想像力で全てを補えるようになったならば
想像力で全てを補えるようになったならば、それは理想形態に到達したと言ってもいいのではないだろうか?
そりゃ、どうしても不可能な部分というのは存在する。最低限の食事と睡眠くらいは必要だろう。だが、それ以外の何もかも全てを想像力で補えるようになったとしたら?
それこそが、僕の目指す“究極の小説家”というものなのかも知れない。
果して、そこに至る為には、どのような道筋をたどればよいのだろうか?
たとえば、僕が今、行っている“小説に必要なモノ以外の全てを切り捨てる”という戦法。これを、もっと進めていったらどうだろう?もっともっと進めていって、最終的には仙人のような生活に到達する。
さすがに、霞だけを食べて生きていくというわけにはいかないだろうけれども、それでも最低限の質素な食事のみ摂取して生きていくというのは可能なのでは?そうして、睡眠以外の全ての時間を小説にあてる。小説について考え、小説を書く。ただ、それだけの人生。
そんな生き方が楽しいものかどうかはわからない。それは、やってみなければ、わかりはしない。だが、僕の人生は、かなりそれに近い生き方になりつつある。現在の所、かなり楽しんで過ごせている。このまま進み続ければ、8~9割方、それに到達できるのではないだろうか?
想像力さえあれば、どこにだって行ける。誰にだって会える。何だって食べられる。どんな出来事だって思いのまま。いかなる会話も交わすことができ、全ての経験をこなせる。あらゆる能力を身につけ、ありとあらゆるモノを手に入れられる。
あるいは、その逆。現実世界では決して味わうことのできない絶望に陥り、恐怖に浸り、怒りに震え、世界を破壊しまくる。全ての人間に裏切られ、誰1人として信じられる者はいなくなり、世界は滅びる。そうして、完全な無に至る。
それでも、僕は存在する。“僕の思考は”と表現するべきだろうか?何もかもを失い、全てが消え去ってもなお、小説について考え、小説を書き続ける僕だけは存在し続けるのだ。




