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ケンカはよくない

「いけません!」


 売り言葉に買い言葉の不毛な罵りあいに、ぴしゃりと冷水を浴びせるような一言。


 一同の視線が、部屋の片隅に集中する。


 バケツを思わせる野暮ったい円柱状の兜をずっぽり被った小柄な人物が、足をたたんで行儀よく座っていた。頭頂からは純白の羽飾り(プルーム)がぴょこんと飛び出ていて、そのいでたちの滑稽さは童話に登場するコメディリリーフのようにも感じられた。


 端切れでつぎはぎした痕跡がそこかしこにみられる外套に、死体から剥ぎ取ったかのようなくたびれ方をしたボロボロの編み上げ靴。遭難した面子の中では一際みすぼらしい身なりをしていた。


 この人道的な気質のバケツ頭の身元について、思い当たるような人物に心当たりはなかった。声色や背格好からして十二、三歳。ちょうどワイナが迷宮探索に従事するようになった年齢ほどの子供だろうか。遠征隊のキーパーソンであるTANKや治癒術師であれば顔と名前くらいは一致するものの、それ以外の構成員となると入れ替わりも激しくなるため、ワイナの知識の範疇を越えていた。


 バケツ頭の眼下には、彼よりもさらに小柄な体格の人間が横たわっている。前方にせり出した嘴様の煤塵濾過機構フィルターを有する防瓦斯面ガスマスクが特徴的で、バケツ頭と同じく素顔をうかがい知ることはできない。外套のフードから覗く縮れた長い赤毛のほかには、容姿を判別させるものは何一つない。着衣に縫い付けられたモネル製の認識票ドッグタグのおかげで、かろうじて一同は彼が若い煙窟人ドワーフらしいことを把握できていた。


「仲間どうしでそんなふうにけなしたり、いじめあったりするのはいけません! それは絶対いけないことです」


「全面的にいまの意見に賛同する。とにかく落ち着け、ふたりとも」


 すかさずワイナも便乗する。血が流れないに越したことはない。


 もう数秒の睨み合いののち、ややあってからベルペラは鼻を鳴らして自分からミハイのそばから離れていく。緊張の糸がほぐれたのか、その場でミハイは腰を抜かしてしまう。


「僕に何ができたってんだ、クソ……ちくしょう」


 苦々しげに、ミハイは捨て台詞をベルペラの背に投げつける。浅い呼吸を繰り返しながら、ケープの内から取り出したロザリオを握り、やがて彼はつかの間の祈りに耽りだした。


 ともあれ、遭難した先で仲違いの末に刃傷沙汰に陥るといった最悪の事態は避けられた。声を張り上げてくれたバケツ頭に、ワイナはあらためて感謝の意をこめて視線をやった。


「……彼の様子はどうだ」


「はあ」


 歩み寄ってきたワイナからの声掛けに、バケツ頭は上ずった声色で応じた。


「すみません、あの、小生は、そういったことには疎いのです」


 認識票によって、昏倒しているのが『ランメルツハウゼンのロスマム』なる名で知られる人物であることがわかっていた。役割ポジション治癒術師ヒーラー。キャリアはワイナと同程度だが、かずかずの迷宮踏破実績から堅実な仕事ぶりが評価されているという、準ベテラン格の一人だった。


「ただ、このままじゃいけないということだけは、わかります」


 意識はなく、呼吸は浅く荒い。ときおり不自然な喘鳴が耳障りに響くところを見るに、彼の身体を侵すものは、意識混濁のほか呼吸器系にも影響をもたらしているようだった。


「当初の痙攣発作はおさまったけど、発熱は依然として続いてる。軽微なチアノーゼと発疹もみられる。さっき手持ちの抗生剤を皮下投与したけど、本格的な措置はここでは無理。何より嘔吐した場合、窒息の危険性もある……」


 ワイナの背後で、当初の応急措置を担当したハリメが伏し目がちに言った。癇癪玉のガス抜きは不十分らしいが、医療者としての見立て自体は信頼できそうだった。


「な、なぜ、それがわかってて防瓦斯面を外さない?」


「戒律だよ。アンタら教皇領ローマの術師が刃物を使わねえように、ランメルツハウゼン閥の術師は、外様の人間に容姿を晒せない」


 無知を晒すミハイの見苦しさを見かねたか、石壁に背を預けるベルペラがそうたしなめた。


「だが、そうしなければ死、死んでしまうかもしれない」


「想術の効力や精度を高めるための終生誓願が、そのまま機密漏洩の防止策になっている。無理に面を外せば、彼は組織において破戒を冒した落伍者とみなされる。途端に術が使えなくなるか、あるいは禁を破った制裁として、過去の誓願自体に呪殺される可能性がある。素顔を見られた者はもちろん、覗いた側にも呪いがかかるケースもある」


「想術師ってのはそんなのばかりか、理解に苦しむ」


 ワイナの補足を耳にしたミハイが、苦々しくそうこぼした。鉄火場から縁遠い遵法術師シロからすれば、自然な反応ではあった。先人たちより堅実に練り上げられた魔術式を好き勝手にいじくりまわし、安全性にも信頼性にも欠けた独自の術――――想術を、危険を顧みず好き勝手に振り回す無法者。


 そんな想術師クロ代表ともいえるいでたちのベルペラが言う。


「肺がやられてるところをみると、粘膜を徹底的に毒で焼かれてる可能性もある。うっかり面を外した途端、目玉がとろけて流れ出ちゃうかもよ。現状維持がベストってワケ。おわかり?」


「……あのデカブツの瘴毒だ。俺たちを庇って全部肩代わりしたんだろうが」


「あの混乱の中、私たちが助かったのは、きっと彼の広域防壁術フォートレスのおかげ。だから、できれば……」


「いちど死体になってもらって、それから『緊急蘇生レイズデッド』かけるのも手じゃね? 蘇生術は健康な肢体を再形成する術なわけじゃん、術師が優秀なら五体満足で戦線復帰もできるだろうけど」


 ベルペラの底意地の悪い提案に、二人の治癒術師ヒーラーはどんよりと目を伏せる。


「『送還陣ベイルアウト』もダメ、『緊急蘇生レイズデッド』もダメときた。アンタらマジで何しに来たんだよ。使えねーグズどもが」


「私だって……好きでこんなところに来たわけじゃない!」


「知らねーし。無能なうえにメソメソすんなら、まずテメーの喉笛から掻っ切ってやろうか」


 ベルペラの恫喝に、たまらずハリメは唇を噛む。黄金色の瞳が、じわりと潤みだしてしまう。


「もう嫌、嫌、嫌嫌嫌ッ!! なんでこんな目に遭わなきゃいけないの」


「ご愁傷様だけどさあ。この期に及んじゃ、取るべきは二つに一つじゃん」


 ハリメの吐露などどこ吹く風、さして彼女を慮るような態度など見せぬまま、ベルペラは背後の石壁を拳でごつごつ叩いた。


「一同この黴臭ぇ袋小路で仲良くおっ死んで『回収屋ピッカー』に骨を拾われるのを待つか、それとも」


「壁を破って、他の部隊パーティと合流するかだ」


 ベルペラに集まっていた視線が、もう一つの結論を口にしたワイナのほうへと向けられる。卑屈さと警戒を孕んだ二対と、好奇に満ちたもう二対のまなざし。それぞれの瞳が、松明の炎を映してゆらゆらと揺らいでいた。


「そういうこった」


 くるりとベルペラは振り向くと、石壁目がけて前蹴りを繰り出した。滑らかな脚線美から放たれた蹴りは、鈍い音を立てて容易く石壁の一部を打ち崩してしまった。衝撃とともに部屋に満ちた土煙が周りに吹きあがり、やがてそれが晴れたころ、壁の向こうに広がる一本の通路が一同の目の前に現れた。


「み、道……!? 道だ、行き止まりじゃなかったのか」


「人為的に建造されたタイプの迷宮には、ただ侵入者を飢え死にさせるだけの無駄な部屋なんていうものはまずない。罠にかかった獲物にとどめを刺すための罠が仕掛けられていないのであれば、なにか他の機能が与えられているスペースであることが多い」


「仮にここが侵入者絶対ぶっ殺しスペースだったとしても、魔物に死骸の始末をさせるためには絶対に出入口が必要なわけじゃん?」


 土埃を煙たそうにパタパタ払いながら、踵を鳴らしてベルペラは壁の穴をくぐろうとする。その背を目にして、彼女の行動に竦みあがっていたミハイが声をあげた。


「ま、まさか、ここから出る気か?」


「見りゃわかんだろ」


「一度でも敵と遭遇したら、一巻の終わりじゃない……!」


 ハリメの懸念を引き継ぐように、ミハイは探求師として至極正しい常識を口にした。


「僕らの中には、TANKがひとりもいないんだぞッ!!」

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