楽しいって、何だろう?
“楽しい”とは、何だろう?と考えてみる。
たとえば、みんなでバーベキューに行く。河原でお肉を焼いて食べる。炭火で焼いたお肉だ。美味しい。でも、それはその場限りの楽しさではないのだろうか?いや、いい思い出にはなるか。
でも、いろいろと面倒臭い。自動車を運転して、遠くまで出かけなければならないかも知れないし、炭やら食材やらを買い出しに行き、野菜を切ったり、ご飯を炊いたり、準備もしなければならない。もちろん、後片づけもしなければならない。
お金もかかる。食材の購入費に、自動車のガソリン代。その他もろもろ。
それが、ゲームならば、どうだろうか?
バーベキューに1回行くのと同じだけの料金で、1ヶ月くらいは楽しめるのでは?ま、いい思い出にもなるだろう。でも、時間がかかる。ある程度上達するまでに時間が必要だし、その後もいろいろと時間を取られてしまう。人によっては、ムチャクチャお金もかかるだろう。
それよりも、あの不毛感だ。ゲームをプレイしている時には、それは楽しい。脳内から麻薬が出てくるような楽しさ。だけども、後になって考えると「なんで、あんなコトに時間を使っていたのだろう?」「何をあんなに必死になっていたのだろうか?」という虚しさが残ってしまう。その時は楽しいのだけど、後に残るような楽しさではない。
そこで、小説。あるいは、小説でなくてもいい。絵やマンガを描いたり、曲を作ったり、映画を撮ったり、そういった類の行動。
ここにも楽しさがある。もちろん、同時に苦しみもある。だけども、後に残る楽しさだ。むしろ、やっている時には苦しくても、後から考えると楽しく感じてきたりする。不思議なものだ。しかも、作品が残る。作り上げた作品が後に残る。もしかしたら、何百年も後の世まで。それは、単なる思い出を軽々と越えてしまう。
そう考えると、やはり、創作はいい。小説を書こう。




