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猟狗のワイナ

 頃合いを見て、ワイナは割り当てられたテントから抜け出した。穏やかなせせらぎに沿って歩き、ガラス張りの植物園然としたエリアへと足を向ける。新緑のトンネルをくぐって通路を道なりに進みながら、あのビビッドなワインレッドの装いを目で探した。


 さしたる苦労もなく、ベルペラの姿は見つけられた。レンガ造りの壁泉のそばに、彼女はいた。吐水口から流れる水もまた冷たく澄んでいて、水盤の水もまた同様である。その縁に腰を下ろし、彼女はどこからかつまんできたバナナをもぐもぐ食っていた。バケツ頭といい彼女といい、一体どこでそんなものをもぎってくるというのだろうか。


「なんだよ? 早起きさんだな。まだ相当時間あるだろ」


 時刻は午前五時過ぎ。先だってヘルガから伝えられていた送還陣ベイルアウトの稼働までは、まだかなりの余裕があった。


「バナナ、どこにあったんだ?」


「どこって、ちょっと探せば木に生ってるだろ。見つけられなかったの?」


「……いや、いい。バナナはどうでもいいんだ」


 探し方にコツでもあるというのか。少しは甘味に後ろ髪をひかれつつ、あらためてワイナはベルペラの顔を見据えた。


「ミハイ・ヴィローたちの救助について意見を聞きたい。現状君の目から見て、ヘルガは信頼に足る存在といえるか?」


「アタシとアンタでお互いローテーションで仮眠とって何もなかったんだから、現時点では疑う材料はない。アタシ個人としては、好材料のほうが多いくらいかな」


 極めて冷静に、ベルペラはつらつらと持論を述べ始めた。


「アンタがあのボンクラ連中を助けてやりたいってんなら、あのヘルガ嬢相手に進言くらいはしてあげてもいい。またあの小部屋までを往復するのはごめんだわ、そういうのはアンタとちびバケツでやんなよね」


「それは分かっている。向こうもこちらが一枚岩であるとは思っていないようだし」


「アンタがアタシみたいなのと付き合ってること自体が意外だったっぽいしね。ほんと探求師向いてないわあの娘」


「ああ、向いてない」


「用はそんだけ?」


「もう一つだけある」


「いいよ。言うだけ言ってみ」


「俺に雇われてくれないか」


 即答はない。会話が途切れた。ベルペラがバナナを咀嚼するわずかな音が、壁泉から流れ落ちる水音にまじって聞こえてきた。先と同じようなシンプルな回答か、それとも流れるような罵倒でこき下ろされるか、予想ができなかった。


「で、何がしたいの」


「あのバケツ頭を、生かしてやりたい」


「いくら出せる?」


「地上に戻れば、即金で七万《約七〇〇万円》。分割を受け入れてくれるなら、十万は出せると思う」


「話になんない。糞して寝な」


「金以外でなら、まだ出せるものはある」


 そう言って、ワイナは頭部を覆っていたフードを脱ぎはらった。ブルーグレーの柔らかな頭髪が露になると同時に、左右の側頭部から垂れる長い耳がふわりと舞った。垂狗耳ハウンドイヤーとも揶揄されるこの耳をすすんで他人の目に晒したのは、リナナが新たにクラリネの組合に加入したとき以来のことだったように思う。


猟狗族カーシアン……なるほどね」


 前髪をかきあげて、ワイナは自身の片目を示した。地上では毎朝眺める目。自分では、さして特徴らしい特徴もなかろうとしか思えない目。かつてはブリタニアにルーツを持った少数民族猟狗族(カーシアン)に特有の、深い翡翠色の瞳をもった眼球である。


「この眼を譲る。猟狗族カーシアンの眼は、高値で売れる。以前の相場では、百や二百はくだらなかった」


「直近じゃ四百万《四億円》の取引があったばっかりだよ。よかったじゃん、滅亡寸前のところに思わぬ需要ができたっぽくてさ。そっち方面の好事家に話持ちかけてみるのはどう?」


「望むなら、両の目を差し出してもいい」


「意外とそういうのって買い手探すのに手間かかるんだよね」


「耳も売れると聞いた。望むなら、肋骨や臓器にも値が付くと」


「うるせえ糞ボケ、キャンキャンやかましいっつってんだイヌ畜生」


 頬をゆがませ、激昂するベルペラの表情は憤りに満ちていた。


「……だが、それ以外に、俺に出せるものは」


 ベルペラは立ち上がり、速足でワイナとの距離を詰めてきた。ワイナが身構えるより早く、ベルペラの手がワイナの華奢な頸を掴み上げた。女の細腕とは思えない剛力。巨木に支えられているかのようで、多少もがいたところで、その腕はまったくぶれたりはしなかった。


「どういう風の吹き回しだコラ。このまま頭数そろえて送還陣ベイルアウトで帰還、アンタの望むとおりあのミハイさまの救助にも異論はない、この上何がしてえってんだ、あ?」


「が……ぐうっ……」


 手のひらが直接ワイナの咽喉と気道とをきつく圧迫し、頭部に送られる酸素が急激に減少し始める。


「少しは他人の立場に立ってモノ考えるってことができねえか? これ以上考えること増やそうとしてんじゃねえ、ふざけたことしてるとこの場でマジでブチ殺すぞ」


「怒らせるつもりは……な……本当に、ただ……交渉……」


「交渉だあ? 助けてほしいです何でもします、眼でもなんでも差し上げますから。そうやってハナから下手に出る人間のどこを信用すりゃいいってんだこの野郎。舐めた真似してんじゃねえぞチンピラァ!!」


 喘ぐばかりで要領を得ないとみたか、ベルペラはぱっと喉から手を離した。うまく着地ができず、ついワイナはバランスを崩してくずおれてしまう。


「アタシからすりゃ、あのガキも容疑者だが、テメエほど薄気味悪い野郎は他にいねえんだよ。理由わかるか?」


 咳き込み、噎せながらも呼吸を整え、ベルペラを見上げて応える。


「『ケバルライ』のことなら、俺も、俺自身怪しいと思う」


 言いきった瞬間、ベルペラのハイヒールの爪先がみぞおちに突き刺さった。


「げえっ」


 吐き気と激痛とに見舞われ、たまらずワイナはうずくまる。平場の荒くれ者同士の喧嘩で繰り出される暴力などとはわけが違う。戦うために『想術』を修めた者の身体能力でもたらされる蹴りは、常人を驚くほど容易に死に至らしめる。たとえワイナが同じく術師であろうとも、相手がベルペラほどの手練れであれば、無傷でなどいられるはずはない。


「ここに来た動機は?」


 息を調える間もなく、ベルペラから質問が浴びせかけられる。


「人を、知り合いの死体を、回収しに来た。それだけだ」


「ああそうだ。リナナっつったな。お行儀は良くないけど、横から聞かせてもらってた」


 ペシェとの会話のことだろう。遠距離にまで自身の感覚を伴わせた『リビドー』のエネルギーを投射できる、砲手ガンナーの彼女ならではの技能ともいえた。


「そうだ。本当に俺は、リナナを弔ってやりたいだけ」


 二発目の蹴りが腹部に叩き込まれる。ふたたび咳き込み、ワイナは胃液の酸味と血の匂いをかみしめた。


「第二次遠征で死んだ人間のことを、どうしてテメエが知ってんだよこの野郎」


「どう、して……?」


「行軍計画書どころか参加者の日報すら残ってねえ、名簿なんかもってのほか。緘口令が敷かれてるような計画で死んだ女の話を、どうして無関係なはずのテメエが、したり顔でベラベラしゃべくれるかって聞いてんだよ」


「リナナとは幼馴染だ、だから」


「ずいぶん都合いいじゃねえか、え? ハナっから死んだって決め打ちか? 見てきたみたいに言いやがってよ」


 リナナがエドラズワース探索に従事することは前々から知っていた、第二次遠征の失敗が露呈した際に音沙汰がなかったので、みずから彼女を探しにきた。生死を問わず、見つけてやれれば御の字だ。少なくとも、そう反論することはできた。だが、そんな言い訳を口にする意味を見出すことができずにいた。


 またひとつ、記憶の欠損が発覚した。


 いったい俺は、いつ、リナナの死を知りえたのだ?


 いつから俺は、リナナ捜しを目的に動いている?


 背筋から湧き上がる冷たい不安と困惑が、腹の痛みをかき消していく。


「……まいった。言葉もない。俺の頭は、どうやら本当に怪しいらしい」


「冗談じゃねえぞマジで」


 ベルペラはますます機嫌を悪くしたようだった。


「第二次遠征の失敗もテメエの仕業か? ハンマー野郎(聖剣獣)を使って競争相手は皆殺し。自分はいったん自殺してから蘇生して脳みそをきれいさっぱりロンダリング、そのあとはガキにやさしい博愛主義者を気取って、のうのうと他人の送還陣ベイルアウトに便乗ってか?」


 むんずと後頭部の髪を掴まれた。頭皮の痛みとともにぶちぶち髪の毛が抜ける音がして、力任せに身体を引きずられていく。腕ずくで頭部を持ち上げられたかと思えば、ベルペラはワイナの顔を水盤に満ちた水に突きこんだ。


「死んどけよ糞野郎、死ねよ、早く死ねコラ!」


 がぼがぼ呻き、もがき、なんとか酸素を求めて暴れてみるが、ベルペラの腕力には敵わない。いくら頭を上げようと努力しても、頭を押さえる彼女の手がそうさせてくれない。


 死ぬ、死ぬ、殺される。


 恨まれるようなことはそれなりにしてきた自負はあるし、ベルペラも善人とはいえないたちの人間のはずだ。


 だが、こんなふうに擦れ違って殺しあうのは、絶対におかしい。道理が通っていないではないか。ベルペラを憎いと思ったことはないし、彼女もきっと、真実こちらを好くことはなくとも、本来であればここまでの仕打ちをすることはなかったはずだ。


 死ねない、死ねない、殺されてたまるか。


 渾身の力を込めてワイナは肘をベルペラの無防備な脇腹へと打ち込んだ。無警戒になっていた箇所への一撃に彼女は呻きを漏らし、押さえつけていた腕の力が弱まったところを、なんとかワイナは脱出する。しかし即座にその場から立ち去れるほど足に力は入らず、ほうぼうの体で、ベルペラから距離をとってみせた。ベルペラは、追いすがってくるようなことはしなかった。


 互いに、荒い呼吸で喉を鳴らすだけの時間が、しばらく続いた。


「何なんだよテメエは。『想』はどうした『想術』は。あのまま殺されても良かったってのかよ」


「君だって使えばよかっただろ。今は仕事道具を勿体ぶってる場合じゃないはずだ」


「テメエこそ、腕ずくでアタシに言うこと聞かせるくらいの気概はねえのか」


「俺は、喧嘩は嫌いだ。乱暴なのは嫌なんだ」


「それも演技? 自分が今どういう設定で動いてるかちゃんと把握できてんの? 付き合ってらんねーよ」


「演技なんかじゃない、本当に俺は」


「ああもう! いちいちうるっせえなあ~~~~~~~~!! これ以上増やすんじゃねえっつってんだろ考えなきゃいけないことをよお~~~~!!」


 心底うんざりした様子で、ベルペラは自分の頭をぐしゃぐしゃかきむしった。


「とにかくだ阿呆犬。アタシが帰んの邪魔しやがったらタダじゃおかねえからな」


 乱れた髪を手櫛で雑に調えながら、ベルペラはゆっくりとその場から立ち去ろうとした。その背中めがけて、ワイナはすかさず言った。


「あの子は必ず助ける。邪魔するなら、俺もタダでは済ませない」

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