12.闇は夜よりも深く
敵を制圧し、フィリーが結界を復活させるための呪文を唱え始めてから、十分ほどが経っただろうか。
森からは木の葉が擦れる音、そしてフィリーの呪文しか聞こえない。その間、シエルリーゼは傍らで辺りに視線を向け続けていた。
「終わりました。あと一節で呪文が完成し、結界は復活します」
「……」
シエルリーゼから返ってくる言葉はない、会話はしたくはないが、異常もないということだろう。
それからは気まずい時間が流れる。
そこから数分待っただろうか。北の空を見ていたシエルリーゼが呟く。
「……合図にゃ」
直後、空を見上げるまでもなく、夜の空に突如太陽が現れた。
そう思えるような異常な閃光が放たれた。それを見たフィリーは再度砕けた石へ手をかざし、言霊を発する。
「――……!」
直後、それまではただの石だったものが、唐突に光りを放ち始める。
光りに包まれた後、そこにあったものは空色の球状の石。これが封印の要石の本来の姿なのだろう。
「おお……」
輝きはすぐに消えてしまったが、フィリーは目を開けて、再度俺を抱きかかえる。
「これで終わりです。あとはこうして……」
再度何言かの呪文を唱えると、石は俺達の目の前から唐突に消えた。これも魔法なのだろう。
封印の復活に掛かった時間の割に、こちらの呪文は一瞬で終わった。
「消えた?」
「隠蔽の魔法です。子供だましですが、時間を稼ぐくらいは出来るはずです。あともう一つ封印を守る魔法を掛けているので、しばらくは大丈夫と思います」
「そうかにゃ。"迷いの森"は発動してるにゃ?」
シエルリーゼが久しぶりにフィリーに対して話しかけてくる。それに対し、フィリーは頷く。
「はい、クルルクさんの方も大丈夫だったようですね」
「にゃー……。まあ、あいつは大丈夫だろうにゃ……」
二人共南の方を見ていた。クルルクさんが向かったという方角である。
だからだろうか。ここにいた全員の反応が遅れた。
「にゃっ!? あぶねーにゃ!!」
最初に気づいたのはシエルリーゼだった。
突然フィリーの眼の前に左手を突き出す。その刹那、シエルリーゼの左手から矢が生えた、ように見えた。
それは何者か放った矢。明確な殺意を持って放たれた矢は、シエルリーゼの左手を貫通し、フィリーに当たるギリギリのところで止まっていた。
「ひっ……!」
短く悲鳴を漏らしたのはフィリーである。
その間にも、シエルリーゼは矢が飛んできた方へと視線を向けている。そこには、一人の弓兵が弓を構えてこちらを見ていた。
「くっ、そこにゃぁあ!!」
シエルリーゼが魔法で間を詰め、その矢を放ってきた人物に蹴りを加える。その男は短いうめき声を上げながら吹き飛ぶ。
そして樹に激突して止まり、ぐったりと倒れ込んだ。シエルリーゼに向かってフィリーは駆け出す。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫、にゃ……。つっ……」
シエルリーゼは鏃を折って左手から引き抜く。直後服の一部を破り手早く止血するも、直後その場に座り込んだ。
「大丈夫に見えません!!」
「大丈夫、に、決まってる、にゃ……」
顔は苦痛に歪んでいる、息も絶え絶えに立ち上がるも、数秒と持たずに片膝をつく。
シエルリーゼの顔は蒼白。息は荒く、目の焦点が合っていない。とても大丈夫には見えない。
毒。その場にいる全員がそれを察した。
鏃に毒が塗られていたのだろう。
「急いで帰りましょう!」
そう言うや否やフィリーがシエルリーゼを抱えあげ、走り始める。
「にゃ!?」
「負けないで下さい!!」
一人と俺を担いでいるというのに、重さを感じさせない足取りでフィリーは走る。眼前には世界樹、エルフが生まれる巨大な樹が見える。
「降ろせ、降ろせにゃ……。わたしは走れるにゃ……!」
口ではそう言うがシエルリーゼは一切抵抗しない。口調はいつものように強気だが、その言葉に覇気を感じない。
それはフィリーもわかっているようで、いわゆるお姫様抱っこの状態のまま、フィリーがシエルリーゼに言葉をかける。
「まずは治療です。あなた、身体がほとんど動かないのでは?」
「にゃ!? そ、そんなはずねーにゃ」
図星なのであろう。実際、このような格好で大人しく運ばれるような性格でないことは、俺でさえ分かる。
それでもなおシエルリーゼは一切暴れることなくフィリーの腕の中に収まっていた。
「じゃあ世界樹まで飛んでください。今私達の視界に入っています。あなたの魔法ならば簡単に届くはずです」
「ぐ……、い、今はちょっと無理にゃ……」
フィリーの言葉に対して早々にシエルリーゼは諦める。
負けん気は強い性格に見えるので、出来るなら確実に魔法を使っているはずだ。
やはり口調以上に身体が言うことを聞かないと見える。
「毒ですね?」
「……多分、そうにゃ。傷はそれほど深くないはずなのに、身体が動かねぇにゃ……、あと魔法が使えねぇにゃ……。あいつら、やべーもんを持ってきたにゃ……」
「直前まであの人間に気づけませんでした。ただ、気配を消せるような達人にも見えませんでしたが……」
その問いに、シエルリーゼは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「あいつに隠蔽の魔法をかけたやつがいるにゃ……。あいつ、気絶する直前"ヴァルドルフ様"って言ってたにゃ。あいつが来てる可能性があるにゃ……」
「ヴァルドルフ? あの"漆黒"ですか?」
フィリーその言葉と同時に息を呑む。
俺の知らない人間の名前が出てきたが、反応を見るに有名人なのだろう。そして、その切迫した口調からしてエルフにとって招かれざる客なのは間違いない。
「とはいえ、”迷いの森”は発動しています。おそらく他の場所も大丈夫と思いますが……」
「”あいつ”が来てるとしたらやべーにゃ……というか、”迷いの森”を破ったのももしかするとあいつにゃ……」
"あいつ"というのはその"ヴァルドルフ"とかいう奴のことだろう。
それを聞くフィリーは言葉を返さない。顔を見るとフィリーは走りながら何かを考えているように見える。
そして、意を決したように、シエルリーゼを真っ直ぐに見つめ、口を開くのだった。
「何にせよ、今は休んでおいてください、何があっても私が守ります」
その言葉にシエルリーゼは力なく嘲笑する。
「てめーに休めとか守るとか言われるのは屈辱にゃ……樹に着くまで周りの警戒くらいはしてやるにゃ……」
そういうシエルリーゼの顔色は血の気が引いて真っ白になっている。それでも宣言通り目を開け、周囲に視線を配る。
「……はい」
先にフィリーが折れる形で話は終わる。その代りにフィリーはただ足を速めた。
迷路となる結界が存在しなくなった森を、フィリーはまっすぐに樹を目指して走っている。世界樹までの距離はぐんぐんと縮まり、この分だと五分とかからず樹に到着しそうだ。
「シエルリーゼは大丈夫なのか?」
「まずは中央に向かい、治療を受けられる施設へ運びます。その後、南に向かってクルルクさんと合流して指示を仰ぎます」
「族長さんたちの方は大丈夫なのか? 族長さんも戦ってるんだろう?」
俺の問にフィリーは僅かに微笑みながらう。
「"迷いの森"を復活出来たということは南北も問題なかったのは間違いないです。それに、族長が負けたらどの道エルフは終わりです」
「え、族長ってそんな大事な立場なのか? 族長が死んだらエルフはみんな道連れみたいな?」
あまりにも不安な物言いに尋ね返すが、今度はシエルリーゼが口を開く。
「別にそういうわけじゃねーにゃ……、族長が勝てないような奴に残ったエルフが全員束でかかっても勝てるはずがねぇにゃ……」
「そんなに強いのかあの人……」
「強いですよ、とても」
フィリーやシエルリーゼの身体能力はある程度見てわかっている。おそらく他のエルフたちも、一人一人が人間が辿り着きようもない境地に達している。
それが束になっても勝てない族長とは何者なのだ。
その疑問を察したかのように、フィリーが俺に説明してくれる。
「族長は五十年前にあった戦争の英雄ですから。右腕一振で一万の兵を薙ぎ払ったとも聞きました。レイラ様、スール様というエルフと合わせて三柱とも呼ばれていたようです。もっとも、存命なのは族長様だけですが」
族長と呼ばれていたあの女性からは、飄々(ひょうひょう)としていそうに見えて一切ブレの感じさせない、そんな凄みのようなものは確かに感じた。
だが、フィリー達にそれほどまでに言わせるのだから、おそらく俺に想像のつかない何かを持っているのだろう。
「さて……。再び火中に飛び込むことになります。シエルリーゼ、あそこ――あまり燃えていないあそこまで行きたいです。魔法はまだ使えませんか?」
「やってみる、にゃ……」
躊躇なく走り続けるフィリーだったが、突如周囲の風景が変わる。周囲は炎に包まれている。
埴輪の体になって触覚は弱くなっているが、それでも焼けるような熱さを感じる。俺でもそうなのだから、二人はそれ以上の熱さを感じているだろう。
「つっ……、慣れていないので、しばらく耐えてください! ‹クロノス・シェル›!」
フィリーが何かを呟くと同時にその熱さも消える。これも魔法なのだろう。
「熱さはこれで大丈夫です。行きましょう」
「すまねぇにゃ……、この辺りまで飛ぶのが限界だったにゃ……」
「十分です。ありがとうございます」
眼の前にある樹は先程よりも明らかに近づいている。シエルリーゼが空間を飛んだ分近づいたのだろう。樹が巨大過ぎて正確な距離はわからないが、目と鼻と先まで近づいているのは間違いない。
「にゃっ……」
「えっ……!?」
樹まではすぐにたどり着ける。そう考えていた。おそらく、フィリーもそうだっただろう。だが、突如フィリーがバランスを崩し倒れた。俺とシエルリーゼは空中に投げ出される。
「っ……シエルリーゼ、どうして……?」
一瞬景色が変わった気がする。おそらくシエルリーゼが魔法で短距離の瞬間移動を行ったのだろう。全力で走っていたフィリーはそれに対応できずバランスを崩したのだ。
「いってぇにゃぁ……。やっぱり気づいてなかったにゃ……やっぱてめーは半人前以下にゃ……」
俺の隣で大の字で倒れているシエルリーゼはフィリーに対してそう毒づく。
その言葉と同時、俺もその言葉の意味に気づく。急に周囲のプレッシャーが変わった。
「っ……」
それにフィリーも気づいたのだろう。即座に起き上がり、俺を拾い上げて体制を立て直す。
そしてその直後、進路上の木の裏側から漆黒のフルプレートアーマーに包まれた人間が姿を表した。
「……」
それは、無言でこちらを見つめる漆黒の騎士であった。
その姿をフィリーは立ち上がりながら、シエルリーゼは地面に倒れ伏しながら睨み返す。
「あなたは……」
「……最悪、にゃね……」
二人の声色には緊張の色が見える。眼前に見えるは周囲の闇よりも黒い騎士。"漆黒"という二つ名を聞いた後、そいつを見れば誰だって分かる。
其処にいたのは、話に聞いたヴァルドルフ、本人であった。




