15 白い子犬はからかう(後編)
正座したまま訥々と語る彼の話では、小さい頃に大きな犬に追いかけ回された挙句、お尻に噛み付かれて怪我を負い、以来、犬が大の苦手だと言う。
「……犬神筋の家系だというのに、犬が苦手なんて情けないと、両親からも姉からも叱られて呆れられて、見合いも全然できなくて……」
他家どころか、自分の家の犬神にさえビビる始末で、一時は柏原家の存続すら危ぶまれていたらしい。
そこに降ってきたのは、犬神筋の名家・白瀬との見合い話。両親は喜びつつも『大丈夫だろうか』と心配し、姉達からは『しっかりなさい!』と叱咤された。
こんな大チャンスはそうそう無いと、柏原自身も、怖がるまい、否、怖くてもそんな姿は見せまい!と気合を入れて見合い会場で待っていたそうだ。
すると、現れたのは小さくて愛らしい白い子犬で――。
「その、すごくほっとして、気が抜けて……『小さい』と口に出してしまって……本当に申し訳ありません……」
「……」
莉緒と僕は、無言で顔を見合わせた。
莉緒も僕もてっきり、相手が『小さい』と言ったのは、残念に思っているせいだと思っていた。
力の強い犬神は得てして大きいもので、たいていの犬神筋の家では大きい犬神が好まれる。
まあ、白瀬の家の場合はけっこう個人(個犬?)差があって、僕みたいに成長しても身体が小さいままの犬神もいる。とはいえ、力が弱いわけでなく、中身はそんじょそこらの犬神より遥かに強い自信がある。
でも、やっぱり見た目で判断するやつもいて、莉緒は少し気にしている。僕が軽んじて見られるのが悔しくて、許せないらしい。
僕もちょっと、気にしている。僕のせいで、莉緒が何か言われるのは嫌だから。
だから、『小さい』って言われたとき、莉緒は怒った。
僕を侮られたと思ったからだ。相手が自分の犬神を見て落胆したのだと思って、それが悔しくて、見合い会場を飛び出した。
子供っぽい動機だけど、僕を思ってのことだから、強く注意はできなかった。僕もちょっとだけ怒ってたし、ほんの少し悔しかったし。
だけど、蓋を開けてみれば、柏原の『小さい』は、『小さくてよかった』と安堵のために零した言葉だったようだ。小さい犬神でいいのかと、僕も莉緒も拍子抜けする。
柏原は、莉緒の脱走した後、実の両親から散々注意されたらしい。「お前はなんて失礼なことを」「うちの愚息が大変申し訳ございません」と、向こうの家の方が平謝りする始末になっていた。
白瀬家が相手だったから、というのもあったようだが、“犬が苦手”という欠点を持った息子には、あの小さく可愛らしい犬神しかいない!むしろあの犬神でも駄目なら柏原家に後は無い!と切羽詰まっていたようだ。
だから、莉緒が家に戻って先方に謝りに行くと言ったとき、両親と達央が微妙な顔をしていたのか。
特に問題も無く、あっさりと仕切り直しが行われたのは、双方とも謝りたいと言う意志が一致したからだ。
柏原は大きな体を縮こまらせて、完全にしょげてしまっている。
「不快な思いをさせた挙句、こんな情けないところまで見せてしまって……。この縁談を断られることはわかっていますが、その、やはり直接謝りたくて……この場をお借りして、謝罪に参りました」
申し訳ありません、と何度目かになる謝罪の後、柏原が顔を上げる。何とも悲し気な眼差しをする。
いまだ床に正座したままの柏原に、莉緒も僕もどうしようかと目線を交わす。やがて、莉緒は床に膝をついて「柏原さん」とそっと声を掛ける。
「私も、貴方に謝罪したくて、ここに来ました」
「いえ、でも、それは……」
「私、見合いを抜け出した後、姉に叱られたんです。いろんな人にたくさん心配をかけたことを、ちゃんと謝ってきなさいって。……柏原さん。私は、貴方の謝罪を受け入れます。だから、どうか私にも謝らせて下さい」
「……」
「私のわがままで、貴方にも、貴方のご両親にも心配をかけて、本当にごめんなさい」
頭を下げる莉緒に、柏原はしばし呆然とする。沈黙が室内に降りたとき、入口の衝立の向こうから遠慮がちな声が掛かった。
「お取込み中、大変失礼致します。柏原様、白瀬様。あの……ご注文の方はいかがなさいますか?」
姿は見せないが、申し訳なさそうな女性――おそらくはウェイトレスの声である。莉緒は立ち上がり、柏原もあたふたと立ち上がった。莉緒は衝立の向こうに声を掛ける。
「私はホットチョコレートを。……柏原さんは、何にしますか?」
急に話を振られた柏原は、一重の目をきょとんと瞬かせた。
「え?あ、その、ええと……」
「ここ、スイーツが有名なんですよね。せっかくだから、甘いものがお嫌いでないなら、一緒にいかがですか?」
「え……あの……い、いいんですか……?」
莉緒に誘われたことに驚いている柏原は、しどろもどろになっていた。見合い話を断られてこの場はお開き、とでも思っていたのだろう。
そんな柏原に、莉緒は悪戯っぽく笑む。
「嫌なら誘ったりしません」
「っ……はっ、はいっ!では、喜んでご一緒させて頂きますっ!」
だからどこの営業マンだ。
心の中で突っ込みながらも、僕はぷふっと小さく吹き出した。
何だろう、この柏原ってやつ、変なやつだ。
でかくて強そうなくせに、落ち込むとしゅーんってなって、元気になるとぱあって顔が輝く。単純でわかりやすい。なんだか、どこかの犬神を思い出させる。
見上げると、莉緒もまた口元を綻ばせて、柏原を見ていた。
……うん。ちょっと、いい感じかもしれない。
まあ、莉緒が気に入ったのなら、とりあえずは予選通過といったところかな。
僕は、注文を終えてウェイトレスが去った後、席に座った莉緒の膝の上に飛び乗った。後ろ足で立ち上がってテーブルに前足を掛ければ、向かいの席の柏原が緊張した面持ちで僕を見つめてくる。
緊張して少し怯えてはいるものの、僕を見る目に蔑むような色は一切無い。むしろ、「おお……」と頬を赤くして感心したように見てくるものだから、何だか気恥ずかしくなってくるし、悪戯心が若干くすぐられてしまう。
なので。
くわっ、と口を開け牙を剥き、鼻先に皺を寄せて怖い顔をしてみせた。
すると、見事に柏原が「ひっ」と息を呑んで身を引く。
あ、何だこいつ面白い。いい反応する。「ちょっとショコラ!」とすかさず莉緒に怒られたけど、僕はにやりと笑ってしまった。
僕も、こいつのことをちょっと気に入ったよ、莉緒。
膝の上から見上げると、莉緒は目を瞬かせ、やがて苦笑を浮かべる。
あんまりからかったらだめよ、と頭を撫でる手に甘えながら、僕はぺろっと舌を出してみせた。
おまけ話 『その後のショコラ』
僕と莉緒を交互に見た柏原が、恐る恐る尋ねてくる。
「あの、すみません。先ほどから待雪さんのことを『ショコラ』と呼ばれているみたいですが……」
「……ショコラは、私が小さい頃にこの子に付けた名前なんです。その、昔の癖が抜けなくて……すみません」
莉緒は頬を赤らめて答えた。柏原は慌てて首を横に振る。
「いいえっ、その、可愛い名前だと思っただけでしてっ!……あの、もしかしてチョコレートが好きなんですか?先ほどもホットチョコレートを頼まれていましたよね?」
「はい、私も好きだけど、この子もチョコレートが好きなんです。……あの、ホットチョコレート、この子の分も頼んでいいですか?」
「もっ、もちろんです!」
柏原は勢いよくうなずいて、追加の注文をと、テーブルに置かれた呼び鈴を鳴らした。
その後、柏原は莉緒に会いに来る度にチョコを持ってくるようになった。「ショコラさんにぜひっ!」と進呈される高級チョコに、僕は満足している。
ついでに、「くわっ」と口を開けて威嚇して見せると、「ひえっ」と相変わらず良い反応を返してくれるので、それも満喫しているのである。




