13."漆黒"との対峙
眼の前にいるのはフルプレートを身に纏った、周囲の闇よりも黒い騎士であった。
森の中、という情景とはあまりにも不釣り合いなそれは、一切動くことなくこちらを観察している。
「そこを退いていただくことは……、無理でしょうね」
あの騎士はフィリーに向かって剣を振り抜いてきた。明確な敵であり、逃げられるとは思えない。
だが戦うにしてもフィリーは俺とシエルリーゼを庇いながらの戦闘になる。逃げるにしかり、フィリーは俺達を担いで走らなくてはならず、とても万全とは言えない。
眼の前の騎士からは、強烈な――凶悪とも言える重圧、戦うべきではない、逃げるべきだと俺の直感が言っている。フィリーもそれは同じらしく、ジリジリと俺とシエルリーゼが投げ出された場所へと下がってくる。
「跳べますか?」
シエルリーゼに対してフィリーが尋ねる、だがシエルリーゼは虚ろな眼で視線だけをフィリーに向けると、掠れる声で言葉を発する。
「無理にゃ……、さっきのほんのちょっとで精一杯だったにゃ……。てめーだけでも逃げろにゃ……」
「断りますよ」
フィリーはそう即断する。そして、フィリーは黒の騎士を見据えながら言った。
シエルリーゼの前に立つその姿には、逃げないと決めた約束は守ると、シエルリーゼにそう伝えているようであった。
そんなフィリーが、横目で俺に視線を送ってくる。
「手伝ってもらえますか?」
「俺? 俺に出来ることだったら是非使ってくれ」
「はい、ではお願いします」
断る理由はない、俺は反射的にそう答えた。
だがそう答えるや否や、フィリーは俺の胴体をがっしりと握る。微妙に乱暴な扱いに、何が起こるのかと、フィリーに視線を送ろうとするが、フィリーは真っ直ぐに黒い騎士を見据えているようで、俺のことは一切視界に入っていないらしい。
そして、数秒間なにかを呟く。何かの呪文を詠唱しているらしい。何を言っているのかは俺の耳では判断できない。やはり魔法の中には詠唱を聞き取れないものも多いらしい。
「多少手荒に扱ってしまいますが、許してください」
「え?」
詠唱を終えたフィリーは、真っ直ぐに漆黒の鎧の男に向かい合い、俺を振りかぶる。一瞬後に起こることは理解できた、だが何故そうなるのか、俺には理解が出来ず精一杯の声を上げる。
「は? え、ちょっとフィリーさん?」
そしてあろうことか、思いっきり俺を黒い騎士に向かってぶん投げたのであった。
「ぬわぁあああああああ!!!!!?」
砲弾の如き速度で一直線に宙を舞う。そしてエルフの身体能力で投げられた俺は、そのままの速度で鎧の男に直撃する。
――はずだった。
「がっ!?」
だが男は一切の動揺なく俺を片手で受け止める。それを見たフィリーは右手の人差指をこちらに向けて叫ぶ。
「<グラビティ・スフィア!!>」
「ぬおおおおおおおおおおおおおお!?」
フィリーのその言葉と同時、俺を中心に真っ黒な球体が生まれ、まるで自分の体の重さが何十倍にもなったかのような感覚が俺を襲う。
だが、俺を受け止めた黒の騎士も同じらしい。背中から何かに押しつぶされるかのように体勢を崩し、片膝と両手を地面につく。
それに気づいた刹那だった。
俺は何故かフィリーの手の中に戻ってきていたのである。
「え? あれ?」
「ありがとうございました」
フィリーは俺に一瞬視線を送って礼を言ってくる。
何が起きたかはわからない。まるで時が戻ったかのように、俺は先程と同じくフィリーの手の中にいたのである。
わけもわからないまま正面を見ると、騎士は黒い球体に押しつぶされ片膝をつけている。
「なあ、"運命"の扱いってこんなんなのか?」
我に返った俺はフィリーに対して尋ねる。動揺で大声が出せないが、そうじゃなかったら叫んでいたかもしれない。
「まあ、絶対に死なないという確証があれば……駄目ですか……?」
久々にフィリーの瞳に影が落ちる。普段の俺なら、その様子にどう答えるべきか迷ったかもしれない。だが、今は即座に答えることが出来た。
「心臓に悪いからやめてほしい」
「はい……、では今後は出来るだけやめておきます……」
出来るだけ、ということは俺は今後も覚悟しておかないといけないのだろう。フィリーは優しいし自信は足りないが合理的にも見える。どうしてもやらないといけない時は、また俺をぶん投げるだろう。
何故かそう確信できたところで、"運命"としての俺の行く末が不安になってきた。
「けれど私の魔法は長い時間は持ちません。今のうちに行きましょう」
「お、おう。ところであれ、どんな魔法なんだ?」
「魔法が発動した地点の重力を五十倍にする魔法です。それをあなたに仕組んで投げつけました」
俺を腰に括り付けながら、フィリーはそう説明する。
横目に見える黒い騎士は、依然黒い球体に押しつぶされていた。
「ちなみに俺をあいつから取り戻したのは?」
「あなたの時間を戻しました。私はそういう魔法が得意なので」
フィリーが言うには、時空間を操る魔法が得意、ということなのだろう。フィリーは自分を卑下し続けているが、時間と空間を操れるならば出来ることはあまりにも多いように思える。
「時間を制御してシエルリーゼを治せないのか?」
「膨大な魔力を流すので、生身の身体では耐えきれずに崩壊します」
「それは……、駄目だな……」
俺に魔法の解説をしながら俺の身体を腰にくくりつける。崩壊するならば攻撃に使えないのだろうかとも考えたが、俺を投げる直後、詠唱に数秒間かけていたように思う。あれだけ時間をかけてしまうと攻撃に使うのも難しいだろう。
「よし……、行きましょう」
「そうだな」
腰に俺を括り付ける作業を終えたフィリーは、俺にそう伝えてくる。
そして横目で黒い球体に潰される漆黒の騎士を視界に入れながら、シエルリーゼを抱き上げた。
シエルリーゼはまだ意識を保っているようだが、どこまで身体が持つかわからない。急がなくてはいけない状況に変わらないのである。
「走ります」
「おう」
フィリーは駆け出す。樹への最短距離、漆黒の騎士の脇を走り抜けようとした。
だが黒い騎士に接近すると同時、フィリーは何故か真後ろへと飛び退いた。
ガクンという衝撃、フィリーに遅れること数瞬、俺も何が起きたのか理解する。フィリーが直前までいた場所、その空間を刃が横薙ぎに切り裂いたのである。
「なん……で……?」
声を漏らしたのはフィリーであった。間一髪のところで凶刃を避けたものの、その声色には強い動揺が見える。
「――避けたか。まあ及第点、といったところかな」
その言葉を放ったのは、今まで一切口を開くことがなかった漆黒の騎士であった。
フルプレートの奥から聞こえた声はくぐもっていたが、おそらく見た目からの想像よりは幾分若いだろう。
その男はフィリーの作り出した強烈な重力球の下、平然と立っていたのである。
先程まで膝をついていたのは演技だったのだろう。
「アンチマジック……? なるほど……」
フィリーはそう呟きながらゆっくりと呼吸を一つ。
その口調にも動揺の色は見えない。だが、状況が良いとはとても言えないのは確かである。
だがフィリーはゆっくりとシエルリーゼを樹の陰に下ろすと、屈んだまま右手を翳す。
「シエルリーゼ。少しだけ、待っていてください。<クロノス・シェル>」
フィリーは右手を翳して呪文を唱える。直後シエルリーゼを覆うように、正六面体の透明な壁が出現した。魔法によって壁を作りだしたのであろう。
だが、シエルリーゼは自由が効かないであろう右手をこちらに伸ばし、必死にこちらに訴えかけてくる。
「にゃ……!? てめぇ、まさか……!? 待て、逃げるにゃ……! 置いてけにゃ……!!」
「いいえ」
フィリーはその声に対して小さく首を横に振り、フィリーは立ち上がる。そして、黒い騎士に真っ直ぐに向き合い、言い放った。
「ヴァルドルフ、あなたは私が止めます。私はもう逃げません」
「その意気や良し、といったところかな? 精々死なないように頑張っておくれ」
まるで状況を楽しむかのように、くつくつと笑いながら黒い騎士は言う。それに対してフィリーは無言を貫き、直立して真っ直ぐに黒の騎士を視線に捉える。
構えを取らずに二人は向かい合う。構えこそとっていないが、もはや戦いは避けられないだろう。
「さあ、始めようか」
これまでも悠然と話していた黒い騎士は、殊更ゆっくりと、そう告げるのであった。




