ユラユラとする頭の中で(作品を完成させる為の話とか)
頭の中がユラユラする。もう限界地が近い。眠くて眠くてたまらない。
なので、この眠い眠い状態で、何か書き綴ってみたいと思う。意味不明の矛盾だらけの文章になるかも知れないが、そこの点はご容赦いただきたい。
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さっき書いた文章の補足を少し。「質と量とスピード」の話。
質を上げようとすると、どうしても書ける量が減ってしまう。量を書こうとすると、どうしても質が下がってしまう。これは、どうしようもない。なので、その2つの間でバランスを取ることになる。なるべく、質が高く、なるべくたくさん書く。もしも、どちらかを極めようと思ったら、もう片方を犠牲にすることになる。
さらに、そこにスピードの話が加わってくる。この2つを考えた上で、なるべく速く書く。
それでも、訓練によって能力は上がる。質も量もスピードも、訓練しだいでどうとでもなる。普通の人から考えれば、遥かに質が高く、短い時間に、大量の文章を書ける人というのは存在する。そこには、やはり膨大な時間の訓練があったからだろう。
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文章の重さと軽さについて。
この「僕は小説家になれない」という作品に関しては、かなり重めの文章で書いている。それでいて、なるべく読者の方々には読みやすいようにという配慮も欠かさない。
一方、同時進行で執筆中の「悪魔との契約で、僕は1枚ずつ増えていく小説を書かないといけなくなった」という作品に関しては、意識して軽めの文章で書いている。いわば、一般的なライトノベルくらいのつもりで(それよりは、もうちょっとだけ重めかも知れない)
ただし、僕自身がライトノベルというものをあまり読んだコトがないので、「大体、ライトノベルとは、こんなものだろう」くらいのつもりで書いている。
自分でも思っていた以上に、上手く書けていると思う。正直、重めの文章を書くのは得意だが、軽めの文章は苦手なつもりだった。その割には、かなり軽く書けているのではないだろうか?
理想の小説家というのは、両方書けないといけないと思っている。重い文章も軽い文章も自由自在に。
なので、あちらの作品は、かなり訓練的なモノとなっている。これまで僕に欠けていた“軽さ”を補う為の訓練。そのついでに、1作の作品として完成させられれば、儲けもの。そのくらいの感覚。
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作品は、完成させなければいけない。
一部、例外的な作品はあるものの、小説家ならば誰もがそれを意識しながら書き続けなければならないだろう。
なので、僕は逆算しながら書いている作品が多い。プロットとかストーリー的にとか、そういう意味だけではなくて。“期間”のようなものを意識しながら。執筆期間を逆算しながら、書いているわけだ。
“自分の中に、どこのくらいエネルギーが残っているだろうか?”といったようなコトを、まず考える。情熱の量のようなモノを。「ああ、この作品ならば、2週間くらいだな」とか「1ヶ月前後はやれるな」とか。あるいは、それは時間だけではなく枚数でもあるかも知れない。「この作品なら、200~250枚くらいは書けるな」とか「400枚程度かな?」とか。
作品の内容とか、この先のストーリーとか、そういうのとは全然違う部分で、そのようなコトを考える。だから、その“読み”さえ外さなければ、未完成で終わるというコトだけはない。まず、確実に完成させられる。
この辺は、優先順位の問題なのだ。“おもしろい”とか“つまらない”とか“いい作品”であるとか“駄作”であるとか、それ以前の問題。“いかにして完成させるか?”それを最優先にして考える。そこから逆算していく。
この辺の話は、また、いずれ詳しくやろうと思う。




