幕間~ドキッ! 乙女だらけの宇宙船生活!~
つかの間の日常パートでございます。
ポロリもあるよ。
亜空間跳躍ゲートに到着するのまでの間、みなコールドスリープで時を過ごしたのかというと、そうではない。経験してみてわかったが、コールドスリープとは非常に時間のもったいない装置である。少なくとも僕はそう感じた。なぜなら、何日という時を一瞬で飛び越えてしまったような錯覚を起こすからである。
元来、だらだらと自堕落な生活を送ることを得意とするアサトは、再びコールドスリープ装置を利用する気になれなかった。なんというか、寝た気がしないのである。
そんなわけで、僕は今自室のベッドに寝転んでうたた寝をしていた。
僕は夢を見た。テレビや写真で見たような、青い球体が宇宙船の大窓に映し出されている。地球である。
やっと帰ってきたんだ。
夢の中で僕はそうつぶやいた。
宇宙船はゆっくりと地球に近づいている。
僕が宇宙の記憶を持ったまま、地球に降り立とうとしている。このことが、僕にこれは夢であることをはっきり知らせている。
どんどん拡大されていく地球。ユーラシア大陸。日本。
雲を突き抜けて地表にどんどん近づく。位置は、東京である。僕は実際には東京とはかけ離れた片田舎に住んでいたが、その時イメージしたのは中学の修学旅行で一度行ったきりの東京であった。
東京、渋谷に降り立った僕は、地球の確かな重力を感じた。
もちろん、宇宙船内やボング、基地内にも重力は存在した。しかしながらそれは地球のものと比べて幾分か弱く、体がその重力に慣れてしまっていたのだろう。地球の重力は僕の体に容赦なく作用している。体が重い。
――重い。不自然なくらい重い。僕はたまらず地面に倒れ、仰向けになってしまった。傍から見るとずいぶんと滑稽だろう。
しかし地面に倒れてからも、なおも重力は加速的に作用してくる。下腹部には何か質量すら感じる。ん? 質量?
はっと目を覚ました僕の目に飛び込んできたのは、どアップのナナの顔であった。
「お目覚めですか、アサトさん」
ナナは僕にまたがったまま言った。薄暗さもあってナナの表情は読み取りにくかったが、目がてらてらと妖艶に光っていた。
ナナは基地で来ていた軍服姿ではなく、黒のキャミソールを着ていた。ソフィに借りたのだろう。ていうかこんなの持ってたのかあいつ。
そういう風に設計されたためか、余分な脂肪がほとんどないナナの体には、そのキャミソールはやや大きいようだった。胸元が危うい感じでたわんでいる。後ろでまとめていた髪はほどかれており、僕の顔の方にたれている。まっすぐ立てば肩くらいまであるだろう。
「ナ、ナナ? 何してるの?」
僕がそう尋ねると、ナナは僕にまたがったまま、すっと体を起こした。突然あらわになったナナの下半身は、キャミソールが若干めくれあがり、真っ白な太ももがあらわになっていた。僕は慌てて目をそらす。
「殿方は、このように奉仕されると大変喜ばれると伺いましたので」
ナナは事も無げにいう。
「喜ばないでもないけど、ってそういうことじゃなくて! 伺いましたって……どこでそんな知識を?」
「ミル様にお見せいただいた書物には、そう書かれておりました」
あのクソボケ変態コソ泥。純朴なナナになんてことを吹き込みやがるんだ! おっと僕としたことがうっかり汚い言葉を使ってしまった。反省。
「あのね、ナナ。こういうことは好きな者同士がやることなんだ。君が僕に何かしてくれようとするのは嬉しいけど、やすやすとするようなことじゃないんだよ」
僕は諭すように言った。
「好きな者同士、ですか。私はアサトさんのことを好いておりますが、アサトさんは私のことがお嫌いなのでしょうか」
ええ!? いや、落ち着け僕。ナナはまだ世間知らずの子どもみたいなものだ。彼女の言う好きはそういう好きとは違う。たぶん。
「いや、そういうことじゃなくて……うーん、とにかくこういうことは簡単にするべきことではないんだよ」
と僕が言った言葉に首をかしげるナナ。
「もしかして、アサトさんは私がオレサマ系男子ではないのがお気に召さないのでしょうか」
「なんでそうなる!? しかも僕が受けなの!?」
あの犬耳娘は後でお仕置き確定だ。ナナに変なことを吹き込むにしてももう少し正道な知識を吹き込んでもらいたいものである。
「とにかく、そういうのはいけません!」
そういうと、ナナは叱られた子犬のようにうつむいて肩を落とした。肩を落としたせいでキャミソールの肩紐が外れ、胸元が大きくはだけた。
「ちょ! ナナ、紐なおして!」
ばっと僕は両手で目を覆った。
「私はアサトさんに何かお礼がしたいのです」
僕は目を覆ったままナナの声に耳を傾ける。
「アサトさんは私のことを人間だと言ってくださいました。今もこうして、人間と変わりなく付き合ってくださっています。それが、私にはたまらなく嬉しいのです」
ナナの表情は読み取れないが、言葉とは裏腹に声色は少し沈んでいるようだ。
「アサトさんといると、胸が温かくなるのを感じるのです。その時だけは、私が人間であると強く信じることができるのです」
僕は驚いた。ナナは自分がアンドロイドであるとわかっていてもなお、人間らしくありたいと思っている。そして僕といることで、彼女は彼女が人間であることを実感できると言う。彼女の言葉が一体何を意味するのかは僕にはわからない。それを解釈するにあたって、僕にはアンドロイドやAIの知識ばかりか、通常の恋愛についての知識も不足している。
「私はこの気持ち……というのはおこがましいかもしれませんが、これをアサトさんに伝えたいのです……でもどうすればいいのか私にはわかりません」
ナナの言葉はとても率直であった。ナナの言葉につられるように、僕自身も心が温かくなるのを感じた。
「目、開けてもいい?」
ナナは「はい」と答えたので、僕は塞いでいた手をどけ、ナナを見た。すでに肩紐はなおっている。ナナの表情は相変わらず読み取りにくいが、僕には彼女が沈んでいるように見えた。
「君の言葉はとてもストレートだ。君が誰かにその気持ちを伝えたいというなら、君の言葉で伝えればいいと思うよ。それだけで十分伝わる」
ナナは納得できないのか、少し考えて言った。
「お言葉ですが、それは人間でなくとも――ロボットにでもできることです。私は人間同士の、特別な気持ちの表現の仕方で、アサトさんに伝えたいのです」
僕ははっとした。ナナは、あくまで人間同士の付き合い方にこだわっている。それは、彼女がそれほどまでに強く人間らしくありたいと望んでいるということを意味する。彼女の目から放たれる力強い光は、その言葉にひとかけらのやましさもないことを物語っている。ナナは言葉通り、純粋にそう思っているのだ。そう思うと、僕はたまらなく彼女が愛おしくなった。
気が付くと僕は寝そべったままナナを抱きしめていた。左腕はナナの背に回し、右手でナナの後頭部を撫でた。
「人間らしい気持の伝え方は、ゆっくり学んでいけばいいと思うよ。そんなに焦らなくても、君は十分『人間』だ」
腕の中にナナの息遣いを感じる。基地で手をつないだときにも感じたことだが、ナナの体は温かかった。
「一つ……学びました。アサトさんが、教えてくださいました」
僕の胸元でナナがつぶやく。
「今はこれだけ知っていればいいよ。僕だけじゃなく、ナナがこうしたいと思った人にすればいい」
「はい……」
「アサトー。起きてるー?」
僕の部屋の自動扉が唐突に音もなく開いた。
そこに立っていたのは、ジャージ姿のソフィである。ソフィは扉の開閉ボタンを押したまま固まっている。非常にまずい。今僕の上にはキャミソールのナナが乗っており、あまつさえ僕はナナの腰に手を回している。言い逃れをするのは厳しい。
僕が何か言おうと頭をフル回転させていると、ソフィは部屋の外に立ったまま、もう一度開閉ボタンを押し、扉が音もなく閉まった。もしかして、ソフィは状況を察してくれて事なきを得たのだろうか。それとも夢だと勘違いしたとか。
僕がそんな希望的観測を巡らせていると、再び扉が開いた。そこに立っていたのは、例のレーザー銃を持ったソフィであった。銃口はこちらに向けられている。なるほどね、それを取りに行ってたのね。
にこにこ笑顔をひきつらせながらカツカツと僕のベッドの方に向かってくるソフィ。銃口はこちらに向けられたままである。
危機を察知したのか、ベッドから飛びおりるように僕から離れたナナが、ソフィの前に立ちはだかった。
「どいてナナそいつ殺せない」
ソフィが抑揚のない声で言う。ヤる気まんまんである。ナナは僕をかばうように両手を左右にピンと伸ばして、小さく首を振ってソフィを見つめている。
「ソフィさん違うんですこれは」
言い訳が思いつかなかったので僕はとりあえず言ってみた。
「何が違うのかしら? 遺言くらいは聞いてあげるわ」
にこりと笑って言うソフィ。本格的にやばいようだ。
「これはナナが、人間らしい気持の伝え方を教えてって言うから!」
聞いてあげると言いつつソフィは固く銃を握りしめている。あまり猶予がないと感じた僕は、ありのままを伝えることにした。
「そうなの? ナナ」
「はい。私が、人間が愛情を他者に伝達する場合の営みについて伺ったら、アサトさんが実践的に教えてくださいました」
あれれ? 要約するとそうなんだけど、何かがおかしいぞ?
「ふ、ふーん。そ、そうなんだ。あんたはナナが何も知らないのをいいことに、そそそんなことを手取り足取り腰とり教えようとしちゃったってわけね」
どもりまくりでソフィが言った。ソフィの銃を握った手は怒りでぶるぶる震えており、顔はみるみる紅潮していく。確かに腰は取っていたが、そういうつもりではなかった。
「違うんだって! もとはと言えばミルがナナに変なことを吹き込んだんだって! 僕はその間違った知識を正してあげようとしてたの!」
「はい。ミル様がお持ちの書物で勉強させていただきました」
僕に続いてナナも答えた。ソフィはミルの名を聞いて、少し冷静になったようで銃を下した。よかった。誤解が解けたみたいで。
「あのコソ泥が主犯なのね……それなら仕方がない、とは言えないけど……まぁいいわ、あんたがナナに抱き着いてたのは事実だし、あとで私の部屋に来なさい」
そういうと怒った顔を崩さないまま、ソフィは髪をぐしゃぐしゃとかき乱して踵を返した。
「わかった。必ず行くよ。でも、その前にミルに言いたいことがある」
僕がそういうと、ソフィは疲れて猫背になっている背中をこちらに向けたまま、無言で手をひらひらさせた。
「ナナごめん。ちょっと行ってくる」
「はい、アサトさん。行ってらっしゃいませ」
なんかちょっと新婚さんみたいで気恥ずかしいが、今はミルに文句を言ってやりたい気持ちでそれどころではない。
僕はミルの部屋の自動扉開閉スイッチを押すと、勢いよく声をかけた。
「ミル!」
ベッドに寝転んでいたミルは慌てた様子でこちらを向いた。ベッドの上にはボングで入手したBL同人誌が散らばっている。
「うわお! 乙女の部屋にノックなしで入ってくるとか、あーくんは常識ないです!」
と、ミルはとんでもないシーンが開かれていた同人誌を慌てて閉じて言った。
「常識ないのはどっちだよ! ナナになんてこと教えるんだ!」
「ええ? うち何も教えてないですよ?」
すっとぼけるミル。しかしその様子はいたって自然で、嘘をついているようには見えない。話がかみ合っていないぞ?
「いやだからさ、さっきナナが僕に夜這いをかけようとしてきたんだよ。こうしたら男は喜ぶとかなんとかいって」
ミルは何かに思いを馳せるように虚空を見つめて、ぽんっと手をたたいて答えた。
「あーそれですか! たぶんこの本の影響ではないですかね!」
ミルが胸元に抱えた同人誌のタイトルは、『愛ゆえにオレ様はお前を飼育しなければならない』。表紙にはきらきらとしたトーンをベースに、鎖でつながれた金髪の美少年とその鎖を引く黒髪の男前が描かれている。いかん、本格的なやつだ。
「いやぁ、ナナちゃんが、愛とはなんでしょうかとか聞いてくるもんですから」
てへへと耳の裏をぽりぽり掻くミル。僕はそのハードな表紙のモノをナナが読んだのかと思うと立ちくらみのような感覚を覚え、こめかみを人差し指で押さえた。
「勘違いしないでほしいです! こんなタイトルですけど、中身は純愛なのです!」
「純愛かどうかなんて聞いてない! 金輪際ナナに変なものを見せるな! この宇宙エロボウ!」
泥棒とかけながら糾弾してみた。言ってみて自分のセンスのなさに少し落胆。
なんだか娘に悪影響なものを見せられた父親の気分である。PTAがやたらテレビ番組にクレームをつけたがる気持ちが少しわかった気がした。
「なんですか!? 宇宙エロボウって!? うちは宇宙忍者なのです!」
とミルは不満そうに答える。まぁ不満だよな。それについては僕が悪かった。
「どこがだよ。ミルの忍者らしいところなんて、ほとんど見たことないぞ」
「ふふん。こう見えてもミルは宇宙忍者免許皆伝の腕前なのです!」
得意そうに腕を組むミル。
「へぇ。じゃあなんか見せてよ」
ミルの忍者らしい姿には、少し興味があった。
「驚いて目が飛び出しちゃっても知らないですよ? 食らえ! ギャラクティカ水遁の術!」
ミルは得意げに必殺技の名前を叫ぶように言うと、懐から銃を取り出して僕に向けた。僕は一瞬ぎょっとしたが、銃口から射出されたものを見て一気に白けた。ただの水である。ぴゅー。
「えっと……今のはただの冗談です! 気を取り直していきますです! おののけ! ギャラクティカ雷遁の術!!」
今度はポケットから何やら取り出して、パチッとスイッチを入れるミル。その手に握られているのは、豆電球。なんだかかわいそうになってきた。
「そ、そんな顔しないでください! 意外と停電とかに便利なのです!」
僕のかわいそうなものを見る目つきを敏感に感じ取ったのか、必死に言い訳をするミル。
「ええい、これは出すまいと思っていましたが、なめられてしまっては宇宙忍者の沽券に関わるです! いくぞ! 灼熱! ギャラクティカ火遁の術!!!」
またもポケットから取り出したるはマッチ箱。ミルはそこからマッチを一本取り出し、しゅっしゅっとこすり始めた。しかしながら、マッチは湿気ているのか一向に火はつかず、やがてボキッという音とともに折れた。
「…………」
二人の間に流れる重苦しい空気。言葉にできない。ミルの耳は髪と同化するほどぺったんと垂れており、しっぽは死んだように動かない。
「ほ、ほら、余興はこれくらいにしてさ、そろそろ本当の忍術を見せてよ!」
僕は必死に取り繕う。
「…………です」
「え? 何?」
ミルの声は小さくてよく聞き取れない。
「……これで全部です……」
「…………」
なんて声をかけたらいいかわからない。どうやら僕はとんでもない地雷を踏んでしまったらしい。
「あーくんはさっき、本当の忍術って言いましたです……ミルのは本当の忍術じゃないですか?」
泣きそうな表情とも少し違う、暗く沈んだ面持でこちらを見るミル。ミルミルってなんか可愛いな。
「い、いやぁ……僕もよくは知らないからさ、多分ミルのは本当の忍術なんじゃないかなぁーなんて」
我ながら白々しいと思いながらも必死に取り繕った。
「慰めはいいです……うちもうすうすは、ほんのちょっぴりだけ、これって違うんじゃないかなーって思ってたです」
下を向いたまま呪いの言葉を吐くようにつぶやくミル。ちょっと怖い。
「で、でも、免許皆伝って言ってことは、教えてくれた人がいるってことだよね?」
「はい……とある惑星で、『たった三日で免許皆伝! これであなたも宇宙忍者に!』って書かれたチラシを拾ったです。興味本位でちらっと見に行ったら、忍者っぽい人がいて、『いまどき宇宙忍者の免許皆伝くらい持ってないと、宇宙でやっていけないよー。ほら、巷で活躍してるあの人もこの人もみーんな宇宙忍者免許皆伝なんだよ? 君は取らなくて大丈夫?』とか言われて……なんか周りの人たちもすっごい盛り上がってて、『宇宙忍者免許皆伝のおかげで彼女ができました!』とか言ってて……ついついそんな独特な雰囲気にのまれちゃって、その時はそういうものなのかなぁって思ったです……」
実際に出会ったのだろう人々の口調を真似しながらミルは話した。ていうか怪しさ満点だな宇宙忍者。きっと宇宙忍者免許皆伝を取れば体重も10キロ位は減るだろうし、宝くじもあたるに違いない。
「ちなみにこの水鉄砲と豆電球とマッチ……すっごい高かったです……」
僕は半ば放心状態で語っているミルを抱きしめて、号泣したい気持ちをぐっとこらえた。
「でもさ、ボングで初めてミルを見たとき、むちゃくちゃ素早い身のこなしで卵をかわしまくってたけど、それは忍術じゃないの?」
「あれはうちが、生まれつき足が速くて、勘がいいだけです……狼系亜人のクオーターなので……」
それでも十分すごいことだと思うが。っていうか犬じゃなくて狼だったのか。
「……ま、まぁ元気だしなよ! 宇宙忍者じゃなくても、まだ宇宙コソ泥っていう肩書が残ってるじゃん!」
僕は必死でミルを慰める。
「宇宙コソ泥じゃなくて宇宙錠前屋です……」
僕はぎくっとして、即座につなぐ。
「あ! そ、そうだったよねー! でも宇宙忍者とかじゃなくても、宇宙船の知識はすごいし、十分だと思うけど」
「宇宙船の知識は、両親が宇宙海賊だったので小さいころから宇宙船に乗ったりしてたからです……」
何とも変な肩書に縁のある少女である。
「ま、まぁ、とにかく、一時的とはいえミルはこの船の乗組員として、十分役に立ってると思うよ。僕なんてただのお茶くみ係だし」
くそう。自虐してまでミルを慰めることになるなんて。
「ほんとにです……?」
耳としっぽをぴくりと動かすミル。お?
「うん。少なくとも僕は、ミルのことを大切な仲間だと思ってるよ」
さらに耳としっぽをピクピクと動かすミル。もうひと押しだ。
「いつかミルがいなくなった時のことを思うと、不安でしょうがないよ。ずっとここにいてほしい」
まぁこれはある意味本音である。船長があんな感じだし。
「あーくんは、優しいです……」
顔をあげ、弱弱しく微笑むミル。よっしゃぁ! 思わずガッツポーズしたくなる。
「これ以上あーくんを困らせると、船長さんやナナちゃんに叱られちゃうです。気を取り直して、今日からは宇宙錠前屋一筋でやっていくです」
ソフィはともかくナナがミルを叱るところは想像できないが、ともかく少し元気になったミルを見て、僕はほっとした。それにしても無表情なナナに思いっきりしかられてみたいと思う僕はマゾなのだろうか。
「困ってなんてないけど、ポジティブにいこうよ」
「はいです!」
「それじゃ、僕はソフィに呼ばれてるから、そろそろ行くよ」
「あいあいさー!」
いつものポーズで見送るミル。扉に向かって歩き出すと、「グルメハンターに弟子入りするのもいいかもですー?」というつぶやきが聞こえてきたが、何も言わないでおいた。
あれ? 僕ってここに何しに来たんだっけ? まぁいいか。
というわけで僕は今船長室の前に突っ立っている。なぜ突っ立っているのかというと、目の前の扉のふちから禍々しい妖気が噴出しているように感じるからである。
僕は二度ほど深呼吸してから、短く2回扉をたたいた。
「入って」
扉を隔てているせいで、声色からは感情が読み取りにくい。僕は意を決して緑の開閉スイッチを押した。
部屋に入ると、ソフィは先ほどと同じジャージ姿で、机に向かってコンピュータをかちゃかちゃいじっていた。
「何してるの?」
先手必勝とばかりに僕は尋ねた。
「航海日誌つけてるの」
と、ソフィは短く答えた。
「航海日誌?」
「うん。パパがつけてたから、私もつけるのが習慣になっちゃった」
ソフィがパパと呼ぶ人物は、僕には心当たりがない。今この船にいないことを考えると、あまり聞いてよい話題ではない気がした。
「どんなことを書いてるの?」
「そうね、あんたのこととか、コソ泥のこととか、ナナのこととか……最近は色んなことが立て続けに起こったから、書くのが大変よ」
そういって銀色の髪をさらりと書き上げるソフィに、僕は少しドキッとした。さらりと流れる透き通った銀の髪は、現実離れした美しさであった。
「……あんたさ」
僕がソフィの髪に黙って見とれていると、ソフィの方から切り出してきた。しまった隙を与えてしまった。
「あんた、ナナのことどう思ってるの?」
いきなり直球を投げてくるソフィ。その言葉はかなりの速さで僕の心臓にどストライク。どきんと心臓がはねた。
「どう思ってるとは?」
僕は慎重に聞き返す。
「あんたがあの子と人間として接しているのはわかってる。私もなるべくそうするようにしてるわ。私が言いたいのは、あの子のことを女の子として見てるのかってこと」
落ち着いた口調で話すソフィ。難しい質問である。ナナは現実として紛れもなく女の子だ。
「それはつまり恋愛対象かってこと?」
僕はずばり聞いた。
「そういうことよ。で、どうなの?」
「今はそんな風に思ってないよ。確かにナナは普通に可愛い。でもまだ知り合ったばっかりだしさ。ただ、ナナがアンドロイドだから、そういう風な対象になりえないってことはない、と思う」
ソフィはコンピュータをいじる手をとめて、「ふぅん」とつぶやいた。
「別にあんたが誰のことを好きになろうが私としてはどうでもいいんだけどね」
拗ねたような口調でソフィは言った。
「と、ところでさ、あんたって……女の子と付き合ったことある?」
もごもごと小さく聞き取りにくい声で尋ねるソフィ。痛いところをついてくるではないか。
「ないよ。地球じゃあんまりモテなかったからね。まぁ別に今もモテてるわけじゃないけど」
ちょっとふてくされたように言ってしまったかもしれない。
「ふ、ふーん……そうなんだ……」
コンピュータの方に向かってはいるが、先ほどからソフィの手は動いていない。
「ソフィはどうなの?」
「え!? 私!?」
ソフィは驚いたようにこちらを一瞬こちらを向いて、顔を赤くしてコンピュータに向き直った。
「な、ないわよ。悪い? 小さい頃からほとんど宇宙船暮らしだったから、男の人なんてパパくらいしかまともに話したことないわよ。ぶっちゃけ恋愛とかよくわかんないし……」
後半はぶつぶつと独り言のようになってあまり聞き取れない。今のソフィにはいつものような勢いが感じられない。
「どうしたの?」
と僕が聞くと、
「ど、どうもしないわよ!」
と即座に答えるソフィ。ソフィの声を合図にしたように、二人の間に沈黙が降りる。
「……あんたってさ」
一呼吸おいてソフィは続けた。
「昔死んじゃったパパに似てるのよ。危ない状況だっていうのに妙に呑気なところとか、大変なことに巻き込まれてるのに適当なところとか、変なところで頑固なところとかさ」
やはり、ソフィの父親はもうこの世にはいないようだ。
「私、パパのこと大好きだったの。いつかパパみたいになりたいって思ってた。でもね……あんたが来てから、パパのことずっと忘れちゃってたの。さっき航海日誌つけてたら、そのことに気付いちゃってさ……なんか変よね」
独り言のようにソフィは言った。その横顔からは表情が読み取れなかったが、ひどく感傷的な空気をまとっていた。
「あんたさ、今でも地球に帰りたいの?」
そう問いかけられて、僕はごくりとつばをのんだ。もちろん地球には帰りたい。帰らなくてはならない。両親は今頃僕のことを心配しているだろう。捜索願だって出しているに違いない。でも、心のどこかでは、彼女たちともっと旅をしていたいと思う自分も確かにいるのである。この奇妙な旅を始めてからというもの、自分が怠惰な人間であるということを忘れるほど、良くも悪くも充実していた。
「帰りたい……んだとと思う」
それでも僕はそう答えたが、何とも曖昧な答えになってしまった。しかしソフィにはそれで充分だったらしく、
「……そう。ちゃんと帰してあげるから、安心しなさい」
と、こちらを向いて微笑んだ。その笑みはどことなく寂しそうだった。
12/1 分割いたしました。