第一話 推しが、転校してきた
私には推しがいる。
月城るな、という名前の女性配信者だ。活動名は「ルルナ」。登録者数五十万人超えの、ゲーム実況と雑談が中心のチャンネルをやっている。
出会いは中学二年の秋だった。
学校でうまくやれなくて、家に帰って何となくつけた動画に、るなの声が流れてきた。笑い声が明るくて、喋り方が自然で、見ているだけで部屋の空気が変わる感じがした。それから毎日配信を見るようになって、気づいたら二年半の古参リスナーになっていた。
私、椎名こはる。十七歳。陰キャ、オタク、地味め。どこにでもいる普通の女子高生だ。
推し活は静かにやっていた。コメントはたまに流す程度で、グッズは買うけど人に見せない。配信の感想は一人で噛みしめる。それが私のスタイルだった。
問題は今日の朝、起きた。
ホームルームで担任が「今日から転入生が来ます」と言った。
扉が開いて、転入生が入ってきた。
私は固まった。
銀髪に近い明るい色の長い髪。整った顔立ち。笑うと少しだけ目が細くなる感じ。
見たことがある。
毎日見ている。
画面の向こうで。
「月城るなです。よろしくお願いします」
声を聞いた瞬間、確信した。
ルルナだ。
私の推し、月城るなが、私のクラスに転入してきた。
担任が席を指定した。私の隣だった。
なんで。
るなが歩いてくる。近づいてくる。隣の椅子を引く。座る。
「よろしく」
こちらを向いて、にこっと笑った。
私は一秒固まってから、なんとか返事をした。
「よ、よろしくお願いします」
声が裏返った。
恥ずかしすぎる。
授業が始まった。私は教科書を見ているふりをしながら、頭の中がフル回転していた。
本当にルルナなのか。でも声も顔も名前も全部一致している。配信では素顔を出している人だから、見
間違えようがない。
でもなんで学校が同じなんだ。
配信で学校の話をほとんどしない人だから、どこに住んでいるかも知らなかった。地元の人だったの
か。
昼休みになった。
私はいつも一人で弁当を食べる。教室の隅の席で、本を読みながら食べる。それが日課だった。
弁当を出したとき、隣から声がかかった。
「ねえ、ここで食べていい?」
るなだった。
なんで。
「え、あ、えと」
「ダメ?」
「ダメじゃ、ないですけど」
「じゃあいい?」
「いいです」
るなが自分の弁当を持ってきて、向かいに座った。
なんで向かいに座るんだ。なんでよりによって私に声をかけたんだ。
「転入初日って話しかけにくいよね」
「そうですね」
「あなたが話しかけやすそうだったから来ちゃった」
「話しかけやすそう」
「なんか、優しそうだから」
自分が優しそうに見えるとは思っていなかった。地味で目立たないだけだと思っていた。
「椎名さん、だっけ」
「はい」
「こはるって呼んでいい?」
「え、は、はい」
「じゃあこはる。るなって呼んでよ」
「る、るなさん」
「さんはいらない」
「るな、さん」
「さんがとれてない」
「す、すみません」
「謝らなくていいって。ゆっくりでいいよ」
るなが笑った。
配信で見る笑顔と同じだった。画面の向こうで何度も見た笑顔が、今目の前にある。
私は弁当の蓋を開けながら、平静を保つことに全力を注いだ。
推しが隣にいる。推しが私の名前を呼んでいる。推しが一緒に弁当を食べている。
全部現実だ。夢じゃない。
「こはる、何か好きなものある?」
「え、何が、でしょう」
「なんでもいい。趣味とか」
「え、えと」
言っていいのか。
言っていいのか、配信が好きですって。
「家で、動画を見るのが好きで」
「どんな動画?」
「ゲーム実況とか、雑談系とか」
「へえ、誰のが好き?」
これは言えない。
「い、色々です。割と広く見てます」
「そっか」
るなが弁当を食べながら何でもなさそうに言った。
セーフだった。
正体に気づいているかどうかは、まだわからない。でも少なくとも、私が古参リスナーだとはバレていないと思う。
「こはるはさ、友達多い?」
「多くないです。少ないというか、その、あまり」
「一人で食べてたもんね、さっきまで」
「いつもそうで」
「じゃあ私も一緒にいていい?」
「え」
「友達がいなくて困ってるから、私も」
困っているのか。
るなが少し、肩をすくめた。
「転校って初日が一番しんどいんだよね。話しかける糸口がわからなくて」
「そうですよね」
「こはるは話しかけやすかったから助かった」
「そうですか」
「うん。なんか、安心する感じがして」
安心する感じ。
私が推しに安心感を与えているのか。不思議すぎる。
「一緒にいていいですよ、もちろん」
言ったら、るなが少し目を細めた。
「ありがとう」
配信の外でこの顔を見るのは初めてだった。
画面の向こうのルルナより、少しだけ素に近い顔だと思った。
午後の授業も隣で受けた。
現代文の授業中、るなが小さなメモ用紙をくれた。
「先生の話、速くない? ついていけてる?」
授業中にメモを渡してくる。
「ついていけてます、たぶん」
「え、すごい。私全然ついていけてない」
「教科書、どこ見てますか」
「ここ」
るなが教科書を少し傾けた。数ページ違っていた。
私は小声でページを教えた。
「ありがとう、助かった」
るなが小声で言って、また前を向いた。
助けた。
推しを、授業で助けた。
放課後になった。
帰ろうとしていたら、るなが「一緒に帰る?」と言ってきた。
「方向が同じだったら、ですけど」
「北口方向」
「同じです」
「じゃあ一緒に帰ろ」
並んで廊下を歩いた。るながたまに話しかけてきた。学校のことを聞いてきたり、近くにコンビニがあ
るかを聞いてきたり。私はできるだけ普通に答えた。
普通に、というのが難しかった。
この人が画面の向こうで何を言っていたかを知っている。先週の配信でゲームで負けてキレていたのを知っている。三ヶ月前の誕生日配信で泣いていたのを知っている。でも今目の前のるなはそれを知らなくて、私も知らないふりをしている。
変な感じだった。
校門を出たところで、るなが立ち止まった。
「こはる」
「はい」
「今日、一緒にいてくれてありがとう」
「そんな、大したことしてないですよ」
「大したことだよ。知らない学校で一人だったら、しんどかったと思うから」
るなが少し、本音みたいな顔をした。
配信のルルナとは少し違う顔だった。少しだけ、疲れている感じ。
「また明日も一緒にいていい?」
「いいですよ、もちろん」
「やった」
るなが笑った。
今度は配信の笑顔に近かった。明るくて、はっきりした笑顔。
「じゃあ明日ね、こはる」
「はい。また明日です」
るなが歩いていった。
私はしばらくその場に立っていた。
推しが転校してきた。隣の席になった。一緒に弁当を食べた。一緒に帰った。
夢みたいな一日だった。
でも夢じゃない。
家に帰ってから、るなのチャンネルを開いた。最新の配信が上がっていた。三日前のものだ。
動画の中のルルナが笑っていた。
私は少し考えた。
正体を言うべきか言わないべきか。古参リスナーだとバレたらどうなるか。
でも言えなかった。
言ったら、今日みたいに普通に話せなくなるかもしれない。推しとして見ている自分が前に出てきて、ぎこちなくなるかもしれない。
しばらくは黙っていよう。
そう決めた。
配信を最後まで見てから、電気を消した。
明日も隣の席に、るなが来る。
それだけで、なんか、今日が悪くない一日だったと思えた。




