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帰るならみんなで

 ペシェを寝かせたテントへ戻ると、隠し部屋(セーフルーム)の入り口で擦れ違った、顔見知りの探求師の男の姿があった。手には、質素だが朝食の椀や皿を乗せた盆を持っていた。先日ワイナたちも食した、乾燥野菜をコンソメで煮たスープに、レーズン入りのビスケット。旨そうなにおいが漂ってくる。


「おはよう」


「よォ。やけに早いな、散歩か?」


「そんなとこだ。その食事は?」


「プリンセスへのルームサービスさ」


「俺の分は?」


「向こうで自分で用意しな、王子様」


「ヘルガの指示か?」


「そんなところだ」


「何を盛った? 睡眠薬? それとも自白剤か? ここで証言をとる気か?」


「なんのことだ?」


「とぼけなくていい。そっちのやり方に口を挟みたいわけじゃない」


 一歩。二歩。三歩。彼の顔が近づいてくる。なるだけ視線は合わせたまま。


 そして、ちょうど手を伸ばせば触れ合えるようになった瞬間。


 男は、トレイを手放した。


 身をかがませると同時に、腰もとに用意していた細剣へと手を伸ばす。


 しかしながら、彼が剣の柄を握る感触にいきあたることはない。その想定外の事実に、彼はわずかに眉を顰めた。そんな呆けた顔を、ワイナは勢いよく蹴り飛ばした。


 トレイに載っていた椀やカップの一切合切が音を立ててぶちまけられるのと、切断された右手の親指から薬指までの四本が、芝生の上にぱさりと落下するのはほぼ同時だった。


 悲鳴をあげられるより早く、ワイナは彼の背後へと追いすがる。叫ばれても嫌だし、きっと緊急用のホイッスルも持ち合わせているはずだ。


 とにかく口を塞いでやると、逆手に握った短剣の切っ先を頸に突きこんだ。裂けた気道と口元からぶくぶく水音をたてながら、真っ赤な水玉が弾けるのが見えた。必死にもがきながら左手で得物を抜こうと努力するが、ダメ押しに肝臓めがけた二本目の短剣が突き刺さった。抵抗がやむまで、何度も抜いては刺してを繰り返す。いずれの刀身にも、手製のトリカブト由来の劇毒が塗りこめられていた。一般的な体格の猿人《丸い耳した帝国人》であれば、最長六秒弱で自発呼吸を停止させられる。


 この六秒を短いと思ったことは一度もない。急場における六秒ほど長く感じられるものはないし、何より絶命するまで苦悶する人間の表情を六秒も眺める趣味もなかった。


 もがく獲物の痙攣が、自分の腕の中で徐々に弱まっていくあの感覚があった。


 やがて、彼は動かなくなった。


 できれば麻痺毒や筋弛緩剤で無力化させてやりたかったところだった。遠距離から、あるいは死角から気づかれず毒を投与できるならそれも可能だろうが、随意的に遷移防壁トランジション・アーマーを展開した想術使いに、単なる毒針や弓矢など通用するはずもない。こちらも『想』を込めた刃で不可視の防壁をかき破る必要があるわけだが、そもそも強化された刃が皮膚に突き立てられれば、その時点で致命傷を与えてしまうことは確定的といえた。相手に視認されてしまった以上、ワイナとしては可及的速やかに絶命させるしかない。それなら毒をもって確実に息の根を止めてやったほうがお互いのためにもなる。


 ワイナは彼から離れると、短剣を回収していそいそとペシェのテントへと近づいた。できれば、まだ眠っていてほしかった。これからのプランを考えれば起きていてくれたほうが都合がいいのだが、彼女にこうした血生臭い殺害現場を見せつけるのは、少しはばかられたからだ。


 入り口の幌をめくると、まさにその凄惨な死体を、そしてワイナによる殺人をしっかり目に焼き付けていたのであろう少女が、口元に手を添えて座り込んでいた。


「大胆なのですね、ワイナは。初めてではないのではなくて?」


「まあ、それなりだ。今朝はこれで二人目」


 ベルペラと別れた直後。すでにワイナは植物園方面で、隠形の壁を維持するために配置されていた探求師を始末していた。


 今回のヘルガの集団パーティの頭数は不確かながら、多くてあと三、四人といったところだろうか。その手合いたちともこれまで隠し部屋(セーフルーム)内では顔を合わせていないため、ここでは迷宮内で各自仕事に就いているのだと、ワイナは半ば強引に決めつけた。ヘルガ側の伏兵に怯えていても仕方ないし、もたもたしているうちに、送還陣ベイルアウト開通に応じて、そうした連中がここへ戻ってくる可能性もある。迷っている時間はなかった。


「そうした理由を教えていただけませんか?」


「このままだと君は脳みそかきまわされて殺される。俺はそうさせたくないと思った。だから、ふたりを殺した。次は君をここから連れ出そうと思う」


「まあ。そですか」


 死体とワイナとを見比べながら、彼女は抑揚のない声色でそうつぶやいた。寝起きだからか、それとも生来の図太さのせいなのか、とにかく肝は据わっているらしい。


「詳しい説明はあとだ、時間がない」


「しょ、承知しました」


 下半身を覆っていた薄い毛布を取り払い、彼女はすっくと立ち上がった。お気に入りのポーチをひっつかんだところで、例の帯本が無いことに気づいたらしい。きょろきょろと周囲を見回す彼女の様子に、ワイナはいたたまれない気持ちになった。


「すまない。本は……ぼうけんのしおりは、俺が盗った」


「ワイナが? なぜです?」


「君の潔白を証明したかった。それで、ヘルガたちに取り上げられた。それに書かれていることや、かつて君が見聞きしたことが金になるらしい。だから……」


 厚い鉄板の内側の表情をうかがい知ることはできない。元はといえば、すべてワイナがまいた種である。彼女が大切に抱えていた帯本に手を出したりしなければ、あるいはヘルガに睨まれたりなどしなかったものを。憎まれているだろうか、蔑まれているだろうか。今すぐここで土下座の一つでもしたい気持ちでいっぱいだが、生憎ながら切迫する時間がそうはさせてはくれない。


「ワイナも、冒険のためのお金が必要なのではないですか?」


 うつむき加減にそう彼女は言った。


「小生ひとりが死んで大勢がしあわせになるなら、それでいいのです。や、あまりよくはないのですが。でも、もしワイナがそのお金を独り占めしようとしているのなら、小生、そのお手伝いはできかねます。そういうのは、よくないことです」


「だが金が目当てなら、俺としても君を生かしとく理由なんかない」


 彼女が不信を抱くのは当然だった。自身のあずかり知らぬところで値段をつけられたペシェにとって、現時点ではワイナとヘルガ一行に差異などほとんどない。客観的には欲をかいて取り分を増やすべく袂を分かったようにしか受け取れないだろう。


「そこの、俺の背嚢を見てくれ。抱き枕代わりにしてた、それだ」


 ワイナはテントの内部を指さした。ヘルガたちの荷が所狭しと詰め込まれている中、みすぼらしく転がっているのは、つぎはぎだらけのぼろ背嚢。閉まり切っていないフラップの隙間からは、くすんだ円筒形の物体が突き出していた。


「あれ、ですか?」


「悪いが、あれを君には死守してほしい。これから絶対必要になる」


 言われるがまま、ペシェは背嚢を手に取った。


「突っ込んであるのは、送還陣ベイルアウト巻物スクロールだ。ヘルガたちには悪いが、予備らしい未使用品をあらかじめくすねておいた」


「……えと、つまり」


「ここまでお膳立てしてやれば、きっとあのミハイさまでも起動できるだろうな」


 こちらの言わんとすることが、ようやく伝わったらしい。ワイナをはっと見上げると、ペシェは声を弾ませた。


「あの小部屋のみんなで脱出できる、ということですか?」


「うまく逃げきれればな」


「それでこそ勇者、それでこそ探求師です」

 

 鉄板の向こうの破顔一笑が、目に浮かぶようだった。


 聞き慣れない金属音をワイナの垂狗耳が捉えたのは、その直後のことだった。

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