新しいコトを始めると、情熱が湧いてくる
今夜は調子いいな。いくらでも書けてしまう。続けて、もう1つ書いてみよう。
さっきは、闇の力の話をした。賞賛の声や成功よりも、失敗や批難の方が力になるという話。
僕には、もう1つ、やる気が出る瞬間というのがある。それは、“新しいコトを始めた時”だ。これは、勢いがつく!もう、周りの声なんて全く関係ない。自分の力だけでバリバリと行動し、ガシガシ進んでいける!まさに、情熱の成せる業!!
けれども、時間が経つに従って、しだいにその勢いは落ちていく。始めた頃の情熱はどこへやら。すっかり火は消えてしまい、後にはブスブスと石炭の燃えかすが残っているだけ。それでも、完全に熱は消えてはいない。目には見えずとも、その体内に隠れた熱量を持ち合わせているのだ。何かのきっかけで、それが再燃し、再びボウボウと燃えさかる炎の柱となることもある。
ここに、ちょっと前に話した“時間の速さの感覚”の話が加わってくる。
物事を始めたばかりの時期というのは、上手くいかない。勝手がよくわからないからだ。その世界のルールや法則、基本的な方法や技術といったものが身についていない時期。これは、時間がゆっくりと流れる。
たとえば、学校に入学したばかりだったり、新しく仕事を始めたばかりの時期を想像してみて欲しい。何をすればいいのかよくわからなくて苦しい。苦しいけれども、早く環境に慣れ、基礎学力や基本的な仕事のやり方を覚えようとする。こういう時には、時間がゆっくりと流れやしないだろうか?
これはいい。充実しているからだ。
それとは逆に、やるべきコトがハッキリしていて、次から次へとアイデアも湧いてくる。目標や目的がわかっていて、それに向って現実に進むことができている。快進撃だ!
こういう時期には、時間が速く流れていく。瞬く間に過ぎ去っていくことだろう。先程の例で言えば、基本的なやり方を覚え、学業や仕事がペースに乗り、ガシガシ進んでいける時期。基礎だけではなく応用力も身につけつつある。そんな時には、いくら時間があっても足りないと感じる。まさに、光陰矢の如し。
これもいい。これも充実しているからだ。
ところが、それとは全く逆。全然上手くいかない。にも関わらず、時間だけはとんでもない速さで過ぎて去っていってしまう。こういう時もある。
これは危険!こういう時期が一番危ない!!無意味極まりない。この状態からは、早めに脱しなければならない。
こういう時期に、僕は新しいモノに手を出す。人生がマンネリ化してしまっているからだ。あるいは、それとは逆に、何かをやめる。手を広げ過ぎていて、立ちゆかなくなっている場合もある。そういう時には、スッパリと切る。必要のないモノから順番に切り捨てていく。それで、スッキリとする。身も心も軽くなるからだ。そうして、それから新しいコトを始める。
このように、自分の状態や時間感覚を確認し、それに合わせた対応策を講じる。何も問題なければ、そのまま進む。
時には、“問題がないコトが問題”という場合もある。それにも、注意を払う。マンネリ化していたり、安全策に走り過ぎて冒険できなくなってしまっている時期がそれだ。作家にとって、これは致命的。早めに対処しなければ。
こんな風に、僕は常に考えながら生きている。考えられなくなっている時期は危ない。




