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18 虜囚の聖王、登極の女王

「ロベールが討たれただと?」


 ルイ九世は、驚愕と共に落胆、そして悲歎を味わった。

 ロベール、二歳下のロベール。

 共に獅子王リオンの子として生まれ、これまで苦楽を共にした、ロベール。


「……やはり止めるべきであった」


 だが、ルイ九世に立ち止まることは許されない。

 なぜなら。


「兄さん」

「兄上」


 そのロベールの遺体を持ち帰ったアルフォンスとシャルルの二人が、王として、兄として、ルイ九世にすがるような視線を向けるから。


「返そう、とにかく橋まで戻れ。橋を死守せよ」


 ここでルイ九世が橋を守ろうとしたことは、敗兵の退路を確保し、かつ、再びカイロを征せんとする不屈の意志の表れではあるが。


「叩け! 叩け! 十字軍フランクどもを、叩きのめせ!」


 今や勝勢に乗り、津波にように押し寄せる、アイユーブ朝の軍の前には、為す術がなかった。



 結局。

 ルイ九世はダミエッタから離れた野営地に押し込まれるように、籠城することになった。

 その野営地の名をギデイラといい、わずか数日前にファフルッディーン・ユースフというアイユーブ朝の将軍が討たれた場所であるのは、皮肉としか言いようがない。

 そして、ルイ九世にとっては、悲惨なことに、アイユーブ朝から、さらなる脅威を受けることになる。


「トゥーラーン・シャーだと? それはたしか……」

国王スルタンサーリフの王子です、兄上」


 シャルルはうなだれたまま、ルイ九世に報告した。

 トゥーラーン・シャーはこのタイミングでイラクから戻り、そしてそのまま、ダミエッタとギデイラを分断し、ルイ九世への補給の道を断った。



「こうなっては致し方なし」


 兵站の窮乏に苦しむルイ九世は、外交交渉により、アイユーブ朝から譲歩を引き出そうとした。

 ダミエッタと、エルサレムの交換を提案し、そして停戦を。

 だが今さらの交渉など、アイユーブ朝からすると、笑止だった。


「交渉の道を断って来たのは、そちらではないか」


 シャジャルは冷然と述べた。と同時にバイバルスに、急ぎルイ九世を捕らえるよう命じた。

 バイバルスはいぶかる。


「捕らえるのは分かる。分かるが、何故に『急ぎ』なのか」

「分からぬか」


 シャジャルはその繊手で顔を覆い、その指の隙間からバイバルスを見た。

 ここは玉座の間だが、何故だか寝所のような、そんな艶めいた雰囲気を醸し出す所作だった。


「交渉が成り立たぬは、敵も知ってのこと」


 バイバルスの隣に立つゼノビアは、叱咤するように言った。

 途端に、場にぴしりとした緊張が走る。

 だがそれは、バイバルスにとっては心地よい緊張で、そして彼は答えに気づいた。


「そうか。交渉する振り……というか交渉自体は進めば幸い、その裏で」


 逃げるというわけかと言いながら、バイバルスは玉座の間を退出した。

 気づけば動くのは、彼の特性である。

 シャジャルは手を下ろして呼び止めようとしたが、そう命じたのは彼女自身。

 バイバルスを追いかけるゼノビアを見ながら「許せ」と苦笑した。



 ファルスクール。

 ルイ九世はギデイラを出て、そこまで逃げて来たが、橋を壊すことをしなかったため、アイユーブ朝の軍に捕捉されてしまった。


「……やんぬるかな」


 橋を壊さなかったのは、逃げることに気づかれないようにするためであり、その時間を惜しんだからであり、何よりカイロへの再征を期していたためだが、その思いが仇となった。


「だが、ここで死ぬわけには、いかぬ」


 のちに聖王と称される彼は、忍耐心を発揮して、共に逃げて来た弟シャルルに交渉させ、殺されないことを条件に降伏し、虜囚となった。


 かくしてここに第七回十字軍は潰えた。

 莫大な身代金を払って解放されたルイ九世だが、実は彼はあきらめてはいなかった。

 何をあきらめていないかというと。


「アルフォンス、シャルル、予はまだあきらめんぞ」

「兄さん、何を」

「兄上?」

「……予は必ず再び、十字軍を率い、この地へと征く」


 この時、アルフォンスは思った。

 この兄を支え、共に征すのが弟であり腹心であるおのれの道だ、と。

 同時に、シャルルは考えた。

 この兄の執念は使える、心中に思い描く「地中海帝国」への野望に、と。


 だが第八回十字軍を興したフランス――ルイ九世は、その時エジプトを支配する国王スルタン、バイバルスと対峙することになるのだが、この時は知る由もない。



 一方で。

 エジプトの方はというと、先の国王スルタンサーリフの王子、トゥーラーン・シャーが王となった。

 しかし。


サーリフの愛妾ごときが、出しゃばるな」


 トゥーラーン・シャーとしては、血のつながっていない継母であるシャジャル・アッドゥルに「でかい面をするな」と言いたかったのであろう。

 また、十字軍の兵站を断つという、非凡な手腕を持つこともあり、シャジャルの功績と、そしてその才能に警戒していたのかもしれない。

 だがその、シャジャルとマムルークらを疎んじることが逆にあだとなった。


「……このままだと、不遇のまま終わることになる、いや」


 シャジャルとしては終わるつもりはなかった。

 それは人生を終えるという意味でも。

 そうと決めたシャジャルの行動は早く、ファルスクールの勝利の直後とも言える一二五〇年五月にトゥーラーン・シャーを「排除」した。



 ……これをもってアイユーブ朝は終焉し、代わって立ったシャジャル・アッドゥルから始まる王朝はこう呼ばれる。

 マムルーク朝、と。

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