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最終話 推しじゃなくて、るなが好き

 木曜日の放課後、るなから「今日時間ある?」とメッセージが来た。


 あると返したら「屋上来られる?」と続いた。


 屋上は放課後に開放されている。眺めがいいけど、あまり人が来ない場所だ。


 行くと、るなが柵のそばに立っていた。


 夕方の風が吹いていた。るなの髪が少し揺れていた。


「来てくれた」

「呼ばれたので」

「ありがとう」


 るなが私の隣に立った。


 夕日が街に広がっていた。遠くまで見えた。


「何かあったんですか」

「ちょっと、話したくて」

「何を」


 るなが少し間を置いた。


「昨日の配信、見た?」

「見ました」

「コメント欄、荒れてたじゃん」


 見ていた。


 昨日のるなの配信は、新しいゲームの実況で、序盤に少し操作ミスが続いた。それに対して心ないコメントがいくつかついて、るなが気にしているのが画面越しでもわかった。


「見ました。るなは気にしてましたか」

「気にしてないって言いたいけど、少し気にした」

「そうですか」

「慣れてるはずなんだけど、たまにしんどくなるんだよね。コメントって、ちゃんと見てくれてる人の方が多いのはわかってるんだけど」

「わかります」

「わかる?」

「傷つくコメントって、数が少なくても残るじゃないですか。いいコメントが百個あっても、ひどいコメントが一個あるとそっちの方が頭に残る感じ」


 るなが少し私を見た。


「そうなんだよ。なんでわかるの」

「古参なので、配信中のるなをずっと見てきたから」

「それもあるか」


 るなが柵に寄りかかった。


「昨日の配信で、一個コメントがすごく刺さって」

「何が書いてあったんですか」

「ミスしても楽しそうで好きです、って」


 知っていた。


 昨日の配信で私が送ったコメントだった。荒れたコメント欄の中に流したやつだ。


「それ、よかったですね」

「うん。なんか、救われた感じがした」


 るなが少し笑った。


「こはるのコメントだった?」


 止まった。


「え、なんで」

「文体が似てたから」

「気のせいじゃないですか」

「気のせいじゃない気がする。ちょっと前にも文体に気づいたって言ったじゃん」


 覚えていた。図書館で話したときに言っていた。


「こはるのコメントかどうか確認したいわけじゃないから、答えなくていいよ」

「え」

「ただ、もしそうなら」


 るなが私を見た。


「ありがとう、って言いたかっただけ」


 私はしばらく何も言えなかった。


「るな」

「なに」

「私のコメントです」

「やっぱり」

「昨日のも、二年前の最初のも、全部私です」


 るなが少し息を吸った。


「二年前のも」

「はい。あのコメント、るながアーカイブで読み上げてくれたやつ」

「覚えてたの、私が読み上げたこと」

「全部覚えてます、古参なので」


 るなが少し笑った。でも目が少し潤んでいた。


「泣かないでください」

「泣いてない、目が潤んでるだけ」

「同じことですよ」

「違う」

「同じです」


 るなが手で目元を押さえた。


「こはる、ずっと見ててくれたんだね」

「見てました」

「二年半も」

「二年半も」

「それで転校してきたら隣の席で」

「そうなりました」

「びっくりしたでしょ」

「びっくりしました。石になるかと思いました」


 るながくすっと笑った。


「石になりながらよろしくお願いしますって言ったの?」

「言いました、声が裏返りながら」

「かわいい」

「かわいくないです」

「かわいいって言ったらかわいいの」


 また言い合いになった。


 でも今日は、いつもよりるなの声が少し柔らかかった。


「こはる、一個だけ聞いていい?」

「なんですか」

「今、私のことどう思ってる」


 直球だった。


「どう、というのは」

「推しとして好きって言ってたじゃん、最初は。今もそう?」


 私は少し考えた。


 最初はそうだった。ルルナが好きで、るなに会うたびに推しがそこにいると思っていた。でも今は。


「推しじゃなくなってきてる、って前に言いましたよね」

「言ってた」

「今はもっとそうです」

「もっと?」

「配信のルルナが好きだった気持ちと、今のるなが好きだという気持ちが、全然別物になってきていて」

「別物」

「はい。配信が好きというのはずっとそうで、でも、隣にいるるなのことは、それとは違う感じで好きで」


 るなが黙って聞いていた。


「図書室で静かに本を読む顔とか、クレーンゲームで顔をしかめるやつとか、からかいながら歩くときの顔とか」

「全部覚えてるの」

「覚えてます。好きなものはじっと見るので」

「さっきの話じゃん、それ」

「はい」


 私は少し深呼吸した。


「るなのことが好きです。推しとしてじゃなくて、るなとして」


 言えた。


 言えてしまった。


 るなが少し固まった。


 今度は私の方が固まる番かと思ったけど、固まっているのはるなだった。


「るな?」

「ちょっと待って」

「え、待ちますけど」

「整理させて」

「はい」


 しばらく風の音だけがした。


 るなが深呼吸した。


「こはる」

「はい」

「勘違いじゃなくて、本当に好きになったって言いたかった」

「え」

「最初は、こはるが私のことを一方的にすごく好きなんだと思って、それがなんか嬉しくて近づいてたんだけど」

「はい」

「話してるうちに、こはるのことが好きになった。推しのリスナーとしてじゃなくて、こはると話したいから会いたくて、こはるの顔が見たくて」


 るなが私を見た。


「だから、勘違いじゃなくて、本当に好きになった」


 夕日がるなの顔に当たっていた。


 配信でも、学校でも見たことのない顔をしていた。緊張しているような、でも真剣なような、素の顔だ

った。


「るな」

「なに」

「私もです」

「え」

「勘違いから始まったかもしれないけど、今は本当に好きです。るなのことが」


 るなが少し目を細めた。


「推しじゃなくて?」

「推しじゃなくて、るなが好きです」


 るながまた少し目を潤ませた。


「また泣かないでください」

「泣いてない」

「目が潤んでます」

「うれしいから仕方ない」

「泣きながら言わないでください」

「泣いてないって言ってる」


 この押し問答も、もう慣れた。


 るなが少し笑ってから、私の手にそっと触れてきた。


 指が重なった。


「こはる、付き合ってほしい」

「はい」

「即答だ」

「考えることないので」

「推しに告白されたのに緊張しないの」

「してます。でも答えは決まってるので」


 るなが手を握ってきた。


 あたたかかった。


「やった」

「喜び方が素直ですね」

「こはるのことだから素直になる」

「私のことだと素直になるんですか」

「なる。こはるといると、変に取り繕わなくていい気がするから」


 るなが少し空を見た。


 夕日がだいぶ沈んできていた。


「ねえ、こはる」

「なに」

「配信のこと、一個だけ話していい?」

「どうぞ」

「これからも配信は続けるけど、こはるのことはリスナーには言わない」

「言わなくていいですよ、それは」

「言わないのは、隠したいからじゃなくて」


 るなが私を向いた。


「こはるのことは、私だけのものにしたいから」

「だけのもの」

「うん。配信のるなはみんなのルルナだけど、こはると話してるるなは私だけのるなだから。こはるのことも、私だけのこはるでいてほしい」


 独占欲が強い、というのは聞いていた。


 配信でもたまにそういう話をしていた。好きなものをひとりじめしたいタイプだと笑いながら言ってい

た。


「るなって、独占欲が強いですよね」

「強い、自覚してる」

「配信でも言ってましたよね、好きなものはひとりじめしたいって」

「古参だからそういうのも覚えてるんだ」

「覚えてます、全部」


 るなが少し笑った。


「じゃあ知ってるんだ、私のこと」

「二年半分は知ってます」

「それ以外のことは?」

「これから知ります」


 るなが私の手を少し強く握った。


「これから、ね」

「はい」

「時間かけて教えるよ、私のこと」

「教えてもらいます」

「配信では言えないことも」

「聞きます」

「しんどいときも」

「聞きます」

「楽しいときも」

「一緒にいます」


 るなが少し目を細めた。


「こはるって、答えるの上手だよね」

「緊張すると早口になるので、短く答えてます」

「今緊張してるの?」

「してます、すごく」

「なんで」

「推しと手を繋いでるので」


 るなが笑った。声が出る、ちゃんとした笑い方だった。


「推しじゃなくてるなって言ったじゃん」

「どっちでもあるので」

「どっちも?」

「るなが好きで、るなの配信も好きで、切り離せないんですよ」

「それでいいよ」

「いいんですか」

「全部が私だから。こはるが全部好きでいてくれるの、うれしい」


 夕日が完全に沈んでいた。


 空がオレンジから少しずつ暗くなっていった。


「こはる、一個だけ聞いていい?」

「何個目の一個だけですか」

「え、数えてたの」

「数えてました、今日だけで四回目です」

「多いね」

「多いです」

「最後の一個だから聞かせて」

「どうぞ」

「昨日のコメント、ミスしても楽しそうで好きです、って書いてくれたじゃん」

「書きました」

「あれ、私への気持ちが入ってた?」


 私は少し考えた。


 昨日のコメントを送ったとき、何を思っていたか。


「入ってたと思います」

「どういう気持ちで」

「失敗してもそのままでいいと思ってほしくて。失敗しても楽しそうにしてるるなが好きだから、そのままでいいって伝えたかった」


 るなが少し間を置いた。


「こはる」

「なに」

「ずっとそういうコメントをくれてたんだね」

「くれてたというか、思ったことを書いてただけですけど」

「それでいいよ。思ったことを書いてくれるから、届いたんだから」


 るなが手をもう少し強く握った。


「これからも、たまにコメントしてよ」

「するつもりでしたけど」

「リスナーとしてじゃなくて、こはるとして」

「それは変わらないですよ、どっちも私なので」

「そっか」


 るなが少し空を見た。


「配信の私を好きでいてくれた人が、隣にいてくれてよかった」

「私もよかったです」

「こんな偶然ある?」

「ないと思います、普通は」

「でもあったんだよね」

「あったんですよ」

 

 るなが私の方を向いた。


「こはる」

「なに」

「好きだよ」


 さらっと言った。


 私は少し顔が熱くなった。


「急に言わないでください」

「急じゃない。ずっとそう思ってたから」

「それでも準備させてください」

「何の準備」

「顔が赤くなる準備」


 るなが笑った。


「もう赤くなってるよ」

「わかってます」

「かわいい」

「やめてください」

「やめない」


 この押し問答は、たぶんこれからずっと続く。


 でも今日は、少し違う意味を持っていた。


「るな」

「なに」

「私もです。好きです」

「知ってる」

「知ってても言いたかったので」


 るながまた笑った。


 空が暗くなっていた。


 二人で屋上から出て、廊下を歩いた。繋いだ手を離さないまま。


 帰り道を並んで歩きながら、るなが言った。


「今日の配信、調子よさそうだと思う」

「何かいいことがあったんですか」

「あったよ」

「何ですか」

「こはるに好きって言えたから」


 夕方の空気の中で、るながにこっと笑った。


 配信のルルナとも、学校のるなとも、もう一つ違う顔だった。


 私だけに見せてくれる顔だった。


「今日の配信、見ます」

「うん、見て」

「コメントします」

「読む」

「るなが楽しそうだったら書きます。ミスしても楽しそうだったらもっと書きます」

「それ最高だ」


 るなが少し前を向いた。


「こはるのコメント、これからも全部わかると思う」

「わかっても言わないでください、恥ずかしいので」

「言わない。でもわかる」

「知ってます」

「お互いわかり合ってるね」

「そうなりますね」


 北口の交差点に着いた。


 いつもここで別れる。


 でも今日は、るながなかなか手を離さなかった。


「るな、帰らないと」

「もう少し」

「配信があるんじゃないですか」

「二時間後だから大丈夫」

「二時間後に調子がよくないと困りますよ」

「今が一番調子いいから大丈夫」


 また言い返せなかった。


「じゃあ、また明日ね」


 るながようやく手を離した。


「また明日」

「配信、見てよ」

「見ます」

「コメントしてよ」

「します」

「好きって思ったら書いてよ」

「書きます、毎回書くことになりますけど」


 るなが目を細めた。


「最高だそれ」

「じゃあ書きます」

「書いて」


 るなが歩き始めた。


 少し行ってから、振り返った。


「こはる、ありがとね」

「何がですか」

「二年半、ずっと見ててくれて」

「こちらこそ、ずっと見せてくれてありがとうございます」


 るなが笑った。


 今日一番ちゃんとした笑顔だった。


 そのまま歩いていった。


 私はしばらくその場に立っていた。


 推しが転校してきた。勘違いされた。正体がバレた。全部話した。好きだと言えた。


 全部、今日までのことだ。


 家に帰ってから、るなのチャンネルを開いた。


 二時間後、配信が始まった。



 画面の中のルルナが笑いながら喋っていた。


 今日は声が明るかった。


 コメント欄に、視聴者たちが「今日元気そう」「何かいいことあった?」と書いていた。


 私もコメントを打った。


 楽しそうで好きです、と。


 るなが画面の中でそのコメントを見て、少しだけ笑った。


 配信越しにしか見えない、小さな笑顔だった。


 でも私には、さっき屋上で見た顔と同じだとわかった。


 推しの向こう側にいた、本当のるなの顔だと、わかった。

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