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あの時が聞こえる  作者: end&
本編
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10/42

過去:呼び止められて保健室

   *


「ねぇ、君!」


 その声に振り返る。

 名前の一文字を呼ばれたからじゃなく、言葉の強さに体が敏感に反応した。


 振り返り、目の前に立っていたのは、肩に届くほどの黒いストレートヘアの生徒だった。


 ブレザーの襟につけられた青い校章は二年生の証。


 どこか怒ってるみたいで、真っ先に頭に浮かんだのは、先輩と話しすぎて勉強の邪魔をしてしまっただろうかということ。

 でも、それを追いかけてきてまで叱るだろうか?


 恐る恐る返事する。


「な、なんですか?」

「ちょっと時間ある?」


 いまどきトイレに呼び出しなんてあるのだろうか?


「……ありますけど、」

「ちょっと来て」


 相手は高圧的な姿勢のまま、私の左手をつかむと、図書館を出てすぐの保健室の扉を開ける。


 え? 本当にカツアゲとかそういうの?


 連れ込まれた保健室の中には誰もいなかった。

 窓から少し湿り気のある風が入ってくる。


「戸、閉めて」


 言われるがまま、戸を閉める。


「あの、突然なんなんですか?」

「さっき、ピアノがどうこう言ってたでしょ?」


 謎の二年生は保健室の中ほどまで歩き、こちらを振り向き、腕を組む。


「話してました、けど」

「なんの用?」

「え?」

「この高校で一番ピアノが上手い人になにか用があるのかって聞いてるの」


 これは、もしかして――


「あなたが、あのピアノを弾いてた人、なんですか?」

「あのって、君が聞いた曲は何?」

「ドヴォルザークのユモレスク、七番です」


 それを聞き、彼女は額に手を当てて天を仰ぐ。

 まったくわけがわからない。


「探さない方がいいよ」


 一言行って、彼女は保健室から出ようとするのを、今度はこちらが引き留める。


「ちょっと待ってください! 探さない方がいいって、どういうことですか?」

「そのまんまの意味」


 相手は百六五センチくらいだろうか? 百六十八センチの私よりも若干小さい。

 陽に焼けてない肌。野外運動部の人ではないし、運動をしてそうな体型でもない。


「私を引き留めたんですから、自分だけ納得して帰るとか、先輩としてどうなんです?」

「先輩だからって後輩に優しくしてあげる義理もないし、そんな校則もない」

「校則ありますよ」

「嘘!?」

「すみません、嘘です」

「驚かせないでよ!」


 そう言って、彼女は、私から数歩下がると、腰に手を当てて苦笑を浮かべる。


「変わってるね、君。山本さんと話してたってことは水泳部?」

「そうですけど」

「本は読む?」

「国語の教科書程度……」


 その言葉に、彼女は盛大なため息をつく。


「もったいないなぁ。山本さんはたくさん本読んでて、おすすめ本にハズレないのに」

「山本先輩とは、読書友達? なんですか?」

「そうだね」


 彼女は身近にあったパイプ椅子に腰を下ろす。


「君も座ったら?」


 目の前に背もたれのない丸椅子があったので、それに腰を下ろす。


「あの、保健の先生は?」

「カリちゃんは三階のカウンセリングルームに行ってる」

「カリ、ちゃん?」

「髪型がさ、カリフラワーっぽいじゃん」


 頭の中で、入学式に行われた教員紹介を思い出す。

 そう言えば、頭にパーマをかけた背の低いご婦人がいたような。


「名字も刈沼だし、本人も生徒からあだ名をもらえてうれしいみたいだから、今度から呼んであげて」

「……保健室を使う機会があれば」


 小、中学と、保健室を利用した思い出があまりないわけだが。


「えーっと、なんだっけ?」

「え?」

「なんでこんな状況になってるんだったか?」


 目の前の先輩は、足と腕を組んで真剣に悩んでいる。

 もしかして考えなしに呼び止めました?


「ピアノ弾いた人、探さないほうがいいって」

「そうだ」


 パチンと指を鳴らす。


「なんで、探しちゃいけないんですか?」


 勉強道具で重いバッグを足元に下ろす。「何か、あるんですか?」


「こうして話てるかぎり、君は悪い人じゃなさそうだね」

「はい?」

「ユモレスク聞いて、どう思った?」

「えっと」


 あの時の気持ちを言葉にするのは難しい。


「思ったというより、何かを感じたんです。――自分で言うのも恥ずかしいですけど、何かに触れられたっていうか」

「なるほど。それで、会ってどうするの?」

「会って、どうしたいかは、わからないんです」


 自然と顔が膝の上の手に向けられる。


「もう一度弾いてほしい、もう一度聞きたいって気持ちもあるし、どんな人なんだろうって興味もあるし、他にも色々、たくさん聞きたいって」


 ただ――


「迷惑じゃなければ」


 その一言に限る。

 先輩は、まるで音楽に耳を澄ますように、その言葉を聞いて、頷きを繰り返す。


「……君は、害になりそうにないな」

「害?」


 足を組むのを辞めて彼女は言う。


「君が探してるその人は私の友人だ」


 「会わせてください!」と立ち上がってお願いしようとするのを、彼女は片手で押しとどめる。


「友人は、ピアノを弾くことで、たくさん傷ついてきたんだよ。だから、私としては、あまり弾いてほしくない。本人が、弾きたいっていうなら、構わないよ。だけどね、」


 最初に私を呼び止めたのと同じ人物とは思えないほど優しい声だった。


「アイツは良い奴っていうか、根っからの善人みたいなもんでさ、たぶん君に褒められて、リクエストされたら、その通り、弾けるものなら何でも弾くと思う」


 頭の中で、あの時聞いたユモレスクが蘇る。


 四つの感情。


 自分の内側にあるすべてを見たうえで、他人の持つ、それらの感情も理解したような、老成した旋律。


「……とても、繊細な人なんですか?」

「まあ、一言で伝えるなら繊細だね。でも大胆なところもあるよ。そうじゃなきゃピアノはやってらんないよ」


 まるで、ピアノを弾く人の発言。


「あなたもピアノをやってたんですか?」

「そういう君だって、確かにドヴォルザークのユモレスクは有名な曲だけど、『七番』とまで言った。何か楽器をやって来たんじゃないの?」

「自分も、ピアノです」


 色々あって、鍵盤の感触も忘れるくらい触れてないけど。


「君は素直に感動してくれたみたいだけど、世の中、そういう人ばっかりじゃないんだ」


 背もたれに寄りかかり、ため息をつく。「同じくピアノを弾く人だったら、同じ分野にいる人間なら、尊敬よりも嫉妬する人間のほうが多いと思う。育った環境が良かったとか、難癖つけてくる」


「今までそれで傷つけられてきた、そういうことですか?」

「そう、有名税……は違うな、才能税って言えばいいのかな? 人より多くを持つ者は、なんて言う、あの典型が昔あったんだ。でもアイツは自分の才能に気づいてない、というよりどうでもいいんだよ。ただ音楽が好き、思いっきり演奏したい、もっとたくさんの曲を弾きたい、アイツを一言で表すなら純粋だ」


 学校のチャイムが、会話を中断させる。

 いつもと同じ学校とは思えない静けさ。


「……あなたは」


 こんなこと言ったら、また人間関係やり直しかな。


「あなたは、悪意から遠ざけたくて、その……友人さんにピアノを弾かせたくないんですか?」

「いいや」


 長い髪が、首が横に振られて宙を舞う。


「悪意から遠ざけたいと思ってる。ただ、弾かせたくないとは思ってない。もっと、いろんな人に聞いてもらいたいとさえ思ってる。でも、アイツはまだ怖がってる。自分が傷つくことじゃなくて、自分が弾くことで誰かが傷つくことと――」


 そこで、彼女は口を閉ざす。

 本当に純粋な人なんだなと思った。


 自分の力不足で悔しい思いをするのは誰しもあるはず。でも、それを受け止められないで人のせいにしてしまう、人をうらやむことしかできない人が――この高校にいる、ということか。


「そういうわけだから、アイツは合唱コンクールの伴奏はやらないと思うよ」

「そこまで聞いてたんですか?」

「たまたま耳に入って来ただけだよ」


 本当だろうか?


「うちの文化祭の合唱コンクールって言ったら、もう知ってるかもしれないけど、本当にガチだから。伴奏者の席も奪い合いなんだよ」

「そうなんですか?」

「腐っても女子高だから、結構醜い争いが見れるかもよ。それとも君は巻き込まれる方?」

「いえ、文化祭の後には水泳の新人戦もありますし、もう何年も弾いてなくて腕も鈍ってると思うんで」

「そっか」


 彼女はそう言って、締めくくり、大きくため息をついた。「はーあ、私の取りこし苦労か」


「もう保護者っていうか、過保護の域ですよね?」

「私はアイツに貸しがあるの。だからこれくらいはするよ」


 友人のため、大事な人のためなら、それくらいするかな?

 私には、まだそういう経験も相手もいない。


「ところでさ」


 先輩は気を取り直したような笑顔を向けてくる。

 始めは怖かったけど、笑うと美人だ。


「名前、聞いてもいいかな?」

「え?」

「ここまで深い話しておいて、名前知りませんでしたじゃなんか、なんかじゃない?」


 そう言われれば、そうかな?


「飯塚君花です。君の花って書きます。花は草冠の下がバケ学のほうの」

「じゃあ、今度から飯塚君と呼ぼう」

「部活とかクラスメイトからもそう呼ばれてるからいいですけど――って、なんでスマホいじってるんですか?」

「え、メアド交換しようと思って。それともヴォイシンクから始める?」

「どっちも同じじゃないんですか?」


 ヴォイシンクというのは、ソーシャルネットアプリの一つで、その中でも一番有名ならしい。


 高校入学準備中にスマホを買い与えられた自分は、ネットワークに疎(うと)く、私のスマホに入っているヴォイシンクは一生が勝手に入れたものだ。地味にパスワードもばれている始末だ。


 コミュニケーションツールだというが、知らない人からいきなり話しかけられるのは怖いので、まだ一生としかフレンズになっていない。


「それで、先輩の名前は?」

「私?」


 スマートフォンから顔を上げる。


「私は、池端優穂(ゆうほ)。優しいに、お米とかの穂。それでユーホ」

「空飛ぶ円盤ですか」

「みんなからそう言われるけど、あっちはユーフォーでしょ」

「ネッシーとか」

「あれはユーマ。飯塚君、案外ボキャブラリーある?」


 そういう先輩こそ、さすが山本先輩と読書友達ということで博識でいらっしゃる。


 優穂先輩は、スマホをいじりながら言う。


「アイツさ、結構気まぐれだから、もしかしたらまた演奏聞けるかもしれないし、放課後の第一音楽室に行けば会えるかもよ」


 放課後の第一音楽室か。


 部活のある私には遠い場所だ。


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