28 体調不良
「キョーマ、カレーのおかわりはいいです?」
話も一段落したので食事の再開をした俺だったが、気付けば皿の中が空になっていたようだ。
「いや、いいよ。俺はそこまで食える方じゃないから。それにしても、今日の味付けはずいぶんとさっぱりしてたな。おかげで大盛りでもさらさらいけたよ」
最初に盛られたカレーライスの山を見て少し残すのも覚悟していたんだけど。俺は母さんみたいに無限の胃袋は持ってないわけで……。育ち盛りだからわりと食べてると思ってたんだが、母さんいわくもっと食えということらしいんだよな。
「?」
「どうしたんだ、アリア」
そんな俺の感想を聞いた黒髪の少女、アリアが訝しげな顔で俺のことを見つめてくる。金色の双眸がとても神秘的な魅力を放っているが、ずっと見ていると魂を吸われそうな感覚がするから不思議だ。魅了の魔法でもかかっているんじゃなかろうか? ……なんてな。
「シエルの、カレーライス、とっても、スパイシー」
「スパイシーって、香辛料が効いてるってことか?」
俺のその問いにコクコクと首を縦に振るアリア。いちいち動作が可愛いな。相変わらず感情の機微が読み取り辛い無表情に近い顔ではあるが。
「そうですね。アリアの言うとおり今日のカレーは自信作なのです! 我が家に伝わる秘伝のレシピを元に私が独自にアレンジを加えた大人向けな味付けですよ! この国は良いですね、食材が豊富で。多少材料費はかかりますが、思い通りの味が作れるので嬉しいです」
ふんすと鼻息も荒く自慢げに語る明るい茶色の髪をした女の子、シエル。ウェーブがかった短めの髪が白い肌の色と合わさりなんとも愛らしい。良く見ると食事の準備をする時にしていたエプロンを着けたままである。ドジッ子さんだ。
「そうだよ、お兄ちゃん。こんなに美味しい物、私初めて食べたかもしれない」
「んぐんぐ」
そんなシエルの力説を肯定するのは我が妹、沙耶だ。カレーライスを一口頬張る度にうっとりとした顔で頬に手を当てている。
ちなみに母さんは無言で空になったお皿への追加を要求していた。さすがにやめといた方が良いんじゃないか? もう四杯目だろ、それ……。
「きょーま、あーん」
と、そんな全員から批判を受ける俺にアリアがカレーをスプーンでひとすくいすると顔に近づけてくる。
「あむ。むぐむぐ」
それを口に入れ確認するように味わう。いや、別にアリアが使ってたスプーンに付いてる唾液の味を確認したんじゃないよ? 最高の調味料だとは思うけど、そんなことしたら変態じゃないか。否定はしないけどさ。
「どう」
「……ごくん。ああ、駄目だわこれ」
「ふぇ!? お口に合いませんでしたか? ご、ごめんなさいです」
動揺を隠せずに落ち込むシエル。俺の感想ってそんなに大事なのかね? 他の皆が絶賛してくれているんだからいいと思うんだけど。
「ああいや。多分、美味しいとは思う」
鼻に抜ける香辛料のいい香りは食欲を刺激する最高の物だと理解出来た。ただ……
「多分って、どういうことです?」
「ごめん。味が――わからない」
舌からは味と呼べる感覚情報が伝わって来なかった。
つまり……味覚が完全に、無い。
「へ?」
「風邪でもひいたのかなぁ。ここ数年病気とかかかったことなかったんだけど」
昔、風邪になった時も味が感じられなくなった覚えがある。あの時は二、三日寝てれば治ったはずだから、今日も早めに寝ることとしよう。
「キョーマが、風邪……?」
だというのに、シエルはありえない物でも見たという顔をしていた。別に風邪くらいひくだろ? 人間なんだし。
「息子、もう寝るといい。片付けはやっておく」
「そうだね。お兄ちゃん、あとは任せて」
家族の労わりが心に沁みるねぇ。片付けはともかく、アリアの事とか任せちゃって大丈夫なのだろうか。シエルもいるし、心配する必要はないかな?
「ん、そうする。悪いけど、頼んだ」
二人を信じることにしよう。まあ、悪いようにはならないだろうし。
ぽすぽすとアリアの頭に軽く手を当て、自室に戻る事にした。
「きょーま、心配」
「大丈夫ですよ。少し疲れが出ているだけでしょう。今日は色々あったみたいですから、ね」
心配するアリアを沙耶がまるで姉のように宥める。製造されてからの年月を考えればアリアの方がずっと年上ではあるが、そこは家族としての違いだろうか。彼に対する信頼の度合いを感じさせる。
「むぅ……沙耶、ママみたい」
「ママ――というと、あなたを造った人でしょうか?」
話には直接加わりはしなかったが、聞いた限りの情報を統合するにアリアの元所有者の事だろうと推測する。まあ、響真が彼女のマスターになった経緯については知らないが、彼が話さないならこちらから訊くということはしないつもりである。気にはなるが無理強いしてはならないのだ。主従関係であるがゆえに。しかし! 加えて言うが、気にはなっている。ぐぎぎ、私だけのお兄ちゃんだったのに! あ、お母さんはノーカンで。私とは製造年月日も近いので本当の家族のような感じだし。
「うん。沙耶は……ママと同じで、優しくて、大っきい」
「あ、あー……たしかに。一部分を見れば似てなくもありませんね」
アリアの沙耶についての感想にシエルが相槌を打つ。ただ、小声で『先生って、優しくはないような……?』と言葉をもらしてはいたが。
そんな二人の感想に沙耶は己の姿を見下ろす。
「一部分って……胸部装甲のことでしょうか?」
「装甲って言い方はどうかと――あれ、もしかして本当に装甲みたいなんです? 見るからに柔らかそうな感じをしていますけど、衝撃に対しては抜群の防御力を誇るとか」
シエルが沙耶の豊満な胸を見て戦慄している。自分には今後成長したとしても到達出来なさそうな大きさだ。
「ふっ。試してみるといい」
そして、気障ったらしく笑みを浮かべ悪ノリする沙耶。だが――
「ん、わかった。試す」
シエルに言ったつもりだったのに、アリアがメギャリッという音を立てて拳を握り締めたところで死を覚悟した。
共に機械の体ではあるが、多分彼女の一撃は耐えられまい。自分とは造られた用途が違い過ぎると遅ればせながら気付いたようだ。
「あっ、ちょ……!?」
「そこまで! 息子、具合悪くて寝てる。静かにしなさい」
アリアのストレートナックルが沙耶の胸部装甲(自称)に決まる紙一重の所でピタリと止まった。
「ざんねん。でも、不思議」
「何が不思議なんです?」
お母さん、助けてくれてありがとうと泣き崩れている沙耶を置いて会話が進んでいく。ちなみに声は先ほどより控えめになっている。これなら大丈夫だろう。
「ん、沙耶、私より大っきい。だけど、服のサイズ、一緒?」
着ているシャツを伸ばしながら思案顔になるアリア。普段から無表情な顔に慣れている沙耶としては彼女の方が少しだけ感情が読み取り易いと感じてさえいた。
「あー……それはですね」
うん、駄目だな。腰が抜けてしまって立てないや。機巧人形なのに恐怖で体が動かなくなるなんて思いもよらなかったよ。
「――このままで失礼致します。アリアさんがマスターの言っていた方だったんですね。私の服がピッタリだったと聞き及んでいますが、それは肩幅やウエストの事を言っていたんだと思います。シャツの胸部分については自動調節機能がありますので、大きさは関係ないのですよ。服全体に調節機能を持たせるとデザインや着心地が悪くなるらしく、一部分だけになってしまうのが難点みたいですが」
「それでこの服も妙にフィット感がよかったんですねぇ。キョーマが選んだわりにはサイズが合いすぎてビックリしていたのですが、謎が解けました」
沙耶が着ている服もシエルがこの国に来て響真と一緒に購入した服も同じ商店街製だ。ある程度の範囲に収まっていれば胸が大きくても小さくても自動的にサイズを調節してくれるため、デザインが気に入ったのに胸がつっかえて着れないという絶望する状況がなくなる素晴らしいアイデア商品である。街で取り扱っている女性物の服が高いのはこのせいでもあったりする。響真はそれを知らないようではあるけど。
「難しい話、苦手」
「うーん……服も科学を応用して作られてるって感じでしょうか」
「私やアリアさんのコレみたいな物ですよ」
むにむにと自分の腕に着いている人工皮膚をつまんで見せる。機巧人形に使われているそれは製造時期または用途によって骨格のサイズにバラつきがある彼女たち用に開発された特殊な物だ。素体に被せると自動的に設定した姿形になり、その後は半永久的に固定される。もちろん人工皮膚とはいっても人間の皮膚と同じように見た目通りの機能も有するので、今回の場合は単にサイズの調節機能の事だけを捉えて言ったのだろう。
「ん、なるほど。なんとなく、わかった」
「あはは。この国では私の知識にある最先端技術の一歩先を行った開発が行われているようですねぇ」
「この国――というよりは、あの商店街のある街だけだと思いますよ? 科学力が世界の各国より抜きん出ているのは。服飾関係もそうですが、人間の生活に関わる物の利便性が段違いに進んでいると思います」
沙耶に言われて今更ながらに思い出す。出かけた時に買い物に使っていたバッグも考えてみれば他国で見た事がなかったことに。先生と世界の都市を渡り歩いていた自分だからこそ理解出来る。
この発展の仕方は異常だと。
機巧人形の人工知能についてもそうだ。沙耶のように人間と変わらない反応をするAIは他国には存在しない。会話訓練を積んで長い時間を経たアリアでさえ、たどたどしく拙い喋り方をしているのだから。
商店街には沙耶ほどでないにしろ、それなりに会話の上手い者もいたので、もしかすると学習装置のような物が存在しているのかもしれない。あとで確認しておこうと思う。
「そうなのですか……。ですが、何故商店街のある街だけなのです? 開発者がこの国の方ならば――」
「それはもちろん、開発者がここに住んでいるからですよ。そのために近くにある街――商店街がマーケット、拠点になっているんです。開発された物は実際に人々の反応を見てから規模を拡大して、やがては世界へと拡がっていくのが最近の流れでしょうか。近々、トートバッグの理論を応用し大型化した輸送用コンテナが隣国間の物資の取引に使われるとの事ですし。それに本人いわく、創った物を国に売り渡すのは金のためにしているみたいで嫌だとか。結局は利権の関係でどうしてもお金が絡んで来るんですけどね。建前上はもう一人の研究者との共同開発ってことにしているみたいですが」
「つまり……犯人は……?」
「そう、真犯人はこの家の中にいたのだ!」
ズビシッと先ほど戻って行った響真が寝ているであろう部屋の方向を指差して宣言する沙耶。犯人とは言うが、別に悪い事をしているわけではない。むしろどちらかと言えば人助けをしているわけで。
「ああ! そういえば前にペット関係の仕事をしていると言っていましたね。なるほど、開発者だったのですかキョーマは。どうりで白き閃光と対峙した時もやけに詳しかったのですねぇ。あの時は気が動転していて深く考えていませんでした。今度一緒に何かを創るというのも良いかも――と、そのキョーマとPETの共同開発に携わっているという人は誰なんです? もしかして沙耶さんとか?」
「シエルさん、こういう時は一緒に悪ノリするかツッコミをするんです。素で返されると恥ずかしいじゃないですか。まあ、いいけど……えと、お兄ちゃんと一緒に何か作ってるのは私じゃないです。名前は知りませんけど、たしかお兄ちゃんは『師匠』と呼んでいましたね。赤い髪で紅い眼をしたマッドサイエンティストだとか。一度研究室にお邪魔した際に落ちている物を片付けようと動かしたら追い出されました……意味がわかりません、まったく。それ以来会ってませんね、彼女とは」
「はぁ、キョーマの周りには女の人しかいないのですかねぇ。ですが、眼はともかく赤い髪ですか……遺伝子異常なのかもしれませんね。昔の戦争で使われた兵器には人体に有害な物質も含まれていたと聞きますし、その影響でしょう。あと沙耶さん、研究者の物を勝手に触ってはいけませんよ? 私も先生に教わったのですが、仮に床に落ちていたとしても、そこに置いてあるのは深い理由があるらしいですから。私も意味がわからないのには同意するところですけれどねぇ」
深いため息をつく二人。シエルは人間なので感情が動作に表れるのが当然ではあるのだが、機巧人形の沙耶まで同じ動作をするのが見ていて不思議だとアリアは眠い眼を擦りながら思った。そろそろ活動時間の限界だ。実のところ、私はあまり燃費が良くない。人間と同じように休息を取らなければ日中にエネルギー切れで倒れてしまう可能性すらあるのだ。見た目は睡眠をしているように見えても、実際には不要な動作をせずに余剰に生まれたエネルギーを体内に蓄電する苦肉の策なのである。けっして本当に眠いとかじゃないもん。そう、今日は色々あって疲れただけだから! バッテリーが枯渇寸前なだけだから!
「……ふぁ」
「アリア、眠いならベッドで寝るのを推奨する。今夜は、私と一緒」
「あれ? 私の部屋じゃなくて大丈夫?」
「沙耶はシエルと同室。だから、アリアは私がもらうの」
いやでも、シエルさんって夜になると何処かへ行っちゃうから結局寝る時は一人なんだよなぁ。わりと広い部屋を与えられているので、自分だけだと少し寂しかったりする。
「んぅ……きょーまと、一緒が、いい」
「息子、今日は具合が悪い。だから、明日からそうすると――わがままを言わせてもらえば、私も息子と同室が良いのだけど?」
「最初は三人で一緒の部屋でしたよね、たしか」
この家に越してきたばかりの頃はマスターを挟んで両隣で寝ていたと思い出す。お兄ちゃんは私たちの思考回路がまだ成熟されていなかったので、心配だからと一日中そばに居てくれたのだ。
「懐かしい。でも、息子は恥かしがり屋だから」
「そうだねー。私たちに自我が目覚めてからは別々になっちゃったもんねぇ」
ふふ、と親子揃って懐かしげに語る。
「あれ? お二人とも、最初は自我が無かったんですか? おかしいですねぇ、本来ならメイドタイプは多少の思考パターンがインストールされているはずなのですが……」
「ええ。そもそも私と彼女はメイドタイプではありませんから。市販されている汎用型とは違い、マスターである響真様のためだけに造られた存在ですので。家族を演じているのもマスターのお願いあってのことです。私は、いえ彼女も現在ではマスターを本当の家族と思ってはいますけどね」
だからこそ、沙耶たちは人間に近い行動が出来るとも言えた。行動に一切の束縛なく、役割のみ与えられた自由な存在。響真が本当に欲しいと願った、家族として。
「そうでしたか。しかし、人工の自我を入れずに感情が芽生えるまで待つというのは……人間と同じ……ああ、それで今まで違和感が無かったのですねぇ。人工的に作られた行動パターンですと、どうしても人と生活する上で齟齬が発生するものですし。私がこの家に来てからそれを感じなかったのは本当に凄い事だと思いますよ。一からは創れないにしても、私も機巧人形の開発には――」
「すぴぃー……あぅ……くかー」
うつらうつらとしながらも会話を聞いていたアリアだったが、眠さの限界を向かえてテーブルへと頭を打ち付けるようにして落ちた。幸せそうな寝顔で口元からは唾液が垂れている。
「続きはまた今度にしましょうか。では、私たちも就寝の準備を」
「ん、アリアは私が連れてく」
話はここまでのようだ。雑談形式にはなってしまったが、お互いの事を知るいい機会になったとは思う。特に機巧人形の積む人工知能の可能性については大きな収穫があった。今後、先生に会うことがあるとすれば話も弾むだろう。今はまだ確執があるので、まずはそれを解消してからだけど。
「お母さん、一人で持てる?」
「大丈夫――ではない。手伝って欲しい、娘たち」
アリアを背負うようにしていたが、思いのほか重量があったようだ。慌てて支えに入る。
「彼女の体は特別製ですからねぇ。重いのは仕方ないかと」
「何か、違うん、ですか?」
よいせっと母に代わりアリアを背負う沙耶。沙耶の方が身長が大きい分、バランスがとり易いようであった。もちろん、横で支えもしてもらってはいるが。
自分たちの部屋のある二階へと向かいながらシエルにアリアの体の事について訊く。
「はい。といっても素材ではなく設計が根本的に違うんですよ。私も研究所で設計図をチラッと見ただけですので詳しくは知らないのですが、どうやら皮膚のすぐ下に骨格であるフレームがあるみたいなんですよね。あなたたち後期に製造された機巧人形は人間の骨と同じような形に硬く重い金属骨格を使って、その上に軽量な合成金属の筋肉と皮膚を乗せています。より柔軟な動きを出来るようにした結果ですね。だけど彼女の場合は、その重い金属骨格が大量に使われているわけでして……多分、重量だけでなく燃費も悪いのではないでしょうか?」
「そうでしょうね。私たちも眠くはなりますが、このように会話の途中でいきなり落ちることはありませんから。典型的なエネルギー不足の症状だと思います。過去に一週間ほど連続稼動した時に同じような症状になりかけた事があります。適度に休息を取れば外部充電に頼らなくても活動に支障が出ないように設計されていますので、完全に私の落ち度ですね。コンセントから充電するの嫌いなんですよ……なんかムズムズするし」
部屋に着いたのでアリアをベッドの上へと降ろす。その後、母がクローゼットから出したフリーサイズの寝巻きへと着替えさせた。三人がかりでやっとの重労働である。今度からは自分でしてもらおう。
「完全にバッテリーが切れたわけではないようですし、このまま寝かせておけば問題ないですかね」
ベッドの上でスヤスヤと寝息を立てるアリアの顔を見ながらシエルが見解を述べる。仮にバッテリーが空になった場合、自己発電が出来なくなってしまうのでコンセントに繋ぐ必要がある。そのために残量が残り少なくなると強制的に動作を停止させようと眠気として現れるのだ。今のように周りに人がいれば良いのだが、単独行動中にそうなった時はお察しである。
「それじゃ、おやすみなさい」
「ん、シエルも今夜は自室待機」
「あっ、はい。おやすみなさいです」
「おやすみ、娘たち」
挨拶を交わしてから沙耶と共に自室へと戻るシエル。どうやらお義母さんには普段からキョーマの部屋に侵入しているのがバレていたようである。それに今日は彼の具合が悪いため控えろと釘を刺されてしまった。大人しく沙耶の部屋のクローゼットで我慢しよう。
「……あの、シエルさん?」
そう思って狭い空間で寝具の準備をしていると、沙耶が訝しげな顔でこちらを見ているのに気付いた。
「なんですか?」
「普通にベッド使って下さい」
シエルが来てから追加されたベッドが、沙耶の部屋には未使用で置かれていた。
「…………」
沙耶と真新しいベッドを見比べた後、そっとクローゼットの扉を閉める。
「えっと、あれぇー」
「すみません、冗談です」
閉じられてから数秒経過してシエルが出てきた。なるほど、ボケをかましてくれたわけだな。ふふふ、本当に無視されたかと思って焦ったのは黙っておこう!
「ですが、ここで寝ては駄目でしょうか……慣れてしまったせいか、どうにも狭い所でないと眠れなくて」
いったい何処でそんな経験をしてきたのだろうか。この国に来る前に各国を回っていたと聞くし、それの関係でそんな体に……? 不憫でならないが、私ではどうすることも出来ない問題だ。ここは素直に頷いておく時だと思う。
「え、あ、はい。シエルさんがそれでよろしいのでしたら、ご自由にどうぞ」
「ありがとうございます。そういう事ですので、ベッドの方は明日からアリアに使ってもらうのはどうですかね。私にはこんな高級な物で寝る資格ありませんから。しょせん居候な身ですので」
「卑屈ッ!! 卑屈過ぎるよシエルさん!? どうしたの急に!?」
「あれ? 私なりにボケたつもりだったのですが……」
まだ続いてたのかぁー! わかり辛いよシエルさん……。
「まあ、後半はともかくベッドをアリアに使ってもらった方がいいと思ってるのは本音です。お義母さんと一緒のベッドだとさすがに狭そうでしたし。私はここで十分ですので。狭い所好きですし」
本心と冗談が混ざっていて読み取るのが大変であるが、つまりベッドは要らないしクローゼットの中で眠りたいって事かな。うん、よくわからん。
「シエルさんがそう言うなら……明日にでもベッドをお母さんの部屋に移動しておきますね」
「はい、お願いします。私も毎日ここで眠るわけではないので、無駄になってしまいますからね。それじゃ、おやすみなさい沙耶さん」
「おやすみなさい……」
そしてクローゼットの扉が再び閉められた。うーん、私物が少ないとはいえ本当に狭いんだけどなぁ。下段に空いてる隙間はほとんど無い。そんな所を好むなんて猫みたいだ。丸まるようにして眠るシエルを思い浮かべて思わず笑みがこぼれる。はっ、マスターがシエルさんを見て時々ニヤニヤしてるのはこのせいか。人類が皆シエルさんだったら世界は平和になったであろう。……その代わり何かドジな事をしでかして滅亡しそうでもあるが。
「……寝よ」
無駄な事を妄想して楽しむのは私の悪いクセだ。あまりに酷い時は周りの音声を遮断してしまっていて、大事な時に反応が遅れたりする。気をつけよう。
目を閉じ楽しい夢の世界へと旅立って行く。機械だから夢は見ないだろうって? ふっ、私は選ばれし者なのだ。そこらのマシンドールとは性能が……――
こうして奏家の面々は全員が眠りについていった。
ただ一人、いや一匹か。
白い獣を除いて。




