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13 行き違いの果て

 私は誰からも愛されていない。


 そう思ったのはいつからだろうか。


「まだちょっと臭うかな……」


 ゴシゴシ。

 泡を立て、タオルで体を(こす)る。


「…………ん。これでだいじょぶ」


 ザパーッという音をさせて水をかぶり、体に付いた汚れとともに泡を落とす。


 タオルを頭に乗せ乱暴に濡れた髪を(ぬぐ)っていく。


 あらかた水分を取り終わると、長いタオルを床に投げ去りベッドへと倒れこむ。


「んみゅ……やーらかいお布団久しぶり」


 湿った長い黒髪がベッドへと広がり、波打つ。


「んぅ……」


 すぐに睡魔がやって来る。

 自室で安心して眠れる機会は中々ない。

 マスターが出て行く前は毎日のように使っていたが、最近はベルが工房への扉に鍵を掛けてしまうので室内に入ることすら出来ないでいた。

 食事などは時間になると洞窟内の安全地帯に置かれていたので、それを食べていた。


 ――何故か枕が濡れていた。


 髪から滴った水滴だろうか。

 あまり濡れるとまとわり付くので寝心地が悪くなる。

 もう少しちゃんと()いた方がよかったかな。


 でも、なんでだろう。


 どんどん枕は湿っていく。


「……?」


 目を開けると視界が歪んでいた。

 瞳の近くに水が溜まっているのかな。


 まぁ、いいか。

 このまま眠ってしまおう。

 濡れたまま眠ったって病気になったりしないし、そのうち乾くだろう。

 そう思い、再び目を瞑った。


 ……………………


「おい、起きろ」


 声が聴こえた。


「食べ物持って来てやったから、食べて」

 声の主は自分より少しだけ幼く見える女の子だ。

 寝ぼけ眼のまま、その声に反応する。

「うにゅ……ありがとう、ベル」

 どうやら彼女は食事を持って来てくれたらしい。

 ちょうど空腹だったところだ。眠っていても腹は空く。


 受け取った食事……乾燥した干し肉を口に含む。


「しょっぱい」

「文句言うな。マスターが買って来てくれた物だから味わって食べなきゃ」

 そうは言っても味が濃い。

 保存が利くように多量の塩と香辛料で漬け込まれたそれは、噛めば噛むほど塩味を吐き出す。

「ほい、水」

 ピリピリする舌に悩んでいるとベルがコップに入った水を渡してきた。

 それを貰うと一気に喉へ流し込む。

「……ぷは。塩分過多で死んじゃうかも」

「あはは! たしかに! あ、残りは倉庫にしまっておくね」

 一食分を切り出したであろう残りの肉塊をベルは布で包み直す。


 愛されてはいないが、嫌われてはいない。


 それが私とベルの関係だ。

 洞窟内に放置されていたのだって、仕方のないことである。

 ベルは私と違って――戦う事が苦手なのだから。


「ああ、あと着替え持って来てあるから着てね。適当に選んだから地味なやつだけど、こっちの方が動きやすくて良いと思って」

 適当に選んだというわりに、動きやすいのを見繕ってきたという。少し矛盾した言動だが、いつものことだ。

 そういえば服を身に着けていなかった。寒さを感じないため、私としては衣服にこだわりはない。

 深い緑色の長袖のシャツ。枯れた茶色のプリーツスカート。あとは膝上まである黒い靴下。それがベルの用意してくれた服だ。色は地味かもしれないが、これぐらいがちょうど良い。


 しかし、それを手に取った時に思い出した。


「あれ。服はマスターが持って来てくれるって言ってた」


 自室に戻る前、たしかにそう聞いた。

 だから、言われたとおりに、綺麗に体を洗って、眠っていた。


「知らないよ。疲れてたし、忘れてたんじゃないの? 私が持って行くって言った時に何も言わなかったし」


 忘れていた。


 ああ、そうか。


 忘れられていたのか。


「ベル、干し肉と水は置いといて。あとで食べるから」


「え? あ、うん。それは良いけど……どうしたの急に」

 いきなり話が変わりきょとんとするベル。

「別に、なんでもない」

「そう? ま、いいや。用は済んだし、私も部屋に戻るね」

 また後でねーと言い、自室へと帰っていく。


 パタン。と、部屋のドアが閉まるのを待って――――私は、行動を開始した。







 ベルが異変に気付いたのは、その数時間後だった。


「入るよー」

 足で器用にドアノブを下げ、そのまま開け放つ。横着しているのではなく、単純に両手がふさがっているからだ。

「ふふふ……聞いて驚け、見て笑え! でも笑われたら傷つくよ! 今日の夕飯はなんと! ベルちゃんのお手製料理なのだー!!」

 ババンッという効果音が付きそうな勢いで現れる。手の上にあるトレイには彼女の言うとおり、ちゃんと料理が乗っていた。それも二人分だ。自分も一緒に食べようというのだろう。


 だが、反応が無い。


 期待していたような結果にならなくても、無視はされないだろうと思っていたために、精神的にくるものがある。


「あれ~? いないのぅ?」

 反応が無いのではなかった。そもそも人がいないのだから返事が返ってくるわけもない。さっきのを聞いた上で無視をされたら寝込む自身があったが、いないならしょうがない。

 しかし、何処へ行ったのだろうか。ここに来る前にマスターには夕飯を届けた。つまり、他に私たちが入れる場所といったら実験室だけだが……あそこは現在凍結中のため、行く理由がないだろう。

 天井を見る。さすがに張り付いていたりはしないか、忍者じゃあるまいし。ベッドの下にも――いや、ここは開けちゃダメだ。根暗女の闇が隠されている。

「何処にもいない。どうして……あ」

 と、そこで机の上に一枚のちぎったメモ帳が置かれているのに気が付いた。

 それを取り、読む。


「………………」


 内容を把握すると、足早にマスターの所へと向かった。


『マスターへ。私は、私を愛してくれる人を探しに行きます。マスターの言いつけを守って待っていたのに、裏切られました。忘れられました。傷付きました。心が痛いです。こんなことは初めてです。この痛みが消えるまでは少なくとも戻るつもりはありません。不出来な娘でごめんなさい。お元気で』


 夕飯を持って来たベルが出て行った後、たいして美味くもないくず肉の入ったスープを飲んでいると扉が乱暴に開け放たれた。

「大変だよマスター! 根暗女が出て行ったーーーっ!!」


 思わず口の中の液体を噴き出す。

「ふぉおおぅ!? ありがとう!」

「え!? なんで!?」

 噴き出したものは見事にベルの顔面にかかってしまったのだが、何故かお礼を言われた。いや、そうじゃなくて!

「ごめん。お前が変な子だとは知っていたが、ここまでねじれ曲がった性癖をしていたのは置いてとくとして……あの子が出て行ったってのは本当なの?」

「私そんな変かな……あ、うん。おいしいねこれ。マスターの唾液がちょうどよく混ざって何ともいえない……んあー」

 ゴシゴシと近くにあった布でベルの顔を拭ってやる。これ以上見ていられない!


「――で、これがそうなのね」

 唾液とスープで汚れた布をそこらに捨てつつ、ベルから置手紙らしき物を入手する。

「そーだよー。はぁ、あの根暗女も薄情者だよね。今まで世話してやったのに、何にも言わずに出て行くなんてさ……一人で行くことないのに」

 ベルはあの子のこと、やっぱり嫌ってはなかったんだね。本人には伝わってないみたいだけど。

「………………」

 手紙を読みつつ考える。……追うべきか否か。

「心配しなくても大丈夫だと思うよ」

 いつの間にかベルが私を真面目な顔で見つめていた。

お姉ちゃん(・・・・・)は強いから」

 そうか。ベルがそこまで言うなら何も心配するまい。

 五年も家を空けていた私が口を出せる事じゃないしな。原因は私にあるわけだし。




「私は自分の出来る事をしよう」

 ベルを部屋に帰した後、私は再び机に向き直っていた。

 紙の資料を手に半透明のウィンドウへ数列を入力していく。書き込んでいるのは機巧人形の可能性(・・・・・・・・)についての記事だ。

「パーソナル・エクステンド・ツールは自己を拡張するだけにとどまらず――――」

 失敗をくり返すわけにはいかない。二度と惨劇を起こさないためにも、私が頑張らなければならないのだ。

「……シエルが帰ってくれば、もう少し研究も進むんだがな」

 シエルには少年のデータを記録してくるように言ってある。厳密にはあの少年に使われている私が設計した(・・・・・・)機械仕掛けの心臓の事についてだが。

「希少金属の――を使った、新機構の――」

 同じ物を造ることは出来ない。

 偶然出来たサンプルを組み込んだ、次世代型ペット……私が目指した理想の機巧人形、そのパーツの大半は手元に無い。あの少年を助けるために使ってしまった。

 ボディだけならなんとか再現出来るのだが、心臓(コア)部だけは無理だ。あれが出来たのは奇跡に近い。長年研究をしているが、あれほど精緻な機能を持たせられたのは……

「無い物ねだりをしてもしょうがないか。データさえ手に入ればいける自信はあるんだ。シエルが帰ってくるまでに他の部分を進めておこう」

 あるいは、少年が既に亡くなっていて……全てが失われている可能性もあるのだから。

「その場合は」

 また、旅に出るとしよう。

 一人では出来ない事も、誰かと一緒に考えれば解決する事だってある。

「それこそが私の理想だ」

 一冊の本を開く。

 理想を求め、そして、国に殺された英雄の物語。そんな報われない勇者が描かれた絵本を――――







 黒髪の少女は荒野を歩く。

 長年薄暗い洞窟で暮らしてきた少女にとっては何も無い平原であっても心が弾む。

「口がジャリジャリする……」

 乾いた風に乗って砂が口内へと侵入していた。顔は相変わらず無表情だが、何も感じていないわけではない。ちゃんと感情があるのだ、こんな機械の体にだって。

 岩を飛び越え、時には立ちはだかる者を粉砕し、突き進む。

 ただ、真っ直ぐに。


 仲間が出来た。


 その仲間の敵を倒した。


 それでも、見つからない。


 国境を超える頃には、また一人になっていた。


「次は何処に行こうかな」


 少女の顔は、少しだけ微笑んでいた――――



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