一触即発
「そう、その……彼は、治癒術師だ。今の俺たちの生命線であり、指揮官だ」
生来の仏頂面と言葉足らずのせいで、人付き合いにおいては少なからぬ損を被ってきた己のいきさつをワイナは思い出す。少ない友人からの指摘を頼りに、しどろもどろに言葉を取り繕ってみせた。
やりきれなさを抱えたままの表情で、ミハイは得物の鎚矛の柄を握る手に力をこめた。鋭利なスパイクとともに、儀礼的な意味合いが強いであろう金飾が各所に施された鎚矛は、戒律上刃物を厭うローマの治癒術師たちにとって、ポピュラーな得物のひとつだった。
「キャリアがどうであれ、役職は尊重するべきだ」
探求師の集団行動における基本原則を、ことさら強調してワイナは口にした。ダンジョン攻略を目的とする遠征任務では、快癒や治療の術に長じた者に大局的な状況判断を任せるのが一般的とされているからであった。
「尊重ねえ。ずいぶん寛大なんだねえ、アンタの古巣の方針ってやつ?」
「そうだ」
冷ややかに周囲の面々を見下すベルペラと、憤怒の行先に迷うミハイ。二人を交互に見やって、ワイナは言った。
「だいいち孤立無援なんだぞ。口喧嘩で無駄な体力を使わないほうがいい」
「ヘエ。潜行回数ひとケタのボンクラお坊ちゃんをアタマに据えて、探索再開でもしようっての?」
探求師にとって生涯潜行回数とは、想術をはじめとする能力の練度を示す指標の一つである。
人はまだ見ぬ財宝や秘境を求めて迷宮へ足を踏み入れるわけだが、もちろん誰もが健康な状態で故郷へ戻ってこられるわけではない。誰がどんな目的で仕掛けたか定かではない陰険な罠や、獰猛な魔物との遭遇によって四肢を、そして五感のいずれかを失うのは珍しい話ではなかった。
数十年前の緊急蘇生術の開発を境に、死亡事故の件数自体は激減した。しかしながら予後の悪化が改善しないまま、せん妄をはじめとする重篤な後遺症に陥った末に自害してしまう探求師の訃報も、界隈ではよく耳にしたものだった。
五体満足でかつ精神に異常をきたすことなく、危険の蔓延る死地からの帰還を果たしてこそ、優れた探求師たりえるのである。
「ふん……ただのボンクラなら、今回の遠征には選ばれない、ってわけ?」
「そ、その通りだ。僕はローマで治癒術の修士号を取得している。フローレンス公立医大指定の実地研修だって修めた」
「そら見な、ロクに現場に出たこともないアホと仕事できっかよボケナス」
初歩的なカマかけに引っかかるところを見るに、やはりミハイは根が器用なたちではないらしい。恥辱を奥歯で不味そうに噛みしめながら、彼はぎりぎりとこぶしを握り締めた。
「つまんねえ見栄張ってんじゃねえよ。半分カタギのつもりで術師ヅラしやがって。それとも、元から現場をひっかきまわすのが目的だったわけ? いい加減なこと言ってんなよな」
徐々に語気に冷徹な獰猛さをにじませながら、ベルペラは羽織っていた紺のケープマントをはらりと脱ぎ捨てた。
飾り気のない外套の奥から露になったのは、華美で瀟洒なフリルのドレス。ワインレッドに黒を差し色としたコーディネートは、起伏に富んだ砂時計めいた体型を、いたずらに強調していた。肩口と背中とを大胆に露出した煽情的なその装束は、しかし過度に放埓さを演出しているわけではない。きめ細やかなベルベット地やレースをふんだんに用いたボリュームあるスカート部には、どこか諧謔めいた貞淑さすら感じられる。ストリッパーのなまめかしい裸体を隠す目的でかえって分厚く誂えられた、雄の獣欲をいたずらにかきたてる重たい緞帳である。
両の手で髪をかき上げれば、瞬きする間もなく豊かな赤毛の奔流に精緻な編み込みが形成された。細く長い指先で白い頬をなぞれば、微かなラベンダー色の赤味が花開く。黒のリップに染まった唇に触れればより一段と艶やかさが増し、星空のように一層てらてらと輝きだす。周囲にはふわりとフェニルエタノール系の鋭利で甘い――――薔薇の香気が舞いあがる。
先人から受け継がれてきた合法な制式術式を用いる遵法魔術では、ここまで特定個人に最適化されたピーキーな芸当は、まず不可能だ。
細かな手順や機序こそワイナにはわからなかったが、一連のメイクアップは、高度な『想』技術の賜物に違いなかった。
丈の長いブーツは、極端なほどに厚底なピンヒール。常人がいかに履き慣れようとも、わずかな砂利道すら歩くことが困難な形状でありながら、しかし当のベルペラは、そんな不自由さなどおくびにも出していない。頭から爪先まで、鮮烈なまでのビビッドなワインレッド。この装束こそが自分にとっての正装なのだと言わんばかりの態度は、さながら劇場で野心を高らかに謡う、奔放と放埓とを全身で体現する舞台女優のよう。
調査行には明らかに不向きな、己の器量と艶姿とを殊更に顕示するかのような風体。『自分がこうありたいからこう振舞うのだ』という、どこまでも手前勝手でエゴイスティックなベルペラの物腰は、確かに想術を扱う人種としては理想形なのであろう。
「出資者同士の足のひっぱり合いにアタシらが巻き込まれた可能性だってあんだろうが」
「な、なに……?」
「カネと人材を出し合う共同調査事業で一番デリケートなのは、利権の配分をどうするかでしょ。最近は役人や企業どころか、アタシら傭兵や学者も欲の皮が突っ張ってるからね。みんながみんな競争相手を潰しに走ってもおかしくないしさ」
「俺たち遠征隊を故意にあのバケモノと引き合わせた奴らがいると?」
ワイナが好ましくない推論を口にすると、ベルペラは顎をしゃくって応える。
「推定『聖剣獣』級の魔物が闊歩してるなんて前情報があれば、誰もそんな仕事を請けたりしない。ただでさえ第二次遠征が大した成果を得られてない中じゃなおさらだ。墓荒らしで食ってる探求師なら絶対に警戒するし、何よりド素人にお声なんかかかりゃしない。となれば、アレの存在を意図的に伏せてアタシらに火中の栗を拾わせようとしてる奴がいるって考えるのが自然っしょ」
「……『久遠の花嫁』目当てにか?」
遠征計画を破綻させ、同業者の頭数を強引に減らしてでも手に入れる価値のあるものが、果たして本当にこの遺跡に眠っているとでもいうのだろうか。
ワイナの経験からいえば、ダンジョン調査において、必ずしも請け負うリスクや投入したコストに見合ったリターンが得られるとは限らない。薄暗がりを数日から数か月歩き回って、そこが単に無価値で危険なだけの穴ぐらであることのみが判明する調査行がほとんどだろう。先史時代の宝物庫や希少鉱物の鉱床、そして未知なる有用物質にありつけるかどうかは、運次第というほかない。
まともな神経の持ち主であれば、少なくともベルペラの語ったような暴挙には及ぶまい。あらためてワイナは、行軍計画についてを思い出そうとした。
「計画書の作成は、教皇領と西帝国文化省の担当だったな」
「そうだ、わがヴィロー家も両者を取り持つかたちで参画している。しかし我々の縁者が……教皇猊下やお歴々がそんな真似をするものか」
「お気楽でうらやましいわあ。お家騒動に付き合わせて何万人も平民を飢え死にさせて回ったお貴族の末裔はこうでなくちゃねえ」
謂れのない一族への中傷に、ついにミハイはいきり立つ。手には鎚矛が握られたままである。
「仮に不埒な輩の謀があったとするなら、君のような根無し草の傭兵こそ怪しかろうよ! 何が探求師か、カネのにおいにつられて墓穴をさまよう野犬ではないかッ!」
「そういうおたくも、アタシみたいな野良犬と肩ならべて甘い汁を啜りにきたんでしょお? これ見よがしにお家の看板背負ってさあ」
「想術師風情が、どの立場から帝国貴族を愚弄するかッ! 」
「やめとけ、あんたが喧嘩買ってどうすんだ」
ワイナもまた立ち上がり、仲裁すべく二人の間に立つ。あいにくながら背丈が足りず、火花を散らす彼らの視線を遮ることはできない。
「ムキになるほど大した家柄でもねーだろ。百姓の頭にひっついたノミがいいとこだろうが」
「色町の婢女がッ! 言動の分別くらいはつけたまえよッ!」
「言うじゃねえか白豚野郎ぉ、頭蓋骨にはらわたつめこんで実家に送ってやろうかあ?」
「よせってば。時間と体力の無駄だ」
「か、彼の疑いを晴らせるような材料は、今のところないわけじゃない……」
陰険さと疑り深さを隠しもしない卑屈な声色が、ワイナの制止を諫めた。
声の主は、壁にもたれて諍いの様子を眺めるフリュギア人の少女だった。
遠征隊第六班所属統括副監理官。名をハリメといった。人材交流を目的としてはるばる東方はフリュギア本国の最高学府より派遣されてきた、治癒術師の一人。
蒼い肌に、暗い群青の豊かな長髪。艶めく黒曜の巻角は、彼女が由緒あるフリュギア王族に名を連ねる証だった。漆黒の強膜に浮かぶ瞳は、爬虫類めいた黄金色。こちらを睨みつけるじっとりとした視線には、非常事態ゆえの余裕のなさが垣間見えた。眉間にしわを寄せた苦々しげな表情。瞳は揺れ、唇を噛みしめ、ようやく絞り出した言葉がミハイへの疑念だったらしい。
役職に求められる資質でいえばミハイよりも頼れそうなストイックさを当初は感じてはいたが、ベテランと呼ぶには不足そうというのが第一印象だった。ワイナとしては、こんなかたちで予想が的中してほしくはなかった。
「なにを馬鹿な」
「そこの砲手の人が言った通りですよ……エントランスから潜行してまだ半日も経っていないのに、偶然あんな化け物――――聖剣獣と遭遇するなんてありえない。ブリーフィングでもそんな報告はありませんでしたし……そもそも浅層が物流拠点の一部として開発されてから二十年は経っているんです、あんな危険な存在が痕跡はおろか、目撃情報もなしに姿をひそめていただなんて、そんなこと……」
「き、君まで、僕のせいだっていうのか」
「ダンジョンでは例外なんかいくらでもある。強力な魔物と遭遇することもままあることだ、彼を疑う理由にはならない」
「『あんなふう』に人が死んでいくのが、ままあることだっていうの」
「そうだ」
「ふざけないでよ……!」
ミハイへの弁護も、今のハリメの耳には届かないようだった。またしても言い方を間違えたともいえる。
ハリメの視線がミハイの青ざめた表情へと向けられる。胸中に浮かんだ根拠のない嫌疑に良心が痛んだのか、やがて彼女は奥歯を噛みしめてうつむいてしまう。清潔で、あるいは潔癖ですらあるのだろう。爪弾き者が最後に辿り着くような迷宮行とは無縁の、少なくともワイナのような浮浪児上がりとは比べ物にならないほど、日当たりのよい健康的な暮らしの中で生きてきた人間の口ぶりだった。
「それをおかしいと思わないなら……あなたたち探求師が一番おかしいわ……」
単に治癒術者としては優秀なのだろうが、未だ地上の常識でものを考えている。ミハイに関しても、育った世界が違えばそういう心持ちにもなるだろうとワイナは理解していた。そういった見解の相違をワイナは非難したくはなかったし、きっとハリメ自身もこの状況に窮したゆえの、衝動に任せた物言いだったはずである。
しかしながら、詭弁に苛立つベルペラは周囲に聞こえるような舌打ちを響かせる。
「上等だよお嬢様、おたくのいう頭のイカれた想術師らしく振舞ってやろうじゃん。お貴族を黙らせたら次はテメエに立場をわからせてやる。ド素人が物見遊山で他人様の仕事にプラプラ首突っ込んできやがって」
「やめろ。動ける人手を減らして得することなんてないだろ」
マントの内に利き手をつっこみ、ワイナは短刀の柄に指をかける。
いざとなれば、先に手を出してきた者を黙らせなければなるまい。一見して場慣れしているとは言い難いミハイやハリメはともかく、果たして熟練の砲手でもあるベルペラを制圧できるだろうか。
殺さず。傷めず。そう、平和的に。
あるいは切り札。場合によっては『想術』を使ってしまってもいいのかもしれない。指の一、二本を斬りとばして探求師同士の諍いが収まるなら上等だ。
――――できんの? アンタが? アタシを? 笑わせんなよ。
懸念からくる緊張を表情から読み取ったか。やってみろと言わんばかりに、当のベルペラは不敵に口端を吊り上げた。




