18 虜囚の聖王、登極の女王
「ロベールが討たれただと?」
ルイ九世は、驚愕と共に落胆、そして悲歎を味わった。
ロベール、二歳下のロベール。
共に獅子王の子として生まれ、これまで苦楽を共にした、ロベール。
「……やはり止めるべきであった」
だが、ルイ九世に立ち止まることは許されない。
なぜなら。
「兄さん」
「兄上」
そのロベールの遺体を持ち帰ったアルフォンスとシャルルの二人が、王として、兄として、ルイ九世にすがるような視線を向けるから。
「返そう、とにかく橋まで戻れ。橋を死守せよ」
ここでルイ九世が橋を守ろうとしたことは、敗兵の退路を確保し、かつ、再びカイロを征せんとする不屈の意志の表れではあるが。
「叩け! 叩け! 十字軍どもを、叩きのめせ!」
今や勝勢に乗り、津波にように押し寄せる、アイユーブ朝の軍の前には、為す術がなかった。
*
結局。
ルイ九世はダミエッタから離れた野営地に押し込まれるように、籠城することになった。
その野営地の名をギデイラといい、わずか数日前にファフルッディーン・ユースフというアイユーブ朝の将軍が討たれた場所であるのは、皮肉としか言いようがない。
そして、ルイ九世にとっては、悲惨なことに、アイユーブ朝から、さらなる脅威を受けることになる。
「トゥーラーン・シャーだと? それはたしか……」
「国王サーリフの王子です、兄上」
シャルルはうなだれたまま、ルイ九世に報告した。
トゥーラーン・シャーはこのタイミングでイラクから戻り、そしてそのまま、ダミエッタとギデイラを分断し、ルイ九世への補給の道を断った。
「こうなっては致し方なし」
兵站の窮乏に苦しむルイ九世は、外交交渉により、アイユーブ朝から譲歩を引き出そうとした。
ダミエッタと、エルサレムの交換を提案し、そして停戦を。
だが今さらの交渉など、アイユーブ朝からすると、笑止だった。
「交渉の道を断って来たのは、そちらではないか」
シャジャルは冷然と述べた。と同時にバイバルスに、急ぎルイ九世を捕らえるよう命じた。
バイバルスはいぶかる。
「捕らえるのは分かる。分かるが、何故に『急ぎ』なのか」
「分からぬか」
シャジャルはその繊手で顔を覆い、その指の隙間からバイバルスを見た。
ここは玉座の間だが、何故だか寝所のような、そんな艶めいた雰囲気を醸し出す所作だった。
「交渉が成り立たぬは、敵も知ってのこと」
バイバルスの隣に立つゼノビアは、叱咤するように言った。
途端に、場にぴしりとした緊張が走る。
だがそれは、バイバルスにとっては心地よい緊張で、そして彼は答えに気づいた。
「そうか。交渉する振り……というか交渉自体は進めば幸い、その裏で」
逃げるというわけかと言いながら、バイバルスは玉座の間を退出した。
気づけば動くのは、彼の特性である。
シャジャルは手を下ろして呼び止めようとしたが、そう命じたのは彼女自身。
バイバルスを追いかけるゼノビアを見ながら「許せ」と苦笑した。
*
ファルスクール。
ルイ九世はギデイラを出て、そこまで逃げて来たが、橋を壊すことをしなかったため、アイユーブ朝の軍に捕捉されてしまった。
「……やんぬるかな」
橋を壊さなかったのは、逃げることに気づかれないようにするためであり、その時間を惜しんだからであり、何よりカイロへの再征を期していたためだが、その思いが仇となった。
「だが、ここで死ぬわけには、いかぬ」
のちに聖王と称される彼は、忍耐心を発揮して、共に逃げて来た弟シャルルに交渉させ、殺されないことを条件に降伏し、虜囚となった。
かくしてここに第七回十字軍は潰えた。
莫大な身代金を払って解放されたルイ九世だが、実は彼はあきらめてはいなかった。
何をあきらめていないかというと。
「アルフォンス、シャルル、予はまだあきらめんぞ」
「兄さん、何を」
「兄上?」
「……予は必ず再び、十字軍を率い、この地へと征く」
この時、アルフォンスは思った。
この兄を支え、共に征すのが弟であり腹心であるおのれの道だ、と。
同時に、シャルルは考えた。
この兄の執念は使える、心中に思い描く「地中海帝国」への野望に、と。
だが第八回十字軍を興したフランス――ルイ九世は、その時エジプトを支配する国王、バイバルスと対峙することになるのだが、この時は知る由もない。
*
一方で。
エジプトの方はというと、先の国王サーリフの王子、トゥーラーン・シャーが王となった。
しかし。
「父の愛妾ごときが、出しゃばるな」
トゥーラーン・シャーとしては、血のつながっていない継母であるシャジャル・アッドゥルに「でかい面をするな」と言いたかったのであろう。
また、十字軍の兵站を断つという、非凡な手腕を持つこともあり、シャジャルの功績と、そしてその才能に警戒していたのかもしれない。
だがその、シャジャルとマムルークらを疎んじることが逆にあだとなった。
「……このままだと、不遇のまま終わることになる、いや」
シャジャルとしては終わるつもりはなかった。
それは人生を終えるという意味でも。
そうと決めたシャジャルの行動は早く、ファルスクールの勝利の直後とも言える一二五〇年五月にトゥーラーン・シャーを「排除」した。
……これを以てアイユーブ朝は終焉し、代わって立ったシャジャル・アッドゥルから始まる王朝はこう呼ばれる。
マムルーク朝、と。




