1,エイディン
「綺麗だ……」
それを見た時、無意識にそう呟いていた。
軽い鍛錬をするためにハーカバに入っていくと、見覚えのない洞窟を見つけた。魔物の巣かなとも思ったけれど、そんな感じもしない。
もう一度、周囲の安全を確認し、足を踏み入れる。
広いな。
周りの壁が僅かに輝いていて、とても幻想的な空間だ。
けれど、それすら霞むぐらい美しいものが最奥の、祠らしきものに置いてあった。
それは丸い丸い球状で、淡く光っていた。中心に近づくにつれ緑色が徐々に濃くなっているが、その中心は緑ではなく紅い。透き通っていてまるで水晶のようだが、そうではないことが直感的にわかった。
まず、祠に置いてある時点で普通の代物ではなさそうだし……
思考を巡らせていると、ふいに背後から巨大な気配を感じた。
なんだ?
後ろを振り返ると、遠くから巨獣がこちらに向かってくるのが見えた。
……はい? 獣?
DE・KA・KU・NE?
この山にあんなのいるって聞いたことないゾ!?
と、とりあえず、どこかに身を隠さないと!
この場に留まるのは危険だと素早く判断し、身を隠せるものがないかと周りを見渡す。
えと、あそこの岩陰ぐらいしかいいとこがない。
えぇい! ないよりマシだr……?
え?
体が……体が動かない……!?
おい! 動けって!
ちょ! ホントに!
頼むから!
獣が近くに来て、それがどれほどの巨体かが分かった。分かってしまった。
あははー。
少なくとも僕の20倍は、ありそうかな?
焦りと恐怖で乾いた笑いが込み上げてくる。
洞窟の入口からは足しか見えない。けれどその足でさえ僕の体よりだいぶ太いし、巨大だ。
これは、死んだな……
なんて現実逃避してると突然体が動いた。
正確には動かされた、がいいかな。
さっきまで指先ひとつ動かせなかったのに……今は誰かに優しく押されたような感覚だった。ともあれ、これで岩陰に身を隠すことが出来た。
ほんの少し、顔を覗かして獣の様子を伺う。そして、獣の全容が見えてきた。
黄金と漆黒の体毛に、ナイフのように長く鋭い犬歯と爪、燃えるような真っ赤な瞳の大虎だった。
僕は、この特徴を持つ獣を知っていた。
でも黄金と漆黒の大虎なんてただ1匹、神話でしか聞いたことがない。
まさか実在するとは思ってもみなかった。
『金虎 ネピューナルテロス』
生き物の絶望を見ることが何よりの幸せであり、世界中を転々として様々な悲劇を引き起こしてきたとされる、邪獣。
そして、この世に12柱存在するとされる【王種】。その1柱でもある。
まじまじと観察をしていると、目が合った。
そりゃそうか、最強と謳われる【王種】なんだ。こんな岩陰に隠れたぐらいじゃ直ぐにバレる、か。
近づいてくる奴の目は、完全に僕を捉えている。
……殺される。
本能が訴えてくる。
恐怖で足がすくみ、立ち上がることすら出来ない。いや、立ち上がったところで逃げきれるとも思えないが……
ほぼ目の前、岩を挟んだ正面まで来たところで、僕は目を瞑った。
村のみんなに今までの感謝と、先に逝くことへの謝罪をして。
けれど、その必要はなかったらしい。何も起きないのだ。恐る恐る目を開ければ、もう奴はいなかった。
いや、もう天国へ着いたのかな?
そういうことか。ここが天国かー。
そっかー、あんまり現世と変わんないなー。
─弱きものよ─
!!!
ふざけたことを考えてたら声が聞こえてきた。
へ? ナニコレ? 心に直接?
え? てかダレ?
─弱きものよ─
はい! わたくしのことでありますね!
なんでありましょう!
─今はここから去れ。そして、春になったらまたここへ。それまでは近づくな─
澄んだ声だけど、どこか威厳が感じられる声だ。
落ち着く……
ここから去れってことだし、帰るか。
もう、いないよな?
村に戻るとドロフィンさん達が村を発つ準備をしていた。
時期的に、いつもより少し早い気がするけど、もう村を出るのかな? 邪魔するのは駄目だけど……気になる。
「ドロフィンさん、もう出てくの?」
ドロフィンさんはこの旅商人たち一行のリーダーで、ちょっと強面なおじさんだ。顔は怖いが、ものすごく優しい。顔は怖いが。
事実、村の人達と同様に僕を本当の息子のように育ててくれた。最近だと、もうすぐ成人の儀式があるからって、僕や僕と同い年の子供たちに剣術の指南役もかってでてくれた。忙しいはずなのに、故郷の村でもない子供たちを気にかけてくれている。優しくないわけがない!
なのにお嫁さんが来ないのは何故だろう? 不思議だな。
「おぉアレン。またハーカバに行っていただろ。訓練になるとはいえ、あんまり行くようなもんじゃないって毎回言ってるだろ?」
ドロフィンさんは仲間達へ指示を出していたが、振り向いて返事をくれた。
ハーカバねぇ。いやー、流石に今日のは、ねぇ?
本気で死ぬかと思った。多分あの声の主がなんかしてくれたんだろうけど、助けてくれたのかもまだ分からないし。
「うん、行ってきたよ。けど、本当今日はこたえた……当分は近づかないよ」
うん、当分は近づきたくない。
いや、でも儀式の時行くことになるわ。
あー。嫌だー!
僕の答えが予想外だったのか、ドロフィンさんが目を丸くする。
「ん? なにかあったのか?っと、話が脱線したな、えーと、もう出発するのかだったな」
そうだなぁ、と一拍置いてから彼は続ける。
「本当はもう少しゆっくりしていたいんだが、今年の冬はいつもより厳しそうでな。早めに発った方がいいって判断したんだ。明日の朝には出発の予定だ。冬を越すと魔物達が活発になっちまうし、山も超えるのが厳しくなる。今がちょうどいいからな」
「そっか、じゃあまた会うのは来年になるのか……」
「おいおい、また会えるんだ。そんな寂しそうな顔すんなって!」
ドロフィンさんは僕の肩に手を置いて笑う。
ま、そうだね。べつに最後のお別れって訳でもないんだし!
あっ、でも儀式は終えたあとになるかな?
なら、いい結果を報告できるようにしておかなきゃな!
「それもそうだね。あぁ、忙しいなら手伝おうか?」
「いや、もうそんなやることないから別にいいぞ。ありがとな!」
確かに他の人たちもそれほど急いでる様子はない。
本当になさそうだね。
「そっか。じゃあ、あんまり邪魔するのもよくないし行くよ」
「気をつけるんだぞ。またな」
「うん、ありがとう。また」
ドロフィンさんと別れ、自宅へと向かう。
明日出発か。早起き出来たら見送ろうかな。
早起き……出来るかなー。出来ないだろーなー。
おばさんもう寝ちゃったかな? 起きてたら明日起こすように頼みたいけど……あぁ、タマに頼むか。
どうせ暇だろうし。
「誰が、暇だって?」
ギクッ。
こ、この声は…?
声のした方を振り返ると、茶トラの猫がいた。
タマだ。
「や、やぁ、タマ」
なんでバレたし。心を読んだのか?
こいつ、勝手に心を読みやがって!
苦笑すると、タマも苦笑を返してきた。
タマは魔法猫だ。
今もきっと、魔法かなんかで心を覗いたに違いない。
きっとそうだ! 異論は認めん!
魔法猫は魔獣の1種だけど、知性があって、人類と共存している、とても珍しい魔獣だ。魔力もそこそこあって魔法も使える彼らはよく、土着神として崇められているらしい。あと、この世界の最高位最強種である龍のように、種族問わず、自分が認めた者と契りを交わすらしい。
このあたりはタマ本人……本猫から聞いたことだから実際のことは分からない。
タマは、このガスティグ村を代々見守り続ける魔法猫の一族、その14代目。だけど、この事実を知っている人は僕しかいない。タマ達の一族が、村人達と関わることをしなかった為だ。
タマも例外ではなかったのだけど……数年前にハーカバで僕に発見された。そして餌付けしたら懐いた。とてつもなくチョロい、残念な魔法猫である。
結構な年月を生きているはずなんだけどね……
「別に心を読むなんてしてないからな……」
いや、当たってるから。やっぱ読んでるだろ。
「読まなくてもお前の考えてることぐらい分かる」
嘘だ! そんな嘘、僕は騙されないぞ!
タマは前足で頭をかいて、言う。
「そんなことより何があった? さっき話してたのをちょっと聞いたんだが」
僕がずっと疑いの目を向けていたら話を逸らしてきた。
うむ、これは黒だな!
「いやー、ヤバかったよ。本気で死を感じたね」
「ほほう? 気になるじゃないか。詳しく聞かせてもらおうか」
「いいけど……ひとまず帰ろう」
僕の家は村長宅の隣にある。村の人達が建ててくれた立派な家だ。僕一人だけの家だから大きさはあまりないけど、それでも、人を招き入れるぐらいには立派だ。
家に入った途端、タマにものすごく急かされる。
僕は、さっき起きた出来事を包み隠さず話した。タマは最初の玉の話を聞いた時は怪訝そうな顔をし、次に金虎の話を聞くと、驚き呆れた表情を浮かべていた。
なんだろ?
「アレン、今の話本当か?」
タマが慎重に尋ねてきた。
まぁ確かに金虎とか意味不明だもんな。
でも、どうだ? 本当……だよな?
見たのは本当だし……うん。
「うん。この目でしっかりと見た。でも、本当に金虎かは知らないかな……」
「あぁいや、金虎はどうでも良くてだな……」
「え」
金虎がドウデモイイ、だと?!
こいつ! 実物を見てないから!
この世の終わりだぞ! こんちくしょう!
顔に出ていたのかまた心を読んだのか、タマが付け足す。
「すまん。どうでも良いって言ったのは、それより重要なことがあるから、だな」
金虎よりも、大切なこと?
強いて言うなら、あの祠かな?
でも、なんで?
「そうだ。その祠は本当に、あったんだな?」
これは間違いない。
幻覚……の可能性も捨てられないけど、僕に見せる意味はない気がするし。見せたくないものがあったりしたのか?
判断に迷うところだな。
でも、声の主がまた来いとも言ってたからあるにはある、のか?
そこまで考えて首肯する。
「マジかー、アレンがなー。そっかー」
何故か頭を抱え込むぐらいの勢いで、ため息を吐くタマ。
よく分からないが、なにかとても失礼なことを言われたような気がする!
殺るか! いや殺られるか!!
「いいか、アレン。もしかしたらその洞窟は、俺たち魔法猫に代々伝わるものかもしれん」
魔法猫達に代々伝わるもの…洞窟が?
「まぁこれだけ聞いても分からないよな。今から詳しく話すからよく聞いとけよ」
「あんまり長くしないでね」
「はぁ……はいよ」
タマは語る。
『むかしむかし、竜がいた時代。
竜王らが子を身篭った。その後、無事に生まれたようなんだが、生まれた直後に、その子供はエイディンへとなったらしくてな。
エイディンになるってのは、簡単に言えば獣の冬眠みたいなものだ。
エイディンは丸い丸い球で、その竜の持つ鱗の色に輝くらしい。で、エイディンなって春を待つんだと。
もちろん、その春ってのは季節の春じゃないぞ? 新たな時代に幕を開ける、新たな世界を創り出す、自分との調和率が100%の存在のことだ。
まぁ生物を超越した竜なんだから、エイディンになることなんてそうそうないんだってさ。そんな事しなくても大抵は自分たちの力でなんとかなるからな。
で、その子がエイディンになっちまって、普通なら数回も文明が栄えては滅んでを繰り返してれば、そのうち適応者は出てくるんだ。
なのに、その子の適応者はどれだけ経っても、それこそ数回、数十回、数百回、数千回、数万回も文明が滅んでも現れることはなかった。
だから、竜王達は失敗したんだと思った。まぁ、どれだけ経っても適応者が現れないなんて異常、だったからな。
彼等はその子を洞穴の祠へ祀ったんだ。普通なら入ることなんてのは勿論、見つけることすらできないと言われる洞穴だ。竜王自ら魔法をかけたからな。
せめてもの供養、そして、もしかしたらいつか適応者が現れるんじゃないか……と、ひとつの希望も託してな』
タマの話が終わる。
重いな。
そして意外に短かったな。
多分ところどころ省いてくれてるんだろうけど……
にしても、竜か。
竜。
【王種】をも超える力を持った、生物を超越した存在。宇宙全域を合わせても数十星しかいないんだったかな?
この世界には、確か七体……七星竜とか言ったっけ?……がいるってのをずっと昔に聞いたことがあったけど、それこそ単なる御伽噺かと思ってた。
いや、【王種】の金虎もいたんだし、有り得なくはないのかな?
でも、まさかそんなすごいのがこんなとこに……
というか今の話だと、その洞穴があの洞穴?
あ! じゃああの声の主って竜王その人だったり?
その竜か。
え? マジで? ヤベーな!
春になったらまたこいかー。まだかなー春。なにがあるんだろ? いやー楽しみだー。
「おーい。帰ってこーい」
タマから声がかかり、現実世界に引き戻された。
「あぁ、ごめん。色々考えてた」
「まぁいきなりスケールがでかくなったからな。無理もない」
「それで、なにが重要なの?」
「は? 分からないの? やっぱお前馬鹿だな」
イラッ。
なんだよこの猫め。
いくら可愛いからって言っても良い事と悪いことがあるだろ!
どうせ僕は馬鹿ですよ!
はいはい、馬鹿だよ馬鹿!
まぁそんな馬鹿に餌付けされたお前も相当だがな☆
引っ掻かれた。
ホントこいつは……
「いいか? アレン。普段は、世界へ不干渉の存在の竜が、人を待つのは、竜が関わるほどの、大きな、出来事が、起こるって、ことだ。もし、今回のが、本当に、その竜王の子だとしたら、この、歴史上、類を見ないほどの、重大な、出来事が、起こることになる。そして、選ばれたのが、アレン、お前だとしたら、お前は、その、災禍に、巻き込まれるかもしれないんだ。これでどれだけやばいことか理解したか?」
タマが、馬鹿な僕にわかりやすいように一つ一つ丁寧に教えてくれた。
うん?
ちょとまて。竜王じゃないのか?
うーん?
ちょっとまて。そんなことよりあれか?
もしかして僕、だいぶ危険なんじゃ?
え? あれ? ヤバくね?! え?
生きて帰れた!とか思ってたのに、もしや金虎とか以上の大変なことに僕巻き込まれるの?
なにそれきょわい!
命の危機を感じた1日だった