12 白い犬神と甘酒と約束(後編)
家に帰りつくまで、私は無言を貫いた。
道中、夏貴様が「あれ、怒った?」「おーい、吹雪ー、返事くらいしてよー」「……ねえ、まさか泣いてないよね?」「すみません吹雪さん僕が悪かったので機嫌直して下さい」と散々声を掛けてきたものの、私は考えごとに耽っていた。
俯いたまま車から降りて、夏貴様の後ろをついて、大神本家の敷地内にある別宅に辿り着く。
灯りのともった玄関で夏貴様が「ただいま」と声を掛けると、ぱたぱたと走る音が近づいてきた。
「おかえりなさい、おとーさん、ふぶきちゃん!」
姿を見せたのは、長女の沙織様だ。
奈緒様の幼い頃にそっくりの彼女は、走ってきた勢いのまま、夏貴様の足元にいる私に抱き着いてきた。さらにその背後からは、幼い足取りで弟の瑞貴様もとてとてと走ってきて、小さな手で私の鼻先をぐいぐいと掴んでくる。
幼い子供達にされるがままになっていれば、上の方では「え、先に吹雪の方に行くの?」と夏貴様が羨ましそうに呟いていた。
やがて、奈緒様も遅れて現れる。私が子供達と共に足元に近づいて見上げると、柔らかな笑みが顔に浮かんだ。
「おかえりなさい、吹雪」
屈んだ奈緒様が私の頭を撫でてくれる。背後では夏貴様が「僕も帰っているんだけど…」と不満そうな声を上げていた。
「お疲れ様。大変だったでしょう」
『……』
労わる声と、優しい手。あなたの笑顔。
見つめていれば、ぎゅうっと胸が締め付けられたように痛くなる。
すると、応えぬ私の様子に気づいた奈緒様の顔が曇った。心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「吹雪?どうしたの?」
呼びかける声に答えようとして、言葉が詰まった。
声に出せぬ思いが、眼から光となって溢れ出す。
ほろほろと零れる青い光の雫に、奈緒様が目を瞠った。
***
ああ、奈緒様。奈緒様。
私はあなたの犬神に生まれて、幸せです。
あなたが、私を犬神として育ててくれた。
どこに出ても恥ずかしく無いよう、立派な犬神となるように育ててくれた。
あなたの側にはいれなくとも、あなたのために犬神の使命を全うできる。
私はあなただけではなく、沙織様も瑞貴様も、それに夏貴様も。その孫もひ孫も。これから先、あなたの子を、孫を、その家族を。
皆を末永く守ることを、使命とすることができるのです。
あなたの血を引く者は、私が守ります。
あなたが幸せであるように、あなたが大切に思う者たちが幸せであるように。
私は、あなたの幸せを守ります。
それが、あなたの犬神としての使命であり、私の幸せなのです。
だから、奈緒様。
たとえ、あなたが先に逝ってしまっても。
あなたが側にいなくても。
犬神としての一生をあなただけに捧げることはできなくても。
寂しくはないのです。悲しくはないのです。
嬉しいのです。とても、とても。
一番好きで、一番大切な、たった一人の主。
あなたの犬神に生まれ、あなたのために生きることができて、私は幸せなのです。
***
「吹雪……」
光の涙を零す私を、奈緒様はしばらく無言で見つめていた。その間に、傍らの子供達が私の顔を覗き込んでくる。
「ふぶきちゃん、どうしたの?どこかいたい?」
「ふーちゃ、たいたい?」
沙織様と瑞貴様の小さな手が、私の頭を、背中を、慰めるように撫でてくる。
いつか私が仕え、守っていく手だ。私にとっても、大切な手だ。
「いたいのいたいの、とんでけー」
「たいたぁ、けー」
拙くも懸命に紡がれる言葉で私の胸は温かくなり、さらにほろほろと光は溢れた。
泣き続ける私につられ、沙織様も瑞貴様もおろおろとして泣きそうになりながら、抱き着いてくる。
やがて、目を眇めた奈緒様が、子供達と共に私の頭を胸元に抱き寄せながら、低い声を出した。
「……夏貴。吹雪に何か言ったでしょう?何を泣かせているの?」
「え、ちょっとそこで僕に来るの!?」
「吹雪、気にすることはないわ。夏貴の言うことを真に受けては駄目よ」
そうして夏貴様を睨みやる奈緒様に倣ったのか、両脇の子供達も私が泣いた原因を見上げて責める。
「おとーさん、ふぶきちゃんをいじめちゃだめでしょ!」
「めーっ!」
「え、ちょっと待って、何、この構図おかしくない?」
僕の味方が誰もいないんだけど、と狼狽える夏貴様に、子供達が飛びついて足をぽかぽかと叩いた。「誤解だよ!」と慌てて逃げる夏貴様を、沙織様と瑞貴様が追いかける。
珍しく夏貴様が慌てる様子に思わず涙を止めて、呆気に取られていれば、私の首に奈緒様の腕が回った。そうして、そっと抱きしめられる。
『奈緒様…?』
「泣かないで、吹雪。私も悲しくなるわ」
『……奈緒様』
――主と犬神は、その魂を二つに分けて生まれる。
だから、ふたりの心はいつも共にあると――そう教えてくれたのも、奈緒様だ。
……ああ、雪尾。
あなたが可哀想だなんて勝手に決めつけて、ごめんなさい。
あなたの幸せを決めるのは、私ではない。夏貴様でもない。
他の誰でもなく、雪尾と未緒様が決めることだ。
あなたは、あなたの幸せをずっと追い続けているのね。未緒様と一緒に、ふたりにしかできない方法で――
私は、奈緒様の頬に顔を寄せる。身体ごと摺り寄せて、温かな彼女の体温を感じ取る。
『……奈緒様、どうか悲しまないで下さい。私は、悲しくなどないのですから』
ただ、未熟者なだけなのです。
そう言うと、奈緒様は目を瞬かせて、ふっと口元を綻ばせた。
「もう……吹雪はこんなときも真面目なんだから。もう少し甘えていいのよ?」
『仕方ありません。奈緒様に似たのですから』
私の返しに、奈緒様は「まあ、生意気になっちゃって」と吹き出した。
そうして、奈緒様は私の頭を撫でながら、私の大好きな笑顔を見せてくれたのだった。
早く書き終わったので、後編も今日中にアップできました。
夏貴さんの扱いが少しぞんざいになってしまって……
子供たちは常に母親と吹雪の味方なのです。




