3. 赤い髪の女
最近のジョン・フランドルは銀色に輝く美しい白髪を隠さずに、少し横柄なありのままの姿で頻繁に何処かに出掛けていた。
四六時中一緒に過ごしていた日々が嘘のよう。彼はわかりやすい態度でクロエを避けている。
ジョンにまる1日会えない日もあったが、それでも彼は必ずクロエが過ごしている別邸に帰って来るのだ。
今日もまた、朝食も取らない何処かに行ってしまった…。
クロエは自室で、来週開催される舞踏会の衣装をフィッティングし最終仕上げを行っている。
でも、身につけた衣装は煌びやかなドレスでは無く、ジョンに譲って貰った衣装を手直して着ていた。
裁縫師の老人は昔からフランドル家に仕えており、クロエのおかしなオーダーに何も言わず指示通りに従う。シワの深い手で、老眼鏡を掛けて黙々と完壁な仕事をこなした。
「完壁よ!ジョンの服が私の体型にぴったり直されているし、この美しい腰のラインに、セクシーなヒップラインがパンツに崩されないで生かされている…。これはもうほとんど理想なオ⚫︎カル様だわ。マルクスお爺ちゃま!良い仕事してますねぇ、本当に素晴らしいわ!」
美奈子はクロエと言う役を忘れ、興奮しながら早口でマルクスと言う名の裁縫師を褒め称えた。
所々何を言っているのかわからない事もあるが、無口なマルクスもクロエの喜びと自分の作品を完壁に着こなす姿に胸が熱くなった。
「お嬢様、旦那様の前では『お爺ちゃま』と絶対に呼ばないで下さいね。クビにされてしまいます。まあ、私はもう引退する予定ですがね。」
確かにマルクスは優れた職人だが、若い時と比べれば仕事の速さは明らかに落ちていた。
クロエも彼の体力を心配していた。この仕事が最後の作品になるかもしれない。そう思うと、彼が長年フランドルの男達の衣装を手掛けていた功績も含めて感謝を伝えずにはいられなかった。彼は針仕事だけでは無く、一時は服のデザインまでしていた。
イケメンはどんな服を着ても、顔が良いから許される事が多い。でも、衣装はその人の魅力を引き立たせる重要なアイテムなのだ。あのイケメン親子の魅力を更に高めた功績、もっとこの老人を評価して欲しいと美奈子の想いはまた熱くなる。
老人はそんなクロエの一方的な好意さらっと受け流して、ゆっくりと話し出した。
「…お嬢様、最後に私からプレゼントがございます。無事に舞踏会が終わったら、旦那様から受け取って頂けないでしょうか?」
「え、私にプレゼントだなんて、何かしら、すごく嬉しいわ! ええ、お義父さまから必ず受け取ります!」
「ありがとうございます。舞踏会で貴方様はどんなドレスをお召しになるのだろうと、勝手ながら想像して作りました。…こんな老人に気を掛けて下さった方にお会い出来たのはいつぶりでしょうか。私は、お嬢様を想い丹精込めて作りました。これが最後の作品であり、最高傑作です。どうか、身につけたお嬢様のお姿を、この哀れな老人に見せては頂けないでしょうか?」
マルクスは誰かを想いながらクロエに話しているような気がした。事情はよくわからないが、クロエは優しく微笑み「もちろんです」と答えた。
「…ありがとう。」
小さな声で感謝を伝える。クロエの優しい赤い瞳を見ると、マルクスの目は少し潤む。そして無駄のない動きで裁縫道具を鞄にしまい、別れを惜しむ事なく、すぐに部屋を去った。
これが彼との最後のやり取りだった。
その3日後、マルクスは死んだ。使用人が自室で発見するが既に腐敗は進んでいた。死亡日は定かでは無いが死因は過労死だった。だか、誰もが老衰したのだろうと勘違いするほど、腐敗した彼の死に顔は穏やかで、まるで眠っているようだった。
彼の死については当主に報告するが、クロエの耳に入る事なく使用人たちは彼を埋葬する。
マルクスは、クロエのドレス姿を見る事が叶わなかった。
※
「ねえ、ダンテ。仕事を頼みたいの」
少し不機嫌なクロエは、座っているソファの足元で寝転び、寛ぐ専属の騎士ダンテに命じる。
ダンテはまた、しょうもない事だろうと想いながら耳を貸す。
「ジョンがいつもどこに出掛けているのか調べて。」
ついにこの日が来てしまったのかと、ダンテは腹を括り、ぎゅっと目を閉じて「はぁ、…わかりました」と伸びをしながら返事をした。
「最近だらけてない?主人と一緒に昼寝もする騎士って聞いたこと無いわ。まあ、私だから許されるけど。こんな姿誰かに見られたら大変よ」
口うるさくクロエは不満を言うが、ダンテは聞き流して彼女の足元に擦りつく猫のように上目で見つめる。「なんだか、本当に飼い猫みたいだわ」と愚痴りながらもダンテの黒髪を頭を撫でた。自分の手に擦り付く様な仕草は、まるでゴロゴロと喉を鳴らして甘える黒猫のようだ。
「ああ、俺はお嬢の前では飼い猫だよ。でも外に出たら立派な野良猫だから安心しな」
ダンテは立ち上がり、すぐに部屋を出ようとする。まるでジョンの居場所を知っているようだった。
「お嬢、帰ったら今日俺が見て来た事をそのまま話すけど。ちゃんと受け入れる準備をしろよ。」
意味ありげな言葉を残し、ダンテは馬に乗り街の方へ向かった。
馬を走らせ、王都寄りに位置する繁華街へ向かった。ここは北部の領域だか、王都に近いため周辺の貴族や市民もこの地に足を運ぶ事が多い。
街の奥を歩くと、高級な色街に辿り着く。
少し異様な雰囲気を感じた。娼婦と思われる女たちは赤髪が多いのだ。ここは南部の女達が多いのだろうか?北部でクロエ以外の赤髪は滅多に見かけない。ダンテは南部の女を見て、比較にならないほどクロエは美しい女だと改めて思った。
何人かに声を掛けて情報を収集した。白い髪で金色の瞳を持つ男と言うと、誰しもがこの街の最高級である娼館を指差した。
元主人だったジョンはこの色街で有名な男になっていた。噂はフランドル家の使用人達まで届いていた。まさかとは思うが、呆れながらも彼の居る娼館の前に辿り着く。誰も北部を総督するフランドル家の長男がこんな所に居るなんて思いもしないだろう。
娼館の前には体格の良い護衛とドアマンが居た。小柄なダンテを見下す目で見るが、彼の纏っている狼の紋章がついた白いのマントを見ると、男達は少し緊張した顔つきになった。
「白い髪の男が居るだろう。ダンテが来たと伝えろ。」
言いつけ通り、ドアマンは「すぐに確認致します」と慌てて姿を消した。
ダンテは身を守る為に上位騎士が身につけられる白のマントに身につけて来た。元々はジョンの部屋から盗んだ物だが、このマントを纏う騎士に手を出した者は北部への反逆と見なされる。場合によってはその場で斬り殺せる権限を持っているのだ。
そう待たずしてドアマンは戻り、ダンテを娼館の奥に案内した。
この娼館は貴族のような金持ちしか入れないのだろうとすぐにわかった。ここにいる娼婦は皆、女優のような美しい顔と身体をしていた。
VIPルームに通されると、奥の部屋から複数人の女が戯れる声が聞こえた。
その扉を開けると、そこは豪華な寝室で大きなベッドに女達に囲まれ、寝そべるジョンが水タバコをふかしていた。
ダンテが部屋に入って来たのに、ジョンは無視して天上に向かって煙を吐く。
ジョンを囲む女達はクロエを想わせるような赤く染めた髪をしている。そしてほとんど服を着ていない格好だ。ダンテは何も動じる事なく更にジョンの近くに寄った。
「お嬢様は、あんたが毎日何をしているのか調べろと命令したぞ。…たく、お嬢様が来てたらどーすんだよ、下着くらい履いとけよ。俺は見たまんまを報告するからかな。」
ダンテはジョンの荒れた姿を見ていられなかった。娼婦達をクロエに見立てて色事に溺れているのにも耐えられない。気持ちが悪い。
腐っても彼は騎士団長としての実力はあった。性格は最悪だか、北の領土を統治する器はひ弱な弟よりジョンのはずだとダンテは思っていた。
ジョンは自分に哀れみの目をむけるダンテに腹が立った。睨みつけて、吸っていたタバコのキセルを側にいる赤髪の女に渡した。
「帰る前に、お前も楽しんで行けよ。抱きたいだろ?赤い髪の女を」
「はぁ?俺は結構です。早く帰れよ元ご主人さま。」
「お前、俺の部屋からそのマント盗んでおいて、ただでは帰れないぞ。歳上かお前と同い年くらいの女、どっちがいい?」
ジョンは2人の女に行けと合図をし、クロエと同年と思われる女と若い女がダンテに近寄る。腕や肩、顔を撫でるように触られて流石にダンテは戸惑った。
「俺たちの仲じゃん。悪い事はよ、一緒にヤッてまた共犯になろうぜ。」
「ふざるなと」と言いながらもダンテは2人の赤髪の女に別室へと連れて行かれた。
※
その日の夜、ダンテとジョンは別々に帰って来た。
クロエはジョンが戻るのを2階の部屋から確認すると慌てて玄関まで走る。既にジョンは玄関ホールに居てダンテが纏っていた白のマントをつけていた。
「あ、お、お帰りなさい。…ダンテは一緒じゃないの?」
久しぶりに顔を見て会話をした気がする。凄く緊張するのは何故だろうとクロエは言葉が吃った。
「……。あいつは、もうすぐ着く。」
ジョンはむすっとした態度で、2階の自室に向かおうと階段を登る。クロエの肩に触れそうな距離ですれ違う。
その時、明らかに甘ったるい香水の匂いが鼻をかすめた。
「ちょっと!! 待てぃ!!」
何を思ったのかクロエは咄嗟にジョンのマントを掴んで引き寄せた。
思ったよりクロエの力が強かったのか、階段を登る途中だったので、ジョンはバランスを崩しそうになりながらも振り向いた。すると、クロエの顔を覗き込むような格好になる。
ジョンは金色の瞳を丸くして驚いた表情をした。クロエはその一瞬の表情を見て、改めてジョンはレオナルドと同じく顔が良いなと思った。誰だってこんな綺麗で整った男らしい顔を見たら顔が赤くなると、ジョンを引き留めた理由を忘れて、彼の顔を見入る。
「なんだよ?。用が無いなら離せバカ女。」
「馬鹿とはなんだ!」と言い返そうとした時、ダンテが玄関の扉を開けた。
「あんた達、何してんの?」
ダンテは2人が喧嘩でも始めそうで、ジト目で見る。「別に〜」とクロエは握っていたマントを手放した。
ジョンはまた不機嫌な顔をして、無言で自室に行ってしまった。
「ダンテ、遅かったね。ねえ、何があったかのか教えてよ。」
ダンテは困った顔で少し考えている。
「あー、今日は俺もう疲れててさ。すぐに寝たいんだけど報告は明日じゃダメかな?」
何かを隠している。ダンテからもジョンと同じ甘い香りが漂う。
「しょうがないわね、明日必ず報告よ。」
もう夜の12時を過ぎている。仕方ないと寛大な女主人をアピールするように言うが、内心は今すぐにでも何があったのか聞きたかった。
※
翌日、クロエが起きた時にはもうジョンは出かけていた。
「さあ!昨日は何があったのか教えて!」
ジョンが避け始めてから朝食は自分の部屋でダンテと食べていた。2人用のテーブルに本邸から届いた食事をダンテは並べていた。
クロエは目を輝かせてダンテに迫る。「まあ、落ち着けよ」とダンテはクロエに紅茶淹れて、自分はコーヒーを一口飲み、悩みながらもやっと話し出す。
「あいつは、王都の近くの色街で娼館を買っていたんだ。しかも超高級な娼館で既に貴族御用達の人気店でさ。金を積まないと半年待ちとかって凄いよなぁ、…あーそんな事はどうでもいいよな。で、毎日自分の所有する高級娼館のオーナーの仕事をしてたよ。」
「はあ?娼館のオーナーの仕事ってなによ?正直に言わないと怒るわよ。」
「あ、いや、えっと〜…。朝から晩まで娼婦と遊んでた。」
ダンテは子供の頃にジョンから助けられた恩もあり、彼の体裁を少しは守ってやろうとは思った。しかし、クロエの静かな怒りを感じて、正直に見た事の一部を話した。
「ふーん、あいつは娼婦を私に見立てて遊んでたなんて、ふふ 可愛いところあるじゃん? そんで、女達の間では赤髪が流行ってるのね」
クロエは満更でも無さそうな表情で、自分の髪を触さわる。思いもよらない言葉でダンテは驚いた。
「えー!あいつのやってること気持ち悪くないのかよ?」
ダンテの言う通り、そんな話を聞いたら常識を持つ淑女なら嫌悪するだろう。
だが、クロエは違う。彼女の中身は転生者で、幅広いジャンルを理解するオタクの成人女性だ。そして美奈子は『悪役令嬢は死ぬ事を恐れない』の読者。物語の主人公なのにクロエはいつも忌み嫌われた。誰にも愛されないし不遇な待遇に何度も死を迎えるだけ。幸せを感じる描写など見たこともない。過去のクロエ達の記憶にも、街の女達が赤髪に憧れて染めるなんて事は一度も起きなかった。だから、この大きな変化に美奈子は素直に嬉しかった。
ジョンの行為については、男なら欲求が溜まるのも仕方が無い。常に物語の男達はクリスタだけに好意を向ける中で、彼はクロエを想い娼婦を抱いた。メインキャラクターでもあるジョンは、定められたストーリーから逸脱した。美奈子は寧ろ褒めてやりたいと思った。
「でも、私を忌み嫌い殺そうとした男が手のひら変えて好きになるなんて。ふふ、そんな可笑しな話ってある? 私は受け入れられるのかな…。」
心にとめておく言葉が声に出てしまう。
それを聞いて、ダンテの顔色が曇る。自分もジョンの命令だったが、クロエを殺そうとした1人だ。
「あ、お嬢…様っ……俺は……。」
無言でクロエは赤い瞳でダンテを見つめる。しどろもどろになってしまう彼を、ただ無表情で見つめた。
(あなただけは、クロエの命を弄ばずに、苦しまないように殺していた。そして、一度だけクロエを助けている。ダンテ、あなたは本当は優しい人って知っているよ。)
ジョンとダンテの好意には既に気付いている。それと同時に常に頭によぎるのは、私はクロエ達を殺してきた男の愛を受け入れられるのだろうか?例え呪いで彼らが操られたとしても、クロエ達は過去を赦す事が出来るのだろうか…。
クロエはカップの紅茶を飲み干し、決意する。
「行きましょう。」
「…何処にですか?」
「私は全てを受け入れられる寛容な大人の女よ!まずは非行に走ったジョンを連れ戻すわよ!!」
※
ジョンがいる繁華街は遠かった。クロエは乗馬は覚えたがまだ長距離を走る自信がない為、ダンテの後ろに乗ることにした。
「私たち小柄だから馬に負担なくて良かったわねー」
その言葉にダンテはむかついた。わざと加速させると背中にしがみつくクロエの身体が強張るのを感じる。
「 ……。ちゃんと、捕まってて下さい。 」
朝食での会話からダンテは少しよそよそしい態度だ。美奈子はダンテの心情もわからんでもないが、少し砕けた話をしようと質問した。
「ダンテは彼女とかいないの?」
ダンテは馬の加速を止めて、少し焦っている感じがした。
「い、いねーよ。」
「あんたの、顔なら何人かは付き合った子いるでしょ。ねぇ、どう言う場所で知り合ったりするの?」
「恋人と呼べる子なんて今までいないけど、まあ、飲み屋とかで出会うかな…。」
困りながらもダンテは正直に答えたのは意外だった。
ダンテは宿舎に寝泊まりしていて、ジョンの側近みたいな事をしていたから他の人より休暇は少ない。まだ若いし女を買うことは無さそうだから、やっぱりナンパは現実的だと思った。
「なんだよ、お嬢っ。何?この質問!」
「ふふ、たわいもない会話よ。ただ、ダンテに声かけられた子はラッキーね。」
「はぁ?どう言う意味だよそれ。」
「どーも、こーも、ダンテみたいな男の子と一夜限りだとしても過ごせるのは…うん、ラッキーよね。あんたは、顔が良いんだからこの先も自信持ちなさいよ。」
「待って、待って、もうやめてよこの話し…。」
ダンテの顔は見えないが耳を赤くしてるのがわかった。やっと、いつも通りの態度に戻ってほっとする。
途中休憩をしながらも、昼過ぎには目的の繁華街の入り口に到着した。
謹慎中の身であるクロエは外出を禁じられていた。バレないように被っていたボロ布のマントを脱ぎ捨てる。
ロングスカートのシックな服を着ているが、クロエの赤い髪と赤い瞳は印象的で誰もが魅入ってまう。
他人の視線など気にせず、クロエは堂々とジョンの居る娼館へ徒歩で向かう。
確かに赤い髪に染める女は何人も見かける。赤い髪の女が1人クロエを追いかけて来る。
「ねえ、あなた、どうやってその髪にしたの?」
気づけば女達が集まり囲まれている。皆、本物の赤髪を見た事が無かった。
「ごめんなさい、この髪は地毛なんです。」
話は終わりと言うかの様に、美しい髪をなびかせて堂々と歩いて行くクロエ。誰もが、彼女の身のこなし、所作、全てに目が離せない。女達だけでは無い、通りすがりの男達もクロエに心を奪われている。
ダンテは急に心配になった。美しすぎるクロエをさっきのボロ布を被らせたい。汚い目で見る男達から今すぐにでも隠したかった。
「お嬢、俺の腕に掴んで。一緒に歩こう。俺が後ろを歩いてても狙ってくる男達が多すぎる。」
「ふふ、わかったわ。恋人みたいに歩きましょうか」
クロエは自分の焦りを見透かしている気がした。素直にクロエはダンテの腕を組み、寄り添い歩く。
自分に忠実なクロエを見て、愛しい感情が溢れ出す。少しの時間だが、男達の羨む視線や身分も忘れ、ダンテは背徳感を感じていた。
目的地の娼館の前に着くと、いつもの護衛とドアマンが立っていた。
ダンテが「ジョンに会わせろ」と要求すると、ドアマンは拒絶した。
「申し訳ございません。当館はダンテ様は今後は入館出来ないと言付かっております。」
今日のダンテは、騎士団の白マントを着ていないので見下されている。
このままでは駄目だと思い、クロエは頭を働かせドアマンに話しかけた。
「あの、私はダンテさんの紹介で来ました。どうしてもこちらの娼館で働きたいんです!オーナーの面接受けさせて下さい。どうか、私だけでも中に入れては頂けないでしょうか?」
ダンテは言葉を失った。突然のクロエの発言に口裏を合わせなければと思うが内心は大荒れだ。
(お嬢!!何言ってんの!俺の紹介ってなんだよっ。お前が娼婦なんかに見えるわけないだろが!そんな簡単に面接なんて受けられねーだろ)
「まさかこの美しいお嬢さんが…。高貴なご令嬢にしか見えませんが、人には色々なご事情がございますよね。貴女ならオーナー好みの美しい赤髪ですし、それにこの美貌なら当館のNo.1になれるかもしれません!いえ、貴女なら絶対になれる!!」
(嘘だろ、ドアマンの分際で支配人気取りかよ。なんか、すごくノリ気になってやがる!)
ドアマンはクロエの手を取り、急いで中に入れた。
主人と離れてしまったダンテは突然の大ピンチだ。
※
「お嬢さん、貴女のお名前は?」
「クロエです。」
ドアマンに案内されたのはそこそこ大きな客室だった。3人くらいは寝られそうな大きなベットと浴室が付いている。
「クロエさん、こちらに着替えてお待ち下さい。制限時間は30分でございます。」
「んん??、あの、制限時間とは?」
クロエは衣装の入った箱を渡されて戸惑った。
「30分以内にオーナーを満足させたら採用でございます。もし、ご経験が無くてもクロエさんの美貌なら必ず採用ですよ。」
ドアマンは「心配しないで」と、ウィンクをクロエにぶつけて部屋を出て行ってしまった。
「あいつめ!風俗店の面接みたいな事してたんかい!」
ムカつきながら渡された箱を開けると、予想以上に破廉恥な下着のような衣装が入っていた。
これもジョンの嗜好かなと思い、クロエは素直に着替え、ベットに腰掛けて待つ事にした。
しかし、待ってもジョンは来ない。
待ち飽きたクロエはベットで寝転び、気づいたらうつ伏せで寝ていた。
ガチャっとドアが開き誰かが入ってきた。
人の気配は背後に迫っている。クロエは美しいS字曲線であるウエストラインからヒップラインを指でなぞられた。Tバックにベビードールの様な衣装だったので、生で尻を撫でられる。
クロエは完全に目が覚めて、嫌悪感で手を払い除けようと振り向いた。
ジョンは目の前に寝ていた女がクロエだった事に驚いた。また金色の瞳を丸くしている。
「なっ?!お前、なんでここにいるんだよ? っその格好は…正気か?」
「それはこっちの台詞よ!北の統治者になる男が、娼館を運営してるんじゃないわよ!」
クロエはジョン押し倒した。彼から甘ったるい香りと酒の匂いがした。へろへろの貧弱男の上に簡単に乗る事が出来た。
「私はお義父さまからあんたを更生するようにも言われているの。しっかりしてよ!」
「うるせーよ、全部お前のせいだ!」
これ以上せめると、ジョンが泣き出しそうな気がした。クロエはため息をついて、少し考えた。
「あんたの気持ち、もう蔑ろにしない。受け止めてあげるけど、私はまだ人妻なのを理解して。その上で私に何を望んでいるの?」
ジョンはブツブツと悪態をついてる。暫く考えて、何を言うのかと思えば…。
「俺にキスしろ。」
恥ずかしそうにしながらも、彼の目は本気だった。
キスだけで立ち直れるきっかけになるのなら、喜んでしてあげよう。独りで勝手に傷ついているジョンに慰めをと思い、クロエは優しくキスをした。
自然に互いの口が開き、優しく舌を絡める。ジョンはクロエを抱き寄せて身体を密着させた。はだけたシャツからクロエの体温を感じる。
口を離したのはジョンの方で、クロエに必死に伝えようとする。
「…毎日だ。毎日、俺とキスしろ。」
もう、心の底から呆れてしまう。仮に好きとか愛してるくらい言えないのだろうか?美奈子は、ここで愛を囁かれたら簡単に落ちてしまう自信があった。幸いな事なのか、ジョンは恋の駆け引きなどが下手だった。
またキスをしようとしたジョンの口をクロエは手で塞いだ。
「それ、私がOKしたら、ちゃんとフランドル公爵のご子息に戻るわよね?こんな所で酒と女に溺れるのはもう終わりよ。」
ジョンは叱られた子供のように頷く。それを見て、クロエは深いため息をつく。
「はぁー、わかったわ。1日1回だけよ。 着替えるから出てって。ジョンも帰る支度をして、一緒に帰るわよ。」
クロエはベットから降りて、脱いだ服を取った。
「クロエ、約束守れよな。…部屋の前で待ってるから。」
ジョンはクロエの姿を惜しむ様に見て、部屋を出て行く。「やれやれだわ…。」と呟きながらクロエは着替えを始めた。
着替えが終わり、髪も整え部屋から出ようと思った時だった。部屋の外が慌ただしいのに気がついた。
バンッと荒々しく部屋の扉が開いた。
「クロエ!無事ですか?!」
レオナルドが声を張り上げて、部屋に入って来たのだ。何故ここにいるの?と先ほどジョンが驚いたような顔をクロエもしている。
彼は騎士団長の証である金の狼の紋章がついた白いマントを着ていた。
「な、なんで、レオナルドがここにいるの?」
「何もされていませんか?顔を見せて!」
急いでクロエに駆け寄より、両手で顔を触れられた。
クリスタの部屋にガザ入れした時ぶりの再会に、美奈子は気まずさを感じた。でも、レオナルドはお構いなしに必死な顔をしてクロエを心配していた。
久しぶりに見たレオナルドの顔は良く見ると、殴られた形跡があった。傷は無いが治りかけのアザが良く見るとあった。
「ねえ、離してよ 私は大丈夫だからっ」
「大丈夫じゃない!なんでこんな所に1人でいるんですか?!」
レオナルドはクロエの声を遮り強く抱きしめた。
「すみません、私は隠れてあなた達を監視していました。いつも一緒にいる騎士を置いて何故1人でこんな所にいるのですか?今、1人になるのは本当に危険なんです。」
「レオナルド、落ち着いて。私は大丈夫だから」
抱き潰されそうになりながらも、レオナルドの背中を優しく撫で落ち着かせる。
「すみません、急にこんな事をして驚きましたよね。私の馬で帰りましょう。移動しながら事情をお話しします。」
レオナルドはクロエの手を取り部屋から出た。外には地位の高い騎士団員を複数人従えて来ていたようだ。
娼館全体が押し掛けて来た騎士団に混乱し慌ただしい。
一階のロビーに着くと、ふと視線を感じる。吹き抜けの構造で上を見上げると、最上階にジョンが何か言いたそうな顔でこちらを見ていた。クロエはジョンに話しかける暇も無く、レオナルドに手を引かれて外で待機していた馬に乗せられた。すぐにクロエの後ろに乗りレオナルドは着ていたマントを脱いでクロエを隠すように被らせる。そして急いで馬を走らせた。
「ねえ、レオナルド早く説明してよ。ちょっ、スピードが早すぎる、怖いわ。」
レオナルドはクロエが怖がっているのは理解しているが、手綱を握りスピードを緩めなかった。
「すみません、もう少し我慢して下さい。ここは王都に近すぎる。早く離れないと」
「だからっ、何でよ?」
「数年間行方不明のクラウス殿下が帰還しました。今、王室は権力争いで危険です。…でも、そんなに時間は掛からないでしょうが、クラウス殿下がこの国の国王になる筈です。」
『クラウス殿下』と聞いて、彼もクリスタに溺れる登場人物の1人だ。読んでいた物語ではまだ登場していないキャラで顔もわからない。
ふと、美奈子はもう1人同じ名前の彼を思い出した。
「王室の問題は私には関係のない事でしょ?何で私がコソ泥のように逃げて隠れなきゃいけないのよ。」
レオナルドは歯を食いしばり、前を見ながら言った。
「クラウス殿下があなたとの謁見を希望しています。」
(自分とは何も繋がりがないクラウス殿下が、何故わたしに会いたがるのか?やっぱり、あの時の酒場で出会ったクラウスがこの国の王子だった?!血の匂いが誰よりもした彼が?そんなこと想像も出来ないよ…。)
「クラウス…。どうして私に会いたいんだろ…。」
クロエの呟きをレオナルドは聞き逃さなかった。
「どうして王子の名前を親しげに呼ぶんですか?!どうして、あなたは問題ばかり起こして、人を振り回すのです!やはり、あなたは人を誑かす天才ですねっ!」
レオナルドは怒りに任せて馬を加速させた。あまりの恐怖に美奈子は一瞬、死を恐れたが気を引き締めてレオナルドから手綱を奪う。冷静に、馬を脅かさないようにスピードを緩め、ゆっくりと歩かせてから止めた。
「殺す気か?!」と怒ってやるつもりが、振り向くとレオナルドは泣いていた。
「…クロエ、ごめんさい。あなたを、傷つけるつもりなんてありません。僕がおかしいんだ。あなたが好きなのに、あなたを愛しいと思うと頭の中を誰かが入ってきてぐちゃぐちゃにされる。…苦しいんだよ。助けてよ…クロエ…。」
クロエは涙に濡れるレオナルドの顔に頭突きした。ガツンとやられ、面食らった顔をするレオナルドを馬から降ろす。
「な、何するんですか?」
鼻からは血が垂れてきたが、クロエが馬から降ろせと両手を差し出している。すぐにレオナルドは応えた。
「ショック療法よ。これで治った人もいるから、あなたも大丈夫よ。傷を見せて旦那さま。」
クロエは背伸びし、レオナルドの顔を引き寄せた。青みがかったグレーの瞳がまだ涙で潤んでいる。クロエは目を閉じて、彼の鼻血を舐めた。
「痛くしてごめんなさい。王都からは離れたわ、少し休みましょう」
レオナルドは顔を赤くしながら手を引かれ、2人は木陰で腰を下ろした。急に緊張するレオナルドだが、クロエはのんびりと景色を見て寛いだ。
「私は全てを受け入れて、全てを赦すと決めたの。あなたは私の事、この先何があっても許せるかな?」
クロエは遠くを見ながら、質問する。レオナルドは、クリスタとの一件や当初からクロエに抱いていた負の感情を指しているのか考える。
「あなたが許してくれたなら、僕もこの先あなたがする事は全て受け入れます。」
その言葉に、クロエはレオナルドの方を向いた。思いもよらない返事だった。
「ふふ、よく出来た旦那さまですこと 約束ね。」
クロエは微笑み、夫に寄り添った。
「これからは、夫として妻を蔑ろにしないでね。私は別邸で謹慎中だけど、一度も会いに来ないのは酷いわ。」
「すみません。あなたに会わせる顔がなくて…。でもこれからはちゃんと会いに行きます。それと、クラウス殿下との謁見の件ですが、あなたは体調不良で断っています。なので敷地の外には絶対に出ないで下さい。」
「どうして私をクラウスと会わせたくないの?」
レオナルドはクロエが王子を親しげに名前で呼ぶ事を感に触るが、どう言った関係かまでは聞かずに話を続けた。
「マリー王女がこの国の後継者になるはずでしたが、クラウス殿下が現れて後継者争いが始まりました。既にクラウス殿下の暗殺未遂やメラニー皇后の側近たちが殺されています。今、王室と関わるのは危険です。」
「…まだ何か言い足りないって顔してるけど?何かあるの?」
レオナルドは図星を突かれてしまい、言い淀むが意を決する。
「万が一、クラウス王が誕生した場合の話ですが…!王はこの国の神でもあります。僕たちが夫婦であったとしても、王があなたを王妃と選んだら誰も争うことが出来ません。だから、絶対にクラウス殿下には会わないで下さいっ!」
誰かとは違い、レオナルドはしっかりと自分の気持ちをクロエに伝える。正直に言われると恥ずかしさもあるが、想いを言葉にされるのは伝わり方がやはり違う。
「いつまでも体調不良と誤魔化せは出来ない」と言いたいところだが、クロエは顔を赤くして頷いた。
暫く、お互いの近況やたわいも無い話をした。会えなかった時間を埋めるかのように、2人はやっとお互い歩み寄った会話が出来たのだ。
遠くから馬が二頭走って来るのをレオナルドは察知した。立ち上がり、警戒を強めたが向かって来るのは兄とクロエの専属の騎士だった。
すぐにジョンはクロエ達の前に現れた。
「レオナルド、クロエには近寄るなと言っただろ。 クロエ、約束しただろ。俺と帰るぞ。」
馬に乗ったまま弟を睨みつけ、クロエに手を差し出す。後ろにいるダンテは「やれやれ」と言わんばかりな顔をして見守っている。
クロエは一息ついて、立ち上がりジョンの元へ向かうが、夫の方を振り向いた。
「確かにジョンと一緒に帰ると約束したの。だから約束通り彼と別邸に帰るわ。でも、レオ。あなたは私との約束を忘れないでね。」
クロエはジョンの手を取り、馬に乗った。ジョンは勝ったような誇らしげな顔をして、馬を走らせた。
レオナルドは独り残された。淋しそうな顔をするが、心はちっとも淋しくなんてない。彼には妻と2人だけの約束が強い絆のようにある。
「ああ、クロエ。僕の全てを赦してくれたなら、僕は君の選択を全て受け入れるよ。」




