりだろうか。
「強がりは寄せ、貴様はここで終わりだ」
族長は右手を翳したまま言う。背後で揺らめく陽炎は、その輝きを強めていく。
その度に、騎士を包む炎の輝きは強さを増していく。
「そんな茶番は……、ごめんだね……」
そう言って黒い騎士は俺達に背中を向け、樹に向かって歩く。
そして、こちらに魔法を撃つでもなく、世界樹に自らの手で何かを刻み始める。赤熱した鎧で触れられた箇所は即座に炭化し、黒い跡を刻んでゆく。
「ヴァルカン!」
『任せよ』
族長さんが右手を翳しながら、背後の陽炎へと呼びかける。直後、騎士を包む炎は更に火力を増す。
不思議なことに、周囲の草木や騎士のすぐ近くの世界樹は一切焼かれることがない。
"神の炎"と族長さんは言っていたが、確かに他の炎とは違うようだ。
だが、それでも漆黒の騎士は腕をとめることはない。鎧を溶かしながら樹に何かを刻み続ける。よく見ると鎧は淡く輝いている。おそらく、あの鎧も剣と同様に何かの魔法が施されているのであろう。
当の騎士が刻み込んでいるものは、俺にだってもう分かる。巨大な魔法陣だ。鎧に守られているとはいえ、ダメージは有るのだろう、騎士はふらつきながらもそれを刻み続ける。
「フィリー目を覚ませ!! あれはやばいぞ!!」
こんな時に、身を削りながら刻み込まれ続ける魔法陣が碌な物なはずがない。そう感じた俺は叫ぶ。
呆然としていた少女ははっと体を震わせ、俺の方へと視線を移した。
「あなた……は……?」
精神的なショックだろう、言葉に抑揚はなく、焦点も定まっていないように思う。
だが今のうちに止めなければいけない、そういった予感が俺の口を動かす。
「目を覚ませ!! あれは不味い! 絶対だめな魔法陣だぞ!」
「だからって、私には……」
会話はできるものの、フィリーは完全に自信を失っている。クルルクさんの死が相当にショックだったらしい。
俺とフィリーはまだ知り合って二日、これ以上どんな励ましの言葉をかければいいのか、俺にはわからない。嘘をつけばよいのか、いや駄目だ、今は感覚を共有している。どんな嘘も見破られてしまう。
「くっ……」
まず嘘をつこうとした自分に嫌気がさす。とはいえどうすればいいというのだ。俺に何が出来る。考えを巡らせるが何も思い浮かばない、俺が身悶えていると、隣から声が聞こえた。
そんな折だった。フィリーの背後、俺の正面からガサガサと、何者かが近づいてきている音が聞こえた。
敵か味方か分からない、もしも敵だとしたらそれを抑えられるのは族長さんだけだ。現状は今よりも悪くなる。
――
――。
数秒の後、音がしている場所から一人の人影が現れた。ゆっくりと歩いてきた人影はただ言葉を発する。ただ飄々と、俺の背後で起きていることなど気にしないかのように。
その人影の顔が見える。その顔には、いつものように貼り付けたかのような笑顔があった。
「そこの"運命"さんは、なーに一人で悶てるんですかねぇ。こんなときは『やっちまえ』とでも言ってやりゃいいでしょうに」
その声の主を俺の視界を通じて見ていたフィリーであったが、正体に気づいて自らも目を向ける。
「まさか……」
「まさか、とは失礼ですねぇ。折角返ってきましたのに」
「クルルクにゃぁああ!」
その声の主は、先程焼かれたと思われたクルルクさんであった。
間髪入れず、シエルリーゼは飛びかかるようにその小柄な身体に抱きついている。フィリーもただ一言、よかったと泣きそうな声で呟くのであった。
「あーよしよし。シエルリーゼさんは泣きすぎですねぇ。あ、ちょっと、ワタシの方が身体が小さいので抱きつかれたら動けません。最近ましになったと思ってましたが、まだまだですねぇ」
シエルリーゼの頭を撫でながら抱き返すクルルクさんだが、先ほどと明らかに服装が違う。
常に身につけていたポンチョのような貫頭衣も今は無く、着ていた服はほぼ焼け落ち、素肌を外気に晒す面積がものすごいことになっている気がする。
「あ。あんまり見ないでくださいねぇ? こんな貧相な身体をあまり見られたくはありませんので」
明らかに視線は俺に向いている。貧相、というよりは無駄のないと言ったほうが正解な気がするが、それを俺が言うべきではないということくらいは流石に分かる。
何より俺が見ていることはバレているらしい。フィリーに頼んで俺の視線の向きを変えてもらう。
一瞬目に入ったが、クルルクさんの脇腹に傷跡のようなものはなかった。それも魔法によるなのだろうか。
「さて、族長殿の火力が足りない、ということでしょうか」
「阿呆、足りとるわ。貴様も手伝え」
「いや、あれに殴りかかるのはちょっと……、抱きつかれでもしたらまた死にますよあれ」
苦笑気味にクルルクさんが答える。
炎に直接焼かれることはないにせよ、赤熱した鎧に触れたら間違いなくその箇所は大やけどだろう。そんなやり取りをしつつ、色々とギリギリな布面積のクルルクさんが、俺達と族長さんの間に位置取る。
族長さんはクルルクさんに憎まれ口を返すが、その表情に余裕は見えない。右手を真っ直ぐに翳しながら、一切騎士から目を離すこと無く、険しい顔で睨み続けていた。
その様子を首を傾げながら見つめた後、クルルクさんはくるりとこちらを振り返る。
「フィリンシアさん、あなたの魔法、今なら通るはずです」
「え……? あっ」
クルルクさんが真っ直ぐに騎士に人差し指を向ける。
確かにあの騎士は剣を捨てた。"魔を断つ"と言われたあの剣をだ。
ならばたしかに今なら、フィリーの魔法も効果があるかもしれない。フィリーは右手の人差指を騎士に向かって伸ばし、呪文を唱えた。
「‹クロノス・シェル›」
それは何度か聞いたフィリーが得意としている魔法。時間を止めた膜を作り、その中の物を守る魔法である。今回はその魔法を黒い騎士を拘束するために使ったのである。
ピタリと、時が止まったかのように黒い騎士は動かない。いや、動けないのである。
「フィリー、何を?」
「腕を私の魔法で作った壁で拘束しました。動けないはずです」
ゆっくりと、騎士は振り向く。その様子から感情は読めない。だが、フィリーを見つめる視線は感じる。その視線が、一瞬俺の方へも向けられた気がした。俺もその騎士を睨み返す。
まるで全ての時が止まったかのように、視線をぶつけ合う。
だが、すぐに騎士によって時間は動き出した。
「くっ……。ふっ……。後少しだったんだけど、ね……。途中だが仕方ない、か……」
漆黒の騎士は埃でも払うかのように、左手で右手を撫でる。と、パリンと音を立てて何かが霧散した。
騎士は右腕を軽く振って右手が動くことを確認する。その行為によって、拘束があっさりと解かれたのだと悟る。
「なっ……<クロノス・シェル!>」
フィリーが再度呪文を発動する。だが漆黒の騎士ヴァルドルフは、羽虫でも払うかのように左手を払う。するとまたガラスが割れる軽い音が響き、フィリーの魔法が霧散する。
「アンチマジック!? 剣の効果ではなく彼自身も使えたのですか……」
「く、ふふ……。ぼくは……、そろ、そろ……げん、かい……なん、だ……。かえ、らせて、もらう、よ……」
振り返りこちらを見据えるその姿は、まさに幽鬼でも言うべきか。鎧はほぼ溶け落ち、もはや溶岩のようになっている。時折見える素肌のようなものは、酷い火傷の跡なのか、溶け落ちて癒着した金属なのかさえ分からない。
初めに会った時の"漆黒の騎士"という風貌は完全に消え失せ、もはや化物と言って差し支えない姿を俺達に晒している。
だが、そんな獄炎の炎の中にも関わらず、明確に命を繋いでいる"それ"は左手で空間を薙ぐ。その騎士の腕が通過した場所には亀裂が入る。そこには暗闇が広がっていた。
「――っ!! まて! 逃がすか!!」
族長さんが駆け出し、騎士に向かって手を伸ばす。溶岩のごとき鎧を纏う騎士に触れられるのはその使い手の族長さん本人だけであった。
だが、一歩目を踏み出す判断が僅かに遅れた。約二十メートルの間、その空間を一足にして詰めた族長さんの右手は、空を切った。
「クルルク! 奴の魔力の痕跡を追え!!」
族長さんが振り向いて吠える。視線の先には笑顔を向け続けるクルルクさんの姿。
だが、クルルクさんはゆっくりと首を横に振る。
「分かりました――と、言いたいところですが、これは無理ですねぇ……」
言い終わると同時、族長さんの背後に揺らめいていた陽炎の姿が霧散する。
族長さん自身にとっても、それは予想外の出来事だったようで、背後を振り向いて目を見開く。
そして、その姿をあざ笑うかのように、族長さんの背後では世界樹に刻まれた魔法陣が不気味な輝きを放っているのであった。




