29 熱暴走
息が、苦しい。
全身が煮えたぎった湯に浸かったように熱い。
その熱さは時間が経つ毎に加速度的に増していく。そろそろ耐えられそうにない。
「やばいな、動けねぇ」
先ほどまで体調不良の原因は風邪だと思い寝ていたのだが、どうやら違ったらしい。この体の中から湧き上がる灼熱感は尋常ではない。それだけならまだしも、どういうわけか手足の自由が利かなかった。腕と脚には熱さ以外の感覚が無い気がする。夜中なので大声で助けを呼ぶのも憚られたが、そんな悠長なことを言っている場合ではないだろう。通信用の埋め込み型PETは現在故障中なので仕方あるまい。
そこで意を決して叫ぼうとしたところで――そいつは現れた。
『わふ! わふん……?』
ペシペシと細い紐のようなもので額を叩かれて気付く。
「ましろ……か?」
『わふ』
様子を見に来てやったぜ、感謝しろよ? という幻聴が聴こえてくる。あんな短い鳴き声にそんな内容が込められているとは思わないが、たしかにそう聴こえたのだ。
「すまん、こき使って悪いんだけど誰か呼んできてくれないか? 体が動かなくて熱がヤバイ。このままにしたら死ぬかも……」
情けないが頼れるのはお前だけなんだという気持ちを込めて伝えてみるが、反応が悪い。あ、これ理解してない顔だわ。首傾げてやがる!
「こうなれば仕方ない、ご近所迷惑かも知れないが叫ぼう」
当初の予定通りだ。タイミング良くましろが現れたので頼ろうと思ったのが間違いだった。期待して損しちゃったじゃないか。所詮こいつは獣、人間とは相容れない存在なのである。
『わふぅ……はぐ』
今だってほら、しょうがないなぁって顔しながら俺の腕を噛んでいるんだぜ? って、痛ーッ!?
「ちょ!? ましろ、それは止め――――え?」
『はぐはぐ……わひゅ』
ましろが噛み付いた箇所から痛みが拡がってくる。だが、それと同時に血が沸騰しているんじゃないかと思う程の灼熱感が徐々にだが引いてきていた。
そのまま数分だろうか。何もせずにジッと噛み付いたままの体勢で動きを止めたましろを見ていると
『わっふ!』
突然ましろの白銀の鎧の隙間、背中あたりからブシューッと白い蒸気のような物が噴出してきた。
「あれ……もう熱く、ない」
体の熱が平常時と同じにまで下がった気がする。腕と脚の感覚も戻ってきているようだ。もう少しすれば動かすことも出来るだろう。
『ぺっ、ぺっ』
ましろが俺の腕から口を離して、嫌そうに唾を吐き出す。そんなに不味かったのかな……あ、ベッドのシーツ噛んで口直ししてやがる。くそ、布に負けたのか俺。ああいや、今はそんなことどうでもよくて。
「助けてくれた、のか?」
『わっふ!』
そうだぞ、私を敬うんだなご主人。これは借りだからな? ちゃんと後で返すんだぞ。そんなふうに聴こえる。
いやだから、そんなに長い意味があるのかあの鳴き声に!? なんなのさっきから。もしかして特殊能力にでも目覚めたのか俺は。ははは、あまり役に立たない能力だな。生の動物ならともかく、ましろは機巧獣だから他に同じ物が存在しない。こいつ限定の翻訳機能とか正直あっても嬉しくないんだけど。
「でも、そうだな。借りは借りだ、いつか倍にして返すよ。ありがとう、ましろ」
助けられた事には変わりない。相手が人型をしていなかったというだけの話だ。それに、ましろではなく他の……シエルや沙耶が来てくれたとしても解決しなかった可能性すらある。熱の引いてきて回り出した頭では今回の件について予想がつき始めていた。
『わふ』
ましろは俺のそんな返答に満足したのかベッドに乗せていた半身を降ろすと扉の方へと向かって歩いていく。どうやって入って来たのか不思議ではあったが、そうか、尻尾でドアノブを回していたんだな。まあ、俺の部屋にはセキュリティセンサーが付いてないから出入り自由だけど、そんな器用な事も出来るとは。
白い獣が出て行った後、閉まる扉を見て起こしかけていた体を再び柔らかい布団へと沈める。少し汗で湿ってはいるが我慢しよう、着替えられるほどには体がまだ動かないのだ。
「……とりあえず寝るか」
熱さが無くなり命の危機が去った事を実感すると急に眠気が襲ってきた。時刻も深夜一時、眠くて当たり前な時間だ。朝まで寝れば十分な休息は取れるだろう。起きる頃には体の自由も利くようになっているはずだ。それに起きててもやることもやれることもないしな。欲望の赴くまま惰眠をむさぼるのも時には大事だと俺は思う。
「ぐー、すぴぃ」
いつもながら寝入るのは早い。目を閉じてから数秒で闇の中へと落ちていった。
「――――てな事が夜中にあったんだが、どう思うよシエル」
朝、様子を見に来てくれた沙耶に着替えを手伝ってもらい、ふらつく体を支えられながらリビングまで降りると、シエルが心配そうな面持ちで待ち構えていたので起きた事を説明することにしたのだ。
それを聞いてシエルは何やら考え込んだあと、少し間を置いてこう告げたのだった。
「キョーマ。この付近に医療機器の充実している施設はありますか」
「え、あー……それなら師匠の居る所だろうな。あそこは高度先進医療研究センターの跡地だし、まだ使える機械が残ってるはずだけど」
「そうですか。昨日沙耶さんたちと話をしていて出てきたキョーマのその『師匠』さんに一度会ってみたいと思っていたところでしたのでちょうどいいですね。今から行きましょう」
ん……? 話が急過ぎて付いていけないんだけど。
「ましろ、使う?」
「はい。キョーマは歩行も困難なようですし、その方が安全でしょう。ましろさん、お願いします」
『わふ』
訝しげな顔でシエルを見ていたら、ましろの尻尾が巻き付いてきて背中に乗せられてしまった。中々座り心地が良いなお前。
「私も一緒に、行った方が、いい?」
「いえ、アリアは今日は休息に専念して下さい。まだ眠いのでしょう?」
「ん、いくらでも、眠れそう」
「あはは。エネルギーが回復しきっていない証拠ですねぇ。心配しなくてもそうそう危険な事は起こらないので大丈夫ですよ」
「シエルさん、その言い方はフラグが立つからやめた方がいいと思うよ」
「はい? 意味がよくわかりませんが、とにかく私が責任を持ってキョーマを連れて行くので安心して下さい。では、行きましょうか」
訳もわからず、そのままシエルが玄関へと向かって歩いていく。俺はもちろん、それに追従するましろの背に乗せられて連行されるのみだ。
「よろしくお願いしますね、シエルさん」
「ええ、任せて下さい。そういえば、お義母さんはどうなされましたか?」
シエルが気付いたのでリビングを出て行く前に周りを見渡すが、母さんの姿が見えなかった。まだ部屋で寝ているのだろうか。
「えと、お母さんは……その……」
沙耶が目を泳がせながら言いよどむ。なんだ? もしかして母さんに何かあったのか?
「腹痛で、起きられません……」
「は……?」
「いやあの、夕食を食べ過ぎてたのはたしかなのですが……どうにも就寝中に一緒のベッドで寝ていたアリアさんの腕が腹部にクリーンヒットしたらしく『あとは任せたぞ、娘……がくっ』と言い残して休眠モードに入ってしまいました。多分あと数時間は修復が終わらないかと思います」
「あぅ……不幸な事故、だった」
なんだそりゃ。寝ているだけでコントのような事が起きるものなのか我が家は。
「まあ、なんだ。とりあえず、アリアは今度から一人で寝るようにな」
「ん、そうする。起きたら、ごめんなさい、しなきゃ」
寝ている間の事とはいえ、自分のしでかした失敗だからな。俺も寝相が悪い方なのでとやかく言う権利はないな。あとでアリアには一人部屋を用意してあげよう。それなら痛ましい事故も起きるまい。問題は現状部屋の数が足りてないということであるが……解決策を考えておこう。
「行ってきます」
落ち込んでしょんぼりするアリアの頭を撫でてからその場を後にした。
「それで、師匠の所に行ってどうするんだ?」
ましろの上でゆらゆらと頭を左右に振られながら目的地を目指しつつシエルに理由を聞いてみる。いきなり医療機器のある場所を訊いてきたり、俺が強制的に連行されているのにはそれなりの意味があるはずだしな。
「その前に聞いておきたいのですが、キョーマ……あなた、リミッターはどうしましたか?」
「え? そういえば解除したっきりだった気がするな。なんか問題でもあるのか、無理をしないなら別に――」
「無理をしてるからこうなってるんですよッ!!」
おわ!? びっくりした! シエルがこんな大声出したところ初めて見たんだけど。まるで怒ってるみたいな……俺何か変なこと言ったかな。
「キョーマは馬鹿なんですか? いえ、バカですね! 私言いましたよね、無理をするなって。リミッターを解除するっていうのは、自分の限界を超えるという事なんですよ? 一度解き放ったら二度と元には戻せないんです。大きな力には代償が付いてくるものですから……」
「――すまん。だけど、そうしないと死んでた。俺だけならともかく、沙耶もアリアも……きっと、この街に住んでる住民も全てが。そうだな、俺が浅はかだったよ。生きて帰って来れたからって楽観的に考えてたかもしれない」
そう、そうだった。ビーストとの戦いで俺はリミッターを解いただけでなく、動かない体を無理に動かしたのだ。帰って来る頃には少し落ち着いていたので動けてはいたが、結局のところ……俺は壊れていたらしい。完全にとは言わないが、シエルが怒るくらいには重症なのだろう。
「……少し取り乱しました、すみません。リミッター解除をしての過稼動の他に怪我とかもしてますよね、多分ですけど。気付いてないかもしれませんが、キョーマの右手――小指と薬指が動いてません」
え、とシエルに言われて右手を動かしてみる。本当だ、三本の指しか稼動していない。昨夜はカレーライスを食べるのにスプーンを使っただけだったので気付かなかったようだ。小指と薬指は握った状態から開くことが出来ないでいた。
「――全然反応がないな、完全に動かせないみたいだ。そういや、ビーストに一撃を加えた時に手が潰れて腕の中ほどから先の肉を持っていかれたんだっけか。見た目が綺麗に治ってたし、あの時は動いてたからなぁ」
「潰れた……という事は骨格が破損したんですか?」
「ああうん、こうぐしゃっと」
手首を内側へと折り曲げて当時の状況をわかりやすく表現する。うん、我ながらよく治ったもんだ。
「で、その上の組織も剥がれた後に修復されたと」
「そうだな。いやぁ、自分の肉体が生え変わる瞬間とか初めて見たよ。結構グロかったなぁ」
思い出して若干身震いする。あんな経験は当分したくはないな。
「骨格の自己修復に肉体の再生、さらには以前の蘇生も重なると――」
しばしの間俯きながら思考をめぐらすシエルだが、やがて顔を上げ、こんな単語を口にした。
「竜の息吹――ドラゴンブレス」
なんかカッコイイんだけど。中二病にでも目覚めたのか? そんなわけないか、沙耶じゃあるまいし。
「キョーマの症状には、それが当てはまります。ましろさんが居てくれて良かった。彼女が居なかったら昨夜の時点でキョーマは死んでいたはずです」
さらっと怖いこと言うな。ていうか、ましろってメスだったのか……
『わっふ』
その通りだ、感謝しろよご主人。私のおかげで拾った命、せいぜい大事にするんだな。と聴こえ……これもう気のせいじゃないよな。多分ましろから意思疎通用の電波信号出てると思う。向こうが俺のことをマスター認定しているみたいだし、パスが繋がってるのかも。
「お、おう。ましろには後日謝礼を渡すとして――そのドラゴンなんちゃらってのはなんなんだいったい? はっ、もしや俺の中に秘められた古代の竜の力が解放されようと……」
「真面目な話をしているので、ふざけないで下さい」
怒られちった。てへ。
「すみませんでした。俺の体が現在どうなってるのか教えて下さると光栄ですシエルさん」
「はい。理由としては単純な原理です……キョーマにはPETの義体である四肢だけでなく、機械仕掛けの心臓、マキナ・ハートが移植されているのですが、今回はそれを原因とする熱暴走を起こしてしまったというのが私の見解です。灼熱感に苛まれたのがその証拠ですね」
「熱暴走っていうと、オーバーヒーティング現象の事か?」
こんな体になった後、暇を持て余してる間に読んだ文献にそんな記述があったのを憶えている。だが、それは最初期の機巧人形が完成する前に行われた実験でのみ起こった悲劇だったはずだ。なんでも義体を動かす時に生じる熱が処理しきれずに内部にこもってしまい、それが原因で機能不全を起こしてしまうという。度が過ぎるとあまりの熱量に使われている骨格が溶け出してしまって、形状を保てないばかりか装着者に著しい負担を強いる事になる。悲劇というのは、それで死亡者が出てしまったためだ。現在作られている物ではそうならないように使用される素材も熱に強く、生じてしまった熱を動力に置換する機溝があるので問題にはならない。
「ええ、詳しいですねキョーマ。そうですね、本来なら義体内で熱処理も完結しているので体内へとその排熱が流れ込むような事はないんです。しかし、それはマキナ・ハートたるコアだけは例外でして……そもそもコアは人間に使うように出来ていないので、エネルギーと共に際限なく熱を放出しているのですよ。キョーマの場合は電力だけでなく血液などの体液もコアから供給しているので余計に影響が出易いんだと思います。動作に支障の出ない限界点であるポイントを超えないようにしておいたリミッター機能を解除してしまったのも一つの要因ですね。限界を超えた過稼動によって生み出された熱が体内から排熱し切れずに生身の肉体へと流れて、内側から焼かれていたのだと思います。右手の再生が不完全なのは腕の肉を剥がされた後の修復で既に体内の熱量が許容量一杯になってしまったせいでしょう。熱暴走によって停止してしまった内部システムを再起動しないと、それ以上に良くなることはありませんよ」
なるほど、それで医療機器が必要なわけだな。家にある機材ではパラメータの変更は出来てもシステムそのものを弄ることが出来ないからな。再起動には専用の装置が必要になるんだろう。
「つまり、その溜まってしまった熱をましろが自分の体を経由して排熱してくれたってことか。あの蒸気にはそんな意味があったんだな。ようは後は右腕のシステムを再起動すればOKってわけなんだよな?」
「端的に言えばそうなりますね。でも、それで大丈夫なんですかキョーマとしては」
「どういうことだ? 俺としては元通りに直ってさえくれれば文句はないんだけど……」
いったい何が言いたいのだろうシエルは。
そんなふうに現状について話し合いをしていると師匠の住処、高度先進医療研究センターが見えてくる。
駐車場には師匠の愛車が止まっていたので不在という事はないだろう。彼女は遺伝子異常のせいで紫外線に弱いため歩いての外出などはしないからな。夜だったらフラフラと外を散歩していることも無くはないけど。
いつものように開かない自動ドアを自分で開けて中へと入って行く。最初にガラスの中央にある押すとドアが開くというボタンをシエルが連打しているのを見て笑っていたら怒られた。電源が入ってないなら先に言って下さいだと? ははは、すまん忘れてたんだ。俺もたまにドアが勝手に開くと思って突っ込むからな。ボタンがあるんだから押したら開くと思うじゃんか……三回に一回くらいは頭突きしてる気がする。このガラス製の板に。
研究室のある所までの道のりを間違うことはなかった。
ここまで同じような見た目の扉が何個もあるのだが、さすがに通い慣れたからな。
「師匠~、入りますねー」
コンコンと軽くノックをしてから扉を――
「どうしたんです、キョーマ?」
さっきの撤回な。間違う事もあるだろ、人間なんだから!
師匠のいる研究室以外は基本的に鍵がかかっているので開かないのだ。ガチャガチャと開かない扉と無駄に格闘しちまったぜ。あー恥ずかしい。
今度は間違わないようにと上の方にある部屋の名前を記載したプレートを確認してから同じ工程を繰り返した。第二研究室、うん間違いない。
「…………え?」
だが、扉を開け放って中に入ろうとすると――思いもよらない光景が広がっていたのだった。
「キョーマ、そこで立ち止まられると私が中に入れないですぅ」
入り口で呆然と立ち尽くす俺を押しのけるようにしてシエルが中へと入って来る。
「ぷはっ、もう何なんですか? いきなり通せんぼするなんてキョーマはいじわるですねぇ」
『わふ、わっふ!』
「はい? どうしたんですかましろさん――って、えぇー!? し、死んで……人が死んでますッ!? あわわっ、どうしましょうキョーマ! 誰か呼んで来ないと! はっ、何か床に書かれていますね」
赤い髪をして白衣に身を包んだ倒れ伏す者へと近づくシエル。その足元には書類の紙束や金属でできた機械の部品などが散乱している。
「えっと、なになに……犯人はヤ」
おっとそれ以上は言ってはいけない。なんてベタなことをしているんだあんたは……。
「シエル、ちょっとそこどいてくれ」
「あっ、はい」
死体(仮)の近くにしゃがんでいたシエルに移動してもらい、俺は腰に着けていたポーチの中からあるものを取り出す。
「師匠、起きて下さい。悪ふざけが過ぎますよ」
スッパーンっと小気味の良い音を響かせて紙を蛇腹状に折り畳んだ、いわゆるハリセンを赤髪へと振り抜いた。
「みぎゃーーーッ!?」
音のわりに威力は無いんだけどなコレ……。




