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イアンと悪魔 5



 翌朝、イアンは城の医務室で目を覚ました。


 まだ早朝なのだろう。鳥の囀りが聞こえてきて、カーテン越しの爽やかな朝の光を浴びていると、穏やかな一日のはじまりを感じて、安堵する。悪魔のいない朝はこんなにも平和なのかと思った。


 それにしてもやけに身体が重い。上体を起こそうとすると、キーラが椅子に座り、イアンのお腹に覆い被さるようにして眠っていた。


「キーラ……」


 イアンは起こさないようにゆっくりと上体を起こすと、眠るキーラの頭をそっと撫でた。

 愛しさが込み上げてくる。今すぐに抱きしめたいが、起こすのも忍びない。


 葛藤していたその時、医務室のカーテンがすらりと開けられて、そこからハリエットが顔を出した。


 イアンはさっと手を引っ込めた。引っ込めた手が行き場を失い、なんとなく前髪をかきあげてみたが、急に恥ずかしくなって顔を赤くした。

 ハリエットは、そんなイアンの行動には何も言わずに、中へ入ってくるなり挨拶をした。


「おはようございます。殿下」


 頭を下げたハリエットの顔色は青白く見えた。目の下には隈が出来ている。あれ程の悪魔と戦ったのだから、当然のことに思えた。


「おはよう。ウィンスレット神官長。もう身体は大丈夫なのか?無理して立たなくていい。そこに座ってくれ」


 ハリエットは僅かに目を大きくすると、ではありがたく、と言ってベッドサイドに置かれた椅子に腰掛けた。


「少し疲れが残っておりますが、私は大丈夫です。殿下こそ、昨夜は悪魔と戦いを終えるなり倒れてしまったんですよ。どこか痛むところや調子の悪いところはありませんか?」


「悪くない。大丈夫だ。よく寝て、むしろ気分がいい」


 ハリエットはくすりと笑った。


「ウィンスレット神官長こそ、本当に大丈夫か?あれ程強力な悪魔を相手にしたんだ」


「昨夜はお恥ずかしいところをお見せしました。悪魔に苦戦したのは久しぶりで、油断しておりました」


「あれ程強力な悪魔が相手だったのだ。無理もないと思う」


「いいえ。私の力不足です。殿下には、危ないところを助けていただきました。殿下の助けがなければ、今ここでこうして話をしてはいられなかったでしょう」


「いや、あれはリスベット先生のドリームキャッチャーのおかげで、私は何も……」


 イアンの言葉を遮って、ハリエットは力強く言った。


「いいえ。悪魔を退けたのは、殿下の光の魔力のおかげでございます」


「光の魔力……?」


 イアンはきょとんとした。光の魔力など使った覚えがなかったからだ。あの時はただ、無我夢中で悪魔をハリエットから退けようと魔力を込めただけだ。


「殿下が皆様を護りたいと強く願ったからこそ、悪魔除けを通してあれ程の魔力を放つことが出来たのです」


 ぽかんとするイアンに、ハリエットは微笑みかけた。


「私は驚いております。殿下があれ程の光の魔力を備えていたことに。そして、それを扱えたことに」


 失礼ながら、とハリエットは続ける。


「私はヨーク殿に呪いを受ける前の殿下のことしか知りませんでしたので、こちらに来てみて、殿下の変わりようには大変驚きました。殿下は、城内では使用人達に気さくに声をかけ、先程は自分よりも私の体調を気にしてくださいました。そして、昨夜はシュトックマー騎士団の騎士を助け、私達を悪魔から護ろうと命を張ってくださいました」


「いや、私はそんな……」


 イアンはなんだか恥ずかしくなってきて、ろくな返事が出来なかった。いいえ、と首を振ったハリエットは、真面目な顔付きになった。


「殿下、神官が神力を扱えるのはなぜだと思いますか?」


「ええと……神に仕えるための厳しい修行をした結果だろうか?」


「半分正解です。私達神官は、全身全霊で神を信じ、神に仕え、神を崇めることによって、神から力を授かるのです。そうして、与えられた神力を扱えるように、修行に励むのです。……それでは、光の魔力はどのように扱うのでしょうか?」


 イアンはしばし考えを巡らせたが、答えは出てこなかったので、左右に首を振った。


「光の魔力は、魔術師が蝋燭に火を灯すように簡単に操れるものではありません。心から人を愛し、思いやり、誰かを救いたいという強い思いがなければ、扱えません。それは、神力を操るのと似ております」


 ハリエットは立ち上がると、自身の胸に手を当てた。


「殿下が人を思いやり、勇気を持って悪魔に立ち向かってくださったことを、心から感謝致します。私は殿下に救われました。本当にありがとうございました」


 ハリエットは胸に手を当てたまま膝を折ると、頭を垂れた。それは、忠臣がする敬礼だった。


 イアンは大いに慌てた。昔のイアンならば、王子が敬礼されるのは当然だとふんぞり返っていただろう。

 けれど今は違う。自分ではどうにも出来なかった強力な悪魔を祓ったハリエットのことを、心から尊敬している。


 そんな尊敬する相手から感謝の言葉と敬礼を受けて、緊張でぶるりと身体が震えた。

 身体だけではない。ハリエットが心からイアンに感謝しているのが伝わってきて、心も震えていた。胸が熱い。鼻の奥がツンと痛む。


 イアンは自分は感動しているのだと気付き、震える手を胸に当てた。そして、真っすぐに見つめてくるハリエットの目を見返すと、深呼吸をして、しっかりと答礼を返した。


「こちらこそ、命がけで私達を悪魔から救ってくれたウィンスレット神官長を、心から尊敬し、感謝する。ありがとう」


 これ程心のこもった答礼は、初めてだった。

 ハリエットは驚いたように目を見開き、ゆっくりと目を閉じて深く頭を垂れた。


「面を上げてくれ」


 慌てて言うと、ハリエットは顔を上げて立ち上がり、にこりと微笑んだ。イアンもなんだか照れてしまって、誤魔化すように笑った。


「それにしても」


 ふと、ハリエットがキーラに視線を留めて言った。


「そろそろ寝たフリも辛いでしょうから、私はこの辺で失礼します」


 寝たフリ?とイアンはキーラに視線を落とした。キーラが、うっすらと目を開けてイアンを見ていた。起きてたのかと驚くイアンに、キーラはペロリと舌を出して身を起こした。


「お話の邪魔をしたらいけないと思って……」


 照れて笑うキーラを可愛いと見つめていると、ハリエットがカーテンを開けた。


「邪魔なのは私のほうですから。――それから、ここだけの話ですが、殿下の立太子を楽しみにしております。それでは、ごゆっくりとお休みくださいませ」


 ハリエットは、もう一度丁寧に頭を下げると、出て行ってしまった。イアンはハリエットの真っすぐに伸びた背中を見て、もっと自分も頑張らないといけないと思った。


「立太子か……まだまだ遠いな」


 ポツリと呟くと、キーラが首を傾げた。


「そうでしょうか?案外とんとん拍子で進むかもしれませんよ?」


 どうだかな、とイアンは窓の外へ視線を向けた。


「まだまだ知らないことも多いし、今回も護られてばかりで……。キーラのことも、男として護れるようになりたい」


 思わず本音が漏れて、はっとしてキーラに視線を戻せば、キーラは頬を林檎のように真っ赤にさせていた。


「殿下……」


 キーラの瞳が潤みだす。抱きしめたいと手を伸ばした瞬間、ちょっと待てー!と医務室に怒声が響き渡ると、突然カーテンが開かれて、そこから騎士達がなだれ込んできた。イアンは仰天して慌てふためいた。


「なっ!なんだ?!」


「なんだじゃないぞ!イアン!」


「せっかくお見舞いに来てやったっていうのに!」


「イチャイチャイチャイチャしやがって!」


「ふざけんじゃねぇ!!」


 騎士達がベッドを取り囲んで、やいのやいのとイアンに不満をぶつける。


「その上、昨日は俺達のことをちゃっかり結界で護ったり、いいところを持っていきやがって!」


「そうだ!ふざけんな!」


「俺達にもかっこつけさせろよ!」


「なぜそれで怒られなければならないんだ……?!」


「うるせえ!この野郎!」


 騎士達が笑いながらイアンの肩や頭を小突き、首に肩を回して揺らす。医務室が一気に騒がしくなり、お祭り騒ぎになった。このまま歌でも歌い出しそうな雰囲気だ。


 それにしても、曲がりなりにも一国の王子にこの野郎とは、イアンは苦笑した。日頃から彼らにはキーラと仲良くしているからと嫉妬心を向けられて、訓練中には散々な目にあっていたが、こんな風に気安くされるのが、嬉しくもあった。


「あ、あの!殿下!」


 突然一人の騎士が声を張り上げると、その場がしんと静まり返った。よく見ると、昨夜壇上に取り残されて、イアンが駆け寄った新人騎士だった。


「イアン殿下!昨夜は取り残されて動けずにいた私を助けてくださいまして、ありがとうございました!」


「いや、私は結局君を助けることが出来なかった……」


「それでも!身を挺して私の元へ駆け付けてくださった殿下には、感謝しております!」


 騎士はこめかみに手を当てて敬礼をした。すると、ふざけてまとわり付いていた騎士達が次々とイアンから離れると、ぴしりと背筋を伸ばして、一斉に敬礼を向けた。

 キーラもまた、立ち上がって騎士達に並ぶと、背筋を伸ばしてこめかみに手を当てた。


 イアンは一瞬呆気に取られた。その敬礼は、ハリエットがしたような忠臣のする敬礼ではない。これは、騎士の敬礼だ。仲間や上官に敬意を表する騎士だけのもの。


 イアンはぐるりと周囲を見渡した。唇を引き結び、キリリとした表情でイアンを見据える様は、先程ばか騒ぎをしていたとは思えない程に凛々しかった。


 圧巻の光景に、イアンはごくりと喉を鳴らしてつばを飲み込むと、居住まいを正して小さく息を吸い込み、声を張り上げた。


「こちらこそ、シュトックマー領のために、いいや……この国のために戦う君達に、敬意を表する!」


 イアンは胸を張り、指の先までぴんと伸ばし、答礼を返した。騎士が一斉に、はっ!と返す。


 すると窓の外で、初春を告げるかのように、(うぐいす)の囀りが聞こえてきた。


 もうすぐ春がやってくる。皆で無事に春を迎えることが出来るのが嬉しくて、イアンは表情を緩ませて微笑んだ。







 

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] キーラ男前! 他のキャラもいい味でとりますね [気になる点] イアンがこんないいキャラになるとは誰が予想できただろうか? [一言] 待ってました! この二人の物語もその他の人達の物語も …
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